枳棘のシュプレプリカ

ShiotoSato

Supre-plica of the Spines 

01. 白黒の魔法

1――異世界に迷い込んだみたい(前編)








          白。










見渡す限り、白一色。


――自分が分からなくなる。

確かにここにいるはずなのに。


(……いやだ)


怖くて、膝から崩れ落ちる。

けれど身体はどこにも着地しない。


ずっと浮いて行くようにも、

ずっと沈んで行くようにも感じる。


(…………)


白は嫌いだ。

孤独を感じる色だから。


(……埋め尽くさなきゃ)


埋め尽くさなきゃ。

白いところを、余す事なく。


埋め尽くさなきゃ。


埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。


埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ。埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ埋め尽くさなきゃ――



 = = =



「……んん」


目の中に、小さな光が仄めいて。


(……?)


少しずつ瞼を開けてみる。

緞帳どんちょうを上げるかのように、ゆっくりゆっくりと。


やがて天井がぼんやりと見えて来た。


「はぁぁ……」


欠伸と溜め息が重なる。

何だかイヤな夢を見た気がする……けど、どんな夢だったっけ?


……大して中身のない夢だったのかも。

ともかく、私の脳裏には得体の知れない不快さだけが残っていた。


「んしょ……」


やっとのことで重い身体を起こすと、意識的に辺りを見回してみる。


「…………」


相変わらず汚い部屋だと思った。


テーブルの角には、食べかけのお菓子と制服のリボン。

生成り色のカーペットは少しずれていて、むしろ部屋の方がずれているかのように錯覚してしまう。


まあ別に、目を覚ましたら部屋が綺麗になってました――なんてことは期待してないけど。


そのまま日差しを浴びようと、私はカーテンに手を掛けて。


「おはよっ、こより!」


「うわぁっ!?」


突然窓の向こうから聞こえた声に、思わず心臓が跳ねる。


(だ、誰……!?)


恐る恐るカーテンの隙間に指を入れてみると。


「やあやあ。気分はどうですか?」


そこに立っていたのは――制服の女の子。


「あ、秋希あき……どうしてこんな所に!」


「それはこっちのセリフだって。な~んでこんな所いるんすか」


彼女は悪戯っぽく言うと、柔らかく微笑んだ。


「いや、なんでって今まで寝てた――」


そこでハッとする。

枕元のスマホを手に取ると、画面に時刻が表示された。


(……7時33分!?)


完全に寝坊じゃん!!

こんな日に何やってんだ、私!


「電話しても全然出なかったから。家凸です」


「っていうか怖いよ! なんでそんな所に張り付いてんの!」


「最悪こよりが起きなかったら、窓叩こうかと思ってた♡」


ガチのホラーだって、それは。


「と、とりあえず先行ってて! 後でまた――」


「ああ、いいよいいよ。あたし待ってるから」


「えっ……でも」


すると彼女は髪をくるくると指で巻いて。


「折角ここまで来たのに。先に行けってのはちょっと、いただけないかな~?」


おどけた調子で、私にぼやいた。


「……ちゃんと準備してからおいでよ? 外で待ってるね」


「う、うん。ありがとう」


これ以上待たせちゃいけない。

着替えを手に取り、すぐさま部屋を後にした。



 = = =



「んしょ……」


制服のリボンを結ぶのは苦手だ。


「あ、ああ~」


結び目の所が、いつも変になってしまう。

今も鏡の前で格闘していた。


「はぁ……なにこれ」


……可愛くない。

リボンってこんな不格好に結べるんだ。


自分の不器用さを呪いながら、玄関に向かう。


「いってきまーす」


家じゅうに響き渡りそうな声だった。

返事は無い。


…………。


返事を待っている自分が、何だか可笑しかった。

今さら何を期待してるんだろう。


ここに居ると変な気持ちになりそうで、慌てて手元のドアノブを捻った――



 = = = = = = = = = =



  ―― 枳棘のシュプレプリカSupre-plica of the Spines ――



 = = = = = = = = = =



『次は、新宿。新宿……』


アナウンスの声だけが響き渡って。

たくさんの人がいるのに、ほぼ全員が何ひとつ言葉を交わさない。


「…………」


土曜日にも関わらず、電車内は足元が見えなくなるほどに混んでいて。

辛うじて秋希と目が合う。


「…………」


めっちゃ真顔だ。

え、目開けながら寝てる? もしかして。


「……ふっ」


思わず吹き出しそうになって、慌てて視線を逸らした。


中吊り広告には、最近流行っている漫画『Badass Badger』の第6巻発売を知らせるイラスト。

アニメの放送も控えていて、今後の展開に目が離せない。


そのままドア上のモニターを見ると、首都圏のニュースが映し出されていた。


(『新宿区の中高に在学する女子生徒、相次いで行方不明に』……)


新宿区――。

まさに今、この電車が通っている場所。


(行方不明ってどういうこと?)


不審に思い、画面をジーっと睨んでいると。


電車が音を立てながら……ゆっくりと停まり。

ドアが開くと同時に大勢の人が降りて行く。


「うおぉっ……」


その時。

扉の近くに立っていた秋希が、人波に呑まれそうになって。


慌てて彼女の手を掴む。


「……ありがと、こより」


「うん。やっぱり新宿は人多いね……」


と――油断していた私をよそに。

今度は、乗り込んで来る人の姿が。


(あれ、いつもよりなんか……多い?)


近くの席に追いやられると、そのまま二人で腰を下ろした。


再び閉ざされるドア。

電車は音を立てて、ゆっくりと動き出す。


「文化祭じゃない? この人数」


「え?」


「今日、乗って来る人がやけに多い気がする」


「あ……私同じこと思った。でも、文化祭のためにそんな」


と言いかけたところで、彼女の指が私の口を封じた。


「ノンノン、ウチの文化祭舐めちゃいけないよ。関東最大規模なんだから」


「……それ本当なのかな? 毎年謳い文句にしてるけど」


「去年の来場者数が確か5万人とかだったから、あながち間違ってないんじゃない?」


5万人。

それこそ、東京ドームにギリギリ収まるくらいの人数だろうか。


他の学校の文化祭がどうなのかは詳しくないけど、確かに規模は大きいのかもしれない。


「……こより? ちょっとジッとしてて」


「え?」


すると突然、秋希が何かに目を光らせた。

言われるがままに身体の動きを止めると。


「ほらここ。ぐちゃぐちゃになってる」


見れば、胸元のリボンが原型を留めていなかった。

まあ元々崩れていたようなものだけど……。


人混みに揉まれたせいだろうか。


「ちょっと失礼~」


すると彼女は、綻んだ結び目に手を伸ばして。


「ふふ、可愛く結んであげよーっと」


華奢な指先が動き出す。

慣れた手付きで丁寧に、けれど素早く、結び目を作り上げていく。


「……んん」


じっとしていると……くすぐったい。

その間にもどんどんと彼女の手は動いて行き。


たまらず、私が身を捩ろうとしたその時。


「……出来た!」


秋希が声を潜めて言った。

再び視線を落とすと――そこには。


「わ、可愛い……」


思わず声が漏れる。


羽が4枚。

蝶のような形をしたリボンが、胸元にちょこんと収まっていた。


「気に入った? これ」


「う、うん。すっごく可愛いよ」


「あはは……これ、作るのそんなに難しくないからさ。後でやり方教えてあげる」


そう言って、はにかみながら彼女は微笑んだ。


(……?)


ふと。

彼女が身じろぎをした拍子に、何か揺れるものが見えた。


(あ、こっちも可愛い……)


色が同化していて気付けなかった。

小ぢんまりとした黒のリボンが、彼女の髪に結ばれていて。


今日のためにお洒落してきたのかな……?


「うわやばっ! こより、降りるよ!」


「えぁっ……!?」


と、急に私の腕を掴んで、秋希が立ち上がる。

車窓からの景色は――既に代々木だった。



 = = =



 駅舎を出て交差点を左に折れる。

そこから道なりに進むと見えて来るのは、明治神宮。


緑を湛えた境内から漂う、心地の良い静寂。

私も何度か秋希と回ったことがある。


その静けさを掻き消すかのように、近くの線路を埼京線が走り抜けて行った。


(って、何やってるんだ私……)


黄昏ている場合じゃない。

ひたすら腕を振って、足を動かすことに集中する。


高架下を潜り、そのまま新宿御苑の方向へ。


「あ……っ」


目の前の信号がちょうど赤く点灯した。


走るのを止めると、僅かに身体が前のめりになって。

慌てて膝に手を付く。


「っハァ……ハァ」


呼吸がうるさい。

鼓動もうるさい。


ふと、私の頬を優しい秋風が撫でて。

誘われるように視線を上げると。


横断歩道を越えた先――秋希がこちらへ手を合わせていた。

恐らく「ごめん」のサインだろう。


顔は、伸びた電柱の影に隠れてよく見えない。


「大丈夫、こっちこそごめん」

声は届かないので、私も身振りで返す。


……不思議な感覚だった。


道路を一つ挟んだだけなのに。

何故か私と彼女の間には、途方もない距離があるように思えて。


そして、再び信号は青く点灯した。



 = = =



「……どうやって通ろっか?」


困惑の声を漏らす秋希。

彼女の視線の先には、学校の校舎と――


「楽しみだなぁ。今年はどんな出し物やるんだろ?」


「ぼくジェットコースター乗りたい!!」


「お前男子校生のクセに彼女いんのかよ、この裏切り者が……」


「こらっ、ママが困ってるじゃないか」


「あのね、お姉ちゃんのクラスね、メイドカフェなんだって。……めいどってなに?」


めいめいに口を開いて賑わう人々。


100人や200人どころじゃない。

朝早くにも関わらず、老若男女でごった返している。


「近所迷惑の極みだよ、これ」


秋希がそっと悪態をつく。

ごもっともだった。


「というか去年よりも警備の人……増えてる?」


「……言われてみれば確かに。ま、これだけ人が多ければねぇ」


交通整備をしている人もいれば、校門前の警備に当たっている人もいたり。

別に事件とかが起きた訳じゃないのに、どことなく物々しい雰囲気が漂っている。


「にしてもこれは混むぞ〜……。先に回るクラスとか決めなきゃね」


そうして、二人で立ち尽くしていると――


(……?)


背後に誰かの気配を感じて。

何となく振り返ってみたけれど、そこにあったのは続々と訪れる人波だけ。


確かに誰かからの……そう、視線を感じる。


「……行こう?」


気味が悪くなって、隣に立つ秋希の袖を引いた。


「え? あぁ、ゴメンゴメン」


人混みに溶け込むように、逃げるように。

そのまま校舎へと歩みを進める。


辺りは騒がしいはずなのに。

鼓動の音だけが、やけにうるさく聞こえた。



 = = =



 昇降口に入った私たちを出迎えたのは、『第17回愁礼祭へようこそ!』という文字がデカデカと書かれたパネル。


(うわっ、ビックリした……)


その横には、大きな着ぐるみが鎮座していた。

やたらとグロテスクな見た目をしている。


これは……お化け屋敷で使うのかな?

今は空っぽみたいだけど、何かの拍子に動き出しそうで怖い。


壁も装飾で彩られて、お祭りっぽい雰囲気――ここ数日はずっとそんな感じだけど――が漂っている。


でも、お祭りに一番欠かせないものがここには無かった。


「……誰もいないね」


「おっかしいな。HR、まだのハズなんだけど」


足音だけが響く玄関口。

外の喧騒から切り離されたみたいに、ここだけシンと静まり返っている。


なんとなく音を立てるのが憚られたので、私はゆっくりと下駄箱を開けて――


「へへ、お先〜!」


その時、先に靴を履き替えた秋希が廊下へと駆け出して行った。


「あ……ちょっと待って!」


慌ててその背中を追い掛ける。

恥ずかしいくらいに上履きの音が鳴って、慎重に……けれど走らざるを得ない。


すると私の気配に気付いたのか、彼女がこちらをチラッと振り返った。


「どっちが先に着くか競走だよ。こより!」


「ねえ、危ないって! 廊下走っちゃ……」


なおも彼女は小走りを止めない。

余裕綽々といったふうに、廊下の奥へと突き進んで行く。


っていうか今更だけどこの学校、廊下長すぎ……。


「なんかさ、楽しくない?」


「え……?」


脳に酸素が回っていないからだろうか。

彼女の急な言葉に、一瞬思考が止まった。


「廊下走るのって、インモラルな感じがして」


「秋希……それちょっと色んな意味で危ないよ」


やがて、秋希の足取りが徐々に遅くなって。

それと同時に足音も小さくなって行く。


「はぁっ……。もう何なの……急に走り出したりして」


「あはは。ゴメンゴメン」


走り過ぎたせいか、目の前の景色が少し歪んで見える。

気持ち悪い……。


「いやぁ、これだけ人がいないとさ……なんかテンション上がっちゃって」


「だ、だからってこんな……ハァ」


こんな長い廊下、よく走れるなと思った。

私なんか少し走っただけでヘトヘトになっちゃうのに。


「こより、後ろ見てごらんよ。すごいってば」


「え?」


秋希に言われて、振り返ってみる。


(うわ……すごい景色)


壮観だった。

無限にも思えるほどの長い廊下に、誰一人の影すらない。


「なるほど……確かにこれはテンション上がるかも」


「でしょ?」


共感を得られた喜びからか、彼女の眉がピョコピョコと可愛く動いた。


「なんかさ……異世界に迷い込んだみたいじゃん?」


「異世界?」


「そう。人がいないだけで、いつもと違う感じするでしょ」


不気味なくらいに静まっている廊下。

壁に付けられた装飾が、逆に廃墟の雰囲気を演出している。


大げさな気もするけど、異世界っていうのは言い得て妙かもしれない。


「よしっ。行こーか」


思い出したように歩く秋希の背中を、私もまた追い始めた。

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