26話。

「なんっ……何なんだよお前はぁ!!!」


「生憎名乗る名を持ち合わせておりません、今の私はマスターの忠実なる僕であり、ただの執事です。」


「こ……っの……!!!」


 奴隷商は最初は恐怖に怯えた表情だったが、吸血鬼の彼が敵前でありながら剣を納めたこともあり、雑魚に名乗る名前は無いと馬鹿にしているように聞こえたのだろう。今度は怒りで顔を真っ赤にさせている。まぁ実際は本当にまだ名前が無いだけなのだが。


 ちなみに私はこっそりと第一階層に増設した部屋でオリゴス、そして森人エルフの男と共に事の成り行きを見守っていた。計画を詰める際に私も実際に現場に居合わせ、直接様子を見たいと言ったのだが……オリゴスの無言の圧と、吸血鬼の彼からお小言を幾つか貰ったため仕方がなく別室を用意している。代わりに私が手ずから幾つかの仕込みをすることになった。何もなければ問題なく終わるはずなのだが……。


 少し物思いに耽っていると、何やら奴隷商側が騒がしくなった。


「テメェら、俺にありったけの強化魔法バフを掛けろぉ!!あの爺は絶対に俺が殺すからな!!!」


 どうやら連れて来た約二百名のうち数十名は魔法が扱える者だったらしく、奴隷商の長らしき男は全員に強化魔法バフを掛けさせようとしている。待て待て、そんなことをしたら……。


「ぐぉぉおおおおおおおお!!!!!!!」


 男の苦痛に呻く声が響く。人間というのは受けられる強化魔法バフにも限界があり、許容量に個人差こそあれど過剰に強化魔法バフを掛けてしまうと身体が受け入れられなくなった魔力で風船のように膨らみ、最終的には弾け飛び、死に至る。何事も適量というものがあるのだが、その適量の範囲は明らかに超えている。


 一気に様々な強化魔法バフを受けたせいで、男の身体はみるみるうちに膨れ上がり、全身の肌が赤黒く染まる。肌には所々血管が浮かび上がり、一部は負荷に耐え切れず肌が裂け血が噴き出していた。鼻からも血が垂れ、このままでは爆発し、周囲に血肉を飛び散らせて汚い花火が打ち上るのみ……と思ったが、何とその男はほとんど異形と化したその身体のまま、強化魔法バフを受け止めてみせた。


 ……す、素晴らしい!!!今まであそこまで大量の強化魔法バフを受けて人間としての原型をぎりぎりではあるが保っているというのは驚異的な肉体だ!是非とも尋問して解剖してあの肉体のどこに秘密があるのか解き明かしたい!


 興奮して目に炎を宿しきらきらと輝かせる私を見て、森人エルフの男が仲間が脅威に晒されているというのに何を言ってるんだ?といった呆れた目でこちらを見ている気がするが、そんなことはどうでもいい。だが実際気がかりではある。幾ら吸血鬼であれど、あれだけ強化魔法バフを受けた者が相手となれば肉弾戦では不利になるはずだ。余裕綽々といった様子で待ち構えているから、きっと彼は大丈夫だと判断しているのだろうが……。


「はぁ……はぁっ……っくくく、どうだ見たか!これが俺のとっておきだ!こうなった俺はもう誰にも止められねえ!後悔しても遅えからなクソ爺!!」


 筋骨隆々、いや、最早筋肉達磨と化した男は勝ち誇った顔で執事と森人エルフ達を見ていた。身体が膨張したせいか今までよりも低く、くぐもった声で何の反応も示さない執事へと挑発を続ける。


「ぶははははっ!!!どうした爺、俺のこの姿を見て怖気付いたか?最初から俺達の方に付いたままなら多少は融通効かせてやったのによぉ!!テメェは俺を舐め腐った代わりに命で支払って貰うからなぁ!!!!」


「……言いたいことはそれだけですか?」


「…………は?」


 銀髪の翁がただ一言だけ放った言葉に、男は愉快気に歪めていた表情を固める。勝ち誇った所に冷水をぶち撒けられたのだ、そんな表情をするのも無理はない。しかも、翁の顔には恐怖も怒りもなく、呆れ。駄々をこねる子供を見るような諦観。くだらない、と言いたげな様子が男の神経を逆撫でした。そして何を言われたのかようやく頭が理解したのか、赤黒く変色した顔を更に赤く染めながら動き出した。


「テメェ……ぶっ殺す!!!!!」


 そう言って常人を遥かに超える速度で駆け出した先は、当然先ほどから怒りを買いまくっていた老人……ではなく、特別な商品と評されていた森人エルフの女達の方だった。森人達も自分達の方に来るとは予想していなかったのか、肩を竦め瞳に恐怖の色が宿る。凶刃はすぐそこに迫っていた。


「ひゃーっはっはっは!!!!こいつらを守ってるってことは何か俺達が知ってること以外の価値があるんだろ!!ならいっそ殺────」


騎士の矜持プロヴォーク。」


「っな、ぁ!?!?」


 森人達の下へと一息に詰め寄る男がご丁寧に女二人を狙う理由を喋りつつ、その丸太の如く太くなった腕を振り上げ今にも命を刈り取ろうとした時、突然男の身体が老人の方へ向き直り、振り下ろした拳は空ぶったことで勢いそのままに地面へと叩きつけられる。拳は土へとめり込むだけでなく、周囲に亀裂を走らせその威力を知らしめる。


 その拳が本来振り下ろされていたはずだった森人エルフの親子はお互いに身体を抱き合い、生きていることに感謝しながらそれでも死ぬ直前だったという抗うことのできない恐怖に身を震わせていた。


 そして思うような結果に至らなかった理由が目の前の執事であることは明白であり、男は敵意を剝き出しにしたまま心底忌々しそうに睨み付ける。


「ジジイ……!!」


「おや、腰を痛めでもしましたか?それはいけませんな、まだまだ若いというのに。」


 彼は誰がどう見ても煽ってることが分かるセリフを極めてにこやかに言い放つ。男は額に青筋を浮かべ、完全に余裕はなくなっているようだ。


「さ、掛かって来なさい。マスターへの捧げものとしては物足りませんが……まぁ、ないよりはマシでしょう。」


 片手を前に差し出し、くい、と軽く引いてみせる。先手は譲るとばかりに待ちの姿勢を見せる彼に、男は怒りの余り我を失い、強化魔法バフが大量に乗ったことで常人離れした瞬発力で彼に向って駆け出して行く。ついに敵の親玉との戦いの火蓋が切って落とされたのだった。


 ────────


 観戦席という名の別室はマジックミラー号的なイメージです。


 あと今更ですが、もうちょいダンジョン内政回をじっくりやるのと吸血鬼名付け回を先にやっとけばよかったな~と思いました。本当に今更ですが。男だとか彼だとか呼び方が分かりにくくてすみません。


 一応、

 彼、老人、吸血鬼、老執事、執事→全部お爺ちゃん執事

 男、奴隷商→奴隷商の長


 という書き分けをしてるつもりです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る