ぬいぐるみ 後編

 こしあんのさっきの鈴みたいなひと吠えのお陰か、二階は荒れていない。

 と、いうより物が何もなかった。ぬいぐるみに続いて入った二部屋あるうちの片方には、押入れと備え付けのクローゼットの扉だけ。ぬいぐるみはクローゼットの前に立ち、じっとこちらを見て待っている。


「開けるよ?」


 こしあんに確認すると、頷きが返ってくる。

 取っ手を手前に引くと折り畳まれるタイプの扉のクローゼットは、僕が両手を広げた幅くらいあり、大人での座ることができる大きさだった。誰かいるのかも知れないと恐る恐る開けると、誰も居ないし何もない。


「どういうこと?」

「ワシに聞くな」


 ぬいぐるみに視線を移す。ジッと僕の方を見たまま動かない。

 どうしていいか分からずしゃがみ込むと、ポケットあった残り一つの飴が落ちた。


「……鬼ババに聞けとさ」

「いつも思うけど、なんで三個なんだろうね。昔話のお札みたい」

「そもそも自衛もできない甘ちゃんが出向いていることが異常なんだ。いつになったら懲りるのだ」


 こしあんの追及に返す言葉もなく、無視して飴を口にする。


「どうだ?」

「なんか味が混ざってる、なんだろう」

「聞いているのは味ではない」


 わかってると、飴を口内で遊ばせながら応える。

 最初はりんご味だったけど、なんだか舌にあたる場所で味が変わる。それに……合わない。

 りんごと……、


「りんごと昆布って、どう思う?」

「……ワシは早く帰って、いもあんをこしてほしいのだがな」


 さっきまでの不穏だった道行が嘘のように、りんごと昆布で口も頭もいっぱいになる。昆布のとろみがりんごの甘みと香りに合わないと、僕は思う。

 呆れたこしあんに文句を言う気分でもなく、げんなりしながらクローゼットを再度確認すると、違和感を覚えた。


 合わない。広さが。


 クローゼットと部屋の境ギリギリに立って、手を伸ばす。

 腕が伸ばせるだけの幅がなかった。服の肩幅分もあるか怪しい、奥行きが狭すぎる。ノックすると奥に空洞がある反響音がした。

 飴の意味は、このズレを暗示しているとでもいうのだろうか。


「こしあん、このクローゼットの奥。空間がある」

「ほう」


 こしあんは僕が示す先にふっと息を吹きかけた。

 板だと思えた感触だったのに、壁は霧散する。

 隠れた空間に、女の子がぐったりと座り込んでいた。ぬいぐるみのイメージより幼くはない。小柄だけれど、僕と同じくらいか年上にも見えた。

 この空間にどうやって入ったのかと驚きながら状態を確認すると、意識はないけど胸は上下していた。


 ――タダイマ


 ぬいぐるみがその子に飛びつく。

 ぎゅっと少しの呻きが漏れる力で抱きしめ、ポトリと落ちたぬいぐるみは動かなくなった。


「こしあん!」

「砕けずに消えたか。でも残っていたということは、害意はないが強い思念で作られたものだぞ。さっきの男から隠していたのだろうが、母親の方か?」

「それよりこの子でしょ! まだ生きてる!」

「わかっている。ここで狼狽うろたえてもどうしようもないだろう。門まで運び出すぞ、背負え」

「え?」


 僕の返事を待たずに、こしあんは鼻先で女の子に触れた。

 浮き上がり、合図もなく僕の背にずしりと重みがのしかかってきて、倒れないように踏ん張る。前かがみでずり落ちないように体勢を整えた。

 女の子はちゃんと温かく、でも長い時間あそこに居たのか埃っぽいにおいだ。


「ちょっと……浮かせられるなら、こしあんが運んでくれてもいいじゃないか」

「甘えるな、出来ることはせんか」

「そうだけどさ」


 ――イタイ


 階段を下りようとした時、動かなくなったはずのぬいぐるみが僕の足にしがみついてきた。思わず落ちそうになるところを堪え、余裕がないから無視する。

 気絶した人は、たとえ小柄な女の子であっても重い。


 ――タダイマ

 

 そう告げるぬいぐるみの意味を考えながら、僕は出口へと足を進めた。





 門を出て、ばぁちゃんに事の顛末てんまつを電話した。

 警察と救急車は、ばぁちゃんの方で手配することになった。

 曰く、後が面倒臭くないらしい。

 ぬいぐるみは女の子に持たせず、僕が持って帰ってくるように念を押された。


「結局この子は、お腹にコレが入っていたから痛がっていたのかな」

「……」


 波音を聞きながら救急車を待つ時間に、僕はこしあんにぬいぐるみの中に入っていたプレーヤーを見せた。これは、DVをしていた旦那の証拠を押さえるために、妻がお腹に仕込んだのか。それとも娘だと思われる女の子がしたことなのか。


 この子が目を覚ませば起こったことの原因はハッキリするのかも知れない。

 けれど目覚めたら、今まで過ごしてきた女の子の日常は目の前から消え失せてしまっている。

 そう考えると、僕の胸には重い気持ち以外残るものはなかった。


「坊、ウミガメに人間の善悪が当てはまらぬように、超常であるワシらにもそれが言える」

「?」

「まぁ聞け。あのぬいぐるみが、大切にされ生まれた付喪神つくもがみかも知れんと話したが、結局のところ人間とは違うのだ。ワシは多人数の信仰から生まれた故、坊ら人間の価値観をある程度は理解できるのだろう。しかしこやつは恐らく、持ち主一人のために生まれた。それにな、黙っていたが……感情はあれどワシら


 こしあんの説明は、なんだかひどく回りくどくて、伝えにくいことをどうにか伝える言葉を探しているように見えた。


「成長して趣味嗜好しこうが変化する過程で、子どもの玩具がんぐが不要になることもあるだろう。例えばの話だ、坊が玩具の思念だとして、捨てられる話を耳にしたら……どうだ?」

「……嫌、だろうね」


 呟くように返答しながら、塀にもたれさせている女の子に目を向ける。膝の上にはあのぬいぐるみが大人しく座っていた。

 僕がこしあんの言葉の真意をその光景に探す中、相棒は語る。


「捨てる話を親がしていたら、どうだ? 勝手に自分と持ち主を引き裂こうとする存在にはならないか?」

「そんな……、家族だって分かるだろ?」

「たかがぬいぐるみに家族が居るか? ワシがこれまで一度でも親類の話をしたことがあったか? 知っていたとて、持たぬのだ。価値など分からんさ」

「それは……」


 断定的な言葉に気圧される。そして僕の目を見つめ、こしあんは口にする。


「坊よ。その音声の機械は、本物か?」

「いったい……何を言ってるんだ?」


 意図が読めず、語気が強くなる。

 反発しようと相棒に身体を傾けた時、ざらりと手のひらに不快な感触が広がった。驚いて腕をひくと、持っていたプレーヤーが落ちて二つに割れ、砂が溢れ出していた。うっすらと潮のにおいがする。

 砂がなくなったプレーヤーは、空洞だ。


 ――居タイ


 最初から勘違いしていたんだ。

 じゃない。

 

 大事にされた存在の、純粋で無邪気な望み。

 僕は今日の出来事を思い出す。相棒の言葉の全ては憶測だ。真実じゃないかも知れないなんて分かっている。だけど、想像せずにはいられない。


 あの時バタバタと開閉した門。ヒソヒソ聞こえた噂話。

 例えばさっき見たあの光景の中に、あの騒動への住民の恐怖や好奇以外の、ぬいぐるみの見た景色が混在していたとしたら?


 ぬいぐるみに家の区別なんかなかった。ただ、たくさんの声だけは聞こえていた。

 近所の人かもしれない。ドラマかも知れない。

 そこから、あの女の子から離れないために家族を壊す物語を作ったとでもいうのだろうか。


 ――タダイマ


 この言葉が、あの女の子に向けられていたとしたら?

 起きた悲劇が大きすぎて女の子にも危険が迫り、どうしようもなくなって砂浜にたまたま通りかかった僕にすがった?

 そんなの……。


「そんなの、あんまりじゃないか」

「……全ては事後だ。想像にすぎん。親も見つかっておらんが、海か山か……居るのならば時間の問題だろう。坊が出来ることはただ、りることだ」


 いましめるように、こしあんは告げる。


「だが坊、忘れるな。一つは間に合ったのだ。拾えたのは命だけなのか、先の道行みちゆきまで救えるのかは今後にかかっておるがな」


 突き放しきれないのか、ふさふさの尾が背を撫でてくれていた。

 膝を抱え、僕は顔を埋めることしかできない。



 ――居たい。ただいま。



 感情の見えないあの声が頭を反芻する。


 ウミガメの贈り物。ぬいぐるみがそうだったかは分からない。

 ただ一つ言えるのは、夏が過ぎても海はあるということ。

 

「あの子は……生きているんだよね」

「……そうだな」

「相棒。僕はまた何かに出会ったら、求められたら……多分応えてあげたいって思ってしまうよ」

「……そうだな」

「秋はいもあんで、冬は小豆が旬だね」

「ハッ、図々しい甘ちゃんが」

「はは……。ハァ、いまは僕も甘いものが食べたいかな」


 まだ眠ったままの女の子を見ながら、拾えるものは拾いたいと思うのはいけないことなのかと考える。


「お見舞い、行かなきゃね」

「……甘ちゃんが」

「それ、さっきも聞いたよ」


 女の子の膝に座るぬいぐるみを拾い上げ、これからのことに僕は目を向けた。

 離されたことで、また声がする。


 ――居タイ


「……また会わせられるようなら、ちゃんと連れて行くよ」


 ばあちゃんの回収の念押しを思い出し、口内にりんごと昆布の飴が苦みとなって戻ってくる。

 彼女にはここまで見えていたのだろうか? ウミガメの贈り物に係ることが甘いだけの美談ではないと、ばぁちゃんからの戒めなのかもしれないと、僕はまたため息を吐き、秋の海を眺めた。











 


 





  

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ウミガメの贈り物 秋 つくも せんぺい @tukumo-senpei

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