【最終章:右目と名前(7)】

「こっちも処分しょぶんしておきますか?」と、立花美香は田中洋一の方をチラっと見てから、二階の寝室しんしつから出ようとしている空木カンナに聞いた。


「時間がない。ほっときなさい。」

「二十秒もあれば十分ですが。」

「脱出の準備をしなさい。」

「はい。」


という、空木カンナと立花美香の会話を、うずくまる沢木キョウの横で田中洋一は聞いた。沢木キョウの息遣いきづかいはどんどんとあらくなっている。


「空木さん、お願いだ。キョウ君を助けて」と最後の希望きぼうをたくすかのように、田中洋一は空木カンナにお願いをする。


しかし、「もう手遅ておくれよ」と空木カンナは短く言い放ち、「ここはすぐに火がまわる。あなたは見逃みのがしてあげるから、生きたいなら一人で逃げなさい。沢木君はもう助からないわ」と、田中洋一の方を振り返りながら言った。その表情は、いつもの空木カンナだった。


「なんでなの?」と田中洋一は聞いたが、その質問には答えずに、空木カンナは「最後に大切なことを教えてあげる。ここで見たこと聞いたことは誰にも言わないこと。約束やくそくね。もしこの約束をやぶったら、今度こそあなたの命はないから」と返事をした。


「お願い、キョウ君を助けてよ・・・」と、田中洋一はあきらめずに再び空木カンナにお願いをした。しかし、空木カンナはそのお願いにも答えずに、「真中しずえはああ見えてさびしがりやなの。親友がいなくなってきっと悲しむわ。あなたを残してあげるのが、私から彼女への最後のプレゼント。真中しずえをよろしくね」と、自分の言いたいことを伝えてきた。


そして、空木カンナは立花美香と一緒に階段を降りていった。田中洋一の左目は、そのときもまだ開けることができなかったが、空木カンナとの最後の会話のとき、空木カンナの周りには赤黒いモヤは見えなかった。


***


ゴホゴホと咳き込む沢木キョウに、田中洋一は必死に呼びかける。


「もうすぐ救急車が来る。きっと助かる。大丈夫だよ。」

「洋一君、彼女たちはこの家に火をつけるつもりだ。早く逃げて。僕は大丈夫。あとから一人で逃げられるから。」

「何を言ってるの。キョウ君を置いてなんていけないよ。」

「早く逃げて。僕は大丈夫。この傷はあさい。死なないよ。」


沢木キョウのみかたが次第にひどくなる。


「キョウ君、大丈夫?もう喋らないで。」

「洋一君、左目は大丈夫?僕の血が入っただけなんだよね。」

「うん、大丈夫だよ。多分すぐに開けられるようになると思う。でも、右目がおかしいんだ。ときどき、喋っている人の周りが赤黒っぽいけむりで囲まれているように見えるんだ。」


「な、なんだって・・・」と言ってから、沢木キョウははげしくき込む。沢木キョウの顔色は青白くなり、体温も低くなってきていた。


「もう喋らないで。僕がこれからキョウ君をおぶって外に連れて行くから。」

「いいんだ。それよりも僕の話を聞いて。君は僕が探していた人かもしれない。僕の方をよく見て。僕の本当の名前は沢木キョウなんだ。」

「いまさら何を言ってるの。知ってるよ。」

「僕の周りに赤黒いモヤは見えた?」

「見えたよ。」

「僕はアメリカから引っ越してきた。」

「知ってるって。どうしたの?」

「僕の周りの赤黒いモヤはどうなった?」

「えっと、消えたみたい。今は見えないよ。でも、そんなことは今はどうでもいいよ。早く逃げなきゃ。」

「やっぱりそうだ。君の右目は僕の右目と同じだ。あの薬で能力が開花かいかしたんだ。」

「何を言ってるの?ウソが見える右目のこと?」


「いいかい、洋一君。よく聞いて」と言いながら、沢木キョウはゼェゼェと息切れをしながらむ。


「お願いだから、もう喋らないで」と田中洋一は泣きそうな顔をした。


「君が普通の生活をしたいなら、その右目のことは誰にも言ってはいけない。それに、さっき空木カンナが言った通り、ここであったことも秘密ひみつにするんだ。だけど、その右目のことをもっと知りたかったら・・・ゴフ」

「キョウ君?大丈夫?」

「う、うん。もう時間がなさそうだ・・・。」

「キョウ君、そんなこと言わないで。」

「洋一君、いずれ誰かが君のことを尋ねてきて、花について質問してくるはずだ。もし君がその右目のことを知りたかったら、そのときに『特異な才能』と答えるんだ。」

「とくいな・・・さいのう?」

「この右目を作った博士が好きだった花の花言葉だよ。ゴホゴホ・・・その人は・・・ゴフッ・・・僕の育ての親でもあった。」

「花?」

「その花・・の名前は・・・さわ・・・桔梗ぎきょう・・・」

「さわぎきょう?」


***

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