【最終章:右目と名前(4)】

「今日も楽しかったね。私、魚釣さかなつりは初めてだった」と、シャワーを終えてまだれているかみいている真中しずえが、そう相葉由紀に話しかけた。


相葉由紀は真中しずえの前にシャワーを終えていて、井戸いどからくんできた冷たい水をコップにいれて飲んでいた。さっぱりした二人がソファーにすわって話している横で、田中洋一ら男の子たちはカードゲームのUNOで遊んでいた。


今は空木カンナがシャワーを浴びていて、そのあとで田中洋一、羽加瀬信太、沢木キョウの順にシャワーを浴びることになっていた。池田勇太は沢木キョウが終わってから最後にシャワーをびることになっていたため、沢木キョウの地図を使って、立花美香に翌日の帰り道の運転についてアドバイスを求めていた。


シャワーの音が止まったのに気づいた田中洋一が、「あ、そろそろ僕のシャワーの番だ。これが最後のゲームになるかな」と言いながらUNOのカードをシャッフルしていた。しかし、そのゲームは、沢木キョウと羽加瀬信太がさくっと勝ってしまったので、「空木さんがまだ戻ってきてないから、もう一回」とくやしそうに再びカードをシャッフルしてから七枚ずつカードをくばっていった。


そのゲームでは、『ドロー2』と『ドロー4』がたくさん出てくる大接戦だいせっせんとなったが、結局けっきょくまた沢木キョウが一番に勝ち抜け、次に羽加瀬信太が手持ちのカードを全て場に出しきることができた。「また、負けた〜!」と田中洋一が天井を見上げたのとほぼ同時刻に、お風呂場から「キャー!」という声に続いてガタガタと何か大きな音が聞こえてきた。


その音が聞こえてきたとき、みんなは一斉いっせいに顔をあげた。一瞬いっしゅんを置いて、「今のはカンナのさけび声よね」と真中しずえが不安そうにみんなに聞いた。


「ちょっと見てくる」と池田勇太が言って立ちあがろうとしたが、「まだ着替きがえている途中とちゅうかもしれない」との立花美香の発言により、立花美香と真中しずえがお風呂場ふろばに様子を見にいくことになった。


するとすぐに、「カンナ大丈夫?」という真中しずえの大きな声が聞こえてきて、その直後には「池田先生もきてください」と言いながら立花美香がみんながいる居間いまに入ってきた。


空木カンナはパジャマ姿すがたのまま、お風呂場の前でたおれていた。その横に座った真中しずえは「大丈夫?しっかりして」とり返し空木カンナに声をかけていた。


空木カンナは意識いしきはあるようで、真中しずえの声かけに返事はしているようだった。立花美香が空木カンナにかたして居間いままで移動してソファーに横に寝かせているあいだ、池田勇太と沢木キョウは、お風呂場とその周囲の様子を見て回っていた。池田勇太と沢木キョウによると、「まどが一ヶ所開いていたので、もしかしたらそこからだれかが入ってきたのかもしれない」とのことであった。


居間のソファーに全員が集まったとき、「カンナ、何があったかおぼえてる?」と真中しずえが空木カンナに聞いたが、立花美香は「今はまだ無理にしゃべらせないほうがいいと思うわ」と真中しずえを優しくなだめた。


しかし、「私は大丈夫です。心配かけてごめんなさい」と青白い顔で弱々よわよわしく空木カンナは話し始めた。「無理しちゃだめよ」と立花美香は言ったが、空木カンナは何があったかを説明しつづけた。


「シャワーをびおわって、このパジャマを着てからお風呂場を出たところで、いきなり誰かに後ろからかべけられたんです。そして、緑色の液体を注射されたんです」と首筋くびすじと肩の間を指差した。


「緑色!?ま、まさか・・・」と沢木キョウが驚いたが、その瞬間、空木カンナは気を失ってソファーからずり落ちそうになった。


それを立花美香がささえつつ、「空木さんを二階の寝室に横にさせてきます。池田先生、もしよかったら、一階部分をもう一度いちどだけ点検てんけんして誰もいないか、かぎが開いている場所がないか、を確認してきてもらえないでしょうか。トイレの中にも誰もいないのを確認してもらえると助かります」と池田勇太に言った。そして、真中しずえと相葉由紀の助けを借りながら、空木カンナをき上げて二階にれていった。


空木カンナを二階の寝室の布団ふとんの上にかせたあと、立花美香・真中しずえ・相葉由紀は、二階にあやしいところがないことを確認して一階に戻ってきた。女性陣の三人が居間いまに入ったとほぼ同時に池田勇太も居間に戻ってきた。「一階にも、今は特に怪しいところはなかった」とのことであった。


「どうしよう・・・」と泣きそうな顔で羽加瀬信太が言うと、「池田先生、携帯電話で警察けいさつを呼びましょう」と、真中しずえはそう池田勇太にお願いした。


「お、そうだな。ここは携帯電話の電波はとどくかな。えっと・・・あれ、俺の携帯はどこに置いたんだっけ?」と池田勇太が自分のポケットを探そうとすると、「先生、携帯電話は空木さんがまとめてあずかってるんじゃなかったですか」と、今にも気を失いそうなくらいの真っ青な顔で、相葉由紀が言った。


「あ、そうだった・・・。でも空木は今は気を失ってるし、どこに携帯電話を置いたか誰も知らないよな。どうしようかな・・・」と池田勇太が質問ともひとごととも取れるような発言をすると、「交番こうばんまで行くしかないですね。私が運転しましょうか?交番は駅前にあるので三十分もあれば着くと思いますけど」と、立花美香がそう提案した。


「でも、こんな真っ暗なところを立花先生お一人で運転するのは危険きけんです。私がいきますよ。」

「もしこの近くに空木さんをおそった犯人はんにんひそんでいるのなら、大人の男性がこの家からいなくなるのは、もっと危険だと思いますわ。」

「う〜む、たしかに・・・。でも、だからといって、犯人が近くにいるかもしれないのに、立花先生が運転するというのはやっぱり心配です。」


池田勇太と立花美香の会話に『犯人』という単語が何回も出てきているのを聞いて、田中洋一たちはみんな不安そうな顔をしていた。しかし、その中でも特に様子がおかしかったのが沢木キョウであった。


思いめた表情をして「緑色、まさか、でも本当だとしたら空木さんの命があぶない」などと、一人でブツブツと言っていた。だが、何かを決意けついした様子で「みんな聞いてください」と、立ち上がって話し始めた。


「僕の思いちがいならいいんですが、もしかしたら空木さんの命が危ないかもしれないです。」


「どういう意味なの?」といかりと不安の両方がじった口調で真中しずえが沢木キョウにくってかかった。「カンナが死んじゃうってことなの?なんで?どうしてなの?カンナは何を注射ちゅうしゃされたの?緑色の液体って何?沢木君は何を知ってるの?」と、沢木キョウが答えるひまもないまま矢継やつばやに次々と質問をした。


空木カンナが死んでしまうかもしれないということを口にしたことで、これまでおさんでいた感情が表に出てきたようで、途中とちゅうからは真中しずえの目から大粒おおつぶなみだがでてきた。そして最後には「うわーん」と大きな声を上げてくずれた。


その様子を静かに見ていた沢木キョウが何かを言おうをしたとき、横から「でも、空木さんは後ろからかべさえつけられてから注射されたんだよね。なんでその液体が緑色ってわかったんだろう?何かの拍子ひょうしでシリンジが見えたのかな?」と田中洋一がふと思いついた疑問ぎもんを口にした。


「そんなこと今はどうでもいいでしょ。カンナがカンナが・・・死んじゃうかもしれないのよ」と、泣きながら真中しずえが田中洋一をめた。「ごめん・・・」と田中洋一はあやまることしかできなかった。


しかし、田中洋一の発言を聞いた沢木キョウは何かに気がついたようで、「そうか。そういうことだったんだ」と小さく言いはなち、二階へと続く階段を走ってあがっていった。田中洋一も「え、キョウ君どこいくの?待って、僕も行くよ」と言って、沢木キョウのあとをった。


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