30 前向きに

僕らは物事を前向きに考えすぎていた。その事実に気がついたのが昨日だ。無論のこと頭を抱えたし、なんで今まで“こんなこと”を考えていなかったのかとも思った。


 あの後、窓から空を見上げて動かなくなった戌井を見てその理由がわかった。


 僕も戌井のことを言えないほどに能天気だったのだ。一向に帰り道が見えてこないという現実を無視して、どこからともなく沸いて出てきた“直ぐに帰れる”何て言う根拠もなにもない妄言を信じた。


 ……まあ、言い訳じみたことを言うが傷つきたくなかったんだろう。現実は残酷だから、見えないように妄言で覆い隠していた。現実逃避のようなもの、だったのだろう。


「……」


 レジ横にある椅子に座って、窓から店の外を眺める。今日は珍しく人が少ないから、こんな風にのんびりと過ごせる。


「しかし、戌井はなにをしてるんだ?」


 あの沈黙から少しして、いつものように振る舞いだした。思考を切り替えたのか、ただの空元気なのか、どっちなのかはわからない。


 そんな彼女は今、イザベラさんと共に厨房に籠っている。ちなみにナノンはイルゼさんと遊びに行ったのでいない。


 パンの配達でも頼まれて、量産でもしているところなのだろうか?いや、だったらイルゼさんは遊びに行かないか。


 お客さんは来ること無く、時計はまわっていき時間は正午ごろとなった。


 さっきからいい匂いが厨房から漂ってくる。


「……いい匂い、午後用のパンか?」


 ああ、お腹が減ってきた。


 賄いは何か、そう考えたところで後ろからニュッとパンが出てきた。


 いい匂いの正体は、このパンらしい。後ろを振り返ってみれば戌井がトレーを片手身持ち、三日月型のパンを差し出していた。


「……何?」


「昼御飯」


 いや、それはわかっているんだけれども……。


 珍しく、何を考えているのか全くわからない顔をした戌井は更にパンを付き出す。


 受け取れということだろうか。


 受け取ってみればパンは出来立てなのか熱々で、湯気がたっている。少し形がイビツなような気がする。


「私が作ったんだ〜。篠野部と私ようのやつ!」


「え……?」


 僕と戌井用のパン……?


 だから形がイビツだったのか。というか、戌井が作ったパン……。


「食べて大丈夫なのか?」


「流石に酷くない?」


 僕、生焼けは嫌だぞ。


「全く、イザベラさん監修だから生焼けとか無いよ。お墨付きももらってるしさ……少し焦げてるけどな」


 戌井はバットをカウンターの上において、引っ張り出してきた椅子に腰を掛けた。


 わざわざ隣に来なくても良いだろうに、そう思いつつも言うと面倒くさくなる気がして渡されたパンにかじりついた。


「……塩パンか」


「そう、はまっちゃってさあ」


「これ、バター溶かしてパンに塗って食べてるようなものだろ。食べすぎるとふと……体によくないぞ」


「今、余計なこと言おうとしてなかった?」


「してない」


「してたでしょ」


「してない」


「……」


「……」


 デリカシーにかけてたのは認めよう、だからっておもいっきり睨み付けなくていいとだろうに……。


「はあ、まあいいわ。いただきまーす」


 サクッ、噛んだ瞬間にそんな音がなる。それと同時に戌井が口許を押さえて呻いた。


「んん!!はふっ!あっつう!」


「あーあ、出来立てなのに勢いよく行くから……」


 自分がよくわかっているだろうに、まったく何をやっているんだろうか。少し足をバタつかせたと思うとなんとか飲み込んだらしい、半泣きになって水をあおり勢いよくコップの中身を空にした。


「いただきます」


 騒がしい隣をよそに、パンに口をつける。確かに熱いが、そう騒ぐほど熱いようには感じない。そういえば戌井は猫舌だったか。……戌井のやつ、尚更なにやってるんだ?


「あー……あつ、味がほとんどわからん」


「冷めるの待てばよかったのに」


「……自分が猫舌なの忘れててだね」


「呆れた」


「うう……味のほどは?」


 味か。


 もう一口かじってみる。噛む度にジュワッと広がるバターの味、外はカリカリ中はモチモチの焼きたてのパン生地。悪くはないが、どういった言葉を使えば良いのかがわからない。


「イザベラさんが作ったものの方がいい」


「そういうこというなよ。本人が一番わかってるんだからさあ……。もっとこう、誉めるとかしてよ」


「僕にそんなの期待するな」


「ちぇ〜、まあわかってたけど」


 本当に何を考えているかわからない人間だな。


 それから喋ることもなく、パンもすぐに無くなってしまった。三つずつ訳合い、戌井は満足したかもしれないが僕はまだ物足りない。小さかった。


「まだあるからいっぱい食べていいぞ」


「いつの間に取りに行ってたんだ」


 どうも作っていたのは塩パンだけではないらしい。またもやトレーをもって登場した、今度は切り分けられた小さめのフランスパンだ。


「今度はなんだ」


「たらことバターつけたフランスパン」


「明太子じゃないのか」


「ここじゃ香辛料高いからダメ、なにより私が食べられないからやだ」


「最後が本心だろ、子供舌」


「黙って食べろ」


「ふぐっ……モグモグ」


 口に突っ込まれたたらこパンを咀嚼する。外は固いが中は柔らかい、たらことバターの味がするいたって普通のたらこパンだ。


「どうよ」


「んぐ……イザベラさんが作ったものの方がいい」


 このフランスパンも塩パンと同じで形が歪だ、なんなら少し焦げてる。


「篠野部、それしか言えないの?」


「……明太子の方がよかった」


「それは知らん。うん、ごめん」


「……たらこたっぷりなのはいいと思う」


「んふふ、私こう言うので具がたっぷりなのが好きだからいっぱいつけたんだ」


 “最近は何かたらこパンって具が少ない気がするんだよね”とこぼす。


「で、お腹いっぱいになった?」


「ん、十分だ。ごちそうさま」


「お粗末様で~す。んじゃあ、私トレー片付けてくるから」


「ん……」


 トレーを持った戌井は奥に引っ込んでいった。その姿を視界の隅にとらえ、自分の手のひらを眺める。


 ……僕のために作られた料理か。最後にあの人の手料理を食べたのは、いつだったっけ。確か、最後はクリームシチューだったような気がする。


「こういうの、久しぶりだな……」


 無意識のうちにポツリと言葉をこぼす。ほとんど覚えていないような昔の思いで、そんな言葉を呟いた自分に驚き慌てて口を押さえる。


「篠野部ー。なんかいった?」


「なんでもない」


 あんな小さい呟きが聞こえるとか、地獄耳か。


 片付けを終えた戌井は断りもなく、僕のとなりに椅子を持ってきて座り込む。


 僕も戌井も何も喋らない。その沈黙は気まずいものではなく、少なくとも苦にはならないと思えるものだった。


 ……いつまでも暗いことを考えている暇はないか。少しばかり、戌井の能天気……いや、前向きなところを見習うべきかな。


 カサ__


 手元に置いてあった羊皮紙を持ち上げる。それはギルドから出されている依頼の詳細を書いたものだった。薬草採取、雨漏りの修理、清掃代行、草むしり、薪割り代行、などなど……雑用といって差し支えないような依頼だ。


 ギルドの役員にも確認をとったが、この雑用系の依頼達は相場よりも少し金払いが良いらしい。依頼主は軒並み、バイスの町の老人達らしい。少し理由を考えたが恐らくは高齢化に伴う体力等の衰えが原因だろう。雑用系の依頼は人気がない、だから少し多めに金をだし人が来やすくしたといったところか。なんにせよ、後ろ暗いことはなさそうだ。


「昨日の夜半から行きなり増えたらしいが、運がいいな」


 昨日、時間を空けることは難しいと言っていたが異世界や召喚魔法、勇者伝説などを調べる時間を削ろうか。正直、この町にある情報は出尽くした感がある。


「ん?それ、ギルドの依頼書?」


「あぁ、チンピラにすら勝てない僕らでもできそうなものを探したんだ。そしたら思ったよりも数があってな」


「ほーん……十枚はある、かな?」


「正確には14枚だな。雑用と言っても差し支えないような依頼は人気もなく、わざわざ依頼を出すよりも知り合いに頼んだ方が早く終わるから期待していなかったが結構な収穫になった」


「これやるってなると、どれくらい余裕でるんだろ?」


「わからん」


 余裕どころか、学費が稼げるかギリギリなところだ。


「それから調べものに関してだが、時間を削ろうかと思う」


「ん?まぁ、図書館や人伝で手に入る情報も大半が同じものになってきたしね。賛成だよ」


「削った時間をこれに当てる。そうすれば収入源は増えるからな」


 増えるとは言え微々たるものだが……。実力がついてきたら、もう少し難易度の高いものに挑戦しても良いんだがな……。


「あ、収入源についてなんだけどさ。今月のお給料、少し増えることになりました~」


 戌井は誇らしげに両手でブイサインを作り、表情は「誉めろ」とでも言いたげなドヤ顔だった。


 給料が増えるとは、それは昇給したと言うことだろうか?たったの三ヶ月で?さすがにあり得ない。


 驚くカルタ、ドヤ顔の永華。永華はいったい何をしたのだろうか。

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