第2話 雷鳴の中で

 

「大丈夫ですか?」


 僕は、近くに落ちた落雷で気を失ってしまったようだ。

 ふと気が付くと、誰かに支えられているではないか…。

 

 『だが、、この人はいつ来たのだろうか?』

 

 改めてよく見ると、僕を支えていたのは、若くて綺麗な女性だった。

 それに僕が逃げ込んだ洞窟は、山壁を掘ったような狭い穴で、お地蔵さんが鎮座する神聖な場所のようだった。


「ごめんなさい。もう、大丈夫です。ありがとう」

「あっ、気が付かれましたか?良かった…」


 彼女は、ハンカチを取り出すと、僕の顔を拭きだす。


「あ、ありがと…う」


 日ごろ女性に免疫がない僕は顔を真っ赤にして固まってしまう。


- - - - - - - - - -


 漸く一息ついた僕らは、洞窟の中から一向に止まない雨を恨めしげに見つめていた。雷鳴はさらに間隔を狭め、僕らの耳を削ぐような音を次々と浴びせた。

 

「なんだか違うんですよね…。いつもの妙邦寺じゃないんです」


 ぽつりと彼女が言った言葉が僕を少しだけ冷静にさせる。


「ん?いつもと違うって?何だろう…。僕もここにはよく来てるんだけど、見渡す限り何も変わってないと思うんだけど」


 彼女は、「んー」と目を閉じるとこれから話す内容をまとめているように見えた。


「苔の階段が竹の棒で閉鎖されてますけど、何か理由があって立入禁止に?」

「ん??保存の為じゃない?それって、僕が中学の頃からだから、10年以上前からずっとこうだけど…」

「えっ?」


 彼女の大きな瞳がさらに大きくなった。


「う、嘘っ…」


 彼女はそう言うと、カバンの中から小さなパンフレットを取り出し広げて確認している。そこには、『苔の名勝 妙邦寺』と大きな文字が躍っている。


 よく見るとさっき受付で僕がもらったパンフとは違う形だ。僕のは三つ折りにした縦長のカラーのコート紙だったが、彼女が手に持っているのは、B5サイズの薄いチラシのようなもので、モノクロの写真と文字が裏表にびっしりと書いてあった。


 彼女は、そのパンフを隅から隅まで確認すると、静かに息を吐いた。


「なんだか、なんて言えば良いんだろう…」


 彼女は、自分の違和感を上手く整理出来ないようだ。それ程、大きな事が今、起きているってことなのだろうか?


「えっと、私、吉川観鈴みすずと言います。鎌倉中央南高校で美術の教師をしているんです。小さい頃からずっと鎌倉なんですよ。そう、このお寺にも月に一度は来ていて、そして、このスケッチブックに色々と描くんです」


 彼女は、パラパラとスケッチブックを捲る。そこには、妙邦寺の四季彩りの情景が写真のように繊細に書かれていた。その中に、苔の階段を描写した一枚があった。


「これ、先月、書いたんですよ。その時は、苔の階段は自由に入れたんです」

「えっ…!!!」


 僕は、絵と目の前の情景を見比べる…。

「全く違う…」

「でしょう…。なんだか、おかしいんです」


 彼女はとても不安げに呟いた。

 説明が付かない事例に対し、どう理解すればいいのだろうと彼女は悩んでいるようだった。彼女の不安を取り除くために僕は話を変えることにした。


「この絵って、色鉛筆なの?凄いね。僕の写真よりも、いや実際の情景よりも素敵に見えるよ!」


 彼女は、「ありがとう。ちょっと照れくさいな」と言いながら、もう一度不安げな表情をしながら雨の方へと視線を向ける。


「こんなに酷い天気になるなんて…。今朝の天気予報で言ってなかったですよね!?だって、今日は晴れで、洗濯日和ですよ〜なんて言ってたのに…。う〜ん。それに、やっぱり…。上手く言えないけど、なんだか違うお寺さんにいるようで…。気が休まらないんですよね」


 いや、今日は朝から雨だとテレビで言っていたと思うが…。

 彼女は、もしかして天気予報の日にちを見間違えたのではないだろうか!?



 狭い洞窟の中に、僕と彼女とお地蔵さんがいる状態…。

 否応ナシでも彼女の体に密着してしまうので、僕は、ほのかに感じる熱量と香りに、彼女に気づかれないようにしながらも密かに胸を躍らせていた。


「あの、貴方のお名前は?」

「あー、ごめん。まだ言ってなかったね。僕は、宮里咲楽みやざとさくらっていうんだ。僕も生まれも育ちも鎌倉。で、今、役場で働いてるんだ」

「へぇ、そうなんですね」

「うん。まあ、契約だけどね。それにしても高校の先生か〜。凄いね」


「いえいえ」と彼女が小さい声で謙遜した時だった。

 

 これまでで一番大きな光が灯ったと思った瞬間、体が揺れるような振動が僕らを襲った。僕らは、突然の激しい雷鳴に抱き合うようにして身を屈めた。


「あー、凄かった。なんだ今の…。またすぐ近くに雷が落ちたのかもしれないな」


 僕は、彼女に向かって話しかける。

 だが、ついさっきまで僕の隣にいた彼女の姿が見えなくなっていた。

 

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