迎えに来た


 初撃でカタを付けてやると、そう意気込んで全身全霊で放った最大出力の【霊魂の焔(ウィスプ・インフェルノ)】。それは大気をも焦がす熱気と轟音と共に炸裂し、竜人の胸部にほぼゼロ距離で直撃する。

 見たところ、余裕綽々な鼻に付く態度を崩さなかった竜人はノーガード。先程のカウンターは反射的だったというのもあって全力には程遠く、目測で本来の威力の三割程度でしかない。だが、それでもアレだけのダメージが入った。

 今度はそんな半端な攻めとは違う全力の一撃。故に与えるダメージは先とは比較にならぬほど甚大必至であり、即死でなかったとしても戦闘不能は不可避だと、そう確信していた。

 だが、着弾と同時に広がった黒煙が風に流されて霧散した瞬間、私の顔は凝然と固まる。


「――なっ!?」


 無傷だった。誇張でもなんでもなく、全くの無傷。火傷の一つだって、負っているようには見えない。


「おいおい、どうした? まさか、今のが全力だってんじゃあねえだろうな?」


 不敵な笑みを湛えた挑発の声。

 しかし動揺激しい私には、その声に返す言葉が何も出てこない。

 暫しの沈黙――それを破ったのは、竜人の興覚めといわんばかりの深い溜息だった。


「その反応……どうやらマジで全力みてぇだな。全くよぉ――ガッカリさせんなよ」


 不敵な笑みは鳴りを潜め、同時にその顔に表出するのは殺意の籠った眼光。

 そして竜人は地面がめり込む踏み込みと共に一歩を踏み出すと、既に至近距離にいた私との距離を瞬間ゼロにする。


「所詮、てめぇも雑魚だったってワケか。雑魚に用はねぇよ……死にな」


 大きく振り上げられる、剛腕。

 それが力任せに振り下ろされると、先端で光り輝く爪が私の体を薙ぐ。


「――くっ! きゃぁあっ!?」


 尾を引いた動揺で些か反応が遅れた私に回避の選択肢など無く、止む無く身に纏うローブを翻してガードする構えを取る。しかし、所詮は苦し紛れ。半魔とはいえ人間の膂力と純粋な魔族――それもネームド級とでは、膂力に差が開き過ぎている。衝撃を緩和する術もなくまともに喰らっては持ち堪えられる筈も無く、軽々と吹き飛ばされて大樹の幹に背中から激しく衝突して地面に転がる。


「――がふっ!?」


 地面に這い蹲った状態で鈍痛と共に内から競り上がって来る感覚を抑えきれず、私は上がって来たモノを口からぶち撒ける。水音と共に森の大地へと滴る赤い血。口の中がすっかり鉄錆びの味で満たされ、息も絶え絶えとなって視界がぼんやりと霞む。


「ん? まだ生きてんのか? しぶてぇなぁ……」

「うるさい……死んで堪るモンですか」


 よろよろとした足取りで、辛うじて立ち上がる。

 殆ど気力で立ち上がっているようなモノだが、それでも何とか立ち上がれたのはこのローブのお陰だろう。

 死の運命から逃れるための準備として必死に作り上げた上質な防具であり自信の一品だったのだが……それがまさかたった一撃まともに受けただけで、見るも無残なほどズタズタにされてしまうとは思わなかった。この竜人の実力、やはり並大抵ではない。

 忌々しいが、ここまでボロボロにされてしまった以上はもう防具としては役に立たない。それどころか、最早視界を狭めるただの邪魔者。こうなっては仕方がないと、腹を括った私はそれをバッと脱ぎ捨てる。


「……ほぅ? 驚いたな。ちと細いとは思っていたが、お前女だったのか!」

「だったら何? 何か不満でもあるワケ?」

「いいや、別に。女だろうが男だろうが関係ねぇよ? けどなぁ……お前はダメだ」


 言い残して、くるりとそっぽを向く竜人。

 これには思わず、瞠目してしまう。


「――なっ!? どういうつもりだ!」

「どうもこうもねぇよ。お前、足震えてんじゃねえか。立ってるのもギリギリってとこか? 全く、そんな死に掛けの雑魚の相手なんざやってられるかよ」

「このっ!? ふざけるな!」

「……その反応、前のクソ雑魚剣士もそうだったなぁ。全く、どうして人間ってヤツは引き際を見誤るかねぇ? 意地ってヤツか? プライドってヤツか? 下らねぇ」

「貴様っ!」

「じゃあな。もし生き延びて、強くなったら、もう一度相手してやるよ」


 私の背を向けて、悠然と立ち去ろうとする竜人。

 しかし、突然暴風を巻き上げて、羽音を響かせながらもう一匹の竜人が舞い降りてくる。


「……どうしたよ、兄貴? 何かあったか?」

「お前がやらんというのなら、選手交代だ。あの女、私がトドメを刺す」

「……………………はぁ?」


 肩越しでも分かるほどに怪訝な表情を浮かべる弟分。


「どういうことだよ? 珍しいじゃねえか、兄貴が手を出そうだなんて。どういう風の吹き回しだ?」

「……はぁ。お前、何も気付いていないのか? あの女の特異性に」

「特異性だと?」

「ああ、そうだ。あの女の頑丈さ、人間離れした膂力、使っていた青い炎やこのローブから感じる得体の知れない何か」


 握られていたのは、ローブの布切れ。恐らくは、弟分の攻撃を受けた際にズタボロになったローブの切れ端を抜け目なく拾っていたのだろう。


「……サッパリ分かんねぇ。さっきから何が言いてぇんだ?」

「つまりだ。あの女、普通の人間ではない。恐らくは我々と同じ側――魔族に類する存在だ」

「……………………はぁああああああっ?」


 冷静沈着な兄貴分の解説に、素っ頓狂な声を漏らす弟分。

 そんな弟分に、兄貴分は頭が痛いと言わんばかりの仕草と共に溜息を漏らす。


「やかましいぞ。耳元でデカい声を出すな」

「イヤだって……んな事あり得んのかよっ! 人間と魔族のハーフだなんて!」

「あり得んことではない。尤も我々竜人族や獣人族には無理な話だろうが、他三種族ならば可能性はある。大方戯れに弄ばれた哀れな人間が産み落とした混血といったところだろう」

「へぇ……人間の女と交わるなんざ、酔狂な物好きもいたモンだなぁ。理解出来ねぇぜ」

「そこに関しては私も同感だが、しかし今回ばかりは使える。この娘がどこの魔族の血を引くかが分かれば、その魔族に対する交渉材料となり得るかも知れん。滅ぼすべき人間との間に子を設けたとなれば、それは間違いなく魔族にとっての面汚しであり反逆だ。父上が知れば、さぞかし喜ばれることだろうさ」

「おぉ、流石兄貴! おっかねぇ! 要するに、コイツは生け捕りにしようってことか?」

「いや、そうではない」

「あぁん? 何だって? 違う? 生け捕んじゃねえのかよ?」

「生け捕るまでもない。必要なのは血と肉であって、この娘の命そのものではないのだ」

「……ははぁん、そういうことか」


 牙を剥いた凶悪な笑みを浮かべる弟分。そしてくるりと振り返ると、その獰猛な眼光は私に容赦なく向けられる。


「つまりは、体の原型さえ残っていればぶっ殺しても構わねぇってことだな?」

「そういうことだ。いや、寧ろ殺せ。連行している間に抵抗されるのは面倒だ。死んでいた方が、都合がいい」

「合点承知っ!」


 威勢よくそう叫ぶと、弟分は一直線に私目掛けて疾駆してくる。

 幸い、猪突猛進真っ直ぐな攻め。左右のどちらかへ飛べば、弱った今の私でも見切って避けるくらいはどうにか出来る。タイミングを見計らい、右へと跳躍。辛うじて回避すると、弟分は立派な幹の大樹を軽々と薙ぎ倒して飛んでいく。


「な、何て突進力……」

「呑気に驚いている場合か? こちらは二人いるのを忘れたか?」

「――っ!? しまっ――がっ!?」


 弟分が薙ぎ倒した大樹に気を取られている隙に、抜け目なく背後へ回っていた兄貴分の声が響く。気付き、振り向いた時にはもう遅い。硬質な鱗と鋭い爪からなる有機質な手が私の首筋へと伸びると、容赦なく掴んで締め上げられてしまう。

 体ごと高々と持ち上げられて、地面に足が付かない状態で反射的にバタバタと暴れるが、そんなことをしても逃れられはしない。力の差が、圧倒的だった。


「がっ!? ぐぅ……うう……」

「諦めろ。最早逃れることは出来ん。さて、このまま一息に首の骨を圧し折って――む? ふむ、流石は半分とはいえ魔族の血を引くだけはある。脆い人間の様に簡単に、とはいかないか。全く、その頑丈さ手間を掛けてくれるっ!」


 中々に首を圧し折れないことに業を煮やしたのか、兄貴分は腕を大きく振ると私を力任せに放り投げる。凄まじい遠心力まで加わった、強力な投げ技。その一撃で私は再度木の幹に叩き付けられて、力なく地面を転がる。

 しかし、地面に這い蹲った程度で逃がして等くれない。そのままゆっくりとした足取りで私の下まで歩み寄ると、容赦なく私の背中をその鋭い爪の付いた足で踏みつけてくる。

 爪が食い込み、激しい痛みと共に皮膚が裂けて血が滴る。


「ぐぎゃぁあああああああっ!?」

「喚くな、騒々しい。全く、こうなっているのは貴様の首が圧し折れぬのが原因だろうが。まあ、いい。握力で首が折れぬならば、いっそ爪で首を落としてやるとしよう。流石の混血児も、多少頑丈なだけで不死というワケではあるまい。首を落とせば、流石に死ぬだろう?」

「――っ!?」


 兄貴分の鋭い爪が、高々と振り上げられる。

 鬱蒼とした森の朱色に染まった木漏れ日を浴びて、爪先が怪しい光を放つ。

 状況は、まさに絶望的。逃げようにも力では敵わず、そもそも既に体力的に限界。抗する力など、残っていない。

 私の渾身の力作だったローブを簡単にズタズタにしてしまった弟分の攻撃からして、あの爪の鋭さは並みの刀剣などより遥かに上。幸か不幸か頑丈な私の体とて、別に骨や肉が金属などの特殊材質で出来ているワケではないのだから、鋭い爪の一撃で断ち切れてしまう。


 死――それが紛れもなく今、私の眼前にいる。

 

 逃れられぬ運命、無力な自分、忌み嫌われる出自――呪うべきは、一体どれなのか? 分からない。分からないが、知る意味はないだろう。

 私は死ぬ、それだけが唯一無二の真実であり、理由や経緯などこの際意味などない。死を目前としてふと思うのは、意外と何の感慨も沸かないということくらいか。

 まあ、それもそうか。別段死んだところで、何もないのだから。

 私が死んだところで、喜ぶ者はいても悲しむ者などいない。

 私が死んだところで、好都合な者はいても不都合な者などいない。

 私が死んだところで、無関心な者はいても気にする者などいない。

 私が死んだところで――


「何にも無い。無価値な命は、ここで散る」

「……! 成程。貴様どうやら、人間からも快くは思われていないらしい。まあ、散々冒険者が死んだこの場所に独りで来ている辺り、お察しではあるがな。喜べ、貴様の命はここで終わり、その命は我ら竜人族の栄光のための礎となるだろう。無価値な命には、これ以上ない栄光だろうさ」

「……そう、かもね」

「よろしい。では、さらばだっ!」


 力強い宣告と共に、私の首筋に兄貴分の手刀が迫る。

 終わった……結局私は、運命には勝てなかった。逆らえなかった。

 所詮私は、ここで死ぬ運命だったということだ。

 後悔はあるし、やっぱり死にたくはない。でも、心残りは――


「そういえば、ごめんって言えなかったな」


 そういえば、一つだけあったか。心残り。

 言い争って八つ当たりしてさよならとは、何ともカッコ悪いし後味の悪い。

 でも、もう遅い。せめて心の中で呟いて、私は静かに目を閉じた。


「バカ野郎。言うならちゃんと、面と向かって言えよ!」

「――えっ?」


 聞き覚えのある声が、耳朶に響く。

 まさかと思って、固く閉じていた目をゆっくりと開く。すると、そこには。


「――なっ!? き、貴様何者だ?」

「悪いが、今は取り込み中だ。空気を読んで少し引っ込んでいろ、三下っ!」


 瞬間、強烈な爆風が吹き荒れる。

 その爆風に煽られて、兄貴分の竜人は軽々と吹き飛ばされる。

 目測で、十数メートルは開いただろう距離。

 一先ず間合いが開けたことを確認したところで、見慣れた二頭身はくるりと振り返る。


「一つ聞いとくけど、これは『余計な事』じゃないよな?」

「……んで? 何でよ? 何で、来たのよ?」

「何でって、そりゃ決まってんだろ?」


 その小さい腕を精一杯差し伸べて、しかし頼りない体躯とは対照的な力強く自信に満ち溢れた声音で堂々と言い放つ。


「迎えに来たんだよ。さっさと帰るぞ、エルマ!」


 その言葉に、私は何も返せない。ただ滲む目で、ジッと見つめるだけだった。

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