風魔法って便利でしょ?

「……はぁ……はぁ……全く、油断も隙もあったモンじゃ……ん?」


 不届き者の変態二頭身を湯船の底に沈めてやったところで漸く些かの冷静さを取り戻した私は、ふと思い至った。

 そういえばこいつは、どうやって後頭部にあった布の結び目を解いたのだろう――と。

 入浴前に必死にこいて体を動かしていた様子からして、こいつの腕は後頭部までは届かないことは分かっている。前から引っ張ろうものなら、後頭部にさぞかし激痛が走ったことだろう。しかし、そんな様子も無かった。ならば、風魔法を使った? いや、絶えず背中を流しながら、そんな細やかな芸当が出来るとは思えない。見ている限り、確かに目を見張る威力と汎用性を誇る便利で優れた魔法であることは間違いないが、正直繊細なコントロールまで得意としている様子ではない。それどころか、スカート捲りで自分の魔法を試している節すらあった。潜在能力は優れていても、恐らくはまだ初心者。技術の面は未熟である。

 では、一体どうやって……瞬間私は、湯船から上がる時に流し出されたこいつが床に後頭部から叩き付けられたことを思い出す。もしあの瞬間に布の結び目が若干緩んだとしたら、そこから背中を流す過程で幾度も上下運動を強要した。当然結び目に圧力が掛かっていただろうことは明白で、緩んだ靴紐が歩けば解けるのと同じことが起こったとしても……。

 思考が纏まるにつれて、自分でも分かるほど紅潮していた私の顔はみるみる青褪める。

 やばっ……と思いながら湯船へと視線を向ければ、顔を水面に付けた仰向けの状態でプカプカと浮かぶ水死体を思わせる二頭身の姿。その姿に、サーッと一気に血の気が引く。


「ご、ごめんっ! やり過ぎだ! ちょっ、ちょっと起きてっ! ねえ、起きてってば!」


 急いで二頭身を拾い上げると、私は必死に体を揺さぶりながら声を掛け続けた。

 しかし、返事がない。呼吸音を確認しても呼吸は無い――のは当然だろうが! しっかりしろ、私! 落ち着け! 恐らくは意識が混濁しているだけだが、体がない分蘇生法などは無い。今出来ることは、ただ呼びかけるだけ。私は声を張り上げ、絶えず呼びかけ続けた。



「……きて……起きて……ねえ、起きて……」


 朧げな耳朶に響くのは、優しい声。

 どこか懐かしいその響きを、その声音を、俺は知っている。

 寝ぼけて薄ぼんやりとした眼をゆっくりと開いて、その顔を見る。

 ピンボケ写真を思わせる滲んだ視界に見えるのは、朧げながらも優しい表情の女性の顔。


「……母さん?」

「よ、よかったぁ……って、誰が母さんよ! 子供いるような年齢じゃないし、いてもこんなスケベな子供は願い下げよ」

「――っ!?」


 その声をハッキリと聴いた瞬間、一気に覚醒する。

 覚醒と同時にハッキリとした視界に映っていたのは優しい母親の顔――などではなく、横暴で暴力的な暴君の姿。思わず顔が中央によって、顰め面になってしまう。


「うわぁ、露骨に嫌そうな顔……なによ。折角人が急いで助け起こしてあげたっていうのに」

「助け起こしてあげたって、恩着せがましい物言いだな。元を正せば、お前が俺を浴槽に叩き込んで気絶させたんだろうが!」

「――それはっ! ……まぁ、そう……だけど……ごめん」


 唇を尖らせながらも、尻すぼみに小さくなる声で謝意を示すエルマ。

 そんな完全予想外な反応を前に、俺は思わず目を丸くしてしまう。


「……? 何よ、その驚いた反応は」

「いや、まさか素直に謝られるとは……絶対に『お前が悪い』的な主張で詰って来るかと」

「人をそんな傍若無人で我儘な極悪人みたいに言わないでくれる? 失礼しちゃう」

「いや、強ち間違ってないじゃん……その認識」

「……なっ、何ですってぇ!?」

「まあ、でも……ありがと。助けてくれて」

「…………えっ?」


 俺がそう言えば、今度はエルマが目を丸くする番だった。


「……? 何だよ、そのビックリしたような反応は」

「いや、絶対にお礼なんか言ってこないと思っていたから……つい」

「おいっ! 人を礼儀知らずで恩知らずの非常識野郎みたいに言うなっ!」

「いや、強ちどころか全く間違ってないわよ、その認識」

「――ぬっ……ぬわにぃ?」


 怒りの籠った眼で睨み付けてやる。

 するとこの状況に可笑しくなったのか、エルマは突然「ぷっ!」と噴き出すなり大笑いし始める。そんな笑顔を見ているうちに、何だか俺もバカバカしくなって、つられる様に噴き出しては笑い出してしまう。


「あ~っ、おっかしぃ……何だか私たち、似たモノ同士みたいね」

「まあ、そうなのかも。つくづく不本意だがな」

「それはこっちのセリフよ、非常識野郎さん♬」

「だから違うって言ってんだろうが、傍若無人で我儘な極悪人め!」

「だから違うって言ってんでしょうが! 寧ろ思い遣りに溢れた優しい善人でしょうが!」

「へぇ……あぁ、そうかい。それなら安心だなぁ」

「ええ、勿論よ……って、どういうこと?」


 小首を傾げるエルマ。

 そこで俺は、視線を絶対に下げないまま指先をクイクイッと下に向ける。

 俺に示されるまま、自分の視線を少し下げるエルマ。そうして漸く自分が今まさに一糸纏わぬ姿であることを思い出したのだろう。「――っ!?」と空気を呑み込み、顔も一気に赤くなる。


「まあ、落ち着けよ。傍若無人で我儘な極悪人じゃないのなら、このどう考えても俺に非の無い状況で折檻しようだなんて酷いことをするワケ――」

「――いっ、イヤぁあああああああああああああああああああああああああああああっ! 先に言いなさいよ、このド変態ぃいいいいいいいいいいいいいっ!」


 声の反響する風呂場に、エルマの甲高い悲鳴が木霊する。

 そして勢いよく高々と体を持ち上げられた俺は、瞬時に悟る。


「ああ、やっぱりダメか……まあ、そうだよねぇ」


 最早心情としては、無の境地である。

 そんなことを考えている間にも俺の体の直滑降は始まり、数秒待たずに俺の体は再び全身お湯の中に叩き込まれてしまう。


「……がぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 水面の沈みながら、再び声にならない悲鳴を上げる俺。

 けどまあ「今回は仕方ないかなぁ」とも思う。

一度目は背中しか見ていない状況でのこれだったけど、今回はその……全部見えたし。

 ああ、こんなことを考えているからこんな目に遭うのかなぁ。なるほどな。

 僅かながらの自省を抱いた俺は、エルマの怒りが落ち着くまでずっと温水に浸り続けた。



「……なぁ、エルマさんや」

「何よ? 言っておくけど、謝らないわよ」

「いやそれはまあ、いいんだけど……それにしても流石にこれは無いと思うんだけど?」


 風呂場の壁から壁に通された一本の竿に、手足を布でぐるぐる巻きにして固定された状態で放置される俺。その状態を例えるなら、さながらケバブの肉かブタの丸焼きといったところか。アレ? ケバブの肉もブタの丸焼きも、棒が体貫通してたっけ?


「仕方ないでしょうが。君の体は、水が滴るくらいにずぶ濡れなんだもん」

「水の滴るいい男……ってね」

「やかましい! とにかく、そんな様じゃ部屋に上げられないわよ。掃除面倒臭そうだし」

「その掃除をするのも、俺の役割だと思うけどな?」

「当然じゃない。でも、掃除するのが君でも上げないわよ。嫌なモノはイ・ヤ。明日になって、乾いたら取り込んであげるわ。まあ、生乾きならもう一回漬け込み洗いね」

「うわぁ、完璧に洗濯物の扱いですね。まあ、この竿も洗濯用だろうけど。まあ要するにだ。俺は一晩中この体勢で過ごせ、ってことですね? ざけんな、このやろー!」

「怒ったってダメ。とにかく、濡れている間はうちの敷居を歩かせないから」

「ほほう? つまり、濡れていなければいいんだな?」

「……? ま、まあね」

「つかぬことを聞くが、火種を用意できますか? 弱ぁい火でいいんだけど?」

「火? まあ、これで良ければ出せるけど?」


 そう言ってピンと人差し指を立てたエルマが指先に生み出したのは、小さな火球。

 優しくて仄かな青白い光を放つその火球は、フラフラと浮遊しながら俺の真下まで付けてくる。じんわりと、優しい熱が濡れた体に染み渡る。

 それにしても、ネクロマンサーが生み出す青白い火の玉って……これ完全に鬼火とかウィルオウィスプとかって言われる類の、俗に言う火の玉ですよね?

 まあ、これをそんなことに使うのは凄~く気が引けるが、ごめんなさいっ! このまま一晩はマジで勘弁なんです。意を決した俺は、風魔法を発動。火の玉越しに風を受ける。


「成程。その火種で風を温めて乾かそうってワケね。でも、そんな都合よく――えっ?」


 瞬間、エルマの表情が驚愕に固まる。

 それもその筈。突如浴室内に暴風が吹き荒れたのだから。

 火の玉によって温められた暴風は俺の体に吹き付け、瞬く間に水気を吹き飛ばしていく。そして数分と経たずに、俺の体は元通りの毛並みを取り戻した。


「凄い……どうやって」

「風魔法の応用さ。風量をある程度操作出来れば、こんなことも出来る。まあ、要するにドライヤーってことだな。尤も、俺の風魔法は風量調整が出来ても温度の調整は出来ないからな。どうしても火種が必要になる以上、俺一人ではできないのが悩みどころだな」

「ど、ドライヤー? 何ソレ?」

「温風を当てて髪を乾かす機械の名前さ。まあ、この世界で全く同じものを作ることは出来ないけど、さっきの要領で疑似体験くらいなら可能だ。どうする? 試してみるか?」


 俺がそう問えば、エルマはおずおずとした様子でこくりと首肯する。


「よし、来た! なら、とりあえず降ろしてくれるか? 乾いているから、いいだろ?」

「え? ええ、そうね。そういう話だったわね」


 そしてエルマは、ゆっくりと俺をケバブ状態から解放した。

 ふぅ……やっぱり人間、地に足つけてナンボだな。まあ、今の俺を人間と呼称していいかは賛否の分かれるところだとは思うが。

 あ~ぁ、早く人間になりたぁい……アレ? これって最後人間になれないヤツじゃ? あれれれれ?

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