ブラック職場のすゝめ


「お腹空いたから、ごはん作って」

「はーい」


 キッチンへ足を運んでみる。

 隈なく探してみたが、まともな食材が見当たらない。

 というか、生活感の無さがヤベェ……とりあえず、在り合わせで一品仕上げる。


「少し味付け濃いわねぇ……味見した?」

「出来ると思うか?」

「それもそっか。まあ、いいわ。次は後片付けと掃除よろしく~」

「……はいはーい」


 リビング・キッチン・バスルームという少ない部屋数を順繰りに回ってみる。

 正直キッチンとリビングでも汚部屋に片足突っ込んでいるなぁと思ったが、水回りは完全にアウト。この女、さては家事がからきしだな? 溜息交じりに掃除に取り掛かり、家事スキルをフル動員して何とかそれなりに綺麗にして見せる。


「掃除終わった? じゃあ次は背中揉んで。凝ってきちゃった」

「………………はいはいはいはーい」


 舌打ち交じりに首肯して、うつぶせに寝転がるこの女の背中に上る。

 もふもふの腕で押してみれば、確かに背中は凄く固い。背中だけではない。肩や首回りも。書籍や筆記具が散乱する机やネクロマンサーという職業柄、机に向かって作業する機会は多いのだろう。だからこその凝り具合というべきで、要するに姿勢が悪いのだろう。

 そうでなければおかしい。だって、女性で肩こりといえばのモノがこの女には無――


「――いだだだだだだだだだだだだだだだだだだっ!? てめっ! 何しやがる!」

「何か凄―く失礼なこと考えてそうだなぁと思って、つい」

「つい、じゃねえだろぉおおっ! 完全に思い込みじゃねえか! やめろ、それ以上アイアンクローをかますな! 潰れる! 潰れるからぁあああああっ!」

「はいはい。それじゃあ次は、お風呂沸かしてきて」


 俺の顔面を鷲掴みにする手をぺちぺちと叩く――所謂タップを繰り返したところ、在ろうことかこの暴君女はそのまま俺を先程掃除した風呂場の方までそのまま放り投げやがった。「のわぁあああああああああっ!?」という悲鳴と共に、風呂場のドアまで叩き付けられる俺。その雑を通り越して暴力的な振る舞いに苛立ちを超えて怒りすら覚えていたが、生憎と胸元に忌々しく描かれた文様を目にしてしまい我に返る。


「……………………はいはいはいはいはーい。分かりましたよ。少々お待ちを」

「はいはいって、うるさい。はい、は一回!」

「…………………………はい」


 かくして、隷属一日目――いや、実際には出会ってから夜までの僅か半日しか経っていないので、一日も経っていないのだが――を過ごしてみて、嫌というほどよくわかった。

 この女、滅茶苦茶すっっっっっっごく人遣いが荒いということが。

 俺という下僕を手に入れて、すっかり上機嫌なのだろう。時に暴力を交えた軽い口調で種々様々な命令を下す一方で、当のこいつは鼻歌交じりでベッドに寝転んでワケの分からない本を読みながらお菓子を齧っているだけ。言うまでも無いが、齧ったお菓子の食べクズで汚したシーツの交換と洗濯も俺の役割である。

 そしてこれも言うまでも無いが、無休かつ無給。あのクソ女神じゃないが、ガチで24時間戦わされそう。付け加えると、言うまでもなく便利な家電製品などこの世界には無い。そもそも家電どころか電気すら通っていない有様。必然あらゆる家事が力仕事となる。とまあ、現代のブラック企業すら真っ青なハードワークぶり。どうしよう、もう辞めたい。

 唯一の救いは、俺が生前独り暮らしをしていて料理や家事をある程度こなせたことと、風を自在に操る魔法が使えたことか。

 風を操れるので、火種さえ用意できれば火力の調整もある程度自在に可能。重たい荷物の運搬も、風魔法を活用して地面から浮かせることで対応できた。まあ、流石に雑巾などの軽い掃除用具を風で繊細に操るのは難儀だったので、諦めて自力でやったのだが。かくして苦労と愚痴と文句と溜息を垂れ流しながら、なんとか風呂の用意まで出来た。

 これでエルマが入浴している暫くの間は休憩できる……と胸を撫で下ろしながら、相変わらずベッドの上でうつぶせに寝転んで足をパタパタと交互に上下させながら本を読み耽るエルマに、風呂の準備が出来たことを報告した。


「あら、早かったわね。優秀な下僕を持てて、お姉さん嬉しいわ」

「そう思うなら、もう少し優しく扱ってくれませんかね?」

「さてと……」


 そう呟きながらベッドからむくりと起き上がるエルマに、無視かよと内心で悪態を吐いていると、何とエルマは風呂場まで歩きがてらで流れるように俺の胴体を無遠慮にむんずっと掴んで持ち上げると軽々とテイクアウトしていった。


「……へっ? ……いや、あの」

「何?」

「いや、『何?』じゃなくて!? 風呂行くんだろ? 何で俺を連れて行く?」

「何でって、君ちょっと汚れているからね。洗わないと」


 言われてふと見れば、確かに俺の真っ白かったもふもふボディは僅か半日足らずで所々薄汚れており、毛並みも若干草臥れたようにも見える。まあ、風魔法を薄く自分の周りに展開していたのだが、それでも汚れを完全に防ぎ切ることは困難だったということ。アレだけのハードワークだ。汚れるのも草臥れるのも致し方無いといったところか。


「イヤでも、風呂くらい一人で――」

「入れるの? その二頭身ボディで? 後頭部とか足先とか、手届く?」

「……あっ! ふっ! ぐぐっ……ぐぐぐぐぐ……」


 念のため、やってみる。だが、どれだけ無理な体勢をしようとも、二頭身に合わせた腕の長さでは体の隅々まで手が届かない。特に指摘された後頭部と足先は、絶望的。


「何か可愛いわね、そのポーズ。まあ、いいわ。そういうワケだから。それに、私の背中も流して貰いたいしねぇ」

「……どちらかといえば、そちらが本音なのでは?」

「グタグタうるさいわねぇ。そんなんじゃモテないわよ」

「ははは……自覚あるし、よく言われまーす」

「あら、そう。ご愁傷様。ああ、そうだ。忘れないうちに」


 手近にあった布を拾って、俺の目元へと巻き付ける。


「……えっ? あの、これは?」

「公衆の面前で嬉々として女の子のスカート捲るような面食いスケベ野郎に、私の絹のような素肌とナイスバディなんか見せられないでしょう。はぁはぁ興奮されたら、堪んないわ」

「ナイスバディって、幼児体型が何を言――だだだだだだだだぁっ!?」


 目隠しで巻きつけられた布を、思いっ切り引き絞られる。ヤバいってこれ! 脳みそ出ちゃうから! いや、脳みそじゃなくて綿か? いや、どっちでもいいわっ!


「ごめんなさいっ! 堪忍……堪忍したってやぁ!」

「どこの方言よ、それ。というか、いい加減人のコンプレックスをネタにするのをやめなさい、このデリカシーナッシング二頭身が!」

「で、デリカシーナッシング二頭身!? 何というレベルのネーミングセンスの無さ……というか、コンプレックスだったんですね、貧――」

「それ以上この話題を広げるなら、頭の中身を今すぐ絞り出して差し上げましょうか?」

「ごめんなさい。もう黙ります」

「よろしい」


 そうして視界を奪われた俺は、暫し脱衣所の隅に捨て置かれる。

 その間聞こえてくるのは、脱衣による衣擦れの音。

 正直最初は別に何とも思わないだろうなぁ……とか高を括っていたのだが、不思議なことで、何かグッとくる。視界が奪われて聴覚だけの情報しかないこの状況では、自然と音から色んな想像をしてしまうというモノで。妄想が掻き立てられて、なんか悶々としてしまう。

 とまあ、そんなことを考えていると、不意に俺の体が再び持ち上げられる。そしてふと後頭部に感じる、柔らかい感触。胴体に腕を回されている感覚があるから、恐らくは小脇に抱えるか胸元に抱き寄せられているのだろう。自分の肌とはまるで違う柔らかくてスベスベとしたその感触は、もふもふの後頭部越しでも十分伝わってくる。

 ガラッという引き戸を開ける音の後に肌で感じるのは、もわっとした熱気。お湯を張った浴室へ足を踏み入れたのだろう。地面に激しく打ち付ける水音からして体を洗っているのだろうが、一体どこを……手かな? 足かな? それとも……

 とまあ、そんな我ながらふざけた妄想に浸っていたワケなのだが、それは再度むんずと掴まれる感覚の後に一気にやって来た水に浸かった感覚と全身を襲う水圧に掻き消される。


「ふぁ……やっぱり風呂はいいわねぇ。一日の疲れが、汗と汚れと共に流れ落ちていく気分だわ。ねぇ? 君もそう思うでしょ?」

「まあ、そこは同感だが……別に一日の疲れって、何もしてないだろ」

「失敬な。色々やったわよ。例えば……世間知らずの甘ちゃんをどうやって罠に嵌めようかって思案に暮れたり――とかね」

「……ぐっ!?」

「まあ、そのお陰でこうして湯船に楽に疲れているからいいモノだわ。それにこの湯加減、少し熱めだけどいいわぁ。それに掃除もいい感じ。でも強いて言えば、鏡の掃除が甘いわね。何のために、そんな掃除し易そうな腕にしたと思っているの?」

「……おいおい、人の体をスポンジにするつもりだったのか?」

「するつもりというか、その魂骸は元々我が家の掃除用具だった物よ?」

「うそぉおっ!? えっ? じゃあ何? 俺って今掃除用スポンジに入ってんの?」

「あははっ! いい反応ね。勿論嘘だから、安心しなさいな」

「…………ぐぬぬ!」


 正直、ちょっと本気にしてしまった。実際、この性悪女ならやりかねない。

 実際、この家にあった掃除用具は大体綺麗で、使われた形跡無かったし。


「まあ、そんなに怒らないの。さてと、ちょっと熱い湯で逆上せそうね。そろそろ背中を流して貰おうかしら?」


 そう言って、エルマは突然湯船から立ち上がった。

 ざぁっという大きな水音と共に湯面が揺らぎ、バランスを崩した俺は湯船の外へ押し出されるお湯に流されて湯船の外へ。そして風呂場の床に後頭部から落下して「ふぎゃっ!」と情けない声を漏らす。


「何やってんのよ? ほら、早くなさい」

「痛た……お前、人への思い遣りとかないの?」

「……無いわね。微塵も」

「さいですか」


 思わず溜息が漏れてしまうが、そんな俺のことなど気にせずにエルマは自分の体を洗い出す。そして一頻り洗い終わったところで、「ん」と実にそっけない感じで何か差し出される。鼻腔を擽る香りからして、石鹸の匂いか。徐に手に取れば、柔らかい触感と泡の感覚。それが体を洗っていたスポンジであることはすぐに理解できた。


「この高さまで浮き上がって。で、あとは擦ってくれればそれでいいから。あっ、言っとくけど匂いとか嗅いだら殺すわよ」

「しねえよ! ……ったく」


 もう一度溜息を漏らしながら、言われた通り風魔法で軽く浮き上がってみる。ゆっくりと浮き上がり、すると頭頂部にポスッという軽く抑え込まれるような感覚。浮き上がる高さはここまででいいらしい。


「はいはい、擦りますよぉ」

「よ・ろ・し・く」


 面倒くさい、と心底思いながらも必死に体を上下させてスポンジでエルマを擦る。

やってみて分かったのだが、思っていたよりも大変な作業だな。勿論普通の体であればなんてことない作業であっただろうが、生憎今の俺はミニマム二頭身ボディ。そんな体で小柄とはいえ人間の背中を流すのだ。必然ストロークは長くなり、幾度も幾度も下がったり浮いたりを繰り返さなくてはならなくなる。その上、少しでも止まっていると「遅い」と文句を言われるモノだから、必然せっせと上下運動を繰り返さざるを得なくなる。

 そうして、もう幾度上下運動を繰り返しただろうか。もういいだろう? そう思い始めた、そんな時だった。


「……ん? あれ?」


 思わず、驚愕の声が漏れてしまう。それもその筈、何せここまでずっと奪われ続けていた俺の視界が、瞬間一気に鮮明に蘇ったのだから。

 後頭部から落下した衝撃で、後頭部の布の結び目に衝撃が加わって緩んだのだろう。そして繰り返された上下運動によって、絶えず負担が加わり続けて更に緩んだのだろう。そして遂に耐久力が限界を迎えたことで結び目は解けてしまった、そんなところだろう。

 はらりと落ちる、目隠し布。そして露わになる、湯煙で彩られたエルマの裸体。


「何? どうした――の?」


 俺の声に気付いて後ろを振り返った瞬間、エルマの顔も硬直する。同時に顔は湯煙の中でもよく分かるほどに紅潮し始め、みるみる顔全体が赤くなっていく。表情も、般若の如し。


「……あっ! いや違っ……違うぞ! これはワザとじゃない。完全な不可抗力――」

「――こ、こんのぉ……ドスケベ二頭身っ!」


 突然のラッキースケベイベントに狼狽する俺の取り繕うような主張など軽々と掻き消す、エルマの甲高い絶叫。激怒したエルマは俺の顔面をむんずと力任せに鷲掴みにすると、そのまま浴槽の中へと俺を文字通り叩き込む。


「がぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……ぷはぁっ! ちょっ、ちょっと待てちょっと待てちょっと待てっ! は、話せばわ――がぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ!?」

「うっさいっ! 問答無用よ! 私の裸体を盗み見ようなどと、最早万死に値するわ。死になさい? 死んで風呂のダシにでもなってろ、この腐れ変態二頭身!」

「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ……」


 再度浴槽に沈められる寸前に風魔法で辛うじて防壁を展開したが、所詮は急ごしらえ。いつまでも浴槽のお湯の中に沈められても持つような代物ではない。

 それに自力で浮上しようにも、小柄な女性相手でもこの二頭身では膂力不足。風魔法で押し返そうにも、段々と意識すら混濁し始めた状況ではまともな魔法の行使すら絶望的。


「ああ、死ぬな……これ」


 まさに万策尽きた打つ手なしの状況で次第に諦観に支配された俺は、次第に浴槽の奥へ奥へと力任せに沈められて行きながらもうっすらと見える外界の光を目に焼き付けながら、ゆっくりとその瞳を閉じる。意識が完全に失われたのは、恐らくそれから数秒後の事だった。

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