開き直って、悪戯くらいいいよね?


「…………はぁ」


 なまら深ぁ~い溜息が漏れた。連休明けの満員電車など比較にもならぬほど深い溜息が。

 あの後、俺からもクソ女神ことガヴリルにアクセスできないか、幾度も念を飛ばしてみた。だが、結果はやはりダメ。うんともすんとも言わないとは、まさにこのこと。いや、ちょっと違うか? まあ、別にそこはどうでもいい。

 さて、着の身着のままどころか肉体すらも無い、まさにこれ以上ないほどにネイキッドな状態で異世界に放り出されたワケだが……ホントにこれからどうするか。

うんうん唸りながら、長考する。だが、どれだけ考えても答えの出ない問題を前に精神的に疲労して遂には嫌気が差した俺は、往来激しい道路のど真ん中に大の字で寝転がる。


「すげぇ。こんなことすれば普通はイヤな顔されるモンだけど、全然見向きもされないなぁ」


 肉体の無い俺は自発的に何かに触れることが出来ない一方で、誰かに触れられることも無いワケで。いや、触れられるどころか視認すらされない始末である。故にこんな風に普段であれば通行の邪魔として顔を顰められそうなことをしても、誰も彼も見向きもせずに俺を文字通り素通りしていくだけ。

 人生で最大の暗黒時代だったボッチ中学生の頃も、俺はクラスで空気扱いだった。けれども、流石に体があったから視認もされていたし、だからこそ女子の蔑む視線を幾度となく受けた。同時に、体があったからこそ時折性格の悪い陽キャに絡まれてカツアゲされてもいた。

 理屈では分かっていることだが、体感してしみじみと思う。同じ空気でも、肉体の有無でこんなにも感じられるものが変わるのだと。

 しかしまぁ、誰かに気付いて貰える代わりに故意に傷付けられるか、或いは誰にも気付いて貰えない代わりに故意に傷付けられないか……はてさて、どちらの方がマシなのか。


「まあ勿論、空気扱いされないことが理想であることに変わりはないんだけどな。感情のある人間である以上、完全無色透明な空気にはなれな……ん? 空気?」


 自分で言ったその言葉で、ふと思い出すことがあった。

 同時に、道路のど真ん中で寝転がっているこの体勢では、普段見られない――というか、二十余年の人生の中でまるで縁の無かった――女性のスカートの中が丸見えのワケで。


「…………試してみるか」


 ふと、俺の頭にある考えが思い浮かぶ。

 男子特有のスケベ心と悪戯心と好奇心に端を発した、我ながら最悪な思考が。

 徐に上体を起こした俺は、精神を集中してみる。するとソレの使い方は、すぐに分かった。理屈ではなく、まるで魂に刻まれていたかの如く理解できた。使い方も、何が出来るかも。

 魂の中を駆け巡る力に意識を集中して、それを認識して操る。


「それっ!」


 軽く手を付きだしながらそう呟いて、認識したその力を発散させる。

 瞬間、大通りを俺が想像した通りの強風が吹き抜けていった。

 俺が生み出した突風は、下から上へと吹き抜けていく。そうなれば当然。


「きゃぁあっ!?」

「な、何? いきなり凄い風」

「ちょっ!? もうっ!」


 往来に、女性たちの困惑の声と悲鳴が木霊する。

同時に、男性陣の「おおっ……」という感嘆の声も。

 お察しの通り、下から上に吹き抜ける突風はスカートの軽い布など軽く捲れてしまう訳で。つまりはそれを悪用すれば、このような不健全な状況を現出させることも容易かった。まあ、不健全かは個々人の判断と価値観によるとは思うが。

 それにしても。


「いやぁ……何というか、いいですね。ただ下から覗くのもいいけど、慌ててスカートを抑える時の恥じらいフェイスもまたいい! グッと来るね! ドコにとは、言わないけどね。さて、ちょっと楽しくなってきたし……というワケで、どんどん行こうか!」


 すっかり味を占めて気分がよくなった俺は、スッと立ち上がるなり先程の要領で幾度となく風を吹かせる。気分が高揚するに連れて風力は段々と強くなり、そして風が吹く度に。


「「「「「「「きゃあっ!」」」」」」」


 女性たちの甲高い悲鳴が幾つも木霊。同じように男性の嬉しそうな感嘆の声がそこかしこから漏れ聞こえてくる。俺のスケベ心と悪戯心と好奇心に端を発した騒ぎは、活気溢れる大通りを女性たちの恥じらいと男性たちの興奮が織りなすカオスな空気感で支配して見せた。いいじゃない、何か楽しくなってきたぁあああっ!!



「……それ」

「きゃっ! また?」

「何なのよ、もう!」

「気味悪いったら……もう、今日は帰ろ?」

「そだねー」


 調子に乗り過ぎたらしい。あれから幾度となく風量と場所を様々変えて幾度となく下からの風を吹かせまくったのだが、流石にそんな不気味で不可思議な風が幾度も吹けば女性たちは気味悪がるワケで。一人、また一人といそいそと立ち去って行ってしまう。

 普段活気に溢れているだろう大通りに残されたのは、名残惜しそうな表情を浮かべる健全な男性諸兄とすっかり無表情になっていた俺だけ。

 そして、当の俺自身も。


「あーあ……でも、もういいや。何というか、飽きた」


 すっかり、興味を失っていた。最初は刺激と新鮮味と背徳感から些か以上に興奮したのだが、それを幾度となく繰り返せば段々と慣れて何も感じなくなってくるわけで。だからもう、最後の方はただの作業になっていた気がする。

 まあ、飽きたなら辞めろよって話ですよね。ええ、分かっていますよ。悪戯心で迷惑を掛けた女性と、そのせいで客足が遠のいて売り上げに響いてしまった大通りのお店の皆様からすれば、こんな自分本位な主張なんか堪ったものではないでしょうよ。……何かそう考えるとすげぇ罪悪感沸いてきた。ホント、皆様すんませんでした。でも、許してください。他にやることが何も思い付かなくて、つい出来心で。

 第一、俺異世界に来てまで何やってんの? バカじゃねえの? 恥ずかしっ!


「で、そんな数少ないやることも無くなったワケだけど……ホントにどうすっかなぁ」


 深い溜息交じりにそう呟きながら、またしても地面に横たわる。ただし、今度は道路の端っこの人目に付かないような場所で。無論先程みたく大通りに寝転がっていてもいいのだが、罪悪感マシマシのこの状況でまたスカートの中でも覗いてしまった時には、何か良心の呵責で精神病みそうな気がしたので遠慮しておいた。

 いやぁ、流石にダメだよね、見られないし触れられないからって地面に寝転がって女の子のパンツ覗くのは。人の嫌がることをするなと親にも学校の先生にも教わったのに、俺ってヤツは最低だな。反省しています。怒らないでください。アンチ書かないでください。


「あぁ……このまま消えてぇ。あっ、もう消えているんだった。ははは……」

「そう。まあ消えたいなら、消し去ってあげてもいいけど?」

「いや、消し去るって……ははっ! ムリムリ。だって俺、幽霊だも――ん?」


 ふと、強烈な違和感が沸き起こる。アレ? 俺って今、会話してなかった?

 いやいや、そんなまっさかぁ……と思いながら、声のした方へと視線を向けてみる。そして。


「……ぎゃっ!」


 思わず、情けない悲鳴が漏れた。

 ごめんなさいね、スカート捲られた女の子くらい可愛い悲鳴が出なくて――いや、今はそんな事どうでもいい。

 じりじりと太陽の光が降り注ぐ昼間にも関わらず、そいつは頭から膝上までのほぼ全身を真っ黒なローブで覆っていたのだ。真夏の日差し対策と言い張るにはどう考えても過剰を通り越して異常であり、その姿はどう見ても怪しさ満点で不気味極まりない。

 本体のシルエットを微塵も伺わせないその姿を強いて例えるならば、地面に映る影が形を持って立ち上がったというべきか、或いは白い顔のないカ〇ナシとでもいったところ。

 そんな不審者はジッとこちらを見ながら突っ立っており、そして遂には酷くゆったりとした緩慢な足取りで俺の方へ向かって歩いてき始めた。


「ひいっ、こっち来た! いや待て、焦るな。大丈夫だ。どうせアイツにも、俺の姿は見えてなどいない。きっとアレだ。涼みたいんだ。だってどう見ても暑そうだし、ここ日陰だし。そっかそうだよなぁ……なら、邪魔しちゃ悪いな。静かにそっと退いてやるのが、さりげない気遣いのできるクレバーな男の振る舞いというモノか」


 誰に言っているか俺自身分かっていない言い訳めいた長い独白と共に、俺は徐に立ち上がって立ち去ろうとしたのだが。


「おいおい、待ってくれ。私は、君に用があるんだよ」


 周囲を見回してみる。だが、辺りには「待ってくれ」と声を掛けられそうな行動をとっているヤツは誰もいない。他の人影は日陰で涼んで動かない浮浪者っぽい人か、 呑気にタバコを嗜んでいる気怠そうな兄ちゃんくらい。

 となれば、声を掛けられている対象として符合するのは。

 まっさかぁ……とまたしても思いつつ、俺は恐る恐る自分の方を指さしてみる。

 するとそのカ〇ナシもどきは、あろうことかゆっくりと頷いて見せやがった。

信じ難い話だが、ここまでくればもう間違いない。否応なく、確信を抱いてしまう。このカ〇ナシもどきには、絶対に俺の事が見えているのだと。俺に何か用があるのだと。


「あっ、あはは……そ、そうですか。分かりました、待――つワケねえだろうが!」


 しかし、幾ら俺の事が視認できるからといって、幾ら相手に用があるからといって、俺の方はこんな不気味なカ〇ナシもどきなど視認したくないし何の用も無い。

 いや、寧ろこの街で今一番関わりたくない人種だと断言できる。尤も、この街の人間の事なんか殆ど知らないし、もっと言えばあのカ〇ナシが人間かどうかも定かではないが。


「重そうで動き難そうなローブ、機動力は最悪と見た。なら、取るべき策は一つだよなぁ。そう、逃げるんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 黄金の精神の持ち主が教えてくれた、とっておきの策。偉大なる主人公へのリスペクト精神を忘れない模範オタクの俺は、きちんとセリフを叫びながら一目散に逃げ出した。

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