お前の事を救うために

御厨カイト

お前の事を救うために


「なぁ、凛、今日も家行って良いか?」



 高校に入ってから苦手になってしまった数学の授業も無事に終わり、それが6限目だという事で足早に帰りの準備を始める皆を横目に俺こと一ノ瀬拓真いちのせたくまは幼馴染で隣の席の東雲凛しののめりんにそう声をかけた。



「うん、いいよ。ご飯も食べてく?」


「あー、この間ご馳走になったばっかだから今日はいい」


「そう、分かった」



 ここ最近では毎日しているやり取りをまるでデイリーミッションのように消化して俺は帰りの準備を進める。

 だが、そんな俺らのやり取りを近くで聞いていた親友の七瀬明梨ななせあかりが茶化すように話しかけてきた。



「いや~、お二人さん、今日もお盛んなこって!」


「そんなんじゃないって。ただ二人で勉強会するだけ」



 ニヤニヤしながら話しかけてきた明梨の言葉を「フフッ」と微笑みながら軽く受け流す凛。

 俺もそれに乗じて苦笑いをする。

 そんな俺らの表情を交互に見ながら明梨はまるで何かを察したかのようにニヤッと笑った。



「ふ~ん、どうだか。まっ、青春を楽しめよ!」



 そして手をひらひらと振りながら、明梨は荷物を持ってその場を後にする。



「もー、私たちはそんなんじゃないのにね」



 明梨が去っていくのを見送った後、凛は俺の方に向き直し荷物を持ちながら少し困ったような笑みを浮かべた。

 やめてくれ、その顔は俺に効く。



「じゃあ、そろそろ行こっか」


「……おう」




 少し気落ちしながらも俺は荷物を持って凛の後を追う。

 そうして、俺たちは凛の家へと向かう事にした。





 ********





 ……それにしても少しは意識してくれたって良いのではないかとは思う。

 いくら勉強の為でもすんなり異性を自分の部屋に上げるものだろうか。

 信頼の証だと思えば嬉しくなるのだが、それでも悲しい。


 隣にいる奴にここ三年恋心を抱いている俺はそんな事を歩きながらぼんやりと考えた。

 俺の家の隣である凛の家までは中々距離があるが会話は殆ど無い。

 そもそも学校でよく話しているから話す話題が無い。

 もちろん気まずい訳ではないし、むしろ二人っきりで嬉しいのだが如何せん肩身が狭いというのも事実だ。


 二年の冬休みに純粋に学力を上げたいという気持ちとあわよくばを狙った邪な気持ちのミックスで出来た勉強会。

 始めてそろそろ三か月が経つところだが一向に進展は空虚。

 学力は上がっているから本来の目的は達成しているが、そうじゃない。


 これでも、結構アピールはしているつもりなのだが……


 何の気なしに凛の横顔をちらっと見る。

 でも、そのお陰で少しだけではあるが凛の横顔を長く拝めるのは役得と言えよう。

 そして少し目線を下にズラすとそこには細くて綺麗な手が見える。

 この手に触れる事が出来たらどれだけ良いだろうか。

 こちらの視線に気づいたのか凛はキョトンとした顔でこちらを見てきた。



「……うん?どうしたの?」


「……いや、何でもない」



 俺が恋慕を募らせているとは露にも思って無いのだろうな凛は。



 でも、実際いくら意識されてないとはいえ好きな子と一対一で勉強会出来ている俺は幸せ者なのかもしれない。

 いや、そうだと思う。

 そうだと思わないとやってられない。



「あっ、着いたよ」



 考え事をしているといつの間にか凛の家に着いていた。

 ちょっとした優越感と罪悪感を胸に俺は今日も勉強に励む。













 次の日から凛が学校に来なくなった。









 ********







 何かあったのだろうか。

 凛が学校に来なくなってそろそろ2週間が経つ。

 好きな子というのもあるが単純に幼馴染として心配なのだ。


 高校生にもなると先生からもただ単に「休み」だとしか教えてくれないから、詳細が分からない。

 勿論、気になったから凛の家にも行ったが出てきたのは凛のお母さん。

 いつもは明るく優しく出迎えてくれるだが、今回は凄く疲れた顔を見せながら早々に扉を閉められてしまい結局凛に会う事も理由も聞く事も出来なかった。



 勉強会をした次の日からという事もあり、俺が何かやらかしたかという心配にも襲われながら俺は今日も机に突っ伏していた。


 教室の騒がしい音がやけに大きく聴こえる。

 あぁ、こんな事があっても何も変わらない日常にほんの少し苛立ちが湧いてくる。



 そんなどこかズレているやり場の無い怒りに苛まれている俺に丁度良く担任の先生が話しかけてきた。



「おう、一ノ瀬、ちょっといいか?」


「は、はい、何でしょう」


「お前、東雲の家の隣だったよな。このプリントを東雲に渡しといてくれないか」


「あっ、分かりました」


「よろしく」



 朝、俺等が貰ったプリントと同じ奴を1枚渡された。

 こういう時、本来なら役得だと思うだろうが今回ばかりは違う。

 どうしたものか……

 まぁ、行ってから考えることにしよう。

 そうしよう。



 ……プリントを渡す、ただそれだけの事なのにやけに緊張する。

 学校以外で凛に会うのはいつ以来だろうか、テスト勉強も最近はしておらず勉強会が最後か。

 もしかしたら会えないかもしれないし、また門前払いされたらどうしよう……って何で俺はこんなネガティブ思考なんだよ!

 そんな事を考えつつも足は慣れたかのようにちゃんと行動しており気付いたら玄関のドアの前まで来ていた。



 少し前まではこのドアのインターホンを鳴らすのが楽しみで仕方無かったが、今はその真逆。

 憂鬱な気分だ。……だからといってここでウジウジしているわけにはいかない。

 プリントだって流石に渡さないといけないからな。

 しょうがない。


 そう自分に言い聞かせ、俺はチャイムを鳴らした。


「あっ、ポストに入れれば良かったか」と思ったがもう遅い。



 ピンポーン!



 今の状況では場違いで軽快な音が一度響く。

 しかし、返事は返ってこない。



 ……誰も出ないか。

 仕方ない、じゃあポストに――



「……はい」



 小さくはあるが確かに返事が来た。

 それにこの声……多分凛の声。



「……どなた?」


「あ、えっと、一ノ瀬だ。学校のプリント届けに来た」


「……分かった。ちょっと待ってて」



 久しぶりに聞く凛の声に安心しながらも待つこと数分。

 玄関のドアが開きパジャマ姿の凛が姿を現した。


 2週間ぶりに会った幼馴染は少し痩せこけたようにも見えてしまって心配になるが、元気そうな顔して現れたから一先ず安心した。

 ……でも、パジャマか。始めて見る好きな人のそんな姿にドギマギする俺。

 一旦、邪念を追い払い、ここに来た目的を思い出す。

 心配してたんだぞって言いたかった気持ちもあったがそこは抑えてプリントを渡して帰ろうとする……するといきなり凛に中に入るように催促された。



「持ってきてくれてありがとう……ちょっと、中入って」


「えっ、でもプリント渡すだけ――」


「……いいから早く」



 凛の得も言われぬ雰囲気に圧倒された俺はさっきまでの混乱はどこへやら、すんなりと中に入り凛の後を追う。



 パジャマに気を取られて今気づいたのだがさっきまで寝ていたのだろうか、いつもは真っすぐで凄く綺麗な黒髪が少しボサッとしている。

 階段を上りながらそんな事を考える俺はキモイだろうか。


 すっかり見慣れた凛の部屋に着き、お互い腰を下ろしたところで口を開く。



「なぁ、何で最近学校来なかったんだ?結構心配してたんだが」



 自分から入れておきながら凛は黙ったままベットに潜る。

 ならば、無理して聞くのも野暮ってものだろう。

 俺は凛が答えるまで少し待ってみる事にした。


 ――だが、凛は一向に話し出す気配はない。

 ……そんなに話したくない事なのだろうか。

 このままじゃ何も進まないと考えた俺はやむを得ず口を開いた。



「……おい、本当どうしたんだ?」


「…………病気になったの」


「えっ?」



 突然、そう告げる凛に驚きの声を上げてしまう。

 病気?あの健康優良児の凛がか?

 ……まぁ、病気と言っても風邪とかインフルとかだろ。

 そんな逃げるような軽い考えが頭の中に浮かぶ俺。


 だが、少しだけ沈黙を保った後とても暗い表情を浮かべる凛。

 その余りにもらしくない態度と雰囲気に気圧されて、俺は何だか悪い予感がした。



「病気って風邪か何かか?」



 その悪い予感を飲み込みながらそう問うた。



「……違う、もっと大きな病気」



 だが、時に人生は予言者のように予感を当ててくる。

 脳で処理するのも怖い事実に声や手が震えてきた。



「……ちゃんと治るんだよな?」



 色々聞きたいことをすっ飛ばして一番聞きたいことを聞く。

 オチを早く聞いて安心しておきたいのだ。

 心の中で神に対して救いを求める。



 だが、そんな俺の願いも虚しく凛は目に涙を貯めながら首を横に振った。












 そこからの記憶が一切無い。









 ********






 凛が学校に来なくなって1か月が経った。

 それでも日常は不変的に進む。


 あの日、どうやって自宅に帰ったのかすらも覚えてない。

 ただ、次の日起きたら目が赤く腫れていた。


 一番辛いのは凛だろうに。

 こういう時に何もできない自分が嫌になる。



 ここ最近何度もリピートしている感情に気落ちしながら今日も俺は机に突っ伏していた。



「拓真、そんな暗い顔して大丈夫?」


「明梨……」



 俺の顔を覗き込むようにヒョコッと視界に入ってくる親友の明梨。

 いつもは底抜けに明るい明梨が心配そうに聞いてくるあたり、そんなに酷い顔をしていたのだろうか。

 ただ、今の心境を吐露する訳にもいかず俺は「大丈夫だよ」と空元気で誤魔化すことにした。

 もちろん、そんなごまかしが効くはずもなく明梨は呆れる様に溜息を一つ吐く


「いつ見てもずっとその格好なのに大丈夫な訳ないでしょ。流石に心配なんだけど。なんか悩み事?」


「……」



 正直な話、ここで明梨に凛の事を言えたならこの辛い現実を分かち合う仲間が出来る。

 だが、いくら親友といえど巻き込んでしまって良いのか?


 そんな事を考えてると先に明梨の方が口を開いた。



「もしかして……凛の事?」


「知ってるのか!?」


「この間ちょっと用があって凛の家に行った時にね、聞いたよ」



 そこで明梨の声がワントーン低くなった。



「不治の病……なんだってね」



 言葉にするとより一層明確になる辛い現実。

 まるで研いだばかりのナイフのように刺さってくる。

 ただ、親友である明梨が知っているという事は凛も誰かに話したかったという事だろう。

「良かった」なんて思いたくないけど、でもまだ……まだ完全に一人きりで苦しんでいる訳じゃ無いと分かっただけでも俺は少しだけ救われた気がした。



「それで拓真はどうするの?」


「……えっ?」


「好きなんでしょ、凛の事」


「えっ!?」



 バッと起き上がり、驚きの余りわなわなと顔を震わせる俺。



「な、なんで……」


「そりゃ、日頃の態度見てたらすぐに分かるよ。凛がどう思ってるかは分からないけど結構皆知ってるんじゃない?」


「マ、マジかよ……そんなに俺分かりやすいか?」


「多分自分が思っているよりはね」


「……うそーん」



 余りの恥ずかしさに俺はまた顔を隠すように机に突っ伏した。

 何だココは、感情のジェットコースターか?



「で、どうすんの?」


「どうすんのって別に医者でも無いから俺に出来ることなんて何も無いし……」



 ここまで来たら少し不貞腐れたように言う。

 だって、俺が何か言ったところで何が出来る?

 ただ、凛を苦しめるだけじゃないか。

 そんな俺に明梨はキッパリと断言した。



「じゃあ、その医者になれば?」


「……はっ?」


「医者になって凛の病気治せるようにしたらいんじゃないの」


「……明梨、自分が何言ってんのか分かってんのか?」


「分かってるよ、じゃないとこんな事言わない」



 よく見ると明梨の目も少し赤く腫れている。

 何だ……同類じゃないか。



「私も何かしたいけどこういうのは好きな子がやった方が良いでしょ?それに丁度拓真が目指してたところって医学強いし」



 首を少し傾けながら「ふふっ」と微笑む明梨。


 ……これは腹をくくる必要がありそうだ。

 一丁頑張ってみるか。



「ありがとう明梨、なんか決心がついたよ」


「そう、なら良かった」




 受験までまだ半年以上ある。

 今日から勉強をガチで頑張ればきっと行けるだろう。






 ここで俺はこの現実に抗ってみせる。










 ********






「ジャジャーン!見てみろ、志望校B判定だ!」



 この間受けた模試の結果を俺はベットに座る凛に広げて見せる。



 あの日から2,3カ月、俺は志望校に行けるように勉強を頑張っていた。

 凛も病気の事に関してある程度は受け止めたようで以前と同じように接してくれている。

 何だったら結構勉強も教えてくれた。



「良かったじゃん!拓真頑張ってたもんね」



 まるで自分の事かのように喜んでくれる凛に俺はものすごく嬉しくなる。

 その笑顔は何だか、出会った頃を彷彿とさせた。

 ……だからこそ、俺はその笑顔を守り抜くと決めたのだが。

 でも、ここで満足するわけにはいかない。



「まだまだこんなもんじゃ終わらないぞ。次の模試でA判定持って行けるように頑張らなくては」


「頑張るのも良いけど、無理はしないようにね」


「ハハッ、大丈夫だよ。そんでもって大学合格して、医者になって凛の病気なんて直ぐに治せるようにしてやるからな!」



 口に出しておけば叶うかのように俺はニヤッと笑う。

 凛は少し驚きながらも、また笑顔になってくれた。

 この笑顔を俺は絶対に曇らせない。

 改めて心に誓った俺は気合を入れるように頬を軽く叩き、座っていたベッドの端から立ち上がろうとしたその時、トンッと背中に何かが寄りかかる感触があった。

 慌てて振り返ってみると、そこには俺の背中に顔をうずめる凛の姿。

 急な出来事に戸惑いを隠せず「凛……?」と声を掛ける俺だったが、そんな俺をお構いなく凛は囁くように言葉を出した。



「拓真……ありがとう……」



 凛は目を潤ませながらそう言った。

 何だか照れ臭くなった気持ちを余所に近くにあったティッシュを渡す。

 本当に俺はこの笑顔を守るために勉強を頑張ろう。

 ……そして、医者になって凛の病気を治してやるんだ!

 その決意と覚悟を強く持ちながら、凛が泣き止むまで背中を貸し続けた。


 少しして、落ち着いたのか凛は俺の背中から顔を離す。

 それを見計らって俺は彼女に声を掛けた。



「よしっ、それじゃあ俺そろそろ行くわ」


「もう?」


「うん、ちょっとこの後用があって」


「そうなんだ、分かった」


「じゃあ、また来るから」



 そうして、俺は凛の家を後にする。







 受験本番まであと半年。

 もし合格することが出来たらその日に俺は凛に想いを伝える。








 ********





「拓真、頑張ってるな……」


 どんどんと遠ざかっていく拓真の後ろ姿を窓から見ながら私はそうポツリと呟いた。



 まったく、急に医者になると言い出した時はびっくりしたが案外何とかなっているようだ。

 ……まぁ、拓真はやると決めた時には本気で頑張る人だからこれからもきっと大丈夫だろう。


 それにしても、相変わらず鈍感なところも変わらない。

 最近は勉強ばかりで尚更気づいてくれない。



 ここで私が「拓真の事が好き」だと言ったら彼は一体どんな顔で驚くだろうか。



 いや……多分今の彼には私の寿命があと『半年』しか無いと言った方が一番驚くかもしれない。




 あぁ、拓真に勉強じゃなくて今の私を見て欲しいと望むのは贅沢だろうか。





 もう見えなくなってしまった拓真の後ろ姿に胸が痛むのを感じながら私は一筋、涙を流すのだった。







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