第6話

 お互い、十一時にコンビニに集まっては、お菓子やらジュースやらを買って、少し話して、〈祝福〉を見せてもらうことは、すっかり日常になってしまった。

 薫はもう取り憑かれているといっても過言ではないくらい、夕里にねだって〈祝福〉を見せてもらった。〈祝福〉を見てすぐは、眼球が震えて焦点が合わなくなることも、体がしびれてうまく歩けないどころか、立てないことすらもあった。

 今夜もそうだ。よろめいた体を夕里に支えられ、心配そうな眼差しで背中をさすられた。晴れた夜のコンビニのまえ。地面に置かれたビニール袋。自転車置き場の隅っこ。


「大丈夫? ……今日はもうだめよ。見えないものを無理やり見せるって、体に負荷がかかるものなんだから」

「最初に、……見せてきたのはそっちでしょ」


 吐き捨てるように言うと、夕里は小さくため息をついた。


「ごめんなさい」


 その瞬間、薫はなんだか嫌なものに堕ちたような気がして、ぐっときつく目をとじた。謝ってほしいわけじゃなかった。謝られるくらいなら、そのへんの泥になったほうがマシとも思った。


「知ってほしかったのよ。世界は愛にあふれているんだって。……あなたも愛されているんだって」


 薫はおどろいて、夕里から体を離した。

 夕里は、薫と目を合わせると、たおやかにほほえんだ。あの眼差しだ、と、薫は胸の奥が熱くなるような思いが膨れ上がった。ブラック・ダイヤモンドの花びらの眼差し。森羅万象を瓶詰めにした虹彩。


「……おれは、あなたの話が好きだ」


 この眼差しが、夕里が、特別な瞳を持つ夕里が、何かに〈祝福〉を与えるときの眼差しなのだと、どこか遠いところで気づいた。


「〈祝福〉の話を聞くのが楽しい。自分が綺麗なものになった気がして、すごく好きだ。ずっと聞いていたい……でも」


 夕里のおだやかな話し方が好きだった。慈愛に満ちた笑みをいつも浮かべていて、ずっと見ていたかった。

 しゃんと伸びている背筋も、窓からの風に波打つ黒髪も、シャーペンを持つ冷たくて小さな手も、すべてが好きだった。刺繍をしている聖母マリアの膝に頭を乗せて、おとぎ話をねだっている少年の気分だった。


「恒久的に、〈祝福〉を見れる方法ってないの」


 夕里の目が見開かれた。


「おれは、あなたと同じ世界が見たい。……同じ世界を共有して話してみたい」


 世界に億以上の愛あれど、これ以上の愛はないと薫は思っていた。好きなひとと同じ世界を見れること。〈祝福〉を受けたとき、与えたとき、それが可視化できるということ。たとえ〈祝福〉を見すぎて目を痛めても、あまりの世界の光の多さに気分が悪くなったとしても、薫はまったくまったく構わなかった。

 薫が愛されているというのなら、きちんと証拠がほしかった。

 しかし、夕里はその言葉を聞いた瞬間、見たことないほど青褪めた。手を胸元で合わせ、薫から離れるように一歩後退る。……今の薫はどれだけひどい顔をしていたのだろう。薫には知る由もなかった。夕里は力なく首を振った。


「無理よ。できないわ。……そんな顔をしていても、できないものはできないのよ」

「何で」

「方法がわからないの。一回に〈祝福〉を見れる時間を延ばす方法はわかるけど……無理よ」

「それでもいい。どうすればいいの」


 夕里は、ぐっと唇を引き結び、ためらうように視線をさまよわせたあと、ゆっくりと吐き出すように言った。


「……今よりも、より深く接触すればいいの」


 薫は瞬いた。


「一色を抱けばいいの」

「嫌よ!」


 電線にとまっていた鳥たちが、おどろいたようにバサバサと飛んでいった。それぐらいの金切り声だった。

 夕里は浅い呼吸を繰り返して、今にも泣き出しそうな目をして、身を守るように自分の体を抱きしめた。夕里の体は震えていた。

 薫は硬直した。――さすがに夕里へ手を伸ばして、抱きしめて、震えをとめようとすることは許されないと、わかっていた。


「もう嫌。松坂くん、気づいてる? あなたから黒い〈祝福〉がわたしに降ってきているの」

「……は」

「あなたはどうして、いつも孤独そうな顔をしているの……」


 夕里は、かなしそうに目を細めた。何が見えているのだろう。黒い〈祝福〉を放つ薫。たくさんの〈祝福〉をまとう薫。そのすべてをながめて、夕里はしゃがんだまま、ぽつりと言った。


「わたしもあなたを愛しているのに」


 言い聞かせるように夕里は言う。


「あなたは愛されているのに」


 その言葉が性愛ではなく博愛であることは、薫にはとっくにわかっていた。

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