『金剛』 ある小さな夜の音楽

「たっ……」


 俺の目の前、武具とは違う装飾品を売る店。何気なく手に取った指輪の値段を見て、思わず言葉を失う。とんでもないポイントだ、こんな物ここで買ってしまったらしばらく借金生活どころでは済まない。

 目を閉じて見なかったフリ、指輪を元の位置に戻して俺は店を後にした。


◈◈◈◈


「よっ、ヴィクター。……んん? 何か元気ねぇなぁ、どうした兄弟」


 その後フラフラと訪れた、母ちゃんが料理長として働いている食堂。そこでいつもの様にピアノを弾いていれば、軽薄な声が横から飛んでくる。


「おわっ……なんだセナか……」


 無意識の内に奏でていた曲を止め、声がした方向へ顔を向ければ、そこには案の定手馴れた様に片目を瞑るセナの姿が。


幻想即興曲それ、いつもに比べてだぁいぶ覇気が無かったぞ〜? どうしちまったんだよヴィクター、冥王様にでもフラれたかぁ?」


 セナは片手に持ったグラスを呷りながら、俺の肩に腕を回してくる。その所為で彼の表情はよく見えなくなったが、聞こえてくる声色はからかいの色が強い。一体何を言い出すのだ、縁起が悪い。


「はぁっ!? んな訳あるかバカセナ!」


「おっほほぉ、言うねぇ」


 俺がそれを振り払いながら慌てて否定をすれば、引き剥がされたセナはケラケラと楽しそうにもう一度グラスを呷る。

 先程からやけに酒臭い、こいつだろうか。今はまだ午後三時を少し回ったくらいだぞ。


「お前、こんな真っ昼間から飲んでんのかよもしかして」


「ヒュウ、ご名答」


 口笛が一つ。彼のいつもの癖だ。セナはまた片目を瞑り、グラスを持った方の手でを指を差してくる。そのまま懲りずに一杯。嘘だろお前。


「バカか!? 任務は!?」


「今日はいーんだよ、そういう日もある」


 お前はそういう日ばかりだろうが!


「そうねぇ。セナってば、本命にデートのお誘い断られちゃったものねぇ」


 そう俺がツッコミを入れる前に、のんびりとした声がセナのヤケ酒の理由をバラす。

 何だコイツ、フラれてるのは自分の方じゃねぇか。


「ぅげっ!? ア、アリスさん……?」

「――! アリス先生……」


 そうして声がした方を仰ぎ見れば、いつの間にか傍に立っていたのはルネの主治医であるアリス先生。どうやら口が達者なセナでも彼女には敵わないらしく、軟派者の彼にしては珍しく引き攣った顔をしている。


「うふふ、セナはさっきぶり、ヴィクトール君も昨日ぶりねぇ」


 アリス先生は穏やかな笑みを浮かべ、上品な動作で手を振る。俺は昨夜、ルネの様子を見に来た先生と会っていたが、どうやらセナは先程まで一緒だったらしい。

 という事は、コイツは本格的にサボっていた様だ。ナイトは厳格な隊が多いと聞いていたが、コイツの隊はそうでは無いのだろうか。まぁそうか、セナが隊長だもんな。有り得ねぇ。


「所で、本当に元気なさそうなピアノねぇ。向こうで貴方のお母様が『飯がマズくなるからやめな!』って怒ってたわよ?」


「う、サーセン……」


 小首を傾げる先生がそう言った瞬間、確かに厨房から殺気を感じた。あれは明らかに怒っている、母ちゃんは怒らせると親父より怖いのだ。そのうちフライパンでも飛んできそうな勢いだと一人考える。


「そうだぜ、何があったんだよ兄弟。俺たちゃ親友だろぉ? 何でも話してみろって!」


 思わず身を竦ませていれば、いつもより一層うざったいセナが再び肩を組んできた。親友だ何だと言いながら、いつも隠し事をするのはお前の方だろうが!


「うわ! だる絡みしてくんな酔っ払い! ……まぁ、大した事じゃねぇんだけどよ。実は――……」


 そんな怒りをしまいこんで、俺は事の顛末を伝えた。先程見に行った指輪が思ったよりも高かった事。それを送る相手が、誕生日が近付くルネである事を伏せながら。



「ふぅん、が高くて買えなかったのねぇ」


 何故か速攻でバレた。やはりアリス先生は勘が鋭い。いや、俺が隠し事が下手な可能性はあるが。今回はそこまで挙動不審になったつもりは無かったんだけどな。


「っ、まだ誰に渡すとは言ってねぇが!?」


 慌てて誤魔化してから、しまったと思う。恐らく、こんな態度を取った方が明らかに肯定してしまっているだろう。先日、バレッタにも「焦るとダメですよね」と言われたばかりだ。


「あらぁ、じゃあ誰に渡すの? セナ?」


 顔色も変えずに、アリス先生。この人は冗談を言う時でも表情が変わらないので、時折冗談なのか本気なのか分からなくなる。いや、今回のこれは明らかに冗談だが。冗談じゃ無ければ困る。


「おっ、困っちまうなぁ。モテる男はツラいねぇ」


 すれば、肩を組んでいたセナはフラフラと下がって、キメ顔でウインクを飛ばしてくる。先生の冗談に乗るんじゃない、お前はフラれてるんだろうが。俺にまでフラれに来るな。


「やらんわバーカ!」


「うふふ、冗談よぉ。そうねぇ……ヴィクトール君なら、って選択肢もあるんじゃない?」


 到底冗談とは思えない声色で冗談だと告げたアリス先生は、俺にもう一つの職業を思い出させる。

 そうか、そう言えばその手があった。あまりの衝撃に頭からすっかり抜け落ちてしまっていた様だ。


「――! 確かに……! って言っても、宝石の方がなぁ……」


 だが、根本的な問題は解決していない。確かにリングの方は作れるにしても、宝石の方はどうにもならないのだ。と言うか、ポイントが高かったのは宝石の方じゃないのか?


「あら宝石じゃなくて、で良ければ譲れると思うわよぉ」


 そうやって一人で思案していれば、アリス先生は顎に人差し指を当て、何かを思い出す様に呟いた。


「結晶……って、もしかして」


 すっかり忘れていたが、この人の仕事は医者だけでは無かったはずだ。彼女は確か、調……。


「うふふ……ついてらっしゃいな」


 俺が思案し始めて間も無く、アリス先生は莞爾かんじとして微笑むと、俺とついでにセナを手招いて歩き始めるのであった。


◈◈◈◈


 そうして辿り着いたのは、彼女が室長として勤めている研究室だった。

 俺達を認識して開く自動ドアを何となく眺めながら、アリス先生に続いて中へと入る。ドアの前の辺りまでは、時折親父に頼まれて備品などを届けに来るのだが、その先に入るのは初めてだ。


「……あ、アリス先輩、おかえりなさ…………あれ、セナちゃん……?」


 すれば、中で大きなモニターと向かい合っていた車椅子の少女が、その車椅子ごとこちらへ向けた。彼女の喉を震わせたのは、少しだけ驚愕が滲んだ鈴の様な声。呼ばれたのはセナの愛称だ。


「ありゃ? 何となくついてきちまったが行先はラボだったのか……よっ、ロザリー! 元気してるか?」


 呼ばれたセナはぼんやりした様に何かを呟くと、すぐ様いつもの気障きざっぽい笑みを浮かべ、彼女の元へと駆け寄っていく。

 ロザリー……聞いた事がある。確かその名の女性はセナの本命で、俺達と同い年のはずだ。先程は少女と形容したが、きっとそれは彼女が車椅子に座っている所為でそう見えたのだろう。


「ふふ……それ、さっきも言ってたよ? あの……ご飯、一緒に行けなくて……ごめんね」


「いやいや大丈夫だよ。それより書類整理は終わったか?」


「あ、うん……えっとね……! ……って、やだ、セナちゃんってば、お酒臭い……」


「え!? あぁ……悪い悪い……、これにはちょっと理由があって……」


 何をすればいいかとも分からず、何となく二人の様子を眺めていれば、目の前で長い茶髪が翻って、そちらに意識が持っていかれる。


「相変わらず仲良しねぇ。……チェシャ、ちょっといいかしらぁ」


 目で追ったアリス先生は、そのまま車椅子の彼女がいたモニターとは別のモニターの元まで歩いて行く。いつもの様に間延びした声で誰かの名を呼べば、キャスター付きの椅子はまるで錆び付いているかの如くこちらへ回された。


「――厄介事の匂いしかしねぇんですが……。吾輩に拒否権あります?」


 そこに座っていたのは白衣の青少年。大人と言うには随分小柄なその人は、ざらついた声で先生に言問うた。


「無いわよぉ」


「ですよねぇ」


 黒目がちな目を瞬かせる中性的な人物の言葉を、にこにこと笑ったままのアリス先生が即座に否定すれば、彼は鬱陶しそうに天を仰いだ。


「あなた、ツチノコの呪力結晶隠し持ってたでしょ? 譲りなさいな」


 ふと、そう言ったアリス先生の目元から笑みが消えた。

 あぁ、何処かで見た事があると思ったら、少し前までのルネの笑い方だ。最近では心底可笑しそうに目を細めて、楽しそうに笑い声をあげている。


「はぁっ!? 何故です!? アンタが知っている事も含めて何故ですか!?」


 耳をつんざく絶叫。分かりやすく手を挙げ、仰け反って、驚愕を顔に貼り付けたままの彼は、何故それをとその小柄な全身で抗議している様だった。


「あらぁ、私に隠し事が出来るだなんて思わないで頂戴な? あなたのおやつにするよりも有効的な活用法を見つけたのよぉ」


 再び笑ったアリス先生。何だかいつもと違う笑みの様に感じるそれは、そこはかとない威圧感を振り撒いていた。


「ぐ、何処までも女狐だなアンタは……。というか別に吾輩はおやつになどしてませんよ、ツチノコの結晶はエネルギーの補給に丁度よ――……」


「譲りなさいな?」


「ハイ……」


 弁解は無効。俺でさえも感じたえも言われぬ圧を間近で受けたその人は、諦めた様に懐から青い結晶を取り出した。


「うふふ、助かるわぁ、ありがとう」


「ありがとうてアンタそれ強奪……いや……もういいですけどねぇ……」


 彼から結晶を受け取ったアリス先生は、今にもスキップをしそうな勢いでこちらへ駆け寄ってくる。それとは対照的に白衣の彼はうんざりと項垂れていた。


「はい、ヴィクトール君。飛びっきり綺麗な指輪、作ってらっしゃいねぇ」


「――! っ、あざっす!」


 兎にも角にも、一人の犠牲のお陰で求めていた物は手に入った。ここからは、俺の本領だ。


◈◈◈◈


「親父、工房使っていい?」


 受け取った結晶をころころと手の中で転がしながら、休憩中の親父に声を掛ける。


「構わんが……何作るんだ」


 恐らく妹が入れたのであろう、並々と注がれたコーヒーを飲んでいた親父は、俺を一瞥すると怪訝そうに眉をひそめる。


「えっ!? あ、え……えっと……ゆ……」


 嗚呼しまった、うっかりしていた。ぼんやりとしていた所為で忘れていたが、そう言えば俺はこれから指輪を作るのだ。それも、想い人ルネに贈る為の。

 そんな事を、一体全体どうやって親父に説明しろというのだ。ただでさえ、ルネの事も気恥ずかしくて妹以外には言ってないのに。


「何?」


 聞き返す親父、挙動不審な俺。顔から火が出るんじゃないかと思うくらい、顔に血が集まっているのを感じた。


「ゆ……、ゆびわ……」


「は?」


 ようやく絞り出した言葉に、今度の親父は面食らった様に聞き返してくる。どうしてこうも俺は嘘が付けないのだ。


「っ、い、いや! や、やっぱ何でもねぇ!」


 裏返った声で全てを無かった事にし、その場から立ち去ろうと目論む。


「……ふっ、はは……ははははは! 指輪? 何、そうか……はは、お前もやっぱり俺の息子だな」


 だが、その瞬間耳に届いたのは愉快そうな笑い声で。


「……へ?」


「俺もあるぞ。指輪……作った事。好きに使え、片付けだけはしろよ」


 素っ頓狂な声を返せば、親父は楽しそうに笑ったまま俺の肩を叩く。そうして工房の鍵を俺に預けると、「親子ってモンは似るもんだな」と呟きながら去って行った。


「え!? あ、お、おう……? ――あ」


 取り残された俺は一人、呆然と呟いて、ふと、休日の母ちゃん指に光る指輪の事を思い出した。


◈◈◈◈


 真夜中。手の中には、美しい装飾を施した、青い結晶が光る指輪。箱に入れて無いのは、直接嵌めてやりたかったからだ。


「――ルネ」


 性懲りも無く夜更かし中のその人を呼べば、彼女は長い睫毛まつげを瞬かせて本に落としていた視線を上げる。


「……ん? 何だいベクト、随分神妙な顔して……あぁ、皿でも割ったのかい?」


「んな訳あるかっ! バーカ!」


 ハッとしたように紡がれた見当違いの言葉。思わず罵倒が飛び出す。何だか最近、こんなセリフを言ってばかりだ。


「……手、貸せ」


「――?」


 わざわざ説明するのも恥ずかしくて、何処と無くぶっきらぼうな口調でルネの手をせがむ。何の疑いも無く差し出された手を取って、薬指へ指輪を嵌める。


「……! これ、は……」


 見開かれる白銀の瞳。


「……誕生日、今日、だろ。……おめでとう」


 その瞳がこちらを射る前に、一言告げる。その言葉に、指輪に注がれていた視線はこちらへ向けられた。


「……はは、びっくりした。てっきりプロポーズでもされるのかと思ったよ」


 零れる笑声。歓喜に彩られた声は、からかい混じりに落とされた。


「っ、はぁ!? え、あ、いや、そ、れは……」


 馬鹿、違う、そうじゃない!

 思わずそう言いそうになって、押し留める。

 本当は、実際は、そのつもりだった。けれど、その、直前になって、勇気が何処かへ逃げ出してしまったのだ。


「その……また、いつか」


 いつか妹に言われた「ヘタレのヘクトール」と言う蔑称が頭をよぎった。嗚呼、最悪だ。その場に崩れ落ちて項垂れる。


「……うん、待ってる。それまでは……ちゃんと生きてなきゃね、クン?」


 けれど、返ってきた言葉の温度が心地よくて。思わず上げた視界に、幸せそうに笑うルネが映って。


「……うっせバーカ」


 何だか少しだけ、日和った事もどうでも良くなった。

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黎明のスレイヤー ―REBOOT― 祇園ナトリ @Na_Gion

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