汽車の夢

FUDENOJO

旅路

空高くトンビが舞っている。

そのトンビの眼下に佇むひなびた駅舎。

私はそこに立っている。この地を訪れるのは、

私は初ではなかった。私はすでに年老いている。

いずれ辺境のこの地へ足を運ぶのも

難しくなるだろう。この地に赴き、この駅舎の

周りに広がる美しい田園風景をながめる

機会があるのも、あとどれくらいだろうか。

そんなことを私は考えていた。


駅舎に入り切符を買い、改札を通って

私は駅のホームに立っていた。

すでに季節は初夏を迎える。

青々とした草木をながめ、私はのどかな

時間を過ごした。


しばらくすると、どこからともなく汽笛が聞こえた。

湧き出るように灰色がかった煙をあげながら、

やがてそれは姿を現した。


蒸気機関車。かつて人々の新たなる足として

世界各地を走った存在。ボイラーで石炭を真っ赤に

燃やし、その巨体を前進させた。

今では交通の便は多様化し、さらに電気で動く

電車が台頭したことがきっかけで

蒸気機関車は衰退の一途をたどった。しかし、

蒸気機関車は各地で今でも走り続けている。

昔のような気迫はないが、今でもどこかで、

ひっそりと己の使命を貫き続けている。

私がいつも足を運ぶ、この駅に止まる

蒸気機関車も、今も力強く走り続けている。


私はこの蒸気機関車に乗るのが好きだった。


蒸気機関車は私の目の前で停車し、大きな白い吐息を

一つ吐き出した。私は客車のドアを

手でそっと開け、客車の中へと入っていった。


私が客車の中を歩くと、その床はギシギシと

音を鳴らした。こげ茶色の木材でできたその床は、

かなり年季が入っている。側面に備わっている

椅子たちも、長い間ここにいることが見て分かる。

乗客は私含め数人程度。


私は客車の中を移動し、蒸気機関車に最も近い

客車へ移った。まもなく蒸気機関車は汽笛を鳴らし、

煙を上げながらゆっくりと進んでいった。

車輪がレールの上を走るゴトゴトという音が

客車内に響き渡った。私は客車の窓から

身を乗り出して外を見た。外の雄大な景色が

こちらの姿をのぞいている。

遠くにそびえたつ山の風景はまさに圧巻であった。

ふと後ろの景色を見ると、さっきまでいた駅舎が

小さく見えた。こぢんまりとしたその駅舎は、

私を見送るようにしぼんでいき、やがて

見えなくなった。


さっきまでいた駅舎も、駅舎にたどりつくまでの

道とその間にあった町も見えなくなるまで

遠くに行った。そして景色が移ろい、深い緑に

包まれた森が姿を現した。私は持ってきたカメラを

手に構え、外の風景めがけてシャッターを切った。

心地良い風が窓から吹き抜ける。

動輪がせわしなく回転し、車体は振動する。

この感覚は、蒸気機関車ならではのものだろう。


しばらくしたころ、ほかの乗客の会話を

私は小耳にした。


「この蒸気機関車、もうすぐなくなるらしいよ。」


やはりか。私は深いため息をついた。


この蒸気機関車は、もう長くは走れない。


私は数年にわたってこの蒸気機関車に乗っている。

さらに言えば、私はこの蒸気機関車がここに来る前、

あの駅舎がある村から少し離れた町で

生き生きと走っていたころの、この蒸気機関車にも

乗ったことがある。だから私にはわかる。

この蒸気機関車の線路の枕木が少し

痛みかかっていることも、少し前から気付いていた。

乗客が少なく、収益を線路修理にあてることが厳しく

なり始めているのだろう。また、最近蒸気機関車は

やけに走るのが遅くなった。おそらく蒸気機関車の

方にも限界が近づいているのかもしれない。


私は再び窓から外を見た。

山間部にぽっかりとあいたトンネルが近づいている

ことに気づき、私は窓を閉めた。

やがてまもなく蒸気機関車はトンネルへと

入っていき、周囲の雄大な景色を一望できる車窓は

一転して、黒一色のコンクリート製の壁を映し出した。

このトンネルは抜けるまでにかなり時間がかかる。

私はそんなことを考えながら、近くにある座席に

座ってゆったり時間を過ごすことにした。


「おじちゃん」

そう呼びかけられたのはいつ頃だろうか。

私は目を覚ました。まだ蒸気機関車はトンネルの中を

走っていた。ふと自分の目の前を見ると、

そこには昔ながらの学生服を着た小さい子供がいた。

「おじちゃんいつも乗ってる。この列車に。」

カタコトな喋りで私に話しかけてくる。

私が良くこの列車に乗っているのを知っていると

なると、この子は地元の子供だろうか。

「うん。私は蒸気機関車が大好きなんでね。」

私は優しくこう答えた。子供は好奇心旺盛な

まなざしでこっちを見てくる。

「なんで好きになったの?」

その子供は私にそう話しかけてきた。

私はその問いに答えるのに、少し時間を要した。

いつごろだったのだろうか。

私は中学生くらいの時にはすでに蒸気機関車が

好きだった。しかしその理由がわからない。

私は頭の隅々を探した。その子供は笑みを浮かべ

ながら、私をじぃっと見た。


その時、私は思い出した。

断片的ではあるが、私が蒸気機関車を

好きになった理由を。


私の子供時代は大変貧しかった。

ご飯をたらふく食べることなどあまりできなかった。

そのため私はやせていた。今もやせ型ではあるが、

その時は特に。そんなとき、私はしばらくの間

祖父の家で過ごすことになった。祖父の家のほうが

ご飯をいっぱい食べられるから。そう両親に言われた。

確かに祖父の家は農業をやっていたので、食べ物を

ある程度確保できる状態にはあった。が、そのとき

私は修羅の道を歩くことになるなど考えも

しなかった。その旅路は一人で行くように。そう親に

言われたのだ。私は当然びっくりしたし、親に

泣きついた。が、男なら泣くんじゃないと

厳しく𠮟責され、私は仕方なくその修羅の道を

歩むことになった。


一人寂しく、私は蒸気機関車に乗った。

その時蒸気機関車からあがった煙が悪魔のように

見えた記憶が、私の頭の片隅に焼き付いていた。


おぼつかない足取りで私は座席に座り、細い足を

ぶらんぶらんとさせていると、私の前に

無精ひげを生やした車掌さんらしき人が現れた。

「坊や一人?」

車掌さんは私にそう言った。

私は頷く。

「一人ではるばるすごいねぇ。」

車掌さんはそう言った。

そして自分のポケットから何かを取り出し、

私に手渡した。

「これは君に。食べ終わった後も

その空袋は持ってなさい。それがお守りになるから。」

車掌さんは私にそう言った。私に手渡したのは、

リンゴの模様が描かれた飴一個であった。

「じゃあね。がんばって。」

そう言って車掌さんはその場を去っていった。

私は飴を小さい子袋からだし、口に入れて舐めた。

袋は自分のポケットに入れ、言われた通りお守り

として捨てなかった。その後私は自力で祖父の家に

たどりついた。祖父は私の苦労を痛く分かってくれた。

しかし、あの時私に車掌さんが飴を手渡さなければ、

私は孤独という死神にやられてしまっただろう。


その時、私は思ったのだ。

身近に寄り添える、そんな存在になりたい。

あの車掌さんみたいな人に。


こうして私は列車に従事する人間を目指し、

同時に蒸気機関車というものにあこがれを

抱くようになったのだ。


そのあと、私は路面電車の運転手になり、

蒸気機関車に携わることがかなわないうちに

蒸気機関車は時代から姿を消してしまった。

やがて路面電車も消えかかってしまったが、

地方ではまだ路面電車は人々の足として

走り続けていたので、私は地方で路面電車の

運転に従事していた。無論蒸気機関車のことも

頭から忘れることなく、休日に蒸気機関車に

わざわざ乗りに行ったこともあった。


そして、その人生が今に至るというわけである。


私はそのことを要約してその子供に話した。

その子供は微笑みながら私の話を聞いていた。

「無精ひげの車掌さんにもそう伝えておくね。」

その子供はそう言った。私はその言葉に少し

驚いた。なぜ知っているのか。なぜ。

「ぼくね。この汽車なの。おじちゃんが

ちっちゃいころ、やせ細って椅子に座ってる

姿も見たよ。当然ぼくのことなんて知らない

だろうし、汽車についてもなんも知らない。

でも、そんなおじちゃんがぼくのもとに何度も

来た。何かの縁としか思えなかった。運命かも。

だからおじちゃんを乗せてもうちょっと

走りたかった。でもぼくはもう無理みたい。

機関士さんが言ってた。ぼくはこのあと博物館に

いくって。長らく走ってきたけど、もう終わり。」

子供はそう言った。これは蒸気機関車・・・いや、

彼の言葉を借りれば汽車、それが見せている幻想か、

はたまた夢か。それはわからない。

「ぼくおじちゃんに言いたいの。ぼくのこと、

忘れないでくれる?」

私は頷いた。自然と私の目からは涙が落ちていた。

「ありがとう。ぼくうれしい。忘れないよ。ぼくも

おじちゃんのこと。」

その子供がそう言ったのと同時くらいに、

汽車はトンネルを抜けた。まばゆい光が客車に

さしてきた。私が気づいた時には、その子供は

いなくなっていた。私は涙をぬぐい、

再び窓を開け、外の景色を眺めた。

汽車は汽笛を鳴らした。いよいよ終点に

近くなってきたのだろう。


汽車は終着駅についた。私は汽車から降りた。

この汽車はもう走ることはないのだろう。

だが、私はこの汽車のことを、いつまでも忘れないと

心に誓った。もしかすれば、これを文学にして、

後世に伝えるのもいいかもしれない。私はそう思った。

それが、汽車の夢をかなえる一番の方法だと。


ふと近くを見ると、小さな少年が駅のホームに

立っていた。私は話しかけた。

「どこかへ行くのかい?」

「うん。この後バスに乗って遠くに。

おばあちゃんの家にいくんだ。」

その子供はそう言った。

「そうかい。じゃあこれ。」

私は少年に小さなチョコレート菓子をひと箱、

少年に手渡した。

「その箱は大事に取っておきなさい。

それが君のお守りだ。」

少年は嬉しそうに頷き、駅を出た。


終着駅の眺めは、いつも見ているものと少し

違うような気がした。より一層、深く美しい

風景であった。


私は汽車に別れを告げ、

希望と勇気を胸に私は駅を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

汽車の夢 FUDENOJO @monokaki-gamer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る