第17話 君は私の……?

 しかしあかねはとっさに、その男性に声をかけていた。愛想の良い顔は崩していないが、言葉が聞こえていたことははっきりと伝える。男性はやがて動きを止め、嫌そうな顔ではあるが振り返ってくれた。


「……なんですか?」

「先ほど、『和菓子』にがっかりされている様子でした。和菓子メーカーとしては気になりますので、何故そう思われたのか聞かせていただけませんか?」


 気付かれたのが想定外だったのだろう。追求されてしまった男性は眉を寄せ、眉間に深い皺を刻む。迷った末に彼は口を開いた。


「見た目はあんなに愛らしくできるのに、味はなんとかならないのかね。ネチャネチャしたひたすら甘いだけの豆のペーストが入っているなんて、単なる拷問だ」

「まあ」


 ここまで辛辣に言われるとかえって清々しい気がして、茜はひきつっていた頬をゆるめて笑った。その姿を見て、男性もとげとげしい雰囲気を和らげる。


「さっきの言葉は失礼でした。あくまで私の経験ですし、あなたたちの菓子を食べた経験があるわけではないので……でも、どうしても抵抗感がね」

「言わんとされることは分かります。お菓子の質にもばらつきがあるのは事実ですし、慣れていないものをすぐに好きになるのは珍しいでしょう。でも、厚かましいのを承知でお願いしますが、一度私たちの菓子を食べてみてください。きっと違いがお分かりになると思います」


 茜の端的な物言いが良かったのか、男性は肩をすくめた。


「大した自信ですね。まずかったら残しても構わないですか?」

「ええ、どうぞ」


 茜は言って、水牡丹の入った器を差し出す。柔らかな曲線を描く透明な器は、さすがに配布することを考えてプラスチック製のものだった。しかし下を氷で冷やしてあるので、菓子はベストな温度で食べてもらえるはずだ。


 ──これで敗れたら、最初から出直すしかないということだ。茜は運を天に任せ、結果を見守ることにした。


「では、ありがたくいただきます」


 男性はためらいつつも、言われるままに水牡丹をひと口かじった。


 茜と西園寺さいおんじは、男性にじっと期待のまなざしを向けた。すると、彼の顔が徐々に緩んでいくのが見て取れる。


「これは美味しい! 君みたいな魅力的な女性が手伝っているからかもしれないが」

「お上手ですこと」


 最初は小さな口でちびちび食べていた男性だったが、いつの間にか水牡丹を丸ごと噛み砕いていた。人の反応は案外素直なものだ、と茜は感心する。


「いや、甘ったるくもないし、さわやかで初めての体験だった。和菓子も面白いアレンジができるものだね」

「ショップカードとパンフレットはどうなさいますか?」

「いただくよ。うちはアジアの顧客も多くてね。彼らに提供する用に買わせてもらいたい。そこに連絡先はあるかな?」

「はい。メールとアプリメッセージがあります。お好きな方をどうぞ」


 手放しで褒められ、必要とされると少しくすぐったく感じる。横で聞いている西園寺の白い頬も、わずかに紅潮していた。


「では、またよろしく頼むよ」

「ありがとうございました!」


 去って行く男性に、茜は頭を下げる。顔を上げてみると、西園寺が通路の向こう側に視線を向けていた。


神月こうづきさん、見て下さい」


 じっとこちらを見ていた何名かが、茜たちのブースに向かって近付いてきている。憂鬱な空気が吹き飛び、固い表情だったスタッフたちに笑顔が戻ってきていた。


「サンプルとパンフレット用意して。澄川すみかわさん、対応お願い」

「分かりました!」


 それからは客が途切れなかった。休憩から戻ってきた多治見たじみが目を丸くして戦列に加わった後、誰も休みに行けない状態が続くほど。


一橋ひとつばしさん!」


 クルクルと立ち働いていた茜がようやく足を止めたのは、近寄ってくる中に顔見知りを見つけた時だった。


 一橋は器用に人混みをすり抜けて、茜の隣までやってくる。


「どうしてここに? 食品関係者じゃないと、来られないはずなのに」

「バーのマスターに頼んで一緒につれてきてもらったんだ。あいつ、新しい食材とか好きだからな」


 マスターは真っ先にお酒やつまみのブースに行きたがったので、一橋とは別行動なのだそうだ。


「それにしても大人気じゃないか。あまり話する時間はなさそうだな」


 一橋は和菓子を見たいというより、茜を心配して来てくれたようだ。神月家の件でも恩人だというのに、なんて良い人なのだろうと茜は感動する。


「おかげさまで、ここまで来られました。良かったら、試食も楽しんでいってください。……並びますけど」


 その気遣いがありがたく、茜は素直に感謝の言葉を口にする。


「どうしようかな」

「お菓子なら僕がお持ちしますよ。こちらへどうぞ」


 不意に会話に西園寺が割り込んできた。一瞬、西園寺と一橋の視線が空中でぶつかりあう。


「奴の好意も確定か。美人の周りは騒がしいな……」

「え、何か言いました?」

「……いや、やることができたんでね。お菓子はやっぱり今日はいい。また今度食べさせてくれ」


 何やら腹に一物抱えた様子ながらも、軽く頭を下げて帰っていく一橋をゆっくり見送る時間はなかった。行列が行列を呼び、ブースにさらなる客が来始めていたのだ。


「神月さん、こっちにも試食ください!」


 さっそく最初のヘルプがかかった。早くも出していた水牡丹が足りなくなっている。茜は冷蔵庫からストックを取り出し、スタッフに渡す。正直そこからは、時計を見る余裕すらないほどの混雑だった。




「……ふー、ようやく終わったわね」


 絶対に余るだろうと思っていた試食品を完売させ、輸入品を探している企業からもらった名刺を整理する。すでに週明けにスタッフが会うことになっている企業もあり、ありがたいことに展示会は大成功だった。


「じゃあ、物品は僕らで会社に戻しておきますから」

「助かるわ。みんなに例のあれも、ばっちり用意しておくからって伝えて」


 尽力してくれたスタッフに追加ボーナスを約束して別れ、茜は外に出た。


 だいぶ日没は遅くなったが、それでも太陽は見えなくなっている。かわりに昇ってきた月が、心地よい夜風に運ばれる雲の合間に見えた。


「あ、西園寺くん」


 会場外に並ぶベンチ。その横で、先に出たはずの西園寺が立ちつくしている。しかし茜が声をかけても、西園寺が背中を向けたまま顔を合わせようとしない。


 茜がいぶかって何度か声をかけると、ようやく西園寺が反応した。


「……あ、神月さん」

「何してるのよ。こんなところでぼーっと立って」


 茜に問われて、西園寺は頭をかいた。振り返った表情はいつもより生気がない。


「反省してたんです」

「もうあのことは責めるつもりはないって言ったはずだけど? 早く忘れなさい」


 茜はできるだけ淡々と言ったが、西園寺から返事はない。だから、黙って西園寺を見ていた。相変わらず均整の取れた体だが、少し自信がなさそうに彼の背中が丸まっている。


「……いえ。今日、僕は売り込みに必死になりすぎて、周りの会話をよく聞いてませんでした。それを反省してるんです」


 珍しく西園寺があけすけに言うので、茜は少し眉を上げた。


「僕は時々、夢中になると周りをはらはらさせるところがあって。後から気付いて、怖くなるときもあるんです。だから神月さんがうらやましいなと。あなたはいつも冷静で、やるべきことが分かっている」

「私、そんな出来のいい人間じゃないわよ。外面取り繕ってるだけ」


 言いながら、茜は手を振る。


「そもそも、あなたが大暴走したから和菓子に興味のなかった私を引っ張りこめたんじゃない。あの事件が解決したのだって、熱心に作ってくれたホームページのおかげ。西園寺くんの熱意は長所なんだから、削ったりしたらもったいないってば」

「そんな……」

「相棒なんだから、お互いの短所を補えればそれでいいじゃない」


 茜が言うと、西園寺は何かが胸にこみあげたようにしばし黙った。そしてわずかに顔を強張らせる。


「じゃ、今日の反省はここまでにして。打ち上げでも行く?」


 茜も相棒、という言葉をハッキリ使ったのが気恥ずかしくて、西園寺に笑いかけた。それでも彼の表情は緩まない。


「……あの、言いたいのはそれだけじゃなくて。今日、もう一つ改めて気付いたんですが。邪魔が入らないうちに言ってしまいたいことがあるんです」


 茜は西園寺を見上げる。端正な顔立ちには緊張がみられるものの、その肌は月光に照らされ、本当に白く輝くように見えた。もっと近くで見たいと少しだけ体を寄せ、距離を近づけてみたその時、


「好きです」


 という言葉を茜の耳が捕らえた。


 心臓の鼓動が跳ね上がる。周囲のざわめく木々の音で後ははっきり聞こえなかったが、小さく漏れ聞こえた言葉はまさに、告白ではなかったか。今まで色々な言葉を聞いて舞い上がってきたが、その格別な言葉を聞いたのは初めてだ。夢ではないか、と思い、問い返す。


「さっきの……独り言? よく聞こえなかった。もう一度言ってもらえない?」

「あ、あのですね。僕はっ」

「おーいたいた。いましたよー、武藤むとうさん」


 大きな男性の声が、西園寺の言葉を一気に押し流した。茜と西園寺は、そろって声の方を振り返る。こちらの視線に気付いたのか、連れだって歩く武藤と一橋がそろって手を上げた。


「茜さん、こんばんは。西園寺くんも一緒だったのか」

「こ、こんばんは……」


 さっきまでは手を出されてもいいと思っていたのに、他の人間の姿が見えると一気に現実に引き戻されて恥ずかしくなってくる。その感情をごまかすように、茜は咳払いをした。


「仕事を終えて着いたら、彼が様子を教えてくれてね。いや、大盛況だったみたいで良かったよ」

「そうですね、いい経験になりました……」


 武藤の如才ない笑顔には癒やされるが、正直もう少し遅い方がありがたかった……と茜は素直に喜べなかった。


 そして武藤の横にいる一橋が、なぜか渋い顔をしているのも解せない。


「間に合わなかったか……間に合ったか……どっちだ」


 一橋の言葉の意味も、茜には意味不明だったし。彼が何を気にしているか聞きたかったが、同時にそれは聞いてはいけないような気もした。


「用事がなければ、皆で食事でもどうだい? 展示は成功したようだし、今日はちょっと豪華にいこうじゃないか」


 そんな一橋を全然気にした様子もなく、武藤は呑気に提案してくる。


「あ……そうですね」

「じゃあさっそく行こう。近くの和食を押さえてあるんだ。盛り付けも、お菓子作りの参考になるんじゃないかな」


 普通の話題を振られると、急に冷静になってきた。西園寺も動揺を悟られないよう、肩をすくめて平坦な話し方をしている。


「あのね、西園寺くん。さっきの話だけど」


 武藤の背後で気に病んでいる様子の西園寺に、茜は言った。すると西園寺がそっと茜の肩に手を置く。


「……すみません、また場所を変えて話します」

「え?」

「今はダメですが……いずれ必ず。もっと満足していただける場所を用意します。これでは、あまりに情けない」


 色素の薄い顔を赤くする彼を見て、茜は微笑む。複雑な思いは少しあるが、西園寺がこだわりたいというなら止めはしない。それにもう少し、このままの関係というのも悪くなかった。


「分かった。待ってる」


 茜は笑顔で、西園寺に言った。望む未来が訪れるのは、そう遠くないのだろうと心の中で思いながら。



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魔女と和菓子と年下王子 刀綱一實 @sitina77

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