第13話 反撃の手がかり

「な、内部にって……それは、誰?」

「薬の管理をしてた薬剤師ですよ。専門のスタッフを何人か雇ってるでしょ? その中の一人がばっちりクロでした」


 水沢みずさわは写真をちらつかせた。その写真には、二十代の若い女性が写っている。黒い髪を後ろで一つにまとめ、眼鏡をかけた真面目そうな女性だ。確かに、あかねにも見覚えのある顔だった。


「クロって……具体的には何をしたの?」

「旦那様の薬が紛失したと言って、薬を処方してもらっているんです。その医者はいつもの主治医ではなく、出先のクリニック。しかも、クリニックに確認したら、通常量より倍入った錠剤が処方されてました。どうやら、お薬手帳の記載を書き換えてしれっと提出したみたいですね」


 そうやって手に入れた薬を、どうやってか徳三とくぞうに飲ませたということだ。徳三は身内には甘いところがあったから、差し出された薬に疑問を抱かず飲んだのでは、と茜は思う。


「……念のため聞くけど、本当に薬が紛失した可能性は?」

「ないですね。その日掃除をしたメイドが、ちゃんと薬が戸棚にあったことを見ているんですよ。あるのにないと言って、意図的に受診したのは間違いないでしょう」

「短期間でよくそこまで」


 茜が思わずつぶやくと、水沢は低く笑った。


「さほどの手間はかかってませんよ。企業や政治家さんとこのガードに比べたら、隙が多すぎる。それに、俺を御曹司と勘違いして近付いてきた女たちが、よくしゃべってくれましたからね」

「でも、どうしてそんなこと……」


 茜が問うと、水沢は懐から何枚も写真を取りだした。そこには若い男女が映っている。女の方は頬を赤く染めて、いかにも軽薄そうな男にしなだれかかっている。その表情と佇まいは、下品としか言いようがなかった。


「これは?」

「ホストクラブで隠し撮りしました。その薬剤師、最近すっかり特定のホストに入れあげてて、金が必要だったみたいですよ」

「お給金はちゃんと支払っています」


 専門職スタッフには、通常のOLよりだいぶ割のいい月給が支給されている。そのことを茜が指摘すると、水沢は鼻で笑った。


「ホストの支払いは派手ですからね。一度に数百万飛ばすこともあったって聞いてます。もう首までずっぽりはまってますよ」

「数百万!?」


 それが一般的な使用人に扱える額でないことは、茜にも容易に分かった。そんな状態で金を提示されたら、飛びつく可能性は十分にある。


「お金に困っているなら、相談してくれれば……」

「まー、言えないでしょうねえ。このお屋敷で働いててホスト狂いなんです、とは流石に。首になりますよ」


 笑い含みで水沢は言った。


「でも、それでも裏の誰かと接触する機会なんて……」


 茜はうなだれながら言った。そんなはずはない、とどこかで思いたかったのだ。


「知らないでしょうけど、ホストにどハマりした女って風俗に流れるんですよ。昼の仕事じゃ、普通の人間にそこまで払えませんから。そういうお嬢さんには見えないとこで、取引があったんじゃないですか。さすがにその裏をとる時間はありませんでしたけどね」


 水沢はにべもない。茜は写真を床にたたきつけたくなったが、かろうじて我慢した。実情を把握した今、やらなければならないことができた。


「彼女は今、どこに?」

「お嬢様ー、殺気立ってますよ。んな顔で会いに行ったら、お前の尻尾をつかみましたって言ってるようなモンです。相手はすぐに連絡つかないところに逃げるか、親玉に助けを求めちゃいますよ。ぶつかりゃ問題はすぐに解決すると思うのは、お嬢さんの悪いクセだ」

「……悔しいけど、あなたが正しいようね」


 茜は一旦手で顔を覆い、水沢の言葉を飲みこむ。水沢は茜が漏らした言葉を聞いて満足そうに笑った。


「必ず尻尾はつかみますよ。お嬢さんは安心して、僕に任せてりゃ万事解決です」


 うなだれた茜をよそに、水沢は意気揚々と部屋から出て行った。




 今年は五月にしては高温で、早くもじりじりと夏が近付いてくる気配を感じる。茜は休みの日に、一橋ひとつばしと合流すべくホテルのカジュアルレストランへ足を運んだ。季節の変わりを敏感に感じ取っている内装係は、照明を銀色の涼しげなものに変更している。窓から見る緑の庭は、いっそうその鮮やかな色を濃くしていた。


 そこに客としてやってきた一橋は、茜を見て開口一番こう言った。


「……苦労してるんだね」

「そんなにぐったりして見えますか?」

「姿勢は綺麗だけどね。苦虫を噛みつぶす、って顔のお手本みたいだよ。陸斗りくとも疲れてたが、君の負担も大きいね」


 今のところ、一橋が持ってきた情報にわかりやすい朗報はなかった。ただ、水沢が明らかに裏切るような素振りはない。


「彼の方から何か追加の情報は?」

「色々と。不本意だけど、彼の調べたことは事実だと思います」


 近寄るのも嫌な男に接触した甲斐は、確かにあった。


 その薬剤師はすぐに見つかったが、千春ちはるにつながっているという証拠は欠片もなかった。彼女に計画を持ちかけた男の風体は分かったが、それ以降の消息や関係者に繋がる道は完全に絶えていた。


「今はさらにそれを手繰る作業の真っ最中なんですって。そんな調子のいいことを言って、逃げ出さなければいいのですけど」

「そんなに生やさしい男には見えなかったけど──とにかく、しばらく泳がせてみないことにはね。もしかしたらもう向こうの息がかかっていて、雇い主の下へ戻ろうとするかもしれないし」


 一橋の言う通りだった。茜はため息をついて、メニューを手にとる。


「ちょっとお腹が空いちゃったので、何か頼んでいいですか?」

「いいことだね。腹が減っては戦はできぬ。ここのクラブハウスサンドイッチは、なかなかいけるよ」


 茜が一橋のおすすめを注文してみると、想像より遥かに大きなサンドイッチが届いた。ベーコン、トマト、卵、レタスがふんだんに挟まっていて、食べる前から香ばしい匂いが漂ってくる。


 空腹だった茜は、さっそくそれにかぶりついた。夢中で半分ほど食べ進めたところで、一橋の視線が自分に注がれていることに気付く。


「す、すみません。はしたない真似でした」

「いいよいいよ。俺、いっぱい食べる女子の方が好きなんだよね。逆にせっかく頼んだものを、ちょっとしか食べてくれないとテンション下がっちゃうんだ。どうせならワインも頼もうか?」


 一橋は気を遣って、茜が好きそうな銘柄を色々注文してくれた。茜は久しぶりに楽しい食事の時間を過ごし、気付いた時には夜になっていた。


「いけない、もうすぐ迎えが来ます。今日はありがとうございました」


 あわてて立ち上がる茜に、一橋はついてきてくれた。いいといったのに支払いまでもってくれ、茜は困ってしまう。陸斗を通じてお返しをするつもりで、とりあえず今日のところは何も言わなかった。


 ホテルの外は暗くなっていた。道の向こう、車のヘッドライトの光が深い紺色の夜ににじんで溶けている。通勤ラッシュの最盛期は過ぎたらしく、家路を急ぐ人たちがぽつぽつと道を歩いていた。彼らの残す影を踏みながら、茜たちも道を歩く。


「茜さんは明日も仕事?」

「そうなんです。父がやっていた細かい決済がたまってしまってて」

「俺は休みだから、少し遠くまで行ってみようと思ってるんだ。何か分かったら連絡するから」


 そんな他愛ない会話を交わしていると、丸い光が二つ、突然こちらに向かって近付いてきた。


 見覚えのある車体の形が近付いてきて、明るさで目がくらんだ次の瞬間、勢いよく車が歩道に乗り上げてきた。


 反射的に茜は身を道の隅へ寄せる。一橋の体に縋るような形になって、ようやく転倒を免れた。差し入った光が、茜の体すれすれを通り抜けていく。


 爆音とともに悲鳴があがった。車は標識に当たってもそのまま突き進み、赤信号になった道を強引に渡って夜の闇の中に消えていく。


 車が激突した安全標識が地に突っ伏しているのを見て、起こったことをようやく脳が理解した。轢かれるところだった。一橋が一緒に歩いていなければ、殺されていたかもしれない。吐きそうになるほど気分が悪くなり、茜は必死に呼吸を繰り返した。


「いったい何なんだ、あの車……」


 一橋が忌々しげに言う。茜はその声を聞き、腰や腹回り、胸まで温かいことに気付いた。


 さらなる現状認識が進む。抱きとめられていることに気付いた茜は赤面した。さらに一橋は、子供にするように茜の背中を撫でている。


「もう落ち着いた?」

「……少し」


 茜が言うと、一橋は器用に片手を使って茜と自分を元の体勢に戻した。


「あ、あの、ありがとうございます」


 茜の足下はまだふらふらと落ち着かなかった。それでもしどろもどろになりながら、救ってくれた礼を言う。


 一橋はしばらくそんな茜をじっと見ていたが、不意に口を開いた。


「……まずいな。これ以上俺の気持ちが進んだら、陸斗に殺される」


 一橋が少し居心地の悪そうな顔をして、そう言った。茜は眉をひそめた彼の顔を、まじまじと見つめる。


「え?」

「なんでもない。ただの独り言だよ」


 一橋は何かをごまかすように、急に周囲を見回しはじめた。誰かが呼んでくれたのか、向こうから小走りに警察官が駆けてくる。たくさんの野次馬が集まってきて、無遠慮にカメラを向けていた。


 結局、茜たちは被害状況の報告のため、しばらく拘束された。不本意ではあったが、他に怪我をした人はいない、建物の被害も最小限と聞いてとりあえずほっとする。連絡先を警察官に知らせると、もう帰って良いと言われた。


 その後危険だからと、一橋は迎えの車が来る場所まで送ってくれた。そしてさっきあったことを、運転手に報告する。


「周囲の様子をよく見ていてくれ。さすがに今日二回襲ってくることはないと思うが、変な車がつけてくるかもしれない」

「かしこまりました。一橋様、本当にありがとうございます」


 運転手は感じ入った様子でうなずいた。


「一橋さんも帰り、気をつけて」

「ああ。また何かあったら連絡するよ」


 一橋は別れを惜しんでいる様子だったが、思い直したように背を向けると、そこからは一度も振り向かなかった。


 しばらく車の走行音に耳を傾けてから、茜はつぶやく。


「全く、休む暇もないわ……」


 確かに怖かったが、今日のことで確実に分かることがある。あの車はどう見ても茜を狙っていた。


 それなら、向こうも怯えているということになる。茜が歯牙にもかからない存在なら、わざわざ乱暴な手を使う必要はない。忌まわしいとはいえ、相手もただの人間なのだ。


 水沢が周辺をかぎ回ったことを鬱陶しく思っているのか、一橋の何かがひっかかったのか。それは分からないが、とりあえず手がかりを得ることができた。




 身内の不幸で動けない茜を見守ることしかできないと分かっている西園寺さいおんじは、メッセージをよこしてくることもほとんどなくなった。それでも動向が気になっているのか、時折和菓子関連の通知だけは送ってきてくれる。その変わりのない通知だけが、茜に日常を思い出させてくれた。


 今日は、メッセージにURLが添えられている。作ると言っていた、ホームページがついに完成したそうだ。


 そのURLに触れてみると、苦も無くトップページに出た。趣味の良い落ち着いた和柄が配置され、その中に金箔で彩られた練り切りの写真が配置されている。写真は一定時間で他のものにスクロールするようになっていて、しばらく見ていると高峯が作った菓子も出てくる。


 茜は「製品紹介」のページに飛んでみた。トップページに掲載されていたものに加え、日本人向けに季節の水菓子も登場していた。赤い漉し餡を葛で包んだ「水牡丹」、実の形をかたどった「青梅」、そして琥珀糖に似た外見の「青苔」……透明感があって、見た目にもさわやかな素材が多く使われている。


「和菓子って本当に、季節のモチーフを大事にするのね」


 茜のそのつぶやきを裏付けるように、日本の四季に応じた花や紋様の紹介されていた。梅に桜、扇に唐草、麻の葉に流水……シンプルだが洗練された図柄が並ぶページは目に楽しい。見る人に喜んでもらおうという、西園寺の気遣いが感じられる場所だった。


 いいホームページだ、と西園寺に伝えよう。会うことが出来たら、さりげなく千春の動向を聞いてみるのもいいかもしれない。


 そう思って茜が再度ページに目を落とすと、特徴的な図柄が目に入った。


「これって……あの女の着物の柄じゃない」


 嫌なもの見ちゃった、と茜はあわててページを閉じようとした。しかしその指の勢いは、途中で止まる。何かが頭の中で引っかかり、茜に警告を発しているようだった。


「ちょっと待って?」


 直感に従い、茜は記憶を絞り出すように首を振った。できるだけ着物の柄を正確に思い出すよう努める。


 そうだ。小さかったが、確かに動物もいた。あれはなんだったか、確か頭が特徴的だった。茜は頭の中のカメラを千春の側へ近づけていくように、記憶を手繰る。


「そうだ、鹿だった!」


 茜の頭の中で、あの時の千春の姿がより鮮明になっていく。思い出せば思い出すほど、心の中の違和感は強くなっていった。


 おかしい。そぐわない。ちぐはぐだ。


「もしかしてこれは……そういうことだったの?」


 飲んでいたお茶の味が戻ってきたように感じる。今まで疑ったことのなかった前提が、崩れていくようだった。後はこれを証明できれば、神月こうづき家に降りかかってきた厄をひっくり返せるかもしれない。


「でも、どうやって……?」


 茜は体を腕で抱きながら考えた。そして、最大限己を使うしかないという結論に達する。……簡単にはいかないし、必ず勝てるとは限らないが、やってみないと始まらない。


 そう決めた茜は蒲田かわたを呼び寄せ、困惑する彼に向かって高らかにこう知らせた。


「私、西園寺くんに結婚を申し込みに行くわ!」

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