映画監督

 父の影響でハリウッド映画を観ることが多かった。物語には書き手がいることを知ってから少し経った小学一年生の時。両親と一緒に『スターウォーズ エピソード1』を観に行った。

 それまでも『ダイ・ハード』シリーズを見ていた影響でブルース・ウィリスが大好きで、彼が主演の『アルマゲドン』を観に行ったこともあった。小学一年生らしくないチョイスの映画を観ていて僕は思った。映画監督になりたい。

 父と母に連れられて入ったイタリアンレストランでそう宣言したのを覚えている。将来の夢ができた。映画監督になりたい。

 ただ、その夢は翌年には潰える。

 映画を撮るにはたくさんの人手が必要だということを学んだのだ。

 その頃、僕は生まれて初めての転校をして、大阪から広島県広島市に引っ越すことになった。誰もが積極的な大阪の人たちと違って広島の人は新しいものとは少し距離を置く人たちだった。この転校を通じて、僕は人と関係を結ぶことの難しさを知り、同時に「人と付き合うのは面倒くさい」と小学二年生にしては妙に達観した感情を抱くようになった。幼稚園の頃にアゲハ蝶を幼虫から飼育したことがあったのだが、あの発育段階の蛹になりたいと思っていた。誰とも接することなく、自分の殻の中、ただじっとしている……。

 そんな風に内向的になった僕にとって、映画監督は少し明る過ぎた。ただ物語フィクションを作りたいという衝動だけはあって、どうしても抑えきれなかった。そんな中、『週刊ストーリーランド』というテレビ番組があった。

 確か「何を捨ててもいっぱいにならないゴミ箱」の話だったと思う。

 当時この話にいたく感動した僕は父にこのストーリーを話した。面白かったと。すると父はつぶやいた。

「『おーい、でてこーい』みたいだな」

 これが僕と星新一との出会いだった。

『おーい、でてこーい』が収録されている『ボッコちゃん』という本を父が買ってくれた。夢中になって読んだ。特にその中の『追い越し』という話が最高に気に入った。伏線の妙。感動的ですらあった。

 それに香川県にいる友達の家に行った時、夜中に見た『世にも奇妙な物語』も刺激になった。『トカゲのしっぽ』みたいなタイトルだったと思うのだが、片手を失ったピアニストがトカゲのしっぽの再生技術を応用して片手を再生し、またピアニストとして活動するという話。オチはまぁ、想像がつくだろうが、僕はこの作品がひどく気に入った。昔から逆転の発想に弱かったのかもしれない。

 そんなこんなで創作意欲が限界まで高まっていた僕に転機が訪れた。

 小学五年生。林間学校でキャンプファイヤーがあった。そのキャンプファイヤーで「劇をしよう」と女子が言い出した。台本が要る。そして物語を書きたい僕だ。取り合わせが良かった。僕は脚本担当に立候補した。

 基本的にセリフとナレーションを書いていくだけだったので、小説とは言えない。だが生まれて初めて書いた物語フィクションだった。出来上がった劇は意外と評判が良かった。『番長皿屋敷』を現代風にリメイクした作品だったのだが、先生から高く評価された上に児童たちも気に入ってくれたので、一時期僕は学年で有名人だった。そんな僕に、隣のクラスの担任がある作家を紹介してくれた。

 阿刀田高という作家で、この人もショートショートの名手だった。多分父が本を持っているな。そう思った僕は父の書斎を漁って『ギリシャ神話を知っていますか』を読んだ。面白かった。

 この頃から、僕は漠然と思っていた。

 小説家になりたい。

 そんな僕が人生で初めて小説を書くのは中学二年生の時だった。

 ただその前に、僕は出会う。

 金田一耕助と、古畑任三郎に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る