第5話

「おまたせしました」

「え、あ、はい!」


 店長の声で現実に戻った木乃香の前に、豚肉とこんもり盛られた千切りキャベツが載った皿と飯碗が置かれた。

(これが、豚肉のレモン塩だれ……)

 文字だけでそそられたアレである。

 豚肉からは、甘辛く焼いた香ばしい匂いだけでなく、レモンの爽やかな香りも漂ってくる。

(こってりと爽やかの二重奏だ)

 木乃香はごくりと唾をのむ。

 よく見ると、豚肉にはぱらりと白ごまが振られ、細く切られた長ネギが絡んでいた。

 長ネギはいい具合にとろっと溶けている。

(あぁ、たまらない)

 じたばたしたくなるほど、罪なビジュアルだ。

 飯碗の白米は、ぴかぴかのつやつや。

 そのかすかな香ばしさに、木乃香はピンときた。

「土鍋で炊いたご飯ですか?」

「わかりますか?」

「わたしの家、おにぎり屋だったんです」

 亡くなったおばばさまの家業は、おにぎり屋だったのだ。

「……だった、とは?」

「店主だった母がなくなり、店を閉めたので」


「おばばのおにぎり」の名前で、主に道の駅で販売していた。

 梅干しにおかかに鮭。

 おにぎりのトップスリーともいえる定番はもちろん、鳥そぼろや牛肉のしぐれ煮といったおかず系もあとを引くおいしさだった。

 食べた人たちはみんな笑顔になった。

 それが嬉しいとおばばさまは言っていた。

 おばばさまは、土鍋ご飯にこだわった。

 そのため、注文が多い日は、一日中ご飯を炊いていた。

 夢のような話だと自覚はあるが、木乃香はいつかおばばさまのようなおにぎり屋を開きたいと、密かに野望を抱いているのだ。


 木乃香はテーブルに載った料理に手を合わせる。

「いただきます」

 まずは、豚肉だ。

 一切れまんま、パクリと口に入れた。

「……!」

 複雑な味がする。

 豚肉のレモン塩だれは、「今日の一品」とメニューに書かれていたけれど、一品ではなく絶品である。

 しかし、レモン塩だれ。

 こんなおしゃれな味付けを、木乃香は初めて食べた。

 レモンの酸味が疲れた体に心地よい。

「もう、やだ。おいし……」

 空っぽの胃に食べ物が落ちていくと、体中が温まってきた。

 体が温まると、なんだか幸せな気持ちにもなって。

「うっ……」

 隣に座る花が、木乃香の顔を覗き込んできた。

「木乃香ちゃん、お腹痛い?」

「ごねんね、違うの。お料理がおいしくて感動してるの。花奈ちゃんもお肉食べる?」

 花奈が素直に口を開けたので、木乃香はそこに豚肉を入れた。

「ん――。なんか、すっぱいね」

「花奈ちゃん、いい味覚してるね。このお肉は、おしゃれなレモン味なのよ」

 レモンと聞くと花奈は顔を顰めた。

「レモンのお肉より、ちゅるちゅるのお肉の方がおいしいよ。木乃香ちゃん、あーんして」

 今度は木乃香が口を開けると、真剣な顔をしながら花奈が木乃香の口に鶏肉を入れてきた。

「! つるんとしてる」

「うん。つるんしてるの」

「あぁ、どうやったらこんなにおいしく……」


 もう、ダメ。

 このお店、大好きだ。

 店長ごと乗っ取りたい。


「この鶏肉は、そぎ切りしたあと、軽く小麦粉をまぶしています」

「あっ、そうなんですね。小麦粉を……」

 今しがた乗っ取りたいなどと邪な考えを抱いた相手からの、親切な説明にやや焦る。

「あの、作り方をそんなに簡単に教えてもいいんですか?」

 木乃香が恐る恐る尋ねると、店長が笑った。

「特別なことじゃないですし。それに、今なら本だけでなくインターネットでもいくらでも調べることができますからね。そんなに情報が溢れていても、自分で作るよりもお店で食べたいって方が多いので、こうして商売は成り立っているのです」


 人が作ったものが食べたい。

 確かに、そんな日は、あるものなのだ。


「おうどん、おいしいね」

 花奈が店長にほわっと笑う。

「ありがとうございます。お客様の笑顔は作り手にとって至福の喜びです」

 花奈は店長の言葉の意味などわからないだろうに、さらにほわほわと笑った。

 その笑顔を見て、木乃香は急に不安になった。


(わたし一人で花奈のこの笑顔を守れる?)

 知らない街の知らない店で、ぽつんと二人で晩御飯。


「お客様、大丈夫ですか?」

「木乃香ちゃん、どうしたの?」

 木乃香の顔を、心配そうに店長と花奈が見ていた。

「え、あれ、わたし……どうしたんだろ」


 木乃香の目から、涙がぼたぼたとこぼれる。

 木乃香の異変を察したのか、花奈がぎゅっとしがみついてくる。

 その花奈を、木乃香も抱きしめる。

 幼い花奈を不安にさせてしまう自分が、情けない。


「お客様、肉をもっと焼きましょうか? 肉を食べると幸せになりますよ」

「……に、くぅ?」

 涙でずびずびの声で、木乃香は問う。

「牛や豚の脂肪に含まれるアラキドン酸の一部が、脳内で至福物質と呼ばれるものに変化して、人の心に幸福感をもたらすんです」

「……お肉で幸福、感?」

「そうです。いいですよね。肉を食べると幸せになれるんですよ。口福屋の店名も、まぁ、肉だけじゃないですが、おいしいものを食べて幸せ気分にって意味で、そこから来ているんです……って、すべて前の店主からの受け売りですが」

 そうなんだ。

 肉を食べると幸福に……。

「お肉、もう二枚、焼いてください」

「かしこまりました」

 木乃香にしがみついていた花奈が、顔をパッと上げる。

「木乃香ちゃん、涙、なくなったね」

 花奈のほっとした声に、木乃香は深く反省した。

 そして、花奈を膝に乗せると「ごめんね」と、後ろから抱きしめた。

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純情乙女のあやかし探し 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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