第23話 桜の雨

「うわあぁあぁあぁ〜!」


 そんな情けない声をあげて、ナジャは落下していた。彼女自身、かなりポーズをとって飛び立った自覚があったために、あまりの恥ずかしさに両手で顔をおおっていた。


「天使ーッ!」

「飛んで! 飛んで、天使さん!」


 蒸気機関車の窓からいくつも顔がのぞく。


「もう! あたしからもお願いだよ! ちゃんと飛ばないと、焼いて人間に食べさせるよ! ——うわッ」脅しがきいたのか、ようやく翼が動きはじめる。ハーメニアの翼は、少々厳しく接したほうがいいらしい。


 逆さまになった状態で、ナジャはひとまず安堵のため息をつく。スカートが盛大にめくれあがってしまっていたが、さきほどの羞恥に比べればどうということはなかった。


(それで、爆弾は……)


 ぎこちない羽ばたきで、どうにか浮上していきながら、機関車の下側にまわりこむ。


 すぐに彼女は、うげ、と顔をしかめた。

 忙しなく動きつづける部品のすべてが黒く、立ちこめる煙とあいまって、なにがなにやらさっぱり見通せない。爆弾まで黒だったら、部品の一部のように同化して見えるだろう。そもそも爆弾ってどういう見た目なのだろうかと、いまさらな疑問が湧いて出る。


「爆弾ってどういうのー!」


 声を張り上げてたずねれば、


「赤とか青のコードがあるー!」

「丸くて黒い! 導火線がある!」

「カウントダウンしてる数字がある!」

「カチカチ音が鳴ってる!」


 わらわらと答えが降ってくる。

 しかしよく目を凝らしても、やはり黒が広がっているばかりで、それらしきものは見つからない。しだいにナジャの背中に、焦りがにじみだす。翼はいつまで言うことをきくかわからず、爆弾はいまこの瞬間にも起爆される可能性がある。


 さっさと汽車ごと切除カットしてしまえばいい。どうせ爆弾を見つけたところで、物理的に解除する技術は持っていないのだから——そうわかっていながら、ためらいが邪魔をする。


(……いっそ、ネクの言ったように、あの紙切れさえもフェイクって考えられない?)


 ドードリは、調子に乗る兄にお灸をすえたかった。


(ううん……町長たちを敵にまわしてまでやることじゃないよね。茶番にしたって、あまりにも大掛かりすぎる。それにグレイ——)


 そう、グレイ。

 ナジャは下くちびるをぐっと噛む。


(彼が関わってるのは、たぶん確実。そうじゃなかったら、あたしをあそこで汽車に乗せる必要なんてなかったはずだし……)


 ならばやはり、爆弾はしかけられているのか。そうに違いない、あいつはあたしを殺そうとしている——そう訴える声とは別に、そんなはずはないと主張する声もあった。


 グレイは人を殺すような人間じゃない。

 あんなに感じやすいひとが、どうしてそんかことができるっていうの。他人を切除カットすることだって、止めるようなひとなのに。


切除カット……?)


 はたと、ナジャは眉を寄せる。


(そうだ、グレイは切除カットを毛嫌いしていた。それなのに……こんな状況になったら、あたしがこうして蒸気機関車を切除カットするってわかってるはずなのに、どうして乗せたの?)


 殺すつもりなら、すぐに爆破させるべきだった。ナジャがハーメニアの翼を持っていたことは彼も知っていた。彼女が飛ぶかもしれないと、予測できなかったはずはない。


(……爆弾はしかけられていない)


 そうナジャが気づくところまで、きっと計算済みだった。閉まるドアの窓から見えた、こちらをからかうような笑みを思い出す。


(でも、天使の窓でたしかに爆発は見た。あれはなんだったの? UFOみたいに、幻だったってこと?)


 しかしその技術は、彼の腕時計から放たれる光の照射範囲でしか現れないのだと言っていた。あれほど巨大な幻を出現させるには、腕時計の盤面は小さすぎる。広い範囲に光を放てる大きな装置がなくてはならないが、そんなものが街中にどんとあれば、すぐに誰かに気づかれる。


「あっ」


 ふと、ナジャは悲鳴のような声を漏らした。


「空、空だ!」


 どんよりと曇って、煙と水蒸気に揺らぐ空。ナジャは機関車を離れて、さらに上空、天使とグレイしかのぼることのできない分厚い雲の上までもがくように翼を動かした。


 オルランディアに蓋をする雲を抜け、

 久しぶりに青空をあおぐ。


 もはや隠れようもない、半分に割られたゆで卵のような鉄塊がそこに浮遊していた。


「……グレイがあたしを助けたのは」


 逆さの塔が現れたことで、束の間、晴れてしまった空。住民たちの目が卵に向かないよう、ドラマチックに少女を救出してみせた。わざと、彼女が落ちてくるのを待って。


「あたしの翼を奪ったのは」


 無論、卵に気づかせないためだろう。

 彼のほかに、天使だけがここまでのぼってこられる。邪魔をされたくなかったのだ。


(どうして爆破の幻なんか見せようとしたのか、そこまではわからないけど……)


 いまこうして真実にたどり着くことまで、彼の思惑通りだったに違いない。結局、このまま放置しても本当の爆発は起こらないのだ。なんのために頑張ったのかと、脱力して、呆れ果てて、怒りさえ湧いてくる。だが怒りのままに卵を切除カットしたところで、グレイは痛くもかゆくもないのだろう。

 彼は、ナジャがどういう反応をするのかおもしろがって汽車に乗せただけなのだから。


(怒った)


 ナジャは飛ぶのをやめた。


 翼がもう、言うことをきかなくなっていたというのもある。それを叱咤することを諦めた。重力に従って真っ逆さまに落ちていく。


 目を閉じれば、あらゆる『ぺしゃんこ』が走馬灯のようによぎった。少し、背中が冷える。けれど怒りの熱のほうがまさった。どうにかしてあのいけすかない、性格が悪くてなにを考えているのかさっぱり読めない男を、ぎゃふんと言わせてやらなくては気が済まなかった。そのために多少の恐怖は我慢だ。


 それに、彼女は知っていた。


「っぶな!」


 絶対にグレイが受け止めることを。


 空をなかば落ちたところだった。バイクにまたがったままの彼の両腕は、ナジャで完全にふさがっている。彼女は無防備な手首に巻かれてある腕時計を、かちゃりと外した。


「見てないと思った? 操作方法。あたしがなにも知らないからって甘く見たでしょ」


(ダンガン、キカンシャ、ユキ、——)


 少女の指先が、オルランディアに桜の雨を降らせた。

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