第22話 飛び立つ天使

「グレイ⁉︎」


 とっさにつかんだドアノブは、固く動かない。そのうちに足もとが揺れはじめ、窓に切り取られる景色はグレイごと流れだした。

 プラットホームにいるのは数分と聞いていたが、それよりも随分と早い出発だった。客室に残っていた乗客も、戸惑ったように席から腰を浮かせて、窓の外をうかがっている。


 板張りの通路の向こうに、ネク=ロザリーが見えた。彼も同じタイミングでナジャに気づいたらしく、「天使!」と駆け寄った。


「おまえ、外で誘導してるはずじゃなかったのかよ。どうしてここに入っちまってんだ」

「グレイに押されて」

「は? グレイって、一緒にいたあの記者の男だよな。なんで」

「あわよくば爆発に巻きこんで殺そうとしている……?」

「どういう関係なんだよおまえら……」


 とても簡潔には言いあらわせそうになかったので、ナジャは首を傾げてごまかした。


「つーか、出発もいつもより早かったし、やっぱあの駅長なんかあるな」

「ネク!」


 通路側のドアが開けられて、グラン=ドーシュが現れた。彼はネクごしにナジャを見つけると、ぎょっとしたように目を見ひらく。


「貴殿、どうしてここに……!」

「一緒にいた男に裏切られたんだと」


(裏切られた……)


 どうしてこんなにと思うほど、ナジャはその言葉にショックを受けていた。からだが鉛になったように、意識だけが遠く離れていく。


(ううん……裏切るもなにも、グレイははなから天使を、塔の管理人を心の底から憎んでいたはず。こうするのが当然でしょ……)


「グラン、もしかすっとあの駅長、天使教団とグルになって……」

「まさか……駅長の職も、レイクハーンの名も捨ててまで、彼らと組む理由があるか?」

「さあ。でも、ないとも言いきれねーだろ。こんな急に汽車が出たことといい、さっきのあの態度といい、なんかあるんじゃねーか」

「それは……我も同じように疑問に思って、貴殿を探していたわけではあるが……」


 深刻な顔をして話しこむ町長らの姿に、乗客たちはさらに不安を濃くしてざわめきを広めていく。

 不審物という言葉を耳にしていた者もいた。それは毒物か、爆発物か。乗客の一人が、意を決して町長たちに声をかけようとしたそのときだった。


「助けてくれぇぇええ! 爆発するうう!」


 グランがやってきたほうとは反対側の通路側のドアが、叩きつけるように大きく開けられて、顔じゅうの穴という穴から汁を出したモードリ=レイクハーンが駆け出てきた。


 両腕を伸ばして抱きつこうとするのを、ネクがひらりと避けて、グランが受け止める。


「モードリ=レイクハーン」

「や、やめてくれ、名前を呼ばないでくれ! こんなふうに泣き喚いているのが私だとバレたら、どうしてくれるっ!」

「どうしたんだよモードリ=レイクハーン。さっきはあんなに調子のいいこと言ってたのに」

「わ、私は、裏切られたんだ! あのこざかしい性悪に! 私の劣化のくせに、絶対に許さない! ドードリ!」


 顔の下半分を青ざめさせたまま、上半分を器用に赤くしてモードリは憎々しげに弟の名前を叫んだ。

 人が変わったように全身で怒りをあらわにする大人の男に、ナジャは完全に引いてしまっていた。一方でネクは、慣れたように彼の肩を抱いて顔を寄せ、にこやかにたずねる。


「どういうことだ。吐け」

「ああ……なんで、なんで私がこんなめに」

「その後生大事に手に握ってるもんはなんだ。紙切れか? ——『汽車の下』?」

「そう……信じられない……私は三等車最後尾の座席の下と指示をしたはずだ……それなのにいざ向かってみれば、なんだこれは」


 モードリは手のなかの紙をぺらりと揺らした。そろりとナジャがのぞきこむと、たしかに『汽車の下』と走り書きがしてあった。


「なんだこれは、はこちらの台詞だ。モードリ、いったいこれはどういうことだ。まさか此度の一件はすべて、貴殿と弟君が?」

「いいや、いいや、私はこんなことは指示していない。爆弾だって、それらしい偽物を置いておくよう言ったはずだ。私が華麗に、いい感じに解除をして、皆を天使教団の脅威から救う——それで終わりだったはずなのに」


 ぼろぼろと、それはもうぼろんぼろんとモードリの口から真実がこぼれだしてくる。


「あーもう、あぁ、はい。クッソ、茶番だったってわけか! くだらない兄弟喧嘩に巻きこみやがって。どうせその紙もフェイクだろ」

「ま、待って!」


 怒りのままにモードリの頭をつかんで揺らすネクに、ナジャは慌てて声をあげた。


「でもあたし、天使の窓でほんとうに爆発するのを見てる!」

「……そうだ、以前、G博士の連絡先をきかれたんだった。きっとあいつ、G博士に頼んで本物の爆弾をこしらえたに違いない」

「あン? 害虫の研究者か?」

「違う! G博士はな、知る人ぞ知る闇の研究者だ。表舞台には決して顔を出さないが、金さえ払えば、この世のものとは思えない技術を特許ごと提供してくれる。爆弾を作るなんて、博士にとっては朝飯前だろうさ!」


(……グレイだ)


 確信があった。


(それなら、やっぱりグレイはあたしのこと殺すつもりでここに閉じこめたんだ)


「あたし……行ってくる!」


 腕のなかに、ハーメニアの翼をぎゅっと抱きしめて、ナジャは力強くそう宣言した。


「行ってくる、って」

「汽車の下に爆弾ないか、たしかめてくる。もしあったら、あたしなら——」


 切除カットをすれば、目の前にいる彼らはあとかたもなく消え去ってしまう。

 みっともなく顔を汚したモードリも、彼を取り押さえている町長たちも、いまナジャを映している瞳のすべてが。それがいやだと思ってしまう理由が、彼女にはわからない。


「あたしなら、どうにかできる。たぶん」


 本来、他人の翼を背負うことはない。

 おそるおそる背中にハーメニアの翼をさすと、白い羽はおどろいた馬の尾のように勝手に身震いをした。「よしよし……ごめんね、びっくりしたね……いい子だから、あとちょっとあたしの言うこときいてね……」


 座席に乗り上げて、両腕で窓ガラスを持ち上げる。入りこんできた強風に、白金の髪があおられる。


 煙を細く裂いてきらめく、太陽の光のような輝き。


 晴れた日の雲を思わせる純白の翼。


 すべてを忘れて魅入られた人々の前で、天使の少女は飛び立った。

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