繁華街

第8話 繁華街

 どの建物も間違い探しのように近しい外観だった中心街ナツネグとは反対に、繁華街ソルティアに密集する店々は一つとして似た姿のものがなかった。


 奔放に伸びる煙突、押し合いへし合いする歪な屋根、それらをひとまとめにするように張り巡らされた無数の鉄管。無秩序なはずが、ナジャの目には不思議と繁華街ソルティア全体が一つの巨大な生き物であるかのように映った。


 数歩先もろくに見通せないほどの煙や水蒸気のなか、普通の看板では見つけてさえもらえないために、文字のかたちをした色ガラス管を煌々と光らせることで客を誘っている。


「ここはいつ来ても目がくらむもんだ」


 しきりに目をこするナジャを地面におろして、グレイも数度ゆっくりまばたきした。


「そろそろ列車が駅に着く。ここから先は道が狭くなってるから、歩いて向かおう」

「ちなみに聞くけど、爆発を止める方法は」

「残念だが、俺は君をエスコートすることしか能のないつまらない男だよ。君のほうは」

「ないことはないってかんじ」

「なるほど、もったいぶった言い方をするんだな。さすがは天使サマといったところか」


 ごほん、ナジャは咳払いした。


「はみでてるけど、『天使嫌い』」

「……なんのことだろう」

「べつに取り繕わなくていいよ。話したいように話してくれたほうがやりやすいし」


 グレイは曖昧に笑ってごまかした。

 実際ナジャからすれば、得体の知れなさがいくらか薄らいで、以前より話しやすくなったように感じられた。取り繕いきれないほど天使が嫌いなのか、あえて本音を漏らすことで怯ませようとしたのか、どちらにしても、彼のそんな態度にはむしろ興味さえ抱いた。


(ほかの天使に会ったことがあるのかな。それで、こっぴどくふられていたりして……)


 だとしたらザマアミロだと思うほどには、ナジャはグレイを嫌っていなかった。

 想像したら少し可哀想になってしまったので、ぶんぶんと首をふって思考を散らす。


(……そもそも、なんでこんなに絡んでくるんだろう。嫌いなら嫌いで、ほうっておけばいいのに)


 進んで嫌がらせをしてくるわけでもない。翼は奪われたが、それもナジャをつれまわす手段以上の意味合いはなさそうだった。


 個人的な好き嫌いをおいてでも取材したい熱心な新聞記者という説は——なんとなく職務に忠実なグレイというのがしっくりこない。であればなにかしら企みがあるのか。


 穴をあける勢いでじっと観察するナジャに、グレイは素知らぬ横顔を向けつづけた。


 ワイングラスのかたちを模したガラスの建物手前で、角を曲がって細い路地に入る。

 整列の概念がない建物同士の隙間は、ぐにゃりといびつなS字を描いていた。地べたで仰向けになる赤ら顔の男や、睦み合う男女のあいだを抜けていく途中、前から走ってきたキャスケット帽の少年がグレイにぶつかった。


「うげっ、またこれかよ!」


 キャスケットの下で、少年は舌を出した。

 その手に握られる細い棒の先には、グレイの瞳と同じ、暮れかかる空の色をした不恰好なガラス細工のようなものが刺さっている。


「うまいだろ、べっこう飴」

「ケチ!」

「労働抜きで報酬がもらえるほど、世の中は甘くないってことだ。べっこう飴は甘いけど」

「うっせ」


 毒づきながらも、少年はべっこう飴を大切そうに肩かけのカバンへとしまった。

 そのあとで一度、ちらとナジャを見た。


 子供特有の頬のまるみはなく、薄いまぶたが被せられた緑色の目はいまにもこぼれ落ちそうだった。瞳に鋭さはあったが、ほんの一秒にも満たないあいだ凝視されたまなざしには、少年らしい好奇心がにじんでいた。


 少年が立ち去ったあとも、なんとなく彼の目が脳裡に焼きついているような気がした。


「……いまのって?」

「べっこう飴。嬢ちゃんもいる?」

「いい。あたしは食べ物、必要じゃないし……そうじゃなくて、あの子のこと」

「あぁ、デビットくん。俺の仕事の協力者だよ。手癖は最悪だけど、いつもいい情報を売ってくれるし、あれでいてべっこう飴も気に入ってくれてる。ここらでをしている子供グループのなかじゃ、リーダー格らしいぜ」

「狩り……?」

「いわゆるスリ……って言っても、あんまりピンときてなさそうだな。物盗りをして暮らしてるんだ、あの子たちは。気になるならそのうち旧市街ペルポネの裏通りにでも行ってみるといい。もちろんポケットの中は空にしてな」


 どこからともなくべっこう飴を取り出して、グレイはナジャに差し出した。

 反射的に受け取ってしまって、少女はしぶしぶ、薄いフィルムに閉じこめられた黄昏色を見つめた。そっと鼻を寄せてかいでみる。


(甘い。……舐めたらもっと甘いのかな)


 からだが必要としないだけで、天使のなかには食事を嗜好とする者もいる。


 指先が、そうっとフィルムにかけられた。


「——見よ! あの不気味な逆さの塔を! あれこそ揺るぎない、終末の証だろう!」


 行く先の大通りから響いた大声におどろいて、フィルムは中途半端に破けた。


「無垢な少女に化けた堕天使が、ボンクラ記者とともに地上におりるのをこの目で見た。すでにあの者は堕天使の仲間となったのだ」

「おっと……?」


 じきに路地を出ようというあたりで、グレイが足を止める。


「我々はさんざん言ってきたはずだ! このままエンゼルクリスタルの消費を続ければ、いつか取り返しのつかない事態になると! だというのに町長どもは税金収集で頭がいっぱい。住民たちは便利さに目がくらんで、青空が見えないことにさえ気づかずに、もうもうと煙を立てる蒸気機関車に乗りこむ……」


(青空が見えないのなんて、気づかないわけないのに、なに言ってるんだろうこのひと)


 そろりと建物の影から顔だけのぞかせてたしかめれば、通りの端に、白いシルクハットを被った集団が『オルランディアを救う会』と書かれた横断幕を手に立っていた。皆そろって目もとから下を大きなガスマスクで覆っていて、遠目には区別がつかない。


 彼らの前に足を止めている者はない。『終末』の言葉にギクリとはしたが、どうやらその主張は少数派のようだった。


「なおも君たちは私の言葉を聞かない。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、操られたように駅へと急ぐ。ゆえに我々は、君たちの目を覚ます。——夕刻、あの忌々しき蒸気機関車を爆破する」

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