第2話

 翌日担任の先生に話してみたところ、毎年人が集まらなくて困っていたようで、熱烈に歓迎された。

 とはいえ、友達同士で一緒の施設にしたら喋ってばかりで何もしないという事例が多々あったため、別々のところになってしまったが。


 もともと俺たちも無理だとは考えていたし、仕方ない。

 最寄駅が一緒のところにしてもらっただけでも充分だ。定期で行ける方面に栄えているところがあるし、夏休みの思い出も作りやすいだろう。

 とんとん拍子に話が決まり、事前の挨拶に行き、必要最低限の注意を受けて、迎えたボランティア1日目。


「こんにちは、この前挨拶に来てくれた八城志紋さんですね。覚えてるかな? 職員の加藤美乃梨みのりです」

「こんにちは、加藤さん。貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!」


 元気よく。できるだけ丁寧な言葉で。

 とりあえずその2点だけを意識して挨拶してから、頭を下げる。

 加藤さんが「そんなにかしこまらなくてもいいよ」と優しく声をかけてくれて、さっきの対応は間違っていなかったと内心でガッツポーズをキメる。


 事前に訪問しているとはいえ、初日の初手は過剰なまでにかしこまっていたほうがいい、というのが俺と明野の作戦だった。


「前に説明した通り、八城さんには主にレクリエーションの手伝いをしてもらいます。介護って聞いて最初に思い浮かべる身体介助とか食事介助は、うちではないから安心してね。レクリエーションの2時間を、週4、8月25日まで頑張ってもらいます。とりあえず、元気に話してね」

「はいっ、わかりました!」

「うん、それじゃあ荷物はロッカーにしまって、早速始めようか」


 指示通りそうして、更衣室を出る。元から学校の体操服で来ていたから、特に着替える必要はない。

 加藤さんと階段を上がって、大部屋の前までやってくる。レクリエーションルーム、とわかりやすく書かれてある。


「わたしが紹介するし、優しい人ばっかりだからあんまり緊張しなくて大丈夫だよ。元気に挨拶してくれたらいいから」

「わかりましたっ」

 返事すると、加藤さんはガラッと扉を開ける。


「みなさーん! ボランティアの八城くんです」

 事前に話を通してあったのか、そんな簡単な説明だけで爺さん婆さんは前を向いたり、微笑むなどの歓迎ムードを作ってくれた。


八城志紋しもんです。よろしくお願いしますっ!」

 なるべく大声でハキハキ挨拶すると、「元気やねぇ」「若いねぇ」とちらほら声が上がる。


 この施設は自立度の高い人がほとんどかつ、レクリエーションは自由参加だ。仲のいい人同士で将棋や囲碁を打っている人も多いから、参加者はあまり多くない。今日は10人が参加している。


 だからか『高校生が何の用だ』というような、斜に構えている人はおらず、挨拶もやりやすかった。

 しかしひとりだけ妙な婆さんがいる。


「まあまあシモン、どうしたのよぉ!」


 婆さんはやたらと感激している様子で、俺のほうまで小走り気味に歩いてきて手を握ってきた。

 こういった展開は予想外だったため、俺は「はい、志紋ですが……」としか言えなかった。


 他の人も、何となく顔を曇らせる。何か、普段から問題を起こしている人なのだろうか。

 このおばあさんは親しげに名前を呼んでいるが、俺はこの人のことなんてまったく知らない。もちろん俺の祖母なんてこともなく、そもそも祖母はここから遠く離れた九州に住んでいる。


「八城さん、桜さんとお知り合いですか……?」

 婆さんの様子を受けて、加藤さんが尋ねてくる。

「いいえ……」

「そうですよねぇ……」


 何となく察していたのか、加藤さんはその桜さんと目を合わせて、

「桜さん、このかたはお孫さんではありませんよ。今日からボランティアで1ヶ月間レクリエーションを手伝ってもらう、八城さんです」

 ハキハキと聞き取りやすい声で伝えるが、お婆さんに伝わった様子はない。


「へぇ? シモンじゃないんかい」

 確かに俺はシモンではあるが……。この婆さんの孫もシモンという名前で、混合してしまったのか。


「それにしてもいつぶりやろねぇ、シモン。お父さんは元気かえ」

 さっき指摘されたばかりなのに、すっかり俺を『孫のシモン』と認識してしまったらしい。

「は、はい」

 とりあえず返事すると、婆さんは満面の笑みで「そうかいそうかい! そりゃあよかった!」と、ほとんど叫ぶように言った。


「元気なのが一番や。大きい会社で部長やってんのも嬉しいけどねぇ、疲れてしんどいより元気で無職のほうが嬉しいもんよ」


 それはさすがに言い過ぎではないか、と思ったが、とりあえず俺は「そうなんですねぇ」と頷いた。傾聴が大事だと教わったので。


「もう元気やなくてもええわ。生きてるだけでええのよ。お父さんにも言うといて」

「わかりました」

「何やのさっきから敬語で。そない他人行儀やとばあちゃん寂しいわ」


 対応に困って加藤さんのほうを見る。

 加藤さんが神妙な様子で、小さく「そうしてあげて」と言ったので、その通りに「わかったよ」と返す。

 桜さんが「シモンはええ子やねぇ」とニコニコして、誘導するまま椅子に座ってくれたのでよしとしよう。


「それじゃあ、今日は輪投げゲームをやりましょう!」

 落ち着いたのを見て、加藤さんが端っこに用意していた輪投げセットを中央に持ってくる。


犀川さいかわさんから順にふたつずつ、5周やりますよー!」

 加藤さんがそう言って、犀川というお爺さんにふたつ輪を渡す。その他の人は椅子に座ったまま、雑談をしていたり、犀川さんを応援したりしている。


「犀川さん、頑張ってください!」

 俺も応援すると、犀川さんがウキウキした様子で、

「若い子が見てる前やけん、絶対に外されへんわ」

 とひとつ目の輪を投げようとすると、

「嘘つけ、加藤さんがおるからやろ!」

 とヤジが入り、そのせいか輪は狙いとはまったく異なる方向へ行ってしまった。

 ヤジの内容が中高校生と変わらなくて、笑ってしまいそうになる。


三山みやまのじじいは黙っとれ!」

 仲がいいのか、「お前もじじいやろがい!」と互いに言い合いながら、ふたつ目の輪を投げる。


 これは右端手前の棒に引っ掛かり、犀川さんは1ポイントを獲得した。

 加藤さんが前にあるホワイトボードに、『犀川さん』と書き、正の字の一画目を記入する。老人になっても、1位を目指したいという気持ちは衰えないらしい。

 輪投げの輪を回収し、隣に座っている三山さんに「頑張ってくださいね」と渡す。


「おお、ありがとうなぁシモンくん」

 桜さんがシモンシモンと言っていたのが移ったのか、三山さんも俺を『八城』ではなく『シモン』と呼ぶ。

 親しみを感じてくれている、ということなら嬉しいのだが、人違いという経緯から素直に喜べない。


「うちのシモンはええ子やからねぇ。あんたみたいなじじいにも優しいのよ」

「何がうちのシモンやねん、困っとるやろ。何をどうしたら孫がジジババの遊びに参加することになんねん」


 三山さんから鋭い突っ込みをされようとも、桜さんは笑みを崩さなかった。

 ええ子やからねぇ、と受け流す。いくらいい孫でも、祖母がいる老人ホームのレクリエーションには参加しないと思うが。


 その様子に三山さんも反論を諦めたのか、「やったるで!」と輪投げを始める。

 見事ふたつとも入れてきた三山さんは戻ってきて、


「しかしシモンくんも大変やな。桜の婆さんの、死んだ孫に間違えられるなんて」

「えっ?」


 まさかの発言に驚きつつ、手伝いを止めるわけにはいかないので輪を回収して、今度は桜さんに渡す。

 加藤さんの反応で事実かどうか見たかったところだが、少し離れたところで水分補給の介助をしているところだった。


 肝心の桜さんは、さっきの三山さんの発言が聞こえていなかったのか、「ありがとうねぇ、シモン」とニコニコしている。


「おばあちゃん、ふたつとも入れてくるからねぇ」


 そう言って、確かな足取りで立って歩き、見事ふたつとも輪に入れる桜さん。

 こう見ると『しっかりしている』としか言えないのに、孫の死を忘却している。

 加藤さんの神妙な様子や、桜さんが『シモン』と言ったときの曇った入居者の顔も、納得できる。死んだ孫の亡霊を追いかけているようなものだから。


 ──俺は本当に、『シモン』のフリをしてもよかったのか?


「ばあちゃんすごいやろ。まだまだボケてへんよ」

 そう言って自信満々に胸を張る桜さんに、俺は精一杯の笑顔を向けて「ばあちゃんはすごいなぁ」と返す。


 桜さんは「そうやろ!」と、本当に本当に、幸せそうな表情を浮かべた。

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