復興のためのクラファン

 スマホがあれば、いくらでも強くなれると思っていた。けれど今のわたしは、すごく弱い。電源が入るようになり、友だちだとか彼氏からの鬼ラインに返信することもせず、クラウドファンディングを立ち上げることにした。友だちの間で「クラファン」と呼ばれているそれは、プロジェクトを立ててそのための資金を広くネット上から募るもので、例えばライブハウスを作ったり本を出版したり変なガジェットを拵えたり、プロジェクトに共感してくれた人からお金を貰い成果物を分け与えるという仕組みだ。わたしもいわゆる推しのライブにちょっとしたお金を出したことがあり、貰ったライブTシャツは安っぽくて寝間着にしか使えなかったものの、歯磨きしているとき鏡に映る姿を見て悦に入るぐらい嬉しかった。挙って何故かコメダ好きのネットに聡い友人たちは自分でクラファンを立ち上げることが何度かあり、海外の有名なミュージシャンのライブに遠征してレポートを作るプロジェクトですごく面白そうだったのに見栄えがしないので資金が集まらず泣いた子もいれば、日本一周なんていう有り触れたプロジェクトでも顔が可愛いからか倍ぐらいの資金が集まったけれど「彼氏ができた」と有体な理由で中止し炎上させた子もいた。毎日の集計をゲーム感覚で一喜一憂するのは面白く、気になるプロジェクトの匂いを嗅ぎ付ければ自発的に手伝うことはよくあったので、クラファンにある程度のノウハウはあったものの、いざ自分で立てるのは緊張する。プロジェクト名は「福島で被災したちいさな家族があたらしい生活をはじめるための資金を募集します」。目標金額は多いのか少ないのか「一千万円」に設定した。期限は夏休みの終わりまで。プロジェクトは、達成した場合にのみ資金が貰える「オール・オア・ナッシング」と、不達成であろうと資金が貰える代わりプロジェクトは遂行しないといけない「オール・イン」が選べるが、後者を選択した。プロジェクト終了時点で集まった金額全て、愁香さんと冬馬に渡すつもりで、少額であろうとかれらの生活の足しにはなるだろうが、わたしには「何が何でも一千万集めないといけない」という勝手な義務感がある。そうでなければ、恋を連れて帰ることはできない、と、誰と約束したわけでもないのに、そう信じ込んだ。わたしはインスタのフォロワーは一万人を越えているし、不義理をしてるうちにだいぶ減ってはいたが、今でもありがたいことに推してくれる人は少なくないらしく、初日はなんと五十万円近く集まった。この調子でいけば期間内に達成できるかな、と算数で計算できるほど甘くはなく、二日目は十万円、三日目は二万円、四日目は四千円、と方程式通りの指数関数で減っていく上、インスタのフォロワーも投稿のたび目減りする。恨み言のような長文メッセージもいくつか頂き、中には匿名だけど友だちに心当たりがあるアカウントからの罵詈雑言も混じっていた。これが俗にいう「アンチ」ってやつか。不思議なぐらい腹は立たず、どうあれ勝手なものでしか有り得ないのだ、と開き直る。お金を貰って生活を立て直す、ということ自体、他にも被災してもっと苦しい生活を送ってる方がいるのに、ひどく勝手だし、その上わたしが愁香さんと冬馬の幸せを勝手に慮るのもいい気なものだ。そう思い切れば、やりたいこと、やれそうなこと、やらないといけないことはたくさんあった。クラファンは、募集をかけて終わり、ではない。期間内、プロジェクトの必要性だとか面白さを様々な方法で世間に訴えかけ、興味を持ってもらうことが投資に繋がるのだ。下品なことをいえば「バズる」必要がある。尼崎でも、アメリカでの心臓手術のために数億円を必要とするプロジェクトがあり、JRの駅前で募金もしていたから、わたしも通るたびに気持ち分の小銭を入れていたところ、期限直前になってもお金が全然足りてないので、大丈夫かなあと心配していたら、体を張った炎上系の走りとして有名になったYouTuberが慰問に訪れた件が大手メディアで報道されるやいなや、予定を大きく上回る額が集まったというドラマもあった。残念ながら、その子は渡航前に亡くなってしまったが、道徳の教科書に載ってもいいと思うぐらい感動したエピソードとして覚えていたから、わたしにも似たようなことはできるんじゃないかと、できる限りの手は尽くしてみる。愁香さんの軽自動車を貸りて、こっそりと震災関連の施設を見て回り、そこで得た情報をインスタに貼り、クラファンに促すことを始めたのだ。が、「震災」「津波」とタグ付けしてもいまいち反応が鈍く、ましてや「原発」のことを書けば5chの左翼ウォッチスレに写真ごと貼られ、やっただのやってないだの論点のずれ方に溜息をつきながら誹謗中傷の書き込みを運営に通報すれば、何故か逆に「お互い様なので」と苦言を仄めかされる始末。あの震災から十年以上経ち、まさしく風化なのだ、人々の関心はもうそこにないことを実感する。一方、差別のようなものはまだ残り、一千万円への道程の遠さは、復興への道程の遠さと比例しているのかもしれない、と、わたしはやはり身勝手にも福島の姿を自分に重ねた。

 久々にロッコク堂に行くことにした。福島に来てすぐの頃、愁香さんとふたりで行ったカフェで、オーナーのガッチャンにはそれ以降もお世話になり、震災のことをたくさん教えてもらった。最近は、自分の足で現地を回ることにばかり執心していたのだが、どうにも行き詰まり感があったので、原点に立ち戻ることにしたのだ。

 ドアを開けると、ガッチャンが相変わらず髭もじゃの柔和な表情で暇そうに船を漕いでおり、わたしを見つけると、

「夏美ちゃん、クラファンの調子はどう?」

 と開口一番に尋ねてきた。

 どうしてクラファンを始めたことがバレてるのかな。と、たぶん分かりやすい驚きを顔に貼り付けていたところ、彼は丸メガネの奥の二重まぶたを緩め、

「お母さんから聞いたよ」

 と言った。

 お母さん、ね。血縁はあるわけで、わたしを育ててくれた春子もわたしにとっては友だちみたいなものだから、お母さんは誰かといえば、愁香さんということになるのだろう。もっと頼ってもいいのかもしれない。クラファンの件は、春子にしか言ってない。帰ったら愁香さんにも相談してみようと決めた。

「母と仲が良いんですか?」

 わたしは展示スペースではなく、カフェスペースに入り、カウンター席に腰を下ろす。ハハ、と口に出してみれば、思ったより耳に心地よく馴染む。ガッチャンは頼んでもないのにアイスコーヒーを出してくれた。ミルクとシロップを入れないことも覚えてくれている。

「愁香とはだいぶ長い付き合いだからね。高校のクラスは三年間一緒だったし。今でもよく来てくれて、夏美ちゃんの話もたくさん聞いてたから、君の顔を見れて、推しに会えた、みたいな感覚だったよ。あ、実在したんだ、って」

 コーヒーの香りを楽しんでいると、ガッチャンは冗談っぽく坊主頭を叩いて笑う。愁香さんと比べれば、ガッチャンは一回りぐらい年上に見えたが、そうか、同い年だったのか。まあ愁香さんは年齢よりだいぶ若く見えるし、ガッチャンは失礼だが老け顔だ。愁香さんはあれでいろいろあったのだろうけれど、あんまり苦労してるようには見えないなあ、と考えていたら、ガッチャンが正にそのいろいろの部分を教えてくれた。

 愁香さんが福島に来たのは高校のとき。神戸に暮らす春子とは当時折り合いが悪かったらしく、「神戸から遠いのであれば何処でもいい」と半ば逃げるように福島の高校に越境入学したという。高校でわたしのお父さんと出会ってすぐに付き合い始めたこと。校内でも手を繋いで歩いていたぐらいすごく仲が良かったこと。わたしがお腹の中にいると分かったその日に籍を入れたこと。お父さんは漁師、お母さんは魚市場でアルバイトをしながらの主婦、たまの休日には岸壁で手作りのお弁当を食べたりして、三人のささやかな海沿いの暮らしはすごく幸せそうに見えたこと。三月十一日。津波でお父さんが浚われたとき、愁香さんは泣きもせず、遺体安置所にも行かず、絶対に帰ってくる、と、信じ続けていたこと。冬馬の妊娠を伝えられると、周囲に説得され、わたしを手放すときにようやく泣いたこと。誰よりも熱心に説得し、愁香さんの頬を張ったこともあったのが、春子だったということ。それ以来、抜け殻のようになっていた愁香さんを支えていたのは恋だったということ。恋が愁香さんを好きだというのは、私小説にすら書いたことは一度もないけれど、福島の描写の中に暗示されているということ。愁香さんは発売日に予約してまでそれを買うくせ、戸棚の奥に隠し、読んでいないふりをしているということ。わたしに会いたがってくれていたということ。会えると分かったとき、離れるとき以上に泣いたこと。初めてロッコク堂にわたしを連れてきたあと、何度も此処を訪れ、自慢を繰り返したこと。

 いや、おしゃべりすぎる。この人もあんまり信用できないなあ、と思ったりしたが、わたしは彼の話の中に、わたしの知らない愁香さんを見つけ、それは確かにお母さんの形をしていた。挽き立てのコーヒーは優しい味で、飲み干すと心の中がほんのりと温かくなった。

「福島のことって、どう伝えればいいんですかね?」

 お母さんの気恥ずかしい話が落ち着いた頃、わたしは本題を切り出すことにした。

 笑顔が素敵なガッチャン、子どもみたいに素直に、この場所を通じて福島の復興を眺め、ときに実践してきた彼であれば、適切なアドバイスをくれるんじゃないかと、わたしはクラファンの話をできるだけ丁寧に相談した。とはいえわたしがやりたいのは、福島の復興、ではなく、あくまで愁香さんと冬馬の復興だ。そう思えば、復興、という言葉もそぐわない気がしたが、そんなことも含め、今自分の中でもやもやしていることを整理するように、まとまってはいなかっただろうけれど、全部話した。

 ガッチャンは真面目な表情でわたしの目を覗き込みながら聴いてくれたあと、その中に見つけた何かを促すように、

「復興って、なに?」

 と尋ねてきた。

「元通りになること、ですかね。福島が震災だとか原発事故の前の姿になること。クラファンでいえば、愁香さんと冬馬が元の生活に戻れるようになること、です」

 そうなのかな。という戸惑いで言い淀みながらも、しっかりとした断定形で着地できたそれは、わたしがこれまで見つけた答えに違いない。

「たぶん、それが、違くて」

 ガッチャンは、言いにくそうに、幾分の気遣いを含ませながら、髭だらけの重い口を開いた。ふっと顔を上げ、目を細めれば、そこには展示スペースに並ぶたくさんの写真があった。津波に流された瓦礫の山を映した悲壮なものもあれば、桜の並木道をバックに粗野な女の子が微笑んでいるだけのものもある。彼が撮った写真なのだろうか。きっと彼が見てきた十年間の福島の記録だ。

「元通りとか、ならんくない? それはみんな分かってるというか、分かった上でそうなりたいって言ってる人もいると思うんだけど、心の深いところではちゃんと受け入れてる。それは、諦めてる、というのとも、違くて。何だろう、復興ってすごく難しくて、その、辿り着くべき、確かな形があるわけじゃないんだよ。むしろそこまでの過程が復興というか。で、その辿り方は、みんなそれぞれに違う。究極的にはね、その個人が、復興した、と思えれば、それは復興なんだよ。客観的に見れば、全然そうじゃないように見えていたとしてもね」

 ガッチャンの言葉の、さいごの一連が、わたしには刺さった。そうだ、わたしは、客観的に見ようとしすぎていたのではないか。外から見た復興の姿を押しつけそうになっていた。わたしなりにいろいろ調べて、「復興とは元通りになること」という言葉も、資料のいくつかに現れた、福島の人が実際に語っていた言葉だった。それは外向きの言葉であり、わたしは内向けの言葉に耳を傾けていなかったのだと気づかされる。

「すいません、わたし、よそものなのに、勝手なこと考えて」

 恥ずかしくなり、わたしが顔を俯かせると、ガッチャンはいっそう優しい口調で、

「復興のためには、よそもの、わかもの、ばかもの、が必要だってのはよく言われてるからね。全然いいと思うよ」

 と言ってくれたあと、

「あ、夏美ちゃんがばかものってわけでは、全然なくて」

 と取り消すときの慌てた調子が可愛くてころころ笑う。

 それからわたしたちは、クラファンでこんなことをしたらいいんじゃないか、というアイデアをたくさん交換した。真剣に話してくれて、時々ジョークも言い、でもわたしが「ハメ撮りでもしようかなあ」とか口を滑らせると本気で怒ってくれて、変なことを言うようだけれど、わたしは福島を好きになった。これまでわたしにとっての福島は、津波に侵された土地であり、原発というシンボルに象徴されるレガシーだった。そうじゃない、今此処にいる人間こそが福島なのだという当たり前のことをやっと気づく。

 帰るとき、わたしはできるだけ寄り道をした。帰還困難区域に入り、バリケードで止められたりして、商店街をぶらぶらし、魚を分かったような口調で値切り、本屋で大人向けの雑誌を立ち読みしては怒られ、駅前で三角ベースをする少年たちからクロマティの真似でホームランを打ち、夕暮れに沈むオレンジ色の海岸でしろい柴犬を散歩させている老人と長い話をした。震災のことなんかひとつも話さなかった。話さなくてよかった。話さなかったから、わたしは震災という線に分断されるのではない、ひとつの福島のことが分かった。

 リビングにだけ薄ら灯りが窺える家に帰ると、冬馬と恋は既に眠っており、ぐい呑みがふたつ並ぶ食卓で下着姿の愁香さんが静かに酒を啜っていた。「え、狡い」と軽口を叩きつつ汗ばんだシャツとハーフパンツを脱ぎ捨て彼女の隣に座り、「おっとっと」と零れるぐらいの酒を注いでもらいながら、脂の乗った戻りガツオの刺身をおろし大蒜と醤油で合わせ、今日起きたことを洗いざらい話す。愁香さんは、

「相変わらず口軽いな、あいつ」

 と照れ臭そうにしていたが、「よそもの、わかもの、ばかもの」の話に至ると、

「夏美、ぜんぶ当てはまるじゃん」

 と調子がいい。インスタでどんな動画を公開すればバズるか相談すれば、

「そりゃもう、ハメ撮りでしょ」

 と、やっぱり親子だなと呆れる。愁香さんが入れてくれた日本酒は「飛露喜」という銘柄で、めちゃくちゃ美味い。あっという間に一升瓶が空になり、わたしはまた愁香さんに潰された。「もう寝る」とぐにゃぐにゃになった口調で言うと、仄かに頬が赤らんだだけでしゃっきりしたままの愁香さんは「まだまだだね」と嬉しそうだった。ちょっとでも反撃をしたくて、酔いに任せるまま、彼女の唇を奪ってやった。かどうかは覚えてない。気がつくとわたしは布団に包まったまま朝を迎え、「俺が作ってやったんだから早くメシ食えよ」と冬馬に蹴飛ばされた。唇をなぞってみる。どんな顔をしていたかな、と思えばむず痒くて、布団を抱き締めてまたごろごろしていると、冬馬は「メシが冷める」と煩く、彼をメイルシュトロムよろしく布団の中に引きずり込み、「お姉ちゃん、好き」と言うまで四の字固めを極めてやった。

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