和製アジャコング

 冬馬に呼び出された。最近しょうもないことで絡みすぎたので、お風呂も部活に来たOBぐらいのウザさで覗いたし、しっかり嫌われてる自覚はあったから、ほっとしたような、気持ち悪いような。靴底をいつもより引き摺って歩く冬馬の何か言いたげな足音に促されるまま、防潮堤の上を続く。あの津波ののち、相変わらず当事者の意見を聞かない「行政主導」によって建てられたという防潮堤はやっぱりすごく高くて、暴力的なまでに分断している、とすれば何の象徴だろう。天辺からうちの家以外は何もない荒地を俯瞰することができた。ロッコクの向こうには日本で三番目に広い福島を浜通り・中通り・会津地方に分けているという奥羽山脈と阿武隈高地が聳え、言い訳染みたメガソーラーのパネルが台風の吹き返しに伴って雲の流れが速くなった夏色の空を不気味に映している。山林は除染が進んでいない、いや、正確にいえば、流出せずなかで循環するから除染する必要がない、と役所の割り切りだけは女子高生ぐらい潔く、今でも天然キノコだとか山菜や川魚は基準のベクレルを越えるものが少なくないという。同時に、それ以外の野菜だとか、米だとか、露地ではないところで育てられたキノコ、海の魚なんかは、厳重に放射線量が管理されており、市場に並ぶ売り物で危険なものはないし、そもそも測定時点で基準を上回るものは殆どなくなったと聞いた。ロッコク堂で教わったことばかりである。「連れて行って欲しい」と愁香さんに訴えれば、朝に弱い愁香さんは下着姿で「自分で行けばいいじゃん」と何かのキーボルダーが千切れた六連星の鍵を投げてくる。元々尼崎でも厳ついハマーを狭い路地に取り回したことはあり、マニュアルトランスミッションの痺れるぐらい淫奔な具合を体で覚えてからは、しばしばロッコク堂に軽自動車を走らせた。自分で震災や原発のことを調べてみて、ロッコク堂のオーナーだという髭もじゃ丸メガネ、もとい、ガッチャンに尋ねることもあったし、恋の小説の些末な不足を赤ペンで追えるぐらい詳しくなって、今は来た頃ほど、福島のことは怖くない。来た頃は、怖かったのだと分かった。正しく恐れるやり方を知り、津波のことは、今でも怖い。町が作成したハザードマップを見ると青系統のグラデーションで一目瞭然なとおり、千年に一度程度の大津波が訪れれば、こんなに高い防潮堤があってすら家は屋根まで沈むという。愁香さんと冬馬が暮らす、今となってはわたしも目を覚ましたときの天井を見て二度寝を始めるぐらい馴染み、お風呂で窓を全開にしたまま虫の声に負けない大声でボーカロイドっぽく鼻にかけたガールズロックをうたうこともあった家。「起こり得ることはいつか起こる」という、「明るい未来のエネルギー」に代わり震災後の原発を風靡した標語に夏風邪のような倦怠感を覚える。わたしはかれらに何ができるのか、それを考えることは、わたしがかれらに何を求められているのかを突きつける。福島の夏は短い。帰りたい日より帰りたくない日が増えて、それはやがて、帰れない日、帰ってはいけない日へと変わる。春子が待ってる。そのことを確かめるため、毎日電話で話したいことは増えるのに、下らない雑談ばかり長くなって、可塑性の夜をシンナーみたいに侵食する。

 冬馬とふたり、海へと辿り着いた。彼と初めて会ったあの海だ。相変わらず、他には誰もいなくて、波の音だけが鼓膜に痛いぐらい静かだった。福島のことを調べるようになってから、わたしは時々、ひとりでも海に来ることがあって、荒波に洗われて粒々とした砂の上に胡座を組み、欠伸を噛み殺しながら、水平線に目を凝らし、海霧のなかに試験操業の船を見つければ安心した。「映えるな」とつい思ってしまうのは今も変わらない。人はそう易々と変われない、ということは、福島の人の記憶を辿れば記録の限りで判然とした。海は、インスタのタイムラインに似てる。スクロールしていけば、誰かの日常がたくさん垣間見えるように、ここにもいくつもの日常だったものが静謐と流れている。波打ち際を歩けば、足跡はやがて消えていくけれど、日常だったものはいつまでも消えずに流れ着いている。「いいね!」を押すように、手を合わせて、拝んだ。「震災とは不真面目に向き合ってもいいんじゃない」という言葉の本意を探している。けだし震災とは死の隠喩であり、不真面目に向き合ってもいい、というよりは、不真面目に向き合うしか有り得ない、わたしとかれらは違うんだから、一番のマイノリティが死者ならば、多様性とは悲しいことだと思う。今になって小学生の時の「福島さん」に謝りたくなった。きっと身内を失っていただろう、あの子の声が思い出せない。ひんやり濡れた巻き貝の殻を拾い、熱を持った耳朶に押し当てる。

「なあ」

 今日も白波の弾ける海を眺めながら感慨に耽っていると、冬馬の声がわたしを今に呼び戻した。

「なあに?」

 そう返事をした。家にいる時、わたしと冬馬は同じ部屋に籠もるので、冬馬は嫌だっただろうけれど、意地なのか、ずっと一緒にいて、たくさんのことを話すうち、喋り方が似てきてしまった。ふたりとも鮭とばが好きで、おやつに奇数個しかなかった時に粗雑な口調でやり合っていると、冬馬とわたしの声は「バカ」の節回しがよく似ていることに気づく。最初、冬馬は恋の子どもかと邪推していて、いわゆる異母きょうだい、わたしとは血縁があるものだと心得ていた。福島の家で、愁香さんや冬馬と過ごすうち、ふたりに対する恋の反応を窺ううち、そうではないらしい、ということに気づいた。恋は確かに愁香さんのことを好きなのかもしれない。けれど、愁香さんはそうではないんだろう。彼女にとって恋は呼び名のとおり「にいちゃん」という存在なのだろうと思う。ややこしくって、言葉にすればするほど嘘になるというか、春子に説明すればよかったのだろうけれど、できない。恋の火遊びの失敗談に花が咲いた夜、「愁香さんとはそういうんじゃないんだよ」と一度冗談めかして教えたことがある。すると春子は「だからまずいんだよ」と吃驚して受話器を取り落とすぐらい冷たい声を震わせ、どうして分かってたことをいちいち蒸し返してしまったのか、同じことを確認するたび螺旋のように前に進むはずが、螺旋の先が前だとは限らない、或いは、舐めてしまった捻子のように。

「夏姉、つええんだろ?」

 今を盛りとバニラホワイトの入道雲がむくむく膨らんだ水平線に、冬馬はきりんの赤ちゃんみたいに柔らかくカールする睫毛を波立たせたまま、ポケットに両手を突っ込んで言った。格好つけてる割りに声変わりはしてないし、わたしが料理を作った朝方に叩き起こそうとすると二度寝を訴える時のようなぐじゅぐじゅした鼻声で、鬱陶しいぐらい可愛かった。

「おう、尼崎最強。路上の伝説。ひとよんで、和製アジャコング。尼崎最強というのはつまり、地球最強と、おなじ意味なんだけど」

 嘯きながら、隣に並び、同じようにポケットに両手を突っ込み、同じものを眺めた。湿った空気を切り裂く風がふっと吹き、それよりも先に予感ができていた。冬馬がわたしの顔面めがけて蹴りをかましてきたのだ。最近やけに散歩の時間が長いと思ったら、ちょっとは特訓したのか、なかなかいい足刀蹴りじゃないか。が、軸足が固定できていないんだろう、まるで体重が乗っていない。足と比べれば筋力に乏しいうえ利き腕じゃない左手一本で柳のように受け流す。蹴り飛ばされた砂が横顔にぱらぱらと散った。

 やんのか。コラ。構えると、冬馬もわたしに向かって構えている。本で勉強でもしたのか、いわゆる少林寺拳法では基礎的な白蓮八陣のひとつ、卍構えだ。なかなか器用に真似たものだが、あまりに教科書通りすぎる。実戦ではもうちょっと遊びを持たせた方が応用できる。

「俺と手を交えてよ」

 言うなり、冬馬は構えた両手をピーカブースタイルで上げ、距離を縮めてきた。遅い。それに、姿勢が高い。足元が砂地であれば、体幹がものを言う。まるで格闘技をやっていない素人の動きだ。

 教科書では学べないことを教えてやろう。わたしは地を這うように姿勢を落とし、冬馬の足元に飛び込んだ。地面がアスファルトなら最強なのは柔道だろうが、砂浜ぐらい柔らかくなるとレスリングの独壇場だ。一瞬で冬馬を組み伏せる。

 圧倒的有利なマウントポジション。夜道で襲われたケースであれば、二度とそんな気を起こさないよう正義の鉄槌打ちか、オルテガの奥義ダブルスレッジハンマー、はたまた「人を殺すから止めろ」と咎められたキラーカーンのモンゴリアンチョップを脳髄にぶちこんでやるところだが、冬馬は軽くスリーパーホールドで意識を落としてやれば気が済むだろう。背後に手を回そうとした瞬間、冬馬の両足が尻の下でびくんと跳ね、わたしの暗転した視界に七色の星屑が弾けた。

「なじょだらっ!」

 何をされたのか俄には分からなかった。気づけば冬馬は起き上がり、わたしは腰が引けたまま口で息を思い出していた。両腕が8オンスのグローブの一撃をクロスアームブロックで受け止めた時のように感覚を失っている。

 頭突きをしてきたのか。やるじゃん! 初めて会った時、わたしが冬馬に決めたこともある必殺技だ。掛け声までわたしと同じじゃないか。狙いは顔面、それも鼻の頭で、既に骨は粉々に折れているとはいえ、乙女の顔を潰すのは映えないから勘弁して欲しい。ガードが間に合ったのは奇跡的と言うべきだろう。わたしは彼を甘く見ていなかったのだと誇ることにした。異種格闘技戦の決勝でブラジリアン柔術のメス豚を屠った時よりも自分が本気なのをタンバリンみたいな心臓の鼓動に教えてもらう。こんなに昂らせてくれたのが他ならぬ冬馬で嬉しい。

 ポイントで先行された試合の終盤のような焦りに任せるまま、今度はわたしが右足でムエタイ式ハイキックを放った。狙いはこめかみ。冬馬は左手でガードする。可変蹴りで脇腹に直撃させることもできたが、ボディへの攻撃は肋骨を折るのでなければ即効性がないし、ノーモーションで力を込めていないこの蹴りはガードさせることが目的だ。実力差をなるべく高い分解能で測り、最適な戦略を理性と野性が諭してくれる。

 冬馬は右の拳を突き出してきた。スピードはある。が、肩の入れ方が甘い。捻ってもいないし、威力は知れているだろう。親指を握り込んでいる点を懸念した。それだと拳は固くなるが、容易に親指を骨折する。と思い遣れるぐらいの余裕はあった。その上、関節の動きで容易にコースを読むことができる。古い少年漫画でよくある「お前の動きはもう見切った」的な感覚は、実戦だと意外に珍しくない。

 後ろ回し蹴りか左ストレートかで迷った。うちの道場は足技および投げ技が主体なので、拳の一撃は下半身を中心に鍛えているわたしの筋力を鑑みても、あまり威力は期待できない。けれど、わたしは冬馬を自分の手でぶん殴ってやりたいと思った。力を込めやすいようサウスポーにスイッチし、冬馬の右腕を左肘でかち上げて、フック気味のクロスカウンターを頬に叩き込む。ジューシーな肉を潰す感触が美味しくて、ジョルトでもないのに冬馬の身体は宙に浮いた。まっしろい砂のうえに鼻血が破線を引く。バンテージを巻いてない拳の皮がずるりと剥け、指の骨から手首まで気持ちのいい痺れが走る。これは冬馬の痛みだ。何人も、何十人もの相手と戦い、路上で負けたことはなかったが、戦った相手のそれを引き受けたいと思ったことはこれまでになく、今までの何時よりも優しい気持ちで勝利の余韻に脳汁を溢れさせ、目蓋を汗ばんだ手の平で拭えば一転負けた感傷で体がかっとなる。

 吹っ飛び方はドラゴンボールぐらい派手だったけれど、そのぶん威力が相殺されたのだろう。ほんの五分ぐらいで冬馬の意識は戻ってきて、わたしが乙女の嗜みである鼻セレブを渡してやると、大人しく弾丸みたいに丸めたものを両の鼻の穴に詰めた。それから海に向かって三角座りし、寂しそうに眉尻を落としてわたしを見上げるから、肘が当たるぐらいすぐ隣に座ってやった。

「なあ」

 と、再び冬馬は掠れた声で言う。わたしに殴られたかったのかもしれない。鼻の穴が塞がっていたから息がしにくそうではあったが、何かが吹っ切れたかのようなあっさりした口調だった。

「なあに?」

 同じように返した。わたしも、もう冬馬に警戒していなくて、春子や恋と話すとき心を曝け出すように自然な声が出た。

「夏姉、この海の向こうにさあ、何があるか知ってる?」

 何だ。クイズか? クイズは得意だぞ。尼崎のこどもクイズ大会に出場したこともある。

「天国がある。酒はうまいし女はきれい」

 ボケてみた。が、あまり上手くない。テレビは春子の数少ない我儘で野球中継に占領されていたから、土地柄の割りにお笑い番組を観ることは少なく、大喜利は苦手だし、ウィットというものにわたしは弱い。

「は? 殺すぞ。どっか別の国だよ」

 冬馬は苛立たしげに舌打ちをした。どっかって何処だよ。曖昧か。

「しぇいかい!」

 両手の親指を立ててその間から唇を蛸のように突き出し、梅干しを食べたみたくクシャクシャの顔を作る。最近高校で流行らせようとしているわたしの持ちネタだ。「アメリカ~」と返して欲しいのだが、あまりウケない上、厳しいことで知られる古文の授業中にかましたら放課後呼び出された。ぶっちしたけど。いとわろし。

「……俺なあ、大人になったら、アメリカ行きてえと思ってんだ」

 もうふざける気は起きなかった。驚いて、冬馬の横顔を見遣ると、海を全部呑み込めそうなぐらい見開かれた瞳の色が豊かで深い青を湛えている。

「何で?」

 訊いて欲しかったんだろう。冬馬と一緒にいると、ついふざけてしまい、よくないが、嬉しかったのかもしれない。告白する相手にわたしを選んでくれたということが。

「強くなりたいから」

 少年ジャンプの主人公か。というツッコミを呑み込むと、何時の間に砂を食んでいたのか、きつめの日本酒が欲しくなるほど塩辛い。

 冬馬はわたしと違って素直だ。思ったことを思ったままに言う。大人にはたぶんできない。わたしもすっかり大人になってしまったのか。だからこそ、話を聞いてやることはできるから、冬馬の少し長い話にしっかり耳を傾けた。

 お母さんから離れなくてはならない。というような意味のことを冬馬は言う。彼が自立することで、愁香さんは自分の幸せを追求することができるようになるだろう、という、シンプルで、浅はかで、それでも今どきこんな風に真っ直ぐ生きられる子がいたことに「震災の年に産まれた」ことを脈絡なく重ねてみる。恋のことはどう思うの、と尋ねてみた。冬馬は、あのおじさんは嫌い、と初めてはっきり口にした。分かっていたことだけれど、言葉にされるといちおう父親だから堪えるものがある。じゃあわたしのことはどう思う、と尋ねれば、冬馬は分かりきってることを言うのが面倒臭そうに眉間に皺を寄せ、夏姉と俺とは同じだろ、と唾を飛ばした。分かりやすい。わたしは恋の悪口を「短小」とか「包茎」とか根拠のないものも含めてたくさん並べた。冬馬もそれよりは控えめに言った。楽しかった。勢いで、一緒にアメリカ行く、と手を挙げれば、ひどく嫌がっていたけれど、はにかんだ笑顔のえくぼは満更でもない。海が闇に沈んで空に拍動するさそり座の心臓があからさまに見えるまで冬馬とおしゃべりをした。福島に来て、たぶん一番長い一日だった。家に帰ると、愁香さんは寝相悪く布団を蹴飛ばし、恋はファラオみたく布団に包まって、仲良くソとミの音の鼾を合唱しており、食卓にラップがかけられていた浪江焼きそばを電子レンジで温め直し、聞こえよがしにいっそう激しく恋の悪口を言いながらビールを一口分けてやった。お風呂に入ると言うので、わたしも一緒に入っていい、と冗談で尋ねれば、、耳の先を真っ赤に染めて、嫌だ、でも、近くにいて欲しい、と言うから、冬馬がお風呂に入っている間、わたしは脱衣所の扉に寄りかかって足を崩し、指をぐねぐね遊ばせながら、さっきの話の続きをする。愁香さんの悪口は言わないの、と声を潜めれば、アクリル板の向こうからチャプン、と音がして、男はいつだってお母さんを守らなければならない、と気丈な声が反響した。愁香さんは幸せだ。でもわたしは、冬馬にも幸せでいて欲しい。シャンプーを取って欲しい、と訴えるから、アコーディオンドアを少しだけ開けて、隙間から現れた冬馬の手をぎゅっと握れば、熱くて、小さくて、頼りなかった。「これはリンスだろ」と、冬馬はわたしの手をはたく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る