母とおかいもの

 愁香さんが、わたしの服を買ってくれるという。初対面の叔母にそこまでしてもらうのは恐縮するし、伏し目がちに首を横に振れば、かりかりのベーコンと半熟の目玉焼きと耳が焦げたトーストが並ぶ立派な朝の食卓、恋と冬馬が「買わなくていい!」と威勢のいい声を揃えて机を叩くから、何なんだお前ら、仲良しか、わたしも天邪鬼なので、ふたりへの当てつけみたいに愁香さんと出かけることにした。洗車をしていないどころかタイヤの溝周りを窺うかぎり整備も怪しく、とりあえずフロントガラスに貼られた車検シールの掠れた年月日を見てはいけないくたくたの軽自動車である。地元でヤクザ御用達の板金屋で社長をしてる知り合いがたまに乗せてくれた8のゾロ目をフロントに輝かせるヴェルファイアとかミニクーパーとかレガシィと比べれば乗り心地が雲泥の差だ。道もひどく悪い。錆びた車体をガタピシ軋ませながらあちこちの水たまりに入道雲が映った地面をダカール・ラリーよろしく乗り越え、愁香さんはあおく血管の浮いた細い左手で掬うように握るシフトノブを小刻みに滑らせていく。マニュアルトランスミッションというものを初めて見た。海から離れれば、幹線道路、ロッコクと呼ばれているらしい道があって、エンジン音の割りにスピードは出ていないのか、たまの二車線区間で苛立った3ナンバーに抜かれながら息を切らす。エアコンは壊れているんだろう、通風口に貼られた汚いガムテープの隙間から呼吸音とともに熱気が漏れ、窓は後部座席含めて開けっぱなしだった。進行方向に目を向ければ、「ここから帰還困難区域。歩行者と自転車は通行禁止」と内容に見合わない丸ゴシック体で書かれた看板のうえに、デジタルのLEDが点灯し、1・8μSv、という数字を示す。放射能だ、と、シートベルトを締めてもないのに身体が強張った。窓を閉めようよ、と言おうとした矢先、朽ち果てた路面店のまえを通り過ぎ、ガラスのウィンドウの向こうで埃を被った衣服を纏うマネキンに言葉を呑み込む。これが日常なんだろう、愁香さんは、音の外れた歌をうたっていた。古い歌だ。あれ以来うたわれなくなったサザンオールスターズの名曲。わたしは、かれらにしてはバラード過ぎるその曲はあまり好きじゃなかったけれど、嫌いでもなく、そういうのを越えて、受け入れないといけないものはあるのかもしれない。サビのところで声を合わせた。わたしも歌は上手くないから、変な感じにハモり、もの悲しい。

 三十分ぐらいロッコクを北上したところに二階建ての広いショッピングモールがあった。「帰還困難区域」とされているらしい場所こそバリケードに封鎖された廃墟が並んでいたが、そこを通過すると、芝生の緑が映える庭にぴかぴかの三輪車が置かれた暮らしっぷりの住宅が増え、ショッピングモール前の駐車場は幼いアオギリが柔らかそうな葉を広げ、子ども連れの親子がお肉パックや牛乳やトミカで埋まったカートを転がして歩く。復興、という言葉が頭を過ぎるが、わたしは口にできない。ここでは、言葉にできないものが多い。福島、という本来地名であり固有名詞でしかないはずの言葉も。

 近づくとやおら動き出したエスカレーターを上がっていけば、スーパーマーケットの上階には衣服が安いことで有名な量販店がテナントを広げており、見慣れたモノクロームのファッションが分かりやすく展示されている。尼崎にもあるSPA型のファストファッション店で、わたしも放課後の雑談が早く終わり暇を持て余した学校帰りにはしばしば通っていた。気にするのはインスタの「映え」だし、その点では制服が最強だから、普段着は普段着以上に意識することはない。手軽なワンポイントの白シャツにざっくりとした綿素材のハーフパンツとクロックス風のサンダルを合わせることが多く、インスタでは化粧を整えるくせ、遊びに行くときも化粧はしない。彼氏とはSNSでの遣り取りばかりで、デートはしないから、彼の服の好みはZARAなんかのモード系でブルベ冬だってことも知ってはいるけれど、そっちに受けるファッションは気にしなくていい、今風の割り切った付き合いだと思う。

 服を買うときはひとりで行くことが多く、春子におこづかいだけ貰い、友だちもいないほうが気を遣わなくて選びやすい。究極、値段ぐらいしか気にしないので、勿体ぶって隠された値札を睨みお札よりレシートのが多い財布と引き算するところを友だちだとか親にも見られたくない。だから、愁香さんと服を選ぶのは気まずかった、というより、嫌ですらあったが、服を選び始めれば緊張はだんだんと解れていく。思いの他、趣味が合うのだ。愁香さんが選んでくれる服はわたしも気に入るものばかりだったし、逆にわたしがアドバイスを求めれば、すんなり腑に落ちたりはっと気づくようなコメントをくれる。あれ、楽しい。愁香さんがお金を出してくれることもあって、これまでに買ったことがないぐらいたくさんの服を買ってもらい、軽自動車の後部座席を倒してもまだ狭いトランク一杯に詰めたあと、ふたりでお茶をすることにした。車を動かして五分、ロッコク沿いに「ロッコク堂」という安直な名前のカフェがあり、客はおらず、まばゆい坊主頭なくせ髭もじゃで丸メガネという元町あたりの古レコード屋のほうが似合いそうな店員さんが暇そう、というより、眠そう。アイスコーヒーをふたりとも頼み、予想以上に美味しくてシロップやミルクを入れることもせず、ストローを吸ってひんやりした喉ごしを楽しんだあとふっと一息つく。

 愁香さんがテーブルに肘をつき、崩れた襟元に端正な鎖骨とベージュ色のブラ紐を現したまま、ニコニコ笑ってわたしを見ていた。つい同じ顔で笑っている自分に気づいた。

「あたし、こういうふうに娘と、お茶するの夢だったからさあ。嬉しいな」

 そう言われ、なんだか恥ずかしいのか、心苦しいのか、はは、と笑ったが、誤魔化したかったのは何だろう。娘じゃあないよ。と言えば体よく冗談を躱しているようで言えなかった。じゃあ友だちなのか。その感覚は、春子といるときのほうが近い。愁香さんといるときのそれは、たしかに落ち着いていて、敢えていえば娘というものが近かったかもしれないけれど、そうじゃない。

「いやいや、申し訳ないです。こんなに買っていただいて。そんな長居させてもらうわけでもないのに」

 両手をバイバイみたいに振りながら、ふいにそんな社交辞令が口をつく。買ってもらった服は本当にたくさんあって、服だけであれば、よもや夏休みいっぱい滞在することもできそうだった。愁香さんがそれを望んでいたのか。確かめたかったのはそれか。

「え、ずっといればいいじゃん、ここに」

 愁香さんはわたしと同じぐらい涙袋が大きな目元を緩めたままあっさりと頷く。ずっと、というのは、ずっと、か。ここ、というのは、福島、か。

 言われてみて、その返事を期待していた自分に気づく。なのにいざ言われると困ってしまって、いいともわるいとも返事できなかった。現実味はないのだ。ないのか? わたしがここでずっと暮らすという選択肢は有り得ないのか? そう思えば、まず春子のことを考える。裏切れないな。わたしは自分が思っているより、春子のことを好きなのかもしれない、と、確かめたのはそれだった。

「そういえば、冬馬のこと、どう? うまくやってる?」

 話題がいくつか飛んだのち、クワッドアクセルぐらい不器用な姿勢でそこに着地した。声色が変わったから、今日、愁香さんが確かめたかったのはこのことかもしれない、と思った。

「うー……ん。うまくやれてるかは分からないけど、わたし、けっこう、好きですよ。あの子のこと」

 言ってみて、ああこれは本心だな、と分かった。初対面の印象は彼にとって最悪だっただろう、だいぶ嫌われてしまって、同じ部屋にいても「メシ」「風呂」「寝る」ぐらいしか口を利いて貰えないが、そんな彼にちょっかいを出すのはなかなか楽しい。トイレに籠もって鍵を掛け、用便を我慢できず扉をヨシキのドラムソロみたく敲く冬馬に「お姉ちゃん、って呼んだら開けてあげる」と甘い声で迫り、語尾にハートマーク付きの「お姉ちゃん」は残念ながら貰えなかったが、「クソ姉貴」と呼ばせた一幕はあった。

「あはは。変わってるでしょ。あの子」

 愁香さんは僅か影のある表情で笑い、ストローを咥え、こくん、と小さく喉を鳴らして、溜息とともに窓の外、ダンプカーがどうどうと走るロッコクに目を遣る。綺麗な横顔だな、と、初対面から思っていたことを振り返る。

 冬馬の今後に悩んでいる、と言う。彼との会話の端々で学校の話題を避けたがるあたり薄々勘づいていたが、小学校にも通っていないらしい。食欲はなく、眠りだけは深くて、外に出ることはほとんどなく、塞ぎ込んだり、まるで感情を表さないとのこと。話を聞いて欲しいんだと思ったから、わたしのほうで思ったことは言わなかった。家の周りには荒れ地が広がっており、遊ぶ場所は海ぐらいしかなく、友だちの家も遠いし、小学校に登校するのもきっと億劫だろう。「引っ越したほうがいいんじゃないですか」とか、具体的なアドバイスを求めているのでは多分ない。けれど、あそこに住んでいるのは何か、呪いのようなものがあることは感じており、きっとその解消が必要なんだろうことは分かって、そのことも言わなかった。

「冬馬には父親が必要だとか、そう考えたことはあります?」

 問いには問いを返す。鎌を掛けてみた、というより、率直に。武道でも、牽制は有効だと分かっているものの、わたしはやられることのほうが多い。

「恋にいちゃんを取って欲しくない。とか、そういうこと気にしてる?」

 愁香さんは皮肉な風でもなく、明るい調子でからから笑った。

 気にしていたのはその通りで、ただそれは元々考えていたような、浮気ではないのかもしれない。春子も分かっていたのだろう。だから問題なのだ。

「冬馬と取り合いするつもりはないです。ただ、はんぶんこできたらいいな、と思うことはありますね」

 整理しながら話すつもりが、妙な言い回しになった。何だ、はんぶんこって。しかし言ってみれば、それは解決策のひとつであることに気づく。気づいていた。

「いや、違うな。恋にだって人格はあるんだし。はんぶんこって言い方はおかしいですよね」

 紙でできた茶色いストローの先で丸みを帯びた氷を掻き回す。溶けていく。今の言葉は、本質の割りと近いところにある、と思った。そうだ、恋には人格がある。選ぶのは恋なのだ、という前提を確かめる。わたしと春子と取るのか、愁香さんと冬馬を取るのか。尼崎を取るのか、福島を取るのか。あるのだろうか。人格が? 人格があるものが、そんな選択をできるのか?

「冬馬が父親を必要としてるんじゃないんだよね。あたしが、恋にいちゃんを必要としてるんだ」

 すとんと切り落とすように、これが結論であるかという風に、愁香さんは言った。

 言葉での言い合いというのは苦手だ。友だちと喧嘩をしても、没交渉のまま終わったり、SNSならブロックしたりされたり。言葉が言葉であるかぎり、うまく理解できないし、されないし、だから諦めてしまう。諦めればいいだけなのだ。諦めたらよかった。それなのに、わたしは言ってしまった。

「わたしも冬馬を必要としてると思いますよ」

 愁香さんの笑顔が初めて固まった。ああ、これが素の表情なんだと思った。余計なことを言った。言いすぎた。本当は、「冬馬はわたしを必要としてる」と言うつもりだったはずが、感情が先走ったのである。気持ちが居たたまれなくて、息ができないぐらい胸がきゅうと痛くなって、「ちょっとトイレに行ってきます」とようやく言い訳を絞り出し、レンガ敷きの床につんのめりながら早足でテーブルを離れた。

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