番外編 遺してきたもの



 ━━━━━━

紀京side

 

「おーい、水やり終わったか?」


 清白が新しい制服を翻しながら庭を歩いてくる。最初に会ったときのツクヨミが着ていた唐装で、俺と清白は真っ白け。

 チャイナ服のロングバージョンで四箇所スリットが入っていて、下がズボンの制服。動きづらいから変えたのに結局ヒラヒラなんだよなぁ。


 

 全身に細かい模様が銀糸で刺繍されてる。

 俺たちの服は龍、清白のは蔦の葉。

 いちいちキラキラするけど浄衣よりはまだマシだし、動きやすい。


 清白が最近取得した防汚の法術で今みたいに庭いじりしてても汚れないし。本当は作務衣でも着たいけどなぁ。




「清白様、こんにちは」

「おっ!こんにちは!ククノチさんじゃないか。今日は剪定に来たのか?」


 俺の横で庭木をちょきちょきしてるおじいちゃんが清白に挨拶してる。

 ククノチさんは、久久能智神くくのちのかみっていう草木の神様で社の庭を管理してくれてる神様。


 おじいちゃん姿なのは、趣味だそうで。

 好好爺然とした元気な神だ。

 作務衣を身に纏い、白い髭をサンタさんみたいにはやしてる。

みんなに尊敬される、仙人みたいな神様なんだ。

 神界の庭を作ってくれたハイセンスなおじいちゃんだぞ。




「今日は春支度ですよ。冬から春に向けての衣替えですな」 


「へぇ…でも神界だと雪が降らないだろ?冬の装いも、春の準備も必要なのか?」


「ほっほっほっ。これはおっしゃる通り装いですからな。神界にいる神様方のためにわしは働きたいのです。

季節を感じることのないここだからこそ、必要な事ですじゃ」


「…なるほど。俺が浅慮でした。」 


「清白様、わしを心配されての事とわかっておりますぞ。お忘れなく、わしもまた神ですからな?」


「うっ。ついな。そうだった」


「んっふふ、清白もククノチさんには叶わないな。」


「紀京はククノチさんがいるのに、なんで庭いじりしてんだよ」 

「ククノチさん物知りだからさ。話しながらアドバイス貰ってたんだ」


「アドバイス?なんの?」


「お忍びですな」

「ククノチさん!しっ!」

「おや、どうせバレますぞ?清白様ですからな。観念なさい。」


 くつくつと笑うククノチさんと、ジト目になる清白。




「紀京はお忍びが下手くそだからな。目撃されすぎ。巫女を見習え。度々ばれてストーカー禁止されたんだから」

「難しいんだよ、お忍びって。…巫女はまだ帰らないのか?」


「わかってるのに聞くなよ。今黄泉の国で美海さんのところに居るよ。

 紀京、仕事ができた。呼びにきたんだ」


 ん。清白の顔が少しだけ真剣になった。最近ポーカーフェイス上手くなったからな。

 ククノチさんには内緒か。


「巫女を呼ぶか?」 


「いや、いい。さっさといくぞ。ククノチさん、紀京をもらっていきます」


「ほっほっ。どうぞ。紀京さま、また今度じじいと遊んでください」

「うん。またな、ククノチさん」




 

 清白と連れだって、社にむかう。

 ため息が落ちて、難しい顔になる清白。若干の怒りの気配を感じる。


「何があった?」

「なんと言っていいかわからん。正直紀京に話すかも迷っていた。」


「事件か?」

「事件といえばそうだ。巫女のリアルで血肉を売っていた神職からコンタクトがあった」


「……へぇ」


 お互い冷たい目つきになるのを感じる。

 ──あいつら、生きていたのか。


 正直言って顔を知らなかったからな。黄泉の国にきてもわからなかっただろうし。会わないままなら死後も安泰だったろうに。




「紀京、まだ目的がわからない。キレるなよ」

「正直自信がない。抑えてくれるか?」

「やってやるが、期待するな。俺もキレそうだ」


 ふふ、と二人して微笑む。

 さて。なんの用なのかな。顔を引き締めて、早足に変えた。


 ━━━━━━



「は、初めまして、光影大神様。私どもは生前、意富加牟豆美命におつかえしておりました神職でございます」


 俺は今、行事を取り行う社の最奥にある偉そうな専用椅子に座って、大きな肘置きの上で頬杖をついてる。


 周りに立ち並ぶのはイザナギ、イザナミ、アマテラスとツクヨミ、清白。獄炎、殺氷も来てくれた。

 本当にありがたい。一声かけただけでみんなが来てくれた。

 美海さんには巫女を引き留めてもらってる。




 もう、二度とこの人達に会わせたくないから。

俺の最愛の人を害して、命を守れなかった人たちに。自分たちだけ無傷で生き残ったんだからな。


 全員怖い顔で、アマテラスにコンタクトしてきた神職達と通信画面を繋いでいる。

 なうとか言える心境じゃない。




 画面に映る神職達は現在日本に残った人だと主張して来た。


 霊力のある神職さんがかろうじてつなげてきた細い線を、アマテラスが増強してやっと会話できるレベルらしい。


 あまり、神職としての力が強いわけじゃなさそうだ。

 結界も張っていないから画面がクリアじゃない。神宮の中ですらなさそうだな。


 見た目は斎服を着ているが、普段は着てないんだろうな。上衣の合わせがズレてるし、袖の長さが違ってる。

 位置をきちんと合わせないと、こう言うことが起こるんだ。

 神職なら普通はこんな風にならないんだがな。


 黒髪、黒目でシャッキリとした顔が揃っているが、全員目が濁っている。

 この人達は、綺麗な心を持っていない。

 数人で平伏しているが、平伏の礼すらもきちんとできていない。

 どうして、この人達が神職としての権力を持っていたのかわからない。




「けふはいかがごとじ(今日は何の用だ)」


「…は?」


 俺たちは一斉に顔を顰める。

 礼儀も知らないのか。




「言の葉やあはあ通ひなしのかぞ?(言葉が通じないのか)」


「主様、これは古語かと」

「は?いや、元は現代人のはずだ」

「そう、言われておりますが」


「ふう。神職あらんに、何ゆえ其解しぬぞや(神職なのになんで理解できない?)」


「…な、なんと言ってるんだ」

「わかりません……」


 困ったな。流石にこの展開は予想外だ。

 みんなが見られる様に画面から見えない位置でコンソールを表示する。

 そこに、無言で打ち込んでいく。



《これどう思う?》

《話が進まないな。神職がなんで理解できないんだ。俺だって勉強して普通にわかるんだが。専門家だよな?》


《古語を話せる神職はまだいたはずだよ。吾が直属の子達は少なくとも古語で話していた》


《アマテラス直属じゃなくてもできるやついたよな?こいつら神職じゃないって事じゃねぇのか?目も曇ってるし、禊すらせずに繋いできてるだろ。》

《いや、獄炎。覚えているでしょう。私たちが調べた通りの人物像ですよ。写真は見ていませんが特徴は一致しています》


 みんな、怪訝な顔になる。

 神と交流ができるはずの神職が、どうして古語を話せない?おかしいな。



《私たちが代弁するフリをしよう。紀京、肩に触れて頭の中で喋ってくれ》

《わかった》


 イザナギと、イザナミが恭しく俺に礼をとり、画面に向き直る。

 おおう、演出か?


「私は伊邪那岐命」

「私は伊邪那美命」

「「お前達は我々が戴く最高神の言葉が通じぬのか」」 


 待ってー。俺まだ触ってないんですけどー。二人してハモりながらはじめてるし。



「イザナギ様とイザナミ様!?」

「いや、まさか!!」

「しかし、古代の絵姿そのままですよ」

「最高神って、お二人の上の神が現れたって事ですか?」



 神職の人たちがざわざわしてる。

 流石に二人のことはわかるみたいだ。


「「能のない其方達に変わり、新しき大いなる神の御言葉を伝える。心して聞け」」


「は、ははーっ!」


 ばらばらと二人に言われて平伏し直す神職たち。



《二人とも、言いすぎじゃないのか?》

《このくらいでいい。どうせくだらん内容だ》

《そうそう。紀京と直接話そうなど百年早い》


 ため息をついて、イザナギの肩に手を置く。イザナミ。不満げな顔しないの。女性に触れるのは巫女の御法度なんだよ。




「「今日は何の用だ。神職だと言うのに何故言葉が通じぬのか。」」


「はっ!あ、すいません!しばらく神職の仕事から離れてまして。ド忘れしてしまったんです」


 んー。この歳の人の喋りとしてもちょっと人となりを疑う発言だな。

 40代後半、神職ならある程度完成されていてもおかしくはない。

 敬語も危うい。すいませんじゃなくて申し訳ありません、だよ。


「「して、何用か」」


「は、はい。あのー、意富加牟豆美命がそちらに居ますよね?返してもらいたいんですよ。日本は今大変で。残った者達が苦労してるので正しく彼女の力が必要なのです」


「「ほう。私の妻を必要とな?今まで散々文字通り身を粉にして命を削ってきた私の愛しい神を所望するか」」


「は、え?妻?光影大神様は意富加牟豆美命を妻に?」


「「お前は敬称を忘れたのか?私やイザナギ達には様をつけ、意富加牟豆美命には様をつけぬ。侮っているのか」」


「は、す、すいません!!しかし、この日本の危機を救うためにですね」


「「口を閉じよ。日本の現状についてはこちらも把握している。

 残った人々は全て諸外国の人間達が救ってくれている筈。

 他の神職達とはつながっている。あちらからは、私を海外からも祀ってくれると報告がすでにあった。

 何を救うためだと言った?国土は全て海の下のはずだが。

お前たちは海の上にでも住まいを持っているのか?」」


「は、あの、はい」



 

 もしかして知らないとでも思っていたのか?日本で生き残った人たちは既に全員海外に移住してる。

いまさら青くなるとは、こちらとしても驚きが隠せないよ。


 伊勢神宮や他の力ある神社からはすでに打診があり、こちらが繋がなくてもちゃんと通信していた。禊をして、結界を張って、古語で話してくれて、心が綺麗な素晴らしい人たちだった。

 俺たちも手助けをさせてもらえたのは嬉しかったな。

 この世界からは出られないから、遠隔にはなってしまうけどちゃんと手伝えたんだ。


 日本にあった御神体を全て移動させたから、海外の神様とも相談してきちんと安置してある。

 それに伴って守りが全て消えた国土は全て海の底に沈んでいった。


 あとは御礼としてお祀りします、助けてくれてありがとうと…先日最終的なお礼を頂いたところだったのに。


 つまり、この人たちが言っていることは全て嘘。


 日本のためでもなんでもない。

 以前と同じく巫女を食い物にして金儲けをしたくて連絡してきたんだ。

 濁った心で、修行もしてないその欲深い考えで。




「い、いや、復興をしたいのです!取り残された神がいるので」


「「日本の八百屋の神は全てこちらにいる。御神体も引き上げられるものは、全て海外で引き受けているはずだが。

 どこにどの様な神がいると言うつもりだ?」」


「えっ!?古来の神様たちはそ、そちらにいるのですか?」

「それなら私らも連れてってください!」

「そ、そうだ!日本の神なら日本人を救うべきだ!」


 頭を抑えて、登ってきた血を押し留める。

アー、キレそう。



「お前達こっちに来たいのか?」


 清白が膝を落として画面をのぞきこむ。

 ごめん。早速抑えてもらってしまった。



「だ、誰だ?!」

「どうでもいいだろ!行きたいです!」

「出来るならさっさとしてくれよ!」


「ほおん。こっちに来たら、罪人は裁かれるぞ。日本だった頃よりも規格が厳しくなってるからな。

 現世で一回死ねば、こちらの黄泉の国には足を踏み入れることは可能だ。そのあとここに来られるかはわからんが。

 黄泉の国は冷酷なイザナミの担当だ。生きた頃にした所業は全て記録されていて、書類に記載され、その罪を償う行為が強いられる。もし来るならお前達の罪を俺が毎日教えてやるよ。」


「そうだな、私は冷酷無比で罪人はあらゆる辛酸を味わうことになるなぁ。

まぁ、神職ならばこそ道に反することはしているはずもない。

 それ、そこでやるが良い。現世に未練はなかろう?」 


《イザナミ。やめろ》

《どうせできないよ》

《だとしてもダメだ。その業をイザナミが背負うだろ》

《おや、紀京は私の心配してくれるのかい?嬉しいね》

《イザナミ……》


 はいはい、とイザナミが肩をすくめる。



 

「私の神がお怒りだ。其方らに自決を促すなと怒られたよ。

 新しき神はとても優しいんだ。素晴らしいだろう?

 ただな、こちらへ来たいというなら生きてきた行いを見直してからにした方がいいんじゃないのかな?」


「私たちが怒りを持たないとでも思っているのか?私たちの可愛い子孫の身を切り刻み、閉じ込め、苦しみを与え、外敵から守りもせず自分たちの役の糧にして無惨に殺したお前達に、恨みを抱かないとでも?

 神も感情があるのだよ」


「…………」


 沈黙か。そうだな。それが答えだな。


 


「「お前たちがこちらに来たいというなら歓迎しよう。どちらにしても寿命をまっとうした後に黄泉の国で会うことになるだろうから。

 私の妻を害した人間の顔が知れてとてもよき日だ。共に祝おう。長生きできるといいな」」


「ヒッ!」

「そ、そんなこと!意富加牟豆美命様が望んでいたんです!私たちのせいじゃない」

「そうだ!勝手に死んで、俺たちを置き去りにしたあいつのせいで貧乏になってる…日本を守っていたはずなのに、逃げやがったんだ!」

「あいつのせいだ!」


 大きな声で、叫び合う人たち。

 みんなが顔色を変える。


 うん、これはダメだな。掬い上げるきっかけを見いだせない。

 もしかしたら、俺は最初からこうしたかったのかも知れないな。

 巫女が言うように、綺麗な神様でいたかったのに。

 イザナギから手を離して、画面の前にヤンキー座りする。


 


「なぁ。お前達、知ってるか?」


「なっ!?喋れるんじゃないか!」


「そうだよ。お前達を試した。他の神職さんはそうしていたからな。

 俺の妻にしてきた残虐な行いを悔いて、神職として日本の人たちを救ってくれたなら…いくらでも手助けしたよ。他の神職さんから聞いたんだろ?俺たちが助けてくれるって」


「そ、そうだ!意富加牟豆美命がそちらにいるとも言っていた!返せ!あれは私たちの物だ!!」


 イザナギ、イザナギと清白が俺の背中にそっと手を置いてくれる。

 大丈夫。殺しはしないよ。

 そんな価値もないからな。

 ツクヨミ、獄炎と殺氷も手を重ねてくる。

 清白がそっと腕に寄り添ってきた。


 涙が出そうだ。

 俺の深い憎しみを、汚い心を、一生懸命抑えてくれる。

 俺のためを思ってそうしてくれる。

 俺には、俺を大切にしてくれる仲間たちがいる。



「意富加牟豆美命は俺の命だ。元々お前達の所有物ではない。

 返す?返したら何をする?

 夜中にうなされて、泣いて、痛いなんて一言も発したことがない、俺の大切な愛おしい人が…痛い、助けてって叫ぶような事をまた繰り返すのか?」


「そ、それは」


「身を切り刻むことが、どれだけ痛いかわかるか?痛くて死にたくても死ねないことがわかるわけないよな。

 わかっていたら繰り返すはずもない。


 お前達がこっちにきたら教えてあげるよ。切り刻むだけじゃ足りないな。

 腹の中が切り裂かれる痛みを教えてやる。

 俺はよく知ってるんだ。


 刃が肉に食い込むとな、内臓の中が熱くなって、奥から激痛が走るんだ。みちみちと音がしてさ。気が狂いそうになる痛みがずっと続くんだ。

 筋肉を断ち切りながら刃が血管を切って、肉の中に血を流すから熱く感じるのかな?

 耳の中からも痛みが来るんだよ。

 不思議だろ?耳は刺されてないのに。


 電流みたいに脳天まで衝撃が突き抜けて、手先が真っ白になって痺れてくる。

 口からは血反吐が出てくるし、失禁するだろうな。鼻も喉も血が出てくるから呼吸がヒリヒリするほど痛いんだ。


 息をしたくても肺が潰れてるから酸素が吸えなくて苦しいし、血が傷口から出てくるたびに内臓がこぼれ落ちる様な感覚になる。だんだん力が抜けてくるけど足が勝手に攣ってくる。

 その頃には全身が痛くてな。

 痛みの波じゃない。痛みが重なってどんどん強くなるんだよ。

 そのうち血が失われていくとともに自分の命が流れ出していくのを感じて、心の中が真っ暗な気持ちになる。


 目の中に黒いシミが出てきて、全部塗りつぶされて。

 倒れた地面に自分の重みで体が沈み込んでいくんだ。

 俺もまだ、たまに夢に見るよ。

 ずっと、忘れられない体の記憶が染み付いちゃうんだろうな。


 少ししか切らなくても、体を切る痛みは、恐怖は同じように重なっていく。

 それを妻に刻み込んだお前達が、こちらにくるというなら…少しは溜飲が下がるかも知れないな。

 もし、悔い改めるなら、懺悔は聞いてあげるよ。

 俺が大好きで、この世で一番大切な人を殺したお前たちを生きてる間もずっと見ていてやろう。


 ──絶対に許さないがな。」



 

 両手を握りしめ、肩が震える。

 パタパタと爪が食い込んだ両手から血が滴る。


 今すぐ殺してやりたい。

 でも、しない。


 俺には大切な人がいるから。

 そんなこと、してやらない。


 全員が無言のまま通信が切れる。

 真っ黒な画面に映る、ひどい顔をした自分に衝撃を受けた。


 俺、こんな顔してたのか。

 人を殺した後の顔と同じだ。

 ブラックネームになった時の酷い悪人顔。


「っ……」


 足がガタガタと震えだす。画面から目を逸らして、口を両手で押さえて床に蹲る。

 あんな人たちに巫女は長い間傷つけられてたのか。



 

 必死で声を抑える。

 体が勝手に震える。

ちくしょう。俺が何もできなかったからだ。


 俺は巫女に救われたのに。

 巫女……ごめん。子供みたいに悪態つくしかできなかった。


 本当は、反省してもらいたかった。

 ごめんなさいって、言って欲しかった。

 かわいくて、優しくて、心が綺麗な巫女を傷つけたことを、その尊い命を失った事を後悔して欲しかったのに。


 力をもった今でさえ、何にもできなかった。説得できるんじゃないかって、思ってた。


「紀京……」


 清白が上から覆い被さってくる。

 俺の強く握られた両手を優しく包み、広げてくれて、自分の手を挟んで俺に握らせてくる。



 

「これでいい。よく言ってやったよ。

 もう、紀京があいつらに関わることはない。この後あいつらが黄泉の国に来たとしても、イザナミが正しく裁いてくれる。紀京の言葉で、わずかに残った良心があるなら、死ぬまでに気づけるはずだ。

 ごめん。やっぱり言うべきじゃなかった。紀京と同じこと俺は言うつもりだった。紀京に言わせちまった。ごめんな」


 清白が悪いわけじゃない。

 誰も悪くないのに。

心が乱れて、何も答えられない。

 苦しい。刺された時の何倍もの痛みが、心にのしかかってくる。




「紀京」




 凛とした、優しい声が耳に届く。

 ぐしゃぐしゃになった顔で、思わず振り向いた。


「巫女?…どうして」


 巫女が泣きそうな顔をして、ゆっくり近づいてくる。後ろから眉を下げた美海さんも、中に入ってきた。


 清白が俺の手を離す。



 

「ばか。どうして一人で立ち向かおうとなんてしたの。ボクを呼んでよ。悲しいことを分け合うって、結婚式で誓ったでしょ?」


「み、巫女…」


「ボクのために傷付かないで。ボクの心が痛い。離れてたって、わかる。紀京の事なのに、わからないはずがないでしょう?」


 血だらけの手を握って、巫女の薬を塗りこんでくれる。

 優しく、優しく…柔らかい手が傷を癒していく。


 


「血が…ついちゃうよ」

「そんな事気にしてる場合じゃないでしょ。あの時も同じこと言ってた。

 スキルを禁止しても、こうやってすぐボクの身代わりになるの、やめてよ」


 両手を握り、顔が近づいてくる。

 や、やだ。俺は汚い。気持ちが悪い憎悪がまだ体の中にいる。

 巫女を汚したくない。 


「ばか」


巫女が無理やり唇を重ねてくる。

 血の味をがする…。巫女が俺の唇の傷を舐め取り、それが癒えていく。


 


「もうこんなことしないで」

「…うん」

 おでこがくっついて、巫女が涙をこぼす。


「ありがとう。ボクの代わりに怒ってくれて。リアルのボクも愛してくれて。嬉しい。とっても嬉しいよ、紀京」


「…巫女…」




 柔らかな体がぎゅう、と抱きしめてくれる。暖かい体温と、桃の香りが心を満たしてくれる。


また、巫女に救われちゃったな…。

 俺は深くため息をついて、瞳を閉じた。




 

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