番外編 殺氷の憂鬱


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殺氷side



「ぎゃーん!!!」

「うう。白雪、機嫌を直して下さい」


 先日初宮参りを済ませた我が子の白雪が白い肌を真っ赤に染めて、大粒の涙を溢している。

 白雪は手を離せば泣くし、抱いていても泣くし、おしめがほんの少し濡れただけでも泣く。


 子供とはこんなに泣くものかと櫻子と二人で驚く日々だ。

 流石にそろそろ限界を迎えた櫻子が、テーブルの上で頭を抱えている。


「殺氷、そろそろかわるわよ〜」

「あなたはご飯もろくに食べられていないんですよ。少し休まれては?」

「ううん、大丈夫よ。せっかく授かった子ですもの。このくらいの事は…」

「櫻子!」


 片手であわてて体を支える。

 ふらり、と櫻子が倒れ込む寸前で抱えられた。

「櫻子?目眩ですか?」

「っ……ごめんなさ…」

「櫻子!!」


 赤ん坊の鳴き声と、気絶してしまった真っ青な櫻子を抱えて途方に暮れる。



 

「殺氷、今何してる?」

「あああ紀京!!!助けてください!!!」


 紀京がタイミングよくメッセージをくれて、それに食いつく。


「うん、なんか嫌な予感がしたんだ。すぐに迎えに行く」

「お願いします!!!」


 二人を抱えて、瞑目する。

 神様…助けてください。


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「ん、問題ない。疲労が祟ったんだろう。寝れてなかったみたいだな」


 紀京が眠っている櫻子の脈を取ったり、瞼をあげて瞳孔の収縮を見ている。

 お医者さんみたいなスキルもあるから、紀京がいれば本当に何でもできてしまう。

 うちにも紀京を一人ください。と言いたくなる。


 ここは神界の社に作った簡易病棟。私たちが怪我をした時に紀京が治療をしてくれたり、仮眠に使ったりしている場所。

 シングルベッドが並んだ部屋の中は真っ白だ。




「すみません…仕事以外の事で迷惑をおかけして」

「迷惑なんて言わないで、もっと早く言ってくれればいいのに。殺氷も寝てないんだろ?横になってくれ」



 

 巫女がトントン、と櫻子の横のベッドをたたく。大人しく横になって、目を瞑る。


「寝てもいいからな。巫女、白雪ちゃんは大丈夫かな」

「うん。ちょっと泣きすぎてるから、回復してあげたほうがいいかも」

「それなら笛にするか」


 紀京が横笛を取り出し、回復術の恩寵を笛に乗せて広げてくる。

 優しくて暖かいそれが体に染み込んでいく。


「白雪ちゃん。パパとママはちょっと疲れちゃったんだぁ。ボクと一緒に遊ぼっか」

「たぁい!あぶぅ!」


「んふふ、いい子だねぇ。ゆらゆらが好き?トントンの方がいい?」

「あうあう!」


「ゆらゆらがいいの?わかったぁ」




 目を開けて、白雪を抱いた巫女を見つめる。

 白雪の赤かった目が回復して、ほんのりほおがピンク色になっている。


 ニコニコしながら巫女が体を揺らして、白雪は巫女の顔を夢中で見ている。


「どうして、巫女や紀京が抱くと泣かないんでしょうか」

「うーん。その辺はよくわからないけど。殺氷たちは、自分の心がどんな形をしてるのか、ちゃんと意識してる?」


「心の形ですか?」



「そう。殺氷も櫻子さんも、不安な気持ちが大きいでしょう?赤ちゃんは敏感だからそう言うのが伝わるよ。

 炎華さんはまだ不安もあるけど、獄炎は落ち着いてるからねぇ。泣いてもすぐ泣き止むと思う。」


「あぁ…なんて事だ。そう言う事なんですか」


「うん、多分ね。一日中見ているわけじゃ無いから、二人がどんなに大変かはわからないけどさ。

 ボクもこうして触って、目を見てると白雪ちゃんの気持ちは伝わってくるよ」


「そうでした。私たちはそれを習ったはずだったのに」




 警察の仕事をしていく上で、色んな事を習った。

 人心把握、掌握もそのうちの一つ。

 相手の目や脈拍、動作、言葉。それらをきちんと観察すればその人の心や考えは把握できる。

 そして、自分の心を穏やかにする事で相手を鎮めることもできる。

 私自身はそれを得意としていたはずなのに、何故我が子にそれが出来なかったんだ。


 泣かせていたのは自分だと言う事実が胸に突き刺さる。




「ふぅ。こんなもんかな。体はどうだ?」

「ありがとうございます、紀京。すごく楽になりました」


 体を起こして、眠っている櫻子の顔を見る。

 顔色が良くなった。

 私が夫として支えなければならなかったのに。

本当にすまない。なんて役立たずな夫なんだ。

 


「殺氷は頭がいいから色々考えすぎなんだよ。

 俺なんて白雪ちゃんも紅炎ちゃんもかわいいな、小さいな、としか思ってないぞ」


「ボクもそうだなぁ。二人の間に生まれてきてくれた、大切な命だから本当に愛おしい。かわいいねぇ、白雪ちゃん」

「あぶぶ!」


 紀京と巫女が白雪を覗き込み、優しく見つめている。本来であれば、私たちがそうするべきだった。


「力不足を感じています。櫻子も私が支えなければならなかったのに」


「それも問題だな」



 

 紀京が巫女の肩を抱いて、眉を下げる。


「夫婦は支え合っていくんだから、一人で背負うのは良く無い。なんでも半分こして、辛いならこうして抱きしめればいい。一人でどうにかしようとするから疲れちゃうんだろ?」

「んふふ。獄炎も殺氷も大人なのにそう言うところ不器用だよねぇ。」


「うぅ、全くもっておっしゃる通りです」

 

「二人できついなら俺たちもいるし、清白だって喜んで面倒見てくれるぞ。何もかも抱え込むんじゃなくて、頼ってもいいと思う。白雪ちゃんだって殺氷が苦しむのを見たくは無いよな?」

「あぶぶぅ!たぁ!」

 


「はっ!こ、ここは?白雪!白雪はどこ!?」


 櫻子が目を覚まして、白雪を探す。

 母親の本能は物凄い。

 野獣のようだと獄炎が言った通り、恐ろしくなるほどにそれを感じる。


「櫻子さん、ここにいるよ」

「あぁ!白雪!!」


 巫女に手渡されて、白雪を抱きしめて涙をこぼす。

 胸が締め付けられて、思わず櫻子のそばに座り、抱きしめる。


「殺氷?珍しいわね…」

「良質な教師に習った通りにしただけです。すみません。こんなになるまで気づかなくて」

「私も気づかなかったわ。自分の事なのに。白雪も、ごめんね」


 櫻子に抱かれた白雪はじっと青い目を私たちに向けている。


「紀京が回復してくれたの?ありがとう〜」

「ん、どういたしまして。櫻子さんも無理しちゃダメだよ。いくらでも回復なんかしてあげるから。頼ってくれ」


「ふふ。頼もしいわね。巫女ちゃんもありがとう。白雪がご機嫌だわ〜」


「んふふ。櫻子さんの子だからねぇ。可愛くて仕方ないよぉ」


「そう言ってくれると本当に嬉しいわ…ありがとう。ありがとうございます…」




 櫻子が涙をこぼし、巫女が背中を撫でてくれる。元々こんなふうに泣く人ではなかったのに。櫻子は本当によく泣くようになった。

 ホルモンバランスのせいもあるが、子供を産んだ母は感情の起伏が激しい。

 私よりも辛い思いをしていたのは櫻子だったんだ。




「さて、二人とも。落ち着いたらお腹が空いただろ?今日の昼はずり上げうどんなんだ。食べていくか?」 


「「ずりあげ??」」


「んふふ。そう。面白いんだよ。影が教えてくれたの」

「あぁ、影が…最近よく神界に来ていますね?」

「影さん優秀だからな。事務所でこき使われてる。清白と相性がいいみたいでな」

「過激派の仲間入りしたもんねぇ」




 なるほど。紀京と巫女だいしゅき派閥というアレですか。

 私と獄炎も入りたいのですが。

 どうやって入ればいいのかわかりません。


「たくさん食べてゆっくりしていくといいよ」



 紀京の微笑みが胸に染み込んで、心の中まで癒されていく。

 私が助けを求めた神様は、心まで癒してくれる。大変優れた回復術をお持ちなようですね…。


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 ズルズル、とうどんを啜る音。

 ホワホワの白い湯気が暖かい。


「鍋から直接食べるものだとは。つゆも独特の味ですが癖になりますね」

「うーん!美味しいわ〜。何が入っているの?」


 アマテラスが取り出したちゃぶ台の真ん中に乗せられた大きな鍋。

 うどんを茹でたままのそこから麺を取て、自分のお椀のつゆにつけて食べる。

 面白い食べ方ですが、これがずりあげうどんというなら名前の通りですね。


「しょうゆと味の素だけですぞ。簡単だし、ネギや野菜を入れたら栄養も取れます。ちゅるちゅるしてて食べやすいし、消化もいいのです。ずりあげて行くと最後につゆが薄まって、スープになります。

 簡単だからすぐできるし、おすすめの食事ですな。神様達も皆さんお好きですよ」


「影は本当に入り浸ってますね。まさか毎日ここに?」

「はっはっ。清白殿が手放してくれませんのでな。毎日来ております。仕事はちゃんとしておりますよ」


「その心配はしていませんが、無理に連れまわされてませんか?」 



 初心者服の浄衣から変わって、支給されている軍服に身を包んだ影が優しく微笑んでいる。

 彼の見た目は20代だが、中身は先日80歳を迎えた。


 美海の美容室で髪をやってもらっているので最近はおしゃれに目覚めつつある。

 黒かった髪が茶髪になってツンツンしてるし、顎髭も生やし出している。

 顔が優しい作りをしているから髭が微妙にマッチしていないが、なんとも言えない人懐こさがある姿だ。


 



「無理にでは無いですぞ。清白殿も優しい。私の事をきちんと気遣ってくださっています。私もここが好きなのです。過激派ですからな」


 そう言いながら、影が壁際で白雪を抱いてあやしてくれているアマテラスと紀京、巫女をチラッとみて満面の笑みになる。

 思えばおしゃべりをしながら食事ができるのも久しぶりだった…。


 

 紀京と巫女の優しい暖かさに満ちたここは、毎日来たくなるのはわかる。

 現世との関わりを断ち始めて、紀京達と会うためにはここにくるしかなくなったから。

 二人に会いたがる人は多いが、清白が新聞社を通してリークした神職面接の事件や、市井に降りたときに起きたいざこざなどを出させてしっかり情報統制している。

 混乱はなく、ただ紀京達への同情や『そんな思いをしてまで尽力してくれていたのか』という気づきがあり、世間は落ち着いている。

 清白の辣腕もさることながら、そもそも二人の行いがそう思わせる根源なのだとようやく皆んなが気付いた。


 神様があまりにも優しすぎて、みんなで頼りすぎてしまっているのだとは思う。

 私だけその恩寵に預かってもいいんだろうか?


 


「まーた難しい顔してんな」

「清白!?いつからそこに!?」


 いつの間にか影の横に清白が座って、頂きます、と手を合わせている。


「隠密スキルカンストしたからな。気づかなかっただろ。

 俺たちは紀京の特別枠なんだからちゃんと甘えろ。そうじゃないと紀京も巫女も心配するだろ」


 箸でビシッと指されて、私は唸るしかない。


「独り立ちするのは子供だけだ。大人の俺たちは紀京と巫女にデロデロに甘やかされて幸せに暮らすんだよ。

 それがあいつらの望みだからな」


「そう、なんですか?」

「俺たち過激派は公認だからいいの。

 現世の奴らまで面倒見させてたまるか。俺たちの分が減るだろ」

「清白殿は気持ちいいまでに我儘ですなぁ」


「影もわかってるだろ?あいつらは優しさを抑えることができない。大人数に振りまきすぎると害悪なんだ。

 俺たちだけでそれを独占しないと、他の成長が止まるし紀京達にも害を及ぼす。

 俺たちが優しさを受け取れるのは対等だからだ。施しじゃねぇ。」


「たしかに。清白殿はどう二人に何かを返せるのかと、そればかりですしな」


「ふん。当たり前だ。受け取るのが当然だと思ってるやつに、あいつらの愛情を受け取る資格なんかない」


「くっくっ。言葉がきついですが清白殿も優しい事に変わりありませんよ」


 影と清白がポンポンと会話しているが、内容は過激極まりない。

 でも、そのくらいで良いのかも知れませんね。


 


「私も過激派に入りたいのですが」  


「あん?仲間内はみんな過激派だろ。ボスは俺だ。」

「ずいぶん人数が多いですな?」

「もう増やさないぞ」

「それはとても良い。取り分が減りますからな」


 わはは!と二人が笑い合っている。



「アブナイ集団に仕上がりつつあるわねぇ〜」

「まったくですね。だが、それが良い。こんな風にして時が進んでいくのを楽しいと思ってしまいますよ」

「うふふ、そうねぇ〜。私も幸せだわぁ。」


 

 櫻子がふんわりと微笑む。

 あぁ、私はこの笑顔が好きだったんだ。

 リアルに戻れなくなって、その事に感謝しながらも残してきた…元嫁を思っていた私を、優しく溶かしてくれた、この笑顔が。

 食べ終わった櫻子の元に白雪を戻してくれる紀京。その優しさのかけらが白雪にも宿った気がする。

 暖かい手のひらが私の肩に触れ、離れて行く。

 

 お互い微笑みあうと、白雪がつられてほのかに微笑む。


「白雪が笑った…」


「白雪、すまなかった。かわいい白雪…」

「ぐすっ。かわいいわね。私たちの子」


 ぽたり、と溢れた涙が白雪に溢れて、今度こそ満面の笑みを浮かべる私たちを、みんなが優しく見守ってくれている。

 幸せな空間。幸せな時間。


 私たちはいつも紀京に、仲間に支えられている。

 そのことが本当に嬉しい。


 胸いっぱいに広がる温かい気持ちを噛み締め、白雪のほおを撫でた。

 

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