第二十三話 黄泉の国で社畜戦士


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 紀京side



 映画館に到着して、大きなホールをぬける。あー。この独特の匂い!あまーいキャラメルポッコーンの香りが室内に立ちこめている。

 イザナミが胸元からチケットを取りだし係の人に渡す。

 腕を引っ張られつつぶ厚い絨毯の上を歩き、たくさん配置された座席のど真ん中に腰を下ろした。




「さすがに映画館も見慣れたな。黄泉の国で世間を知ることになるとは思わなかったよ」


「ふふん。元々の現世と寸分たがわぬ物ばかりだ。黄泉の国はいいだろう?私と共にここで暮らそう」


「ブラック企業に就職したくない」




 腕にむぎゅりと胸が押し付けられる。

 重たい。肉まんが頭をチラつく。


「紀京、どうだい?」

「どうって?重い」

「むー……」


 天井の灯りが落ちて、映画が始まる。

携帯電話の電源を切れ、とか撮影しちゃダメだという画像が流れたあと、見慣れた部屋が映る。

 ここは俺の店、俺の寝室だ。


「はぁー。またこれか……」

「ふふふ。紀京が今一番見たいものだろう?」

「本当に現実なら見たかったけどな。嘘ばっかりなんだもんなぁ」

「どうして嘘だと分かる?巫女が本性はこうかもしれないじゃないか」



 スクリーンの中、俺が布団に横たわって、そのすぐ側で巫女が泣いてる。

 そこへ殺氷さんがやって来て、二人で話しはじめた。

これは…現実も混ぜてきたな。美海さんの話をしてる。

 

 巫女が益々細くなってる。ご飯食べてないのか。本物を見たら見たで心が乱れて、ため息しか出ない。

上手く笑えていない巫女の表情が、胸に突き刺さってくる。



「これは本当だよ。食事もできず、紀京の世話をずっと焼いている。健気なものだ」

「そう思うなら帰してくれ。もう散々こき使ったろ」


「仕事が嫌なら私がずっと囲ってあげよう。お前のことが好きだよ」

「そうかい。そりゃどうも」

「つれない男だねぇ」




 スクリーンでは殺氷さんが巫女とキスしてる。

嘘と現実を混ぜてくるとは。技術が上がってきたな。

 画像が切り替わるとすぐわかるのになぁ。巫女の偽物なんて、俺がわからない訳が無い。

こんなモノ見せられて、機嫌悪くなっても仕方ないと思うんだよ。


 俺は、もうずっとへそが曲がってる。

 黄泉の国に来てからすぐにさっきの車に載せられて、イザナミに俺がどういう風にして死んだのか説明された。

 覚えてるって言ったのになぁ。


 そのままイザナミが巫女の姿に変わって、絡みついてきて、クルクル回るベッドのある、やたらチカチカする色の明かりがついた部屋で素っ裸にひん剥かれて。


 なんか色々してきたが、そういうの知らないんだよ。

巫女じゃなきゃドキドキしないし。何のためにしてるのか訳が分からん。


 


 俺がなんにも反応しないもんだから、イザナミがムキになってるんだよな。

俺を黄泉の国へとどまらせるために、あの手この手で誘惑してくる。

 これもその一環。巫女に浮気させてみたり、殺し合いさせてみたり、色んなものを見せてくるが画面に出てくる子が明らかに偽物だから心に何も響かない。



 イザナミがもりもり食べてるポップコーンはちょっと気になる。

 ポリポリ、サクサク音がしてる。

くっ。ヨダレ出てきた。

 食べ物は見れば食べたいなぁと思うものの、いつもそばにいてくれた巫女が居なくて寂しくなる。

 黄泉竈食になるから、ぜったい食べないぞと思ってたけど、そもそも食べれなかった。


 一度だけ誘惑に負けて箸を持ったが、巫女の綺麗な所作を思い出して胸がいっぱいになってしまって、動けなかったんだ。




 生活の全てに巫女が居て、巫女の姿が浮かんできては消えて行く。

出会ってからこんな風に離れた事なんてなかったしな。


 こんなふうに触れないだけで、話を出来ないだけでこんなに辛いだなんて。

 離れて見てわかる、自分の気持ち。

 巫女への愛情や恋慕が確かなものとして俺の中に存在していると、毎日確認しているようなものだ。会えない時間が愛を育てるなんて昔の人は言ってたな。


 その通りだよ!クソっ。




 毎日こんな時間を過ごすのもうんざりした頃、川上さんがやってきてイザナミに泣きついた。

 俺の転生の後、都心が崩壊したから沢山の人が一気に冥界にやってきたんだ。

 会社の受付は朝になると行列ができる。それをかき分けながら出社するのがまたキツイ。



 俺はその手順はすっ飛ばしたらしいが。

 巫女ファミリーが何か関与してることしか分からなかった。イザナミは、祈りが守っている、とか言ってたな。

後でお礼言わなきゃだなぁ。


 普通は黄泉の国で転生の手続きが必要らしく、人員が足りなくて…死にそうな顔して泣きつく川上さんに「手伝おうか?」と言ったのが運の尽き。


 毎日残業の日々だ。


 


 触ったことの無いパソコンや書類、電卓。

 会社のデスクは病院のサイドボードによく似てる材質だったな。

 ここは、健康なら俺が経験するかもしれなかった現世が再現されている。

スーツとか革靴とか、何もかもが初めての物ばかりだ。


 ツクヨミが言った社畜戦士の意味も良く理解してしまったな。

 俺は黄泉の国でこき使われてヘトヘトな社畜戦士だ。

 神様の世界のアレコレや、役所みたいなやり取りの中身もほとんど把握している。

神様社会の中身、仕組み自体は完全に頭に入った。


「はっ…巫女だ…」



 ふ、と桃の香りが漂ってくる。

 巫女の香りだ。毎日決まった時間に巫女がぱわーをわけているらしく、こうして匂いで知らせてくれる。

 

 胸の中がいっぱいになっていく。

 あったかいな。

 早く抱きしめて、キスしたいよ。

 会いたいな……巫女……。




「チッ。しぶといな。全くなんなんだお前たちは。離れていても心はひとつとでも言うつもりかい?」


「本性出てるぞー。いや、心は一つじゃないぞ。ひそうはなりたくない」

「ほぉ?なんだ、色仕掛けの効果が出てきたかな?」

 

 巫女を真似た偽物の笑顔が近づいてくる。手のひらでむぎゅ、とそれを遮って押し返す。



 

「やめろ。俺の唇は巫女のものだ」


「男が言うセリフか?それは。心が別れているのに、なぜ私を受け入れない?」


「なんか勘違いしてるだろ?心ってのはその人そのものだ。俺たちは別々だからお互い繋がりあって愛し合ってる。ひとつになったらキス出来ないだろ?そんなの嫌だね」

「……屁理屈だな」


「そうかもな。人それぞれの考えだからなぁ。そもそも好きな人がいて、その人と離れたとして。どうして恋人じゃない他の人とこういう事するんだ?

 俺は離れていても巫女のことが好きだ。

 どんな時も巫女が心の中にいる。たとえ振られたって、俺が愛する人は生涯一人だけだ」


「ふぅん。ずいぶんな自信だな?結婚までたった二日三日だっただろう?本当にそんなに好きになれるのかい。可愛いから所有したいだけだろう?恋に恋するお年頃だ紀京は」


「出会ってからの日数は確かに少なかったなぁ。本で読んだ知識の常識の上だが。

 それでも生きてきたどんな瞬間より生きててよかったと思えたよ。

巫女はみんなに愛されてる。巫女の心も生き方も全部がいいんだ。所有じゃないよ。さっき言ったろ?振られたって巫女しか愛せない」


「ああして浮気しているじゃないか?」

「あれは偽物。全然似てない。せめてもっとちゃんと巫女を観察してくれんか」


 


 イザナミが巫女の写真を取り出す。

 俺、それ欲しいな。


「あげないよ。……どこが違うのか、私には分からないんだがねえ。どう見てもそっくりだろう」


 自分から偽物だって認めるなよ。

まったく。


「映画の子は三人?四人くらいか。一人目の子はホクロの位置が近すぎる。巫女のホクロは眦下だ。

二人目の子は顔の骨格が違いすぎる。巫女は顎がもっと細いし、鼻の形も違うし、耳も違う。

三人目の子は髪の毛の色がワントーン暗い。巫女はもっと綺麗な白だしツヤツヤして柔らかい。長さも違うし。

四人目の子が一番似てない。巫女はもっと体の動かし方が洗練されてる。あんな風に座らないよ」


 スクリーン上で未だに熱いキスを交わしている巫女の偽物さんは、俗に言う横すわりをしてる。ぺったりおしりをつけて膝がかなりズレて床についてる。背中が猫背だし。


 


「巫女があれをする時は、おしりが少しだけ接地して、背筋が伸びて、ほんの僅かに両足をずらして斜めに流しておくんだ。

 隙がないし、すぐに立てるようにしか座らない。あんな風にだらしない座り方はしないからな」


「流石に気持ちが悪いよ。そこまで覚えられるのかい?」


「好きなんだから覚えて当然だろ?前も言われたなそれ。あー。無駄な時間だなー。早く帰りたいなー。本物の巫女に会いたいなー」

「チッ」




 バタバタバタ……と足音が聞こえる。


「イザナミさま!!!」


 お、巫女のニセモノさん達だ。やっぱり四人か。この人達隠す気あるのか。


「なんだい?そんなに慌てて何事なんだ」


 真っ青な顔をしたニセモノさんたちは涙を浮かべている。


「川上御前が!神殺しに遭った時の犯人が捕まって……」

「ほう。ようやくか。それで?」


「市中引き回しの途中に逃げ出して、川上御前と殴りあってます!!」


「それはいけないね。紀京、ついておいで」

「おん、川上さんが大変なら行く」




 うーん、ここに来ても事件か。神殺しってことは、神様も殺せるのか?

 ツクヨミは死ねないって言ってたが、殺せないとは言ってないな。


 黄泉の国で、何だかんだたくさんの収穫を得てはいる。

 そろそろ帰りたいんだが、川上さんが心配だな。 イザナミと揃って車に乗り込む。




「神殺しってなんだ?神様は死なないって聞いたけど」


 アキチカー!と言いながら群がってくるゾンビたちを手のひらに乗せて、イザナミに尋ねた。


「神を殺せるのは神だけだ。私を殺せるのは私が直接産んだ子達だけ。要するに近縁のものしか殺せない」


「なるほどな。てことは川上さんを殺したのは家族か」

「母親だ。岡本川という川の神だよ」

「そうか……」



 母に殺された子か。川上さんのことを思うと、胸が痛いな。


「紙漉きの技術を持った川上は、和紙職人達に愛され、神として人からの信仰が篤かった。母はそれが疎ましくてね。所謂毒親と言うやつさ。独立して川上が神社に祀られ、神としての神格が上がる日に呪殺した。神殺しは大罪、その魂を消される運命だよ」


「なるほどなぁ。キツイ話だな」



 俺にとっての母親は泣いていた顔しか思い浮かばない。

 可哀想に、こんな体に産んでごめんなさい、私が病気なら良かったのに、とよく言っていた。

 俺は違う言葉が欲しかったけどな。


「ついたよ。あぁ、決着が着いたか。」




 イザナミが車からおりると、真っ黒な衣を纏った女性に姿が変わる。

 天女の衣みたいなふわふわした服だけど、髪の毛も黒、目も黒、この人もまっくろくろすけだ。

 日本画の見返り美人みたいな感じ。

 細い目がさらに細まり、薄い唇が開く。


「さぁ、おいで。神殺しの結末を見届けよう」


━━━━━━



「なんで母ちゃんはワシの事そんなふうに言うんダ!ワシは可哀想じゃなイ!いい加減にしロ!」


「おぉ、母に向かってそのような!私の育て方が間違っていたのだわ!可哀想な子!!」


「岡本、川上、控えよ。イザナミ様がお越しだ」

 槍を持った兵隊がイザナミの来訪を告げる。


 兵がいるのになんでこんなふうになってるんだ?仕事しなよ。獄炎さんが居たら怒ってるぞ。


 


 川上さんが泥だらけで地面に平伏し、すぐ傍にいるふくよかな女性も同じように頭を下げる。十二単って言うんだっけか。煌びやかな装いだ。

 市中引き回しってあんな服でするのか? 

 周りを取り囲んだ黄泉の国の神達。誰も止めなかったのか…。


 川上さんに駆け寄って、回復法術を施す。ここでも使えるんだよな、スキル。

肩に乗っかったゾンビたちが法術の光を見てピーピー言ってる。

 ごめんて。ゾンビには逆効果だもんな。

 神様には通じるのが不思議だが。死んでも神様は神様なのかな。位が高い低いもあるのかな。



「紀京……すまなイ」


「大丈夫か?泥だらけだ。ほら、ハンカチ。顔だけでも拭きなよ」

「うン」


 ハンカチで顔を拭いているが、辛そうな顔をしてる。

 母親を見てみると、袖で顔を隠してるが、全く汚れてないな。川上さんが一方的にやられた感じか。




「い、イザナミ様」

「私の名を口端に乗せるな。我が子を殺しておきながら何をしている。まだ川上を苦しめたいのか」


 おー、イザナミおこだな。

 平伏した岡本さんの頭に足を乗せてぐりぐりしてるし。


「やめろ、イザナミ」

「紀京、偽善者ぶるのはおやめ。さっき聞いただろう。神殺しの大罪人だ」


「それは分かってるよ。でもイザナミが個人的に痛めつけるのはやめろ。それこそ川上さんが見てるだろ」


 川上さんが、じっとこちらを見ている。

 目に、涙をいっぱい溜めて。




「私は、私はあの子を産んだことを後悔しています。人に騙され、蔑まれ、利用されて祀り上げられ、あの子は神社に閉じ込められた可哀想な子なのです!」


 岡本さんが這いつくばったまま、震えて呟いてる。あー、めちゃくちゃ聞いたことあるなーそれ。




「ワシは自分で望んでそうなったんダ!人の役に立って、技術を教えて、幸せだっタ!」


「それが騙されていると言うの!自由もなく、社に縛りつけられて、神格が上がったら私とは離れ離れなのよ!」


「母ちゃんはワシを思い通りにしたいだけだロ。いつも母ちゃんの顔色を伺う弱くて可哀想な子の、ワシが必要だっただけダ!ワシが紙漉きの練習してれば邪魔して、人間と仲良くすればそいつの村を流して、ワシの幸せを奪ったのは母ちゃんじゃないカ!」


 なるほどな…これは確かに毒親と言える。

 でも、川上さんの表情が気になる。

悲しげで、寂しそうで、何かを一生懸命堪えてる顔。


 


「お前なんか!お前なんか産むんじゃなかった!!私が産んでやった恩も忘れて、母に酷いことばかり!慈愛のない子など生きる価値もない!」


 母親が怒りに満ちたその顔を上げる。

 ほおが垂れて、シワシワのおばあちゃん。

随分年上の神様だな。見た目が若い神様ばかりの中では珍しい。




「何言ってんだ!子を殺しておいて!」

「醜い化け物め!」

「老神になるのは大罪人だけだ!」

「シワシワ!」


 周りを取り囲んだ神が口々に叫び、石を投げる。母親が体を丸めて、悲鳴をあげる。


「……ッ……」


 川上さんが顔を逸らして目を閉じ、涙を零した。

 ん、分かった。




 人垣をかき分け、岡本さんに飛んでくる石を撃ち落とす。いてて。頭はヤメテ!


 岡本さんに回復法術をかけながら、石を投げる神を見つめる

 やめてやってくれ。こんな事してもなんの意味もないだろ。

言葉にはしない。神様なら伝わるはずだ。

 だんだんと石礫が止まり、静かになった。




「川上さん、おいで」

「紀京……」

「ほら、怪我はしてないよ」

「…………」


 川上さんが走ってくる。


「ちゃんと話そう。川上さん。」

「…どうしテ…」

 川上さんの小さなほっぺたに流れる涙を指で拭う。


「こんな顔して。お母さんが傷つけられるのが嫌だったんだろ?お母さんのこと、大切に思ってるんじゃないかなと思った。それなら、ちゃんと話さないと」


「うン」



 震えたまま蹲る、母親の肩に手を置く。

 ビクッと跳ねた後目が合う。

 なんだ。おなじ色してるじゃないか。


 可哀想なのは、あなただよ。



 

「岡本さん、他人の俺が言うのもなんだけどさ。口にした言葉はそのまま相手に届いてしまう。

 本当はこんなこと言いたくないのにって思っていても、そのままその言葉の意味で伝わるんだ。喧嘩してる時なんて特にそうだよ。


 川上さんは、あなたを傷つけなかっただろう?

彼女が弱いんじゃない。強いから、あなたの拳をその体に受け止めていたんだ。

 母親を大切に思っている子が、手を出せるわけないだろ?心を鎮めて、川上さんとちゃんと向き合って心のままに話してくれないか」


 ハッとした彼女が、川上さんを見る。

 そうだよ。川上さんが一方的にやられたのは、心が強いから。

母親の気持ちを、その身に受けていたんだ。

 恐らく、殺された時も。


 俺はヤンキー座りして、向き合うふたりを見守る事にした。




「母ちゃん、ワシを産んでくれたことは本当に感謝してル。でも、人の役に立つのがワシらの使命だロ?村を流したり、ワシの技術の邪魔したら、良くないだロ?母ちゃんはワシの事そんなに嫌いカ?」


 母親がじっと川上さんを見つめる。目が細くなって、ほのかに笑みが浮かぶ。


 


「嫌いなわけ、ない。私の子だもの。お前が離れて行くのが寂しくて…本当は、背中を押して、自立していくのを手伝わなければならないと思ってはいたの。

 でも、出来なかった。可愛くて仕方ないお前が、この手を離れることが怖かった」


「母ちゃん。ワシは母ちゃんから生まれたから、紙漉きができるんダ。紙は綺麗な水でしか出来ないだロ?

 母ちゃんの子供だからできたんダ。

 離れていたって、ワシは母ちゃんの子だヨ。母ちゃんのこと、大好きダ」


「…お前……」


 母親の瞳から、涙がこぼれる。

 一瞬だけ、俺の母親と重なるその姿。

キラキラして、陽の光を弾いて…すごく綺麗だ。


 


「だから、ワシは悲しかったんダ。母ちゃんが産んでくれたのに、役割を果たせず死んダ。母ちゃんの寂しさが分からなくて、寄り添えなかっタ。神殺しの罪を負わせてしまっタ。ごめんナ、母ちゃン」


 涙腺が決壊して、母親が滂沱と涙を流す。

 静かに、静かに顎を伝ってたくさんの涙が落ちていく。



「私は、私はなんてことを!こんなに優しい子を…この手で…」

「母ちゃン」


「ごめんよ、ごめんよ!!母ちゃんが悪かった!お前の夢を応援もせず、自分の寂しさだけのためにお前を殺して、お前の幸せを奪って。なんて、なんて愚かな事を…」


 


 両手を覆って泣き出す母親を抱きしめ、川上さんが瞳を閉じる。


「後悔ができるなら、ワシも救われル。もう会えなくなるけど、ちゃんと罪を償って欲しイ。決まりだからナ」



 

 イザナミが衣をふわふわと翻しながらやってくる。もう連れてっちゃうのか…。


「岡本。神殺しの罪は、魂の消去だ。分かっているな」


「はい、イザナミ様。神を殺した罪を、子を殺した罪を、私の命で償います」


「ふ…お前が罪を認めるなら、輪廻の輪に返してやれる。こんな事はそうそう起こらないから知らぬだろうが。堕ちた神はそうなれないのが常だ」



 えっ、そうなのか!?

 川上さんが、悲しみを湛えたままだがほんの少し笑顔になる。


「イザナミさま!本当ですカ!」

「あぁ、そうだよ。ただし、命の始まりからだ。命の始まりは微生物から、そして虫や動物、人間を何千年と繰り返しても、また神になれるかは分からない。命の流転は始まりの紙である私にも手が出せない」


「それでも、生まれ変われるんだロ?魂は存在すル!ワシだって神様だ!また会えるまで、ずっとずっと何十年でも、何百年でも何千年でも待ってル。

 な、母ちゃん。またワシの所に来てくれるだロ?また一緒に暮らせるだロ?

そしたらもう、寂しくないナ?親孝行できるナ!!」




 川上さんの言葉が、自分の心の奥のささくれを優しく撫でる。

 ただ真っ直ぐに母を見つめていつまでも待つと、そう告げる言葉が俺を癒してくれる。


 こくり、と母親が頷く。

 下を向いて、顔を上げた瞬間に随分若返ったな。

 なるほど、そういう感じか。神様ってわかりやすいんだな。心の動きが顔に出るのか。



 

「兵たちよ、罪人を連れていけ。川上、別れの時間をやろう。見送るといい」

「は、はイ!ありがとうございまス!」


 ぺこ、と頭を下げて、俺の顔を掴んでくる。いでで!何すんだよ!


「おい!紀京!お前!……良い奴ダ!ありがとウ。本当にありがとウ」

「ん。人間としては複雑だが。優しく見送ってやるんだぞ?」


「うン!!」



 

 手を振って、母親と手を繋いで歩いて行く。

これから別れを迎える二人の後ろ姿は、とても切ない。


「紀京……そなたは驚く事ばかりするな。何故、川上の心がわかる?」


「ちゃんと目を見ていればわかる。普通の事だろ。川上さんは表情豊かだよ。素直で、優しくて、可愛い子だ」


「お前の普通は普通ではないよ。…ありがとう。私も黄泉の国の主として、礼を言う」


「ふふん。どういたしまして。

 難しいよな、親子ってさ。俺も可哀想だって言われてたから、川上さんの気持ちが何となくわかるよ」

「前世は…病で死んだのだったな」


「そう。もうそれは過去になったけど。

俺の母には、頑張ったなって言って欲しかった。生きるのが辛くても、一緒にいて笑いあっていたかった。俺も、産んでくれてありがとうって言いたかったよ」


「…そうか…」




 遠くなっていく親子の姿を、見えなくなるまで見送る。

 いつか、違う命で母に会えたら…今度こそ伝えたい。俺も。




 

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