第6話 拷問のこと

「ひい、ひい。うまいこと逃げ出せた。こんなところ絶対に逃げ出してやる」


 一人の死人の方が獄卒の眼を盗んで、脱走しようとしている。

 衆合地獄のこの通りは、人手不足で獄卒の見張りが少なくここから逃げ出す死人の方が多いと聞いたけど、おそらく死人の方にもその噂が流れついたのかもしれない。


「あの、そこの殿方」

「お、女子。いや人であるか。助かった。主もここに落ちたのか。ほれいっしょに逃げようぞ」


 男は突然現れた私に警戒心もなく、逃亡の手助けをしようと手を伸ばす。それと同じく鼻の下も伸びている。着物の間にわざと少し肌をはだけさせた相手の男の目線がそこに釘付けになっている。私の後ろにある得物にはまったく気にも留めず。


「実はこの先に危ういものがありまして。お耳に入れたいのです」

「ほう、それはなんぞ」

「それは……ふんっ!!」


 ぐしゃっ!

 一心に振り抜いた鉄棒が死人の方の頭部に直撃し、彼の頭部だったものが地面に飛び散ってしまった。残った体の部分は意識でもあるのか、びくびくと這いながら、私に向けて手を伸ばしている。

 すると、死人の方の脚に獄卒の方が二本のロープを巻きつけ、元来た方へと引きずり戻されていく。


「おらっ、ここから逃げられると思うなよ。ここは地獄だぞ」

「頭はまた元に戻るから、また拷問される悦びを味わえるぞ」


 ひくひくと死人の方は特に抵抗する様子もなく手を震わせるだけで獄卒の方に連れ戻されていく。

 これで四人目、みんな一撃で仕留められてよかった。一応、私の背後に援護としてエンキが控えてくれているから安心もあったのだけど。と思っていたら、エンキが口を開けてニコニコと私の周りを回って喜びの舞を舞っていた。


「すごいね。脱走衆人連続で追い返しちゃった」

「四回目ですが、未だ心の蔵が跳ねています」

「じきに慣れます。血もただの汚れにしか見えませんよ」


 鬼庭様が返り血にまみれた私の顔を、濡れた布で吹いてくれた。


 尾鬼様の提案で、脱走した死人の方専門の拷問兼足止め係として、鉄棒を手に、彼らを追い返す仕事をいただいた。私が同じ死人というのもあり、皆気を許して抵抗もせず一撃をもらっていた。


「これ、あと何刻すればよいのでしょうか」

「脱走衆人は毎日四五人は出ています。もちろん人数目標でなく時間ですので後一刻はここでお待ちする必要があります」

「一刻も」

「ボクもお手伝いするよ。いいよね、不喜処地獄畜生余っているんでしょ」

「異動は閻魔様の管轄ですので、閻魔様のご裁定待ち」

「我を呼んだか」


 聞き覚えのある声が不意に後ろから届き、振り向くと久鬼様が袖を重ね合わせて佇んでいた。


「大王様!」

「大王様、わざわざこんなところにまでお見えで」

「閻魔様だ。こんにちは」


 それまで拷問に集中していた獄卒たちが一斉に手が止まり、恭しく頭を下げて出迎えを始めた。やはり閻魔大王様直々の来訪となると、皆慌ただしくなる。生前摂政様や宮様のお出迎えを思い出す。


「道子、なかなかの腕だそうじゃないか。獄卒よりも気迫に満ちた表情だとか」

「いえ。お手伝いできるように必死で勤めていただけで」

「どうやら君には拷問の才があるらしい」

「拷問の……才? で、でも私は死人」

「此岸でも刑罰で拷問を担当する者がいるだろう。どうだ鬼庭、妻の動きは」

「動きはまだ鈍いですが、一閃で頭部目がけて打ち砕く鋭さは獄卒と引けを取りません。脱獄衆人に対してはそれまで責め苦を重視していたので、捕らえては拷問と苦痛を与えるだけにとどめていたので、一気に止めを刺す方向には至らなかったのが原因かと」

「なるほど。常に拷問を受けている衆人なら、これ以上加えても耐えられるということか。道子のことを普通の女子と思い、一気に死に至らしめるほどの地獄に叩き落とす。刀葉林の刑罰によく似ているが、苦痛という点ではその方が精神にも影響するよき拷問だ」


 刀葉林というのは、拷問の一つで刀で出来た林に絶世の美女がいらして、死人の方がその方を目指して上るが、上った先にはもうなく元いた場所に移動して心を折るものだと聞き及んでいる。


「あの、私だけでは長時間は一苦労なのでほかの方にもお願いできないでしょうか」


 お役に立てるのは良いことだけど、長時間脱獄した死人を監視するのは骨が折れてしまう。


「女の獄卒で応対可能か」

「地獄に落ちたての衆人ならば女獄卒でも効果はあったのですが、次第に目が慣れると獄卒と衆人との違いがわかるようになって心を折るまでは至らず。刀葉林の女は幻影でありますため、直接拷問もできませぬ」

「……では」


 すると久鬼様は私の肩をポンと優しく叩いた。


「君ならできる。それにその手、何も痛まないだろう」


 確かにあれから三人もの脱獄した死人の方を鉄棒で打ち付けていたが、腕に力が入るし、痛みもない。しかしこんな長時間はさすがにお手伝いの範疇を越えている。


「その、ご冗談ですよね。久鬼様の『余興』の一つとして」


 ついに私はその言葉を彼に直接たずねた。すると久鬼様はクスリと笑みを浮かべた。


「否、期待しているからだ。衆人といえども、閻魔大王妻としてのな。拷問と審判を司るものとして、現場に立ってみればいかがかな」


 久鬼様はそういうと、衆合地獄を後にしてしまった。


「すごいね奥方様、閻魔様から」

「それは嬉しいのですが、拷問の才で認められても私困ります」

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