たまには異なる料理を

三鹿ショート

たまには異なる料理を

 子どもが誕生して以来、私に対する彼女の態度は変化した。

 まるで出来の悪い部下に指示するようなものであり、いくら彼女を愛しているとはいえ、そのような言動をされれば不愉快だった。

 ゆえに、少しでも彼女から逃れるために、私は友人が経営している飲食店に向かうことが多くなっていた。

 友人は苦笑しながらも、私を責めることなく、彼女に対する私の不満を聞いてくれていた。

 この友人が存在していなければ、私は参っていたことだろう。


***


 その日もまた、友人に彼女の不満を語っていたところ、隣に座っていた男性が不意に話に割り込んできた。

「聞き耳を立てていたわけではないのですが、話が聞こえてきたために、思わず声をかけてしまったのです」

 人当たりの良さそうな笑みを浮かべている男性は、私が訊ねていないにも関わらず、己の身上を語り始めた。

 どうやら、眼前の男性もまた、私と同じような目に遭っているらしい。

 親近感を抱いた私は、男性の話に相槌を打ち続けた。

 やがて互いの肩に手を回して会話をするほどの仲と化したところで、男性は財布から名刺を取り出した。

 差し出されたそれには、住所が記載されていたが、それ以外には何も書かれていない。

 私が首を傾げると、男性は私の肩を軽く叩きながら、

「私がそうであったように、その場所に行けば、あなたも満足することでしょう」

 男性はそう告げると、酒を呷った。


***


 男性が差し出した名刺に記載されていた住所へと向かうと、其処は歓楽街に存在している背の高い建物だった。

 他の建物と比べると、照明や店の看板などが存在していないために、廃墟なのではないかと思ってしまう。

 だが、よく見ると、とある窓からわずかだが光が漏れていることに気が付いた。

 おそらくその場所に向かうべきなのだろうと考え、歩を進めていく。

 建物の内部は荒れている様子も無く、路上生活者が雨風を凌いでいることもない。

 やがて到着した場所に存在していた扉を何度か叩いたところ、内部から入室の許可を告げられたために、扉を開いた。

 内部は、事務所のようだった。

 中央の大きな机を囲むように座り心地の良さそうな椅子が何脚も用意され、部屋の奥には身なりの良い女性が脚を組みながら座っていた。

 とある男性に紹介されたことを告げると、女性は紙の束を持ちながら、先んじて座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろした。

 私が対面に座ると、女性は紙の束を私に差し出してきた。

 中身に目を通したところ、様々な女性の個人情報が記載されていることが分かった。

 私が紙の束から顔を上げると、女性は口元を緩めながら、

「どの産地の食材が好みでしょうか」

 そのような問いを、私に発した。


***


 紹介されたこの場所では、どうやら女性を斡旋してくれるらしい。

 友人の飲食店で出会った男性が私にこの場所を伝えてきた理由は、私が彼女に愛想を尽かしたと考えたためなのだろう。

 しかし、私は裏切り行為を働くほどに、彼女に対する愛情を失っているわけではない。

 ただ、かつてのように愛してほしかっただけなのだ。

 私がそれを伝えると、眼前の女性は変わらぬ笑みを浮かべたまま、

「其処に記載されている女性たちもまた、あなたと同じように、配偶者からの愛情に飢えているのです。安心してください、あなたから金銭を徴収しようなどとは考えていません。これは、あくまで互助的な行為なのです。私は、ただ満たされない方々を引き合わせたいだけなのです。人助けだと思えば、関係を持つことに対する抵抗感も薄れるのではないでしょうか」

 そのような言葉を聞いたためか、途端に女性たちに対して同情するようになってしまった。

 満たされない心を満たすための関係だと思えば、確かに人助けという表現は間違っていない。

 この関係に魅力を感じていないと言えば虚言であるが、それでも彼女を裏切るという事実には変わりないのである。

 私が逡巡していると、眼前の女性は紙の束の一番上に存在している女性を指差しながら、

「一度だけでも良いですから、会ってみてください。何も、会う相手全てと肉体的な関係を持つ必要はありませんから」

 その言葉を聞いて、私は自分が恥ずかしくなった。

 彼女以外の女性と親しくなるということを、彼女以外の女性と肉体関係を持つということだと信じ込んでいたためである。

 ただ会話や食事を共にするだけならば、友人と大差ないのではないか。

 思考がそのように変化したためか、私は眼前の女性に、頭を下げた。


***


 会話や食事だけで終了する相手がほとんどだったが、中には肉体的な関係を求める人間も存在していた。

 だが、私は断固として、一線を越えるような真似をすることはなかった。

 相手は不満そうな表情で私の前から去っていったが、仕方の無いことである。


***


 様々な女性と過ごすことで私の寂しさは埋まったのか、以前よりも余裕を持って彼女と接することができるようになった。

 私は、満たされないゆえに彼女に対する不満を強調していただけで、彼女の苦労を思えば許容するべきことばかりだったのだ。

 そのことに気が付いてからは、私は彼女に対して負の感情を抱くことがなくなり、同時に、他の女性たちと会うことはなくなった。

 考えてみれば、心の底から愛している彼女と夫婦と化し、子どもまで得ることができた私は、これ以上無いほどに幸福なのではないか。

 彼女を悪人のように考えていたことに対して心中で謝罪しながら、私は今日も、彼女と子どもを愛した。


***


「協力してくれて、感謝しています」

「気にすることではありません。大事な友人の頼みを断ることなど、私たちに出来るわけがありませんから。ですが、あのような回りくどいことをしなくとも、良かったのではないかと思うところもありますが」

「据え膳を前にどのような反応を見せるのかが気になったのです。そこで私を裏切れば、その程度の人間だったということになりますから」

「それほど気にしていたのならば、あなたが態度を改めれば良いのではと考えてしまいますね」

「あのような冷たい態度をしておいて、今さら昔のような愛情表現をするなど、虫がいいにも程がありますから」

「あなたは昔から、素直ではありませんね」

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