第二章 04 「もう一つの異世界転生」

「…ん」


妙に肩が痛い、それがリサリサが最初に感じた事だった。

「…一体何が…って、っひいい⁉︎」

うっすらとした視界に映った光景にリサリサは驚愕する。眼下には森が広がり、そして自分の足元には地面が無い。何と彼女は宙に浮いているのだ。

かと言って、落ちているわけではない。

「うわぁっ⁉︎」

視線を動かすと、どうやら背中のバックパックが木に引っ掛かり宙吊りの状態だという事が分かった。

場所は急斜面な崖の途中。リサリサは自分の置かれた状況に肝を冷やす。

「え、ちょっと、何がどうなってるの⁉︎」

GCFにログイン中、突然アラートが鳴り眩い光に包まれた事は思い出せたが、それからの記憶は無かった。

「と、とにかくこの状況を何とかしないと…落ちてアバター損傷になっても勿体無いし…」

リサリサは先ず片方のショルダーを握り、もう片方から腕を抜く。そしてもう片方の腕を抜こうとした瞬間、

「っひぃ⁉︎」

重心が移動した事でバックパックが木の枝から滑り落ちた。

「きゃああああ‼︎」

無我夢中で腕を枝へと伸ばす。

何とか彼女は落下を免れ、代わりにバックパックは勢い良く崖下へと落下していった。

必死に木の枝を伝い、崖上に降りたリサリサは息を荒げしゃがみ込む。

「ハアハアハア…あ、危なかったぁああ‼︎」

まさに九死に一生を得た彼女はある違和感に気付く。

「ッ…痛っ‼︎」

そう、仮想現実空間であるGCFで感じる事のないある感覚、痛みである。

「え…な…なんで…?」

痛みを感じた掌を恐る恐る見る。

必死に枝を掴んだ際に切れたのだろう。掌には切り傷が出来、そこから血が滲んでいた。

「え…血…⁉︎」

GCFではプレーヤーアバターが負った傷の場合、血の代わりにポリゴンが崩れるようなエフェクトが出る。だが、今傷からは出てるのはまごう事なき血液だ。

茫然自失のリサリサは目の前に広がる森を見つめる。

崖から脱出する際に騒いだからだろうか。森の中から獣の遠吠えが聞こえ、見たことのない鳥が飛び立つ。

彼女は恐怖に震える手で腰の拳銃に手を伸ばした。



どれくらいの時間が経っただろうか。

リサリサは襲いかかる得体の知れない野生動物達を排除しながら、ひたすら森を彷徨っていた。

戦い、歩く事、それら全てに疲労感や痛み、更に喉の渇きといった現実と同じ感覚が彼女を襲っていた。

「はぁ…はぁ…」

草むらの影に隠れるようにしてしゃがんだリサリサは、拳銃のマガジンを抜いて残弾を確認する。

ついさっき猪のような顔をした犬を倒した時に最後の予備弾倉を使い切っていたので残りはたったの五発。バックパックを無くした事が悔やまれる。

「なんなのよ、マジで…」

これが本当に現実なのか、確証こそ無い。だがログアウトどころかシステムウィンドウすら開けないのだ。

俄かに信じがたい事だが、自分が謎の世界にゲームアバターのまま現実化してしまったと考えるのが自然だった。

「…ゲームに閉じ込められた…ってわけじゃないし…異世界転移?…アニメじゃないんだから…」

ふと遠くから再び遠吠えが聞こえてくる。

「っつ…冗談じゃない…」

リサリサは疲れきった身体に鞭を打ち再び歩き出す。

「…死んでたまるか…プリン、優香…リオン…」

仲間達の姿が脳裏に浮かぶ。

「…アカリ…何処にいるの…?」

リサリサのサバイバルは始まったばかりだった。




王国東部、プレルアンから王都へ続く街道を二台の馬車が進んでいた。一台は交易品を積んだ荷馬車、もう一台は幌馬車である。

その幌馬車でユリアは、共に乗車しているリッドハンド商会の従業員二人とプレルアンの取引先との交渉結果について話し合っていた。

「ふう…結局、取引継続の了承は取り付けられなかったわ…」

憂鬱な表情でユリアは嘆いた。

そんな彼女に同乗している従業員が労いの言葉をかける。

「お嬢様の交渉は立派でした。実際、取引中止自体は保留に出来ましたしね」

「…いえ、フランク…問題の先送りでしかないわ。直ぐに反故にされてもおかしくないもの…」

フランクと呼ばれた従業員もそれを否定できず、暗い表情を見せる。

「それよりも先方の態度が気になります。頭取の言葉尻からは、我々への同情の気が感じられた。相手方も致し方がなく今回の取引中止を申し出てきた様に思えます」

「それは…お母様と私が女だからでしょう?今回取引中止を申し出た全ての業者がそれを問題にしているわ…」

訝しぶフランクにユリアは吐き捨てるように言う。

「いえ…あくまで直感ですが、何か裏がある様に思えて仕方がないんです」

「裏?…確かにその可能性も否定できないけど…でも結局、それも確証がない以上、何も出来ないじゃない…」

「お嬢様…」

焦燥感に駆られ俯き涙を浮かべるユリアに、従業員達は最早かける言葉が見つからなかった。


重い空気が漂う中、唐突に馬車が停まる。

「どうした?」

フランクが御者に尋ねる。

「すみません、前の方で魔獣が…」

「何⁉︎魔獣だと⁉︎」

見ると二匹の犬型の魔獣が街道に倒れていた。

「…死んでいるのか?」

「わ、分かりやせん…それと、女が…」

「なにっ⁉︎」

見ると血を流して倒れている魔獣の側に一人の少女が座り込んでいる。

「何かあったのですか?」

「お嬢様、魔獣の死骸が道を塞いでいる様です。それと何やら人が…とにかく様子を見てきます」

フランクはそう言って短剣を手に馬車を降りた。



「…死んでいるな」

フランクは魔獣を足で蹴ってみるが微動だにしない。とりあえずは安全と見て良いだろう。

「さて…」

彼は視線を街道脇の岩に腰掛けている少女に視線を見る。

それは見たことのない不思議な服装をした美しい女性だった。短いスカートからスラっと伸びる生脚に一瞬驚くが、フランクは首を振るい雑念を払うと、少女に声を掛けた。

「君っ‼︎」

よく見ると彼女はどうやら眠っている様子だ。理解できない状況だとフランクは困惑する。

「おい、君‼︎何があったんだ⁉︎」

再度の呼びかけに、少女の目が薄っすらと開く。

「…んぅ…」

「大丈夫かね⁉︎何処か怪我をしているのか?」

「いえ…ちょっと疲れちゃって…」

少女は朦朧としたまま首を振ると視線をフランクに向ける。

「…え、あれ…え⁉︎」

「ど、どうした?」

「ひ、人が居たああ⁉︎」

彼女は突然意識をハッキリさせると目を見開き叫ぶのだった。



「さっきはすみません…急に叫んだりして」

「いや、私の方こそ驚かせてすまない」

フランクに恥ずかしそうに頭を下げる少女。

「しかし、こんなお嬢さんがあの魔獣を倒したというのも驚きだな。実力ある冒険者なのだろうね」

「アハハハ…まあ無我夢中でしたし…ハイ…」

少女、リサリサは乾いた笑いで応えた。


- どうしよう…本当の事言っても信じてもらえないだろうし…とりあえず助けてもらう為に話を合わせよう…


フランクに事情を尋ねられたリサリサは、咄嗟に自分が旅の途中で遭難した事にしていた。事情を説明したところで厄介な事になる可能性があるし、何より自分でも理解不能な事が多かった。

嘘をつく事に若干罪悪感もあるが、遭難していたのも事実だ。

今は彼から水と簡単な携帯食を分けてもらったところだ。

「すみません、助けて頂きありがとうございます」

「いいさ。困った時はお互い様だよ」


リサリサは森の中を彷徨いながらここが仮想現実世界の中でなく現実、しかも見知らぬ異世界なのは察していた。さらに偶然見つけた水溜まりに映る自分の姿は、何故かGCFのアバターの姿が現実になったものだった。


- とりあえず、人が居る世界で良かった…なんか言葉も通じてるし…


リサリサは地面に置いたスライドが後退している状態で止まっている、つまり空の状態の拳銃を見た。

この街道に出た時、二匹の魔獣に残弾を全て撃ち尽くしたのだ。


- 持っててもしょうがないか…


銃弾の無い拳銃など、ただの鉄の塊でしかない。リサリサは拳銃を足でこっそり蹴り、草むらに隠した。


「フランク‼︎」

「お嬢様」

フランクは後方に控えていた馬車から駆け寄ってくるユリアに手を振る。

「魔獣は大丈夫ですか?」

「ええ、このお嬢さんが退治したものだそうです」

そう言ってリサリサを紹介するフランク。

「ええ⁉︎こんな恐ろしい魔物を一人でなんて…‼︎お強いのですね」

「あー…えっと…まあ、何とか」

「お怪我はありませんか?」

「大丈夫です。…その、疲れて休んでいただけなので」


- うう…嘘は辛いよお…


「お嬢様、どうやらこの方は道に迷われてしまっていたそうです」

「まあ…それは大変でしたでしょう。どちらに向かわれていたのですか?」

何処と問われてもここは見知らぬ異世界だ。リサリサは回答に困り適当に道沿いを指差した。

「えーっと…向こうにある大きな街で…」

「王都に向かわれるのですね‼︎それでしたら私達と同じです」

ユリアはにっこりと微笑みリサリサの手を取る。

「よかったら私達の馬車にお乗りください。王都までお送りいたしますよ」

「あー…助かります」

リサリサは何せ道も知らない異世界である。武器も無くなった以上、ユリア達に同行した方が安全だろうと思い、彼女の素直に好意に甘える事にした。



それから王都に向け、リットハンド商会の馬車は野営をしながら進む。

リサリサは年も近いことからユリアとそこそこ話せるまで仲良くなっていった。突然の異世界転生、その不安を人との触れ合いが癒していく。

楽しい旅路だと思えた。


そして三日目の野営。ついに事件が起きる。



「…ん?」

深夜、天幕で寝ていたリサリサは外の騒がしさに気付き、目を覚ます。

人の足音に、何かを壊す音。

「…ユリアさん、起きて!」

胸騒ぎに隣に寝ているユリアを起こす。

「んう…どうしましたか?」

「何か、外がおかしい」

「え⁉︎」

その時だった。

二人が寝ていた天幕が勢いよく破られる。

「きゃああ⁉︎」

破れた幕から現れたのは、髭面の見知らぬ大男だ。

絵に描いたような悪党面である。

「おお⁉︎こいつは大当たりだ‼︎」

男はニヤッと笑うと嬉しそうに声を上げた。

「おい、情報通り女だ‼︎しかも上玉が二人も居やがる‼︎」

リサリサは咄嗟に腰に手を掛けるが、そこにあるべき物は無く、手だけが空振る。


- しまった⁉︎銃無いんだ‼︎


「おっと、下手なマネすんじゃねーぞ?ブッ刺すぞ‼︎」

反撃する手立てが無く焦るリサリサに、大男は鈍く光る長剣を突き付けた。

「っく…」

「おめーら、さっさと縛っちまえ‼︎」

「ギャハハ!」

下品な笑い声をあげて二人の男がリサリサ達に近づく。

「いやあ‼︎やめて‼︎」

泣き叫ぶユリアを男が縛って連れ出そうとする。その様子にリサリサは耐えられず叫んだ。

「ユリアさん⁉︎このっ‼︎やめなさいよ‼︎」

「ヒッヒヒ‼︎オメエも他人の心配してる場合かっての‼︎」

「っきゃ‼︎」

飛び掛かろうとするリサリサを大男が乱暴に蹴る。

転倒してしまった彼女は体格が有利な大男に組み伏せられてしまい、そこからは一方的だった。

手は後ろ手に、脚は自由に動けぬように少しの可動域を残して縛られてしまう。剣を突き付けられ外に出るように指図されれば、従わざるを得ない。

だが、それ以上にリサリサを絶望させたのは、天幕の外の有様だった。


「…なによ…これ…」


外に出て、そこに広がっている光景にリサリサは衝撃を受ける。

昨日まで旅を共にし、笑い合った商会の従業員達の死体が無造作に打ち棄てられていたのだ。

「…⁉︎っう…おえええ‼︎」

平和な世界で育った女性のリサリサには耐えられるものでは無く、彼女は嘔吐する。

「うお⁉︎こいつ死体見て吐きやがった‼︎」

「ギャハハ汚ねぇな‼︎」

「ウブでいいじゃねえか‼︎」

男達の心ない罵詈雑言すら耳に入らない。

只々、受け入れ難い光景にリサリサの心は折れ、最早抵抗する気力すら失っていた。


その後、リサリサ達は山賊団の砦に運ばれ、陵辱の限りを尽くされる。

そして、ユリアは頭領のお気に入りとして砦に囚われたままとなり、リサリサは容姿の良さと珍しい異邦人としてすぐに買い手が付いて奴隷として売り払われたのだった。



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