第一章 15 「武人の矜持」
アカリ達が渓谷へと歩み始めた頃、その道を先行する一団があった。多頭仕立ての豪華な馬車三台と護衛の騎馬十数人の一団だ。
馬車の一台には、何やら豪華なエンブレムが添えられており、一団が貴賓である事が分かる。
その一台の馬車の中で寛ぐ一人の男が居た。整った顔立ちの、鍛え抜かれた肉体を持つ貴人だ。
カルドニア帝国公爵、ルドルフ・フォン・バレンリア公。
帝国皇室の血が流れる六大公爵の一人。その中でも軍略と武芸に優れた帝国切っての武人と称されるのがルドルフである。
彼は揺れる馬車から外に広がる渓谷の様子を見ていた。
「プラマイヤ渓谷に入って一時間、今のところ順調でございますな」
ルドルフの向かいに座る初老の執事が呟く。
「最近は治安の悪化が危惧されていると王国側から聞いて護衛を増やしておりましたが、取り越し苦労でしたでしょうか…」
「そうだな。まあ、この視察も陛下からの任。万全を期すに越した事はない」
ルドルフはフッと息を吐き、視線を執事へと向ける。
「我が帝国へフェルロン王国が冊封してニ十年だ。最初こそ王家への反発が強かったものの、今はだいぶ下火だと聞く。フェルロンの安定は対教会という意味でも陛下が望まれているしな」
「陛下の御意向に口を挿す気は御座いませぬが、わざわざ主様自ら出向かなくてもと思うのですよ」
「そう言ってくれるな、ワズール。戦いしか脳が無い我よ。陛下のたまには功績を譲るという恩寵さ」
身を案ずる老執事にルドルフは自重気味に笑った。
「武勲こそ最大の誉れ。最近の宮廷はそれを解っておりませぬ。爺はそれが口惜しくて仕方がございませぬ」
「なに、俺からすれば勝ち取りし平安が維持されるなら本望。お前だけでも俺を認めているなら嬉しいぞ?」
「主様…貴方様は本当に御立派になられましたな。後は良き奥方様さへ見つけて頂ければ…」
感極まり一筋の涙を流す老執事にルドルフはむず痒い思いになる。
ワズールは、幼少期より側付きとして支えてきた男だ。その気持ちは嬉しいが、さすがに出先で感涙されても困る。寧ろ最後にしれっと三十になって嫁がいない事への小言を言われては余計に堪らない。
「ええい、嫁の事は言うな…前々から言っているだろ?どうにも好む女に出逢えぬと」
「強く美しく媚びない女性がお好みであるとは存存じておりますが…そんな無理難題を仰っても、御令嬢方にそんな酔狂な御仁は居ないものは居ないのです。とは言え、公爵家当主ともなれば平民の妾では背が立ちません」
「いや、分かってはいるのだぞ?」
「分かっていらっしゃるなら、一刻も早く御結婚なさって子を儲けてくだされ。この際、奥方様には子を宿すだけの割り切った政略結婚で良いではありませんか。後で妾としてお好みの女に手を付ければ良いのです」
「待て待て、なんだその獣の様な考えは⁉︎最初からそれは良く無いだろう⁉︎」
とんでもプランを言い放ったワズールに、さすがのルドルフも慌てふためく。
「政略結婚でもやはり婚姻とは、愛が育まれねば女に失礼であろう」
「主様はお優しい。その様な考えが広まれば世界はもっと良くなるものですが、そんな事では成り立たぬのが貴族と言うものですぞ」
「むう」
帝国最強の戦士であるルドルフですら、魑魅魍魎跋扈する貴族社会で永き時を生きた老執事の前ではたじたじであった。
さて、馬車の中で主従漫才が繰り広げられていた頃、斥候役の一騎が一団へと戻り、護衛騎士の隊長へと報告を行っていた。
「伝令‼︎前方、三キロ程先まで特段の異常無し‼︎ただし、谷底に近付くにつれ周囲には木々が生い茂っており、視界不良であります‼︎」
「御苦労。…谷底は厄介だな。ここ、下り道は低木や雑草で視界が良いが」
隊長が唸る。その様子に、並走している副長が同意を示す。
「やはり、危険があるとすれば谷底からですか。周囲を高木に囲まれると対処しづらい」
「…ああ。ただ、情報によればこの周囲の治安悪化の原因は盗賊団だという。帝国旗を掲げた我等を襲う事は無いだろうがな」
とは言ったものの一抹の不安は拭えない。
今一度、隊の気を引き締めなければと思ったその時である。
「ん?…草むらが動い…」
副長が何かに気付いて声を上げた時、ヒュンッと風切音と共に副長の首に矢が射抜いた。
「っぐはっ⁉︎」
落馬する副長の姿に隊長が叫ぶ。
「ッ…敵襲っ‼︎」
初撃を合図に草むらの中から一斉に弓を構えた襲撃者達が現れる。彼等は皆、身体に草を巻き付けて巧妙に擬態していたのだ。
「っち‼︎矢が来るぞ‼︎防御陣形‼︎」
隊長含め全ての団員が馬を飛び降り密集して盾を構える。
刹那、幾本もの矢が地面や馬車に刺さる鈍い音が鳴り渡った。
「ぐあっ⁉︎」
「ああああ‼︎」
聞こえる悲鳴。
隊長が周囲を見渡すと、数名が矢の餌食となり倒れ伏している。
「︎何人やられた⁉︎」
「五名です‼︎負傷多数‼︎」
全隊抜刀‼︎
周囲を取り囲む敵の叫びが聴こえる。
「来るぞ‼︎応戦せよ‼︎」
瞬時に部下達に白兵戦の指示を出した隊長は、主人の乗る馬車に駆け寄った。
敵襲との号令が聞こえた直ぐに、矢が馬車に突き刺さる音がする。
「ルドルフ様‼︎」
「…分かっている。お前は馬車を降りるなよ?」
ルドルフは己の愛剣を手に取る。
馬車の扉を開けると、護衛隊長が駆けてきた。
「閣下‼︎敵多数、既に囲まれ脱出は不能であります‼︎」
「よい、この場で相手にする」
ルドルフは馬車を降り周囲を見渡す。敵は今まさにこちらに向かって突入して来るところだった。
「何者かはこの際どうでも良い。生き残るぞ‼︎」
「はっ‼︎」
ルドルフは剣を構える。
どう見ても劣勢。
だがこの状況下こそ、彼には闘争心が湧き立つのだった。
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