第1話 ただならぬ出来事

 馴染みの銭湯は空いていた。下駄箱もほとんど使われていない。客が少ないのは、湯終ゆじまい、つまり閉店の時間が近いからということもあろうが、他にも理由があるようだ。きっと、ネットで見た爆弾魔のせいだろう。割引の入浴回数券を番台のおばちゃんに渡して脱衣所の中に入ると、壁に付けられたテレビでもその爆弾魔のニュースをやっていた。犯罪心理学者だという初老の男が深刻そうな顔でコメントしている。


『このタイプの犯人は犯行をエスカレートさせていくはずです。前々回の犯行で爆弾が仕掛けられていたのは廃墟ビルでした。前回仕掛けられていたのが閉店後の無人販売所。今回は開く前の駅ビルのロッカー。幸い、いずれも死傷者は出ていませんが、犯人は少しずつ人の生活圏に近づいてきています』


 すかさずキャスターが質問する。


『生活圏にとは、どういうことでしょう』


『人々の利用頻度の高い場所に、爆弾の設置場所が変わってきているということです』


『そうすると、次はもっと生活に密着した場所に爆弾が仕掛けられると』


『断言はできませんが、可能性は高いと思います。日常的に人が利用するところ、そういったところを犯人は狙ってくるのではないでしょうか』


『なるほど。そうなると、逆に予想が絞れませんね』


『はい。そういった点が、今回、警察が警戒を強められない原因なのです。ある程度的をしぼることができていればいいのですが』


「ウチは大丈夫だよ。さっきも警察の人が見に来て、ロッカーの中を確認して回ってくれたから」


 番台から降りて脱衣所に入ってきたおばちゃんが洗面台の上を片付けながら、そう付け足した。


 私は曇ったガラス戸から浴室の方を覗いて尋ねた。


「だから、みんな帰っちゃったんじゃないの? 制服の婦警さんがいたら、ゆっくりお風呂に入れないもんね」


 おばちゃんは肩の上でパタパタと手を振る。


「いやいや、男の刑事さんが来てね、一人で全部見てくれたのよ。だから、その前に女湯の方は一時的に閉めて、入っていたお客さんにも早めに出てもらったんだわ」


「ええー! それは無しよねえ。営業妨害でしょ、それ」


「まあ、お客さんの安全のためだからねえ。仕方ないさ。こういう事を大げさにしてみせるのが、犯人への犯行の抑止になるとか何とか言ってたよ」


「でもさあ……」


「だから、もう女湯は誰も入っとらんし、さっき帰った客で女湯は最後だから、今日は貸し切り同然だよ。ゆっくり入っていきな」


 そう言ったおばちゃんは洗面台の上にコーヒー牛乳の瓶を置いた。


「これ、今日の売れ残りだよ。もう今日は売れないから、飲んでいいよ。外を片付けてくるから、帰る前に瓶はそっちのカゴに入れておいて」


 番台の方を指差して出ていくおばちゃんの背中に頭を下げて、私はいつも使っている位置のロッカーへと向かった。


 本当に迷惑な話である。街の人の生活に必要な銭湯だが経営は厳しいというのが実情だ。それでなくとも、コロナ禍でギリギリの経営なのに、爆弾テロの風評で客足が遠退けば、経営には大打撃だろう。コーヒー牛乳を奢ってくれるのも、優しさの一方で、どこか投げやりな気持ちの表れなのかもしれない。


 私は溜め息を吐いてバッグを肩から降ろし、ロッカーの扉に手を掛けた。つい愚痴が漏れる。


「だいたい、こんな庶民的な銭湯を爆破して何の意味があるのよ。ここに爆弾なんて……」


 ロッカーの扉を開くと、中に銀色の筒状の物を束ねた荷物が入っていた。筒状の物からは何本もの電線らしきコードが、私が手を掛けているロッカーの扉の裏側に向けて伸びている。扉の裏側にはデジタル数字を表示した機械が貼り付けられていて、コードはそれに接続されていた。数字はカタカタと速く変化している。


「あった……」


 私が茫然とそう吐いたと同時に数字がゼロになった。


 筒状の物が破裂するのが見えて、光が広がった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る