〈王国記12〉 回想 エナについて3

 エナが起き上がり、机に向かおうとする。椅子に座って、ペンを手に取ったのを見て、私は思わず上体を起こしていた。


「ほんとは何になりたかったの?」

「え?」


 エナがぽかんとした顔で振り向く。その頬には一筋の線もなく、瞳も乾いていて、彼女はやっぱり強いなと思った。


「騎士じゃなくて、本当は何になりたかったの?」

「え、そこ気になる?」


 エナは気が抜けたような顔でこちらを見る。アンナはやっぱりずれてるなあ、と言いながら紙に向きなおろうとする。でも、私がじっと見つめていると、観念して身体の動きをとめてくれた。


「笑わない?」


 と拗ねた顔で尋ねる。私がうなずいても、彼女はなおも迷っていた。わずかに瞳をふせて、部屋の床にうつる自分の影を見つめて黙っていた。けれど、ついに、しぶしぶといった様子で口を開いた。


「……お花屋さん」


「……ふふっ」

 私が息を漏らしたのを聴いて、エナが愕然とした表情になる。


「信じられない。笑わないって言ったのに」

「わーっ! 違う! おかしくて笑ったんじゃなくって!」


 なんだか幸せで笑ったのだ。兵学科の授業の間、いつも辛そうで、すべての作業を不本意そうに淡々とこなして。誰にも見られてないとき、世界に楽しいことなんか何もないって顔をすることがあるエナ。でも私に見られていたことに気づくと、すぐに笑顔を張り付けてしまえるエナ。

 そんなエナにも、ちゃんとやりたいことがあって、それを私に打ち明けてくれたことが、とっても幸せだったのだ。


 でも、それを細かく言語化できそうになく、何より恥ずかしく、私は代わりに、今思いついたことを言う。


「じゃあ、コースは土元素にしよう」

 エナが渇いた笑いを漏らす。

「え、どういうこと?」

「花屋さんに役立つ魔法は、土元素魔法に決まってるでしょう」

 それまで、和やかで、弱弱しくもあったエナの雰囲気が、急に尖った。


「……私、アンナのそういう、何も考えてないようなところ、たまにすごく嫌」


 出会ったばかりの頃の関係に戻ってしまったような錯覚に、心臓が冷える。部屋が同じになったばかりのころ、エナは私がずれた発言をするたびに、忌々し気にこちらを見ていた。戸惑っていると、エナは続ける。


「私はもう、従騎士なの。今さら花屋になんてなれないし、ここまできて騎士をやめることは望んでない。どうせ騎士になるのなら、適正元素を極めて、それなりにいい成績を残したいとも思ってる。さっきのはただの愚痴。誤解させたなら謝るけど」

「私だって、エナに従騎士やめてほしくないよ。寂しいもん」

「じゃあ何? やる気ないなら、元素コースなんてなんでもいいでしょって言いたいの?」

「そうじゃなくって」


 思わずベッドから出て立ち上がった。勢い込んだエナを抑えるため、少し間をあける。普段は冷静なエナだけど、たまに言葉が止まらなくなることがあるのを、ここ数か月で分かっていた。エナが落ち着きを取り戻したのを見て、私は口を開く。


「ちゃんと土元素魔法を極めて、優秀な騎士になるの。それで、騎士引退してからお花屋さん開けばいいじゃん」

「……そんな自分勝手な都合で元素コース選んでいいわけないじゃない。第一、不適正なものを選んで優秀になれるほど甘い場所じゃないでしょここは」


 デメリットが大きすぎるとエナは言った。言い捨てたときの顔が、たまに見せる、あの顔だった。こちらの心まで凍えるような、見ていて不安になる無表情だった。


 だから私は確信する。


「逆だよ。適正がなくったって、自分がやりたいことにつながる魔法を学んだほうが絶対にいいよ。そんな顔でいやいや学ぶよりも、そっちのほうが百倍成果でるし、楽しいって」


 言い切ると、エナが少しだけ眉を動かした。その間だけ、仮面のような無表情が崩れた。


「それ、ちっとも現実的じゃない」

 しかし、結局もとの無表情に戻った。そして机に向きなおってペンをとった。引き留めるようにその背中に声をかける。


「水って書いたら、また力抜けるよ」


 本当の気持ちを無視して、自分を誤魔化すたびに、なくなっていくものがある。自分の意に反するたびに、なくなっていく。もう自分の中に存在しないと思っていても、生きていく限りそれは残っていて、自分を欺く度に、知らないうちにすり減っていく。


「もっと踏ん張れなくなるよ」


 志願書に署名したとき、もう二度と全力で踏ん張れないと思ったとエナは言った。それと同じ種類の諦めが、きっと少しずつ彼女を蝕んでいく。そうしたら、もう私の好きな笑顔は見られない気がした。


 言っておくけど、と私は語気を強める。


「踏ん張らずに乗り越えられるほど、ここの訓練はやさしくない。身体に力の入らないままで騎士として戦おうなんて、絶対無理。空っぽのままでも騎士団に入団できると思ってるんなら、そっちのほうが」


 よっぽど現実的じゃない。

 

 紙にペンをあてていたエナの動きが止まる。その背中は、私の言葉を吟味しているようにも、ただ静かに怒っているようにも見えた。けれど振り返った顔は微笑んでいて、私は一瞬喜びかける。でもその顔にどこか寂し気な影があるのに気づいて、身体に変な力が入った。


「そんなに私のことを思ってくれるのはうれしいけどさ、アンナは結局空気魔法選んだんじゃん。自分は適正元素選んで、私には冒険しろだなんて、なんだか無責任だと思わない」


 もっともだった。いつだってエナは冷静だと思う。ちゃんとこちらの意見を聞いてくれた上で、公平に考え、判断を下す。効率よく最適解を出す。そういうところがクールだった。どんくさく、容量の悪い私は、彼女のそういう部分に、素直に憧れていた。


 だから、今回も見栄を張って、さも一番効率の良い選択をしたような顔をしていたのだ。最適解を選ばないことは決めていた。でもエナや周りに呆れられるのは嫌だった。教師に無理やり選択を絞られる可能性も恐ろしかった。だったら、自分が選び取りたい選択が、最適解になるように捏造してしまえばいいのだと考えた。


 右の掌を上に向け、魔力を集めた。何もない空間に、火花が散り始める。エナの見る前で、それは集まり、巨大な火の玉になった。まんまるに開かれたエナの目に、火の光が反射する。


「どういうこと? まだ履修してない段階でそんな大きさの火球作れるって……」

 しばらく混乱していたエナだったが、さすがに頭の回転が早い。信じられないと言いたげな顔で口を開いた。

「適正元素、偽ってたってこと?」

「あっつ!!!」


 絵面的に、火球を携えた状態で何か言葉を返せたらかっこよかったのかもしれないが、右手が熱さに耐えられなかった。

 慌てて水桶に手を突っ込んで消火すると、ジューという音とともに水蒸気が立つ。

 ふう、と額の汗をぬぐいながら、ついでに濡れた手を振って水気をとばし、振り返ると、エナが呆然とした顔でこちらを見ていた。


「なんで火元素じゃなくて、空気元素選んだわけ?」

 やっぱり聞かれるよね、と私は気分が重くなる。どうにか言わなくてすむ方法はないかと探すが、何も思いつかなかった。もっともらしい嘘をつける自信もない。

「絶対に笑わない?」

 と私はエナに念押しする。エナは真剣な顔でうなずいた。それを見ても、私はなおも渋っていた。けれどこちらを見つめ続けるエナのまなざしに負け、観念した。


「……かっこよかったから」


 私の答えに、エナはしばらくぽかんとした顔で固まった。数秒経って、その顔が柔らかくふやけ、口から小さく息が漏れた。

「……ふふっ」

 普通に約束を破ったエナを見て、私は愕然とするほかなかった。

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