〈王国記4〉 入団初日 昼

「王女様を呼び捨てとか、正気?」


 エナのひそひそ声での叱責に、私は肩をすくめる。


「だ、だって……服装が完全に普通の女の子だったから」

 

 あれで王女だなんて分かるわけないじゃん。


「あぁ……できるだけ悪目立ちしたくなかったのに……」

 

 そう言ってエナは頭を抱えている。私が上官に目をつけられたってだけで、エナは悪目立ちなんてしてなくない? 頬を膨らませるけれど、エナは心配性だから、私とこうして昼ごはんを食べているってだけで周りから目をつけられるかもと思ってるのかもしれない。

 だったら離れて食べれば! と言えないのが私たちだ。見知った顔が何人かいるとはいえ、新しい環境に放り込まれた今このときは一番信頼できる人と一緒にいたい。

 

 はぁ、とエナがため息をつき、ごめんって、と私は謝り、煮物を口に運ぶ。

 大きいスプーンは扱いづらく、少し手間取ったが、口に入ったお肉はとてもおいしい。


 ここは王城のすぐとなりにある傭兵塔だ。訓練場で就任式を終えた私たちはこの塔に連れてこられて、あちこちを案内してもらった(ちなみに王女様はとんできた世話役に連れ戻された)。円筒形の塔内の中央には螺旋階段があり、各階に部屋は五つ。それが五階分。

 作戦司令室、資料閲覧室、医務室、休憩所、トレーニングルーム。いろいろな部屋を午前中全てを使って紹介してもらい、最後の部屋、大食堂の紹介を受けたところでお昼ご飯の運びとなった。

 メニューは注文制で、私は煮物を頼んだ。もちろんだが、兵学校でのそれより何倍もクオリティが高い。宮廷付きコックの料理がただで毎日食べられるというのは、贅沢すぎて恐いくらいだ。食事に限ったことではないが、今までの生活とのギャップに、しばらくは体がついていけそうにない。


 みんなはどうだろうかと周りを見回してみる。私たちのように戸惑っている人がほとんどだった。広間に並んだ長机は、ほとんどが騎士で埋め尽くされているが、私とエナの両隣はぽっかり空いている。やっぱり就任式でのあれは悪印象だったのかなあ。向かいでリゾットをすくっているエナに申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。


「あのー」

「はいっ!」


 背中に声をかけられて、思わず背筋を正して立ち上がってしまった。今朝の遅刻から神経が過敏になっているみたいだ。私の返事は周囲に響いてしまい、少しだけ回りがざわめく。エナが頭を抱える気配を感じた。


「わあ、さすが、元気いいねえ」


 目の前に立っていたのは大尉でも上官でもなく、同じ階級の男の子だった。私と同じ黄色の一つ星が黒い制服の襟に輝いている。


「隣、いい?」


 そう言って右隣の空席を指差す。短くうなずくと彼は滑り込むようにそこに座った。


「いやあ、助かったよ。席が全然空いていなかったものだから」


 私も座り、スプーンを握りなおす。茶髪の彼も煮物を頼んでいたようで、スプーンをとり食べ始めようとしたが、ふと思い出したようにこちらを向いた。


「あ、カルム・カムクアットといいます。アンナさんだよね?」

「え、なんで名前知ってるの?」

「だって、朝、大声で名乗ってたじゃない」


 アンナ、ただいま到着いたしました! と敬礼までして彼は私の真似をした。痴態を思い出し、気分が沈む。


 そこでカルムはエナに気づいたようで、彼女にも自己紹介をした。エナも名乗りを返す。心なしかエナの笑顔が引きつっているように見える。


「アンナさんとエナさんは友達?」


 カルムは私とエナを交互に見て尋ねた。エナが口を閉ざしたままなので私が答える。


「そう。同じ兵学校の出なの」

「へぇ。仲いいんだねえ」


 そう言われて私は気分が良くなる。そうだよ! とエナと肩を組んでピースしたかったが、机にはばまれてそれはできない。


「兵学校に入学してから、ずっと一緒なんだから!」

「親友ってやつ?」

「そうだね! 親友だね!」

 同意を求めてエナのほうを向くが、彼女は涼しい顔で食事を続けている。つれないやつだぜ。


「いいなあそういうの。ねえ、僕とも友達になってよ」

「え……? いいけど」

「やった! エナさんも」


 そう言ってカルムはそちらを向く。ごめんなさい、と言ってエナは一度スプーンを置いた。


「私、初対面からなれなれしい人とは友達になりたくない」

「なれなれしい? 僕が?」


 エナは静かに頷いた。はらはらしてしまう。エナにはこういうところがある。私も知り合ったばかりの頃は苦労したものだ。カルムは少しの間黙っていたが、首をかしげた。


「僕がなれなれしいんじゃなくて、君がよそよそしいんじゃない?」


「……アンナ、私この人嫌いだわ」


 な、何で私に言うの。直接言えばいいじゃん。エナはスプーンを持ち直して食事に戻った。


「二人の適正元素は何? 僕は水」

 カルムが指の先に水滴を作って見せながら尋ねる。

「私は、空気魔法」

 私は装甲、と呟いてスプーンの回りの空気を揺らす。


 この国では、名乗りの際に適性元素を教えあうことがある。適性元素とはその名のとおり、自分に一番適応した元素のことだ。魔術世界には空気、火、水、土の四元素があり、その全てを扱える者は両手の指ほどしかいない。だいたいの者は、一つの元素を成熟させるので精一杯だ。だから魔術を極める者は最初に自分の体に一番適合する元素を見つけ、その一元素を成長させていくことになる。


 それぞれの元素には、それぞれの対策が用意されている。つまり相手に自分の適正元素を教えるということは、弱点を晒すということであり、この国では心を許した証とされる。


 エナのほうを向くと彼女は知らんぷりをしていた。どうやら教える気はないらしい。


「変わったの使うねえ!」


 カルムが指をスプーンに近づけようとしてきたので慌てて引っ込めた。


「ちょっと! 触ったら危ないよ⁉」


 カルムが驚いた顔をする。


「何それ、どういう原理?」


 私は空気中のエーテルに働きかけ、触れている物質の周囲一ミリほどの空気を高速で移動させて対象を振動させていることを説明した。


「へぇ! すごいね! じゃあ人とかに触れば、その人をめっちゃ揺らすこととか、できるの?」

「それは無理。だいたいの魔法がそうだけど、人体に直接働きかけることはできない」

「でも、君のそれは『周囲』でしょ? 直接ではないんじゃない?」

「無理だよ。人体から放出されてるエーテルには干渉できないもの」


 へえー。つまんないのー、と言ってカルムはのけぞった。確かに私の魔法は面白みにかける。他の空気魔法の使い手が空を飛んだり竜巻を起こしたりしているのに対して、私はせいぜい刃物の切れ味をよくできる程度。私は本当に騎士団で戦っていけるのだろうか。


「アンナの魔法はすごいよ。なんだって切れちゃうんだから」


 向かいからエナがむすっとした声で口をはさんできた。


「なんでもはおおげさだよ」


 私はそう言いつつも、エナがフォローしてくれたことを嬉しく思う。私たちを見たカルムは少し羨ましそうだった。


「そういえば二人はどっからきたの?」

「聖プラト。東部」

「ふーん! そんな遠くから!」


 他意はないんだろうけど、暗に田舎者だと揶揄されたように感じて言葉に詰まる。エナのほうを伺うと彼女はリゾットに集中しているふりをしている。会話をこっちに任せようとしているな。私がエナを睨んでいると、なるほど、だからかあ。という呟きが聴こえてきた。何が? と尋ねる。


「レイア王女のこと、王女様ってわかんなかったでしょ? 服装が街娘のそれだったから」


 私は勢いよく首を縦に振る。


「王女は十七までは城から出ることを禁止されているんだけれど、レイア王女はよく人目を盗んで城下町に遊びにくるんだよ。街娘に扮してね。でも服装がちぐはぐだから、この一帯に住んでいる人はすぐに王女だって気づくんだ。君は東から来たみたいだったから、わかんなかったんだね」


 あぁ、そういうことだったのか。じゃあ王女様はいつものように街に繰り出そうとしたところで私に遭遇したということか。それで、自分のことを王女だと気づいていない一騎士の私をからかってみたというところだろうか。


「あなたも、王女様を街で見かけたことがあるの?」


 リゾットを食べ終わったエナが不思議そうに尋ねた。


「あぁ、しょっちゅうだよ」


 そこで私は疑問に思う。


「兵学校は? そんなにたくさん外出許可下りるものなの?」


 カルムは目をしばたたいた。


「外出許可? 東部の兵学校にはそんな制度があったの?」


 私とエナは顔を見合わせる。外出許可制度がない?


「基本的には訓練生は兵学校の敷地からは出れないはずでしょ? 食事だって自由にはとれないし」

「何言ってるんだよ。そりゃあ寄宿舎はあるけど、僕は実家通いだったし、宿舎使ってるやつらも休日は自由に外出してたよ。食事は、今食べてるのとそんなには変わらないな」


 絶句してしまった。エナと顔を見合わせる余裕もない。しばらく黙っていたらカルムが声をあげた。


「そういえば聴いたことがあるな。僕らが座学中心なのに対して、地方の兵学校では肉体的な訓練に重点を置いているって」

「私も聴いたことある……。都市部の兵学校では、戦闘魔法や肉体訓練よりも、戦術基礎や兵法の授業に時間を割いてるって。ただの噂というか、厳しい訓練に不満がある子たちの根拠のない主張だと思ってたけど」

 エナがあごに手をあてて呟いている。心なしかその顔が青い。


 ……これらの事実はいったい何を意味するのだろう。都市部の貴族出の訓練生は戦術や兵法を学び、地方の庶民出の訓練生は実地訓練を中心に学ぶというこの事実。


 はっとして私は周りを見回した。つたない手つきでスプーンやフォークを扱う騎士たちのなかに、何人か慣れた様子の者がいる。そういった人たちを見てから地方の騎士に目を移すと、私を含めたそれらの人々がまるで猿のように目に映った。

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