第44話家族
幸いなことに、下山中にソル以外の追手に出会うことなく、進むことができた。
「フロレンス、他には誰もいないと思うか?」
「公爵家令嬢を狙うとなると、リスクが高い。もしかしたら、手駒は最小限かもしれないな」
それでも、油断はできない。
周囲を警戒しながら山中を抜け出ると、黄金に輝く小麦畑を見えてくる。
途端、悪い悪夢から覚めたような安心感が身体の内側からわき上がる。
「よし、ここまでくればあと少しだ。地下通路で、カンディータ家まで行こう」
穀倉地帯にある小屋から、カンディータ公爵家に通じる地下通路を通り、ローゼリンドの部屋を僕たちは目指した。
地下の冷たく湿った石の通路に三人分の靴音を響かせ進むと、程なくして扉の前に行き着いた。
「わたくしが開けます、お兄様」
ソルを抱える僕の代わりに、ローゼリンドが前に出て隠し扉を押し開く。
途端に、薄暗い通路に光が差し込んだ。
眩しくて目を眇めると、窓際に父が佇んでいた。
部屋の窓から注ぐ陽射しによって縁取られる父の横顔が、痛みに耐えるように歪んで見える。
「誰だ?」
音に気付いた父が、こちらをゆっくり振り返る。
そして、僕たちの姿を見た瞬間、驚きに目が見開かれたかと思うと、徐々に泣き顔へと崩れていった。
「ローゼリンドっ…」
「お父様っ…!!」
駆け寄った父が膝をつき、ローゼリンドを掻き抱いた。
ローゼリンドも父の肩に顔を押し付けながら、強く強く、抱き返す。
僕の記憶の中に鮮明に焼き付く、ローゼリンドを失った父の泣き顔と、ローゼリンドの死に顔が今の二人の顔に重なり、塗り替えられていく。
ようやく僕は、救われたように思えた。
だが、それも一瞬のことだ。
ローゼリンドを胸に抱き締めたまま、父が僕へと顔を向ける。
成長した僕の姿が、父の瞳に映り込んだ。
───この姿を見て、果たして父は息子だと思ってくれるのか?
拒絶される不安と共に、罪の証拠である姿を見られることが恐ろしくなる。
思わず後ずさる僕に、父はこの上なく優しく微笑み掛けていた。
「お帰り、ジーク。よく戻ってきてくれた」
父の言葉に、僕は息を詰めた。
「…、…僕のことが分かるの?こんな姿、なのに」
「勿論だ。お前は私とリリーの子なんだから」
父の言葉を噛み締めながら、僕は俯いた。
「父上…、…ありがとうございます」
父がローゼリンドを抱き寄せたまま立ち上がると、片手を伸ばして僕の肩を叩いた。
そして、視線は僕が抱え上げているソルへと、映される。
父も見覚えがあるだろう顔に、眼差しは今までにない程鋭いものへと変わっていった。
「色々聞きたいことはあるが…まずは全員落ち着こう。ジークヴァルト、その男は私の方で預かるよ」
扉の側で控えていた従者と護衛が、父の言葉に応じてこちらへ向かってくる。
二人とも、長年カンディータ家を支える、信頼のおける者達だ。
僕は二人にソルを引き渡す前に、父の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「父上。この男は、決して殺さないように、そして逃がさないようにお願いします」
「分かった。カンディータ公爵として、約束を守ろう」
父の誓いの言葉に僕は頷くと、ソルを引き渡した。
護衛がソルを運んでいく姿を僕が見送っている最中、父の声がフロレンスに向けられる。
「フロレンスも、急いで駆けつけてくれたんだろう。服を渡すから、ローゼと一緒に身支度を整えて貰いなさい」
急に話の矛先を向けられ、戸惑うフロレンスを僕は傍らから見下ろした。
改めて見ると、フロレンスの均整の取れた体を包む着衣は、頼りないものだった。
白い綿の簡素な上衣とゆったりとした黒いパンツは汚れが目立ち、所々枝に引っ掻けてらしく破れてもいた。
靴も乾いた泥にまみれて、白く煤けている。
父が身支度を整えるよう促すのも、納得できる格好だった。
「いえ、私は…」
「遠慮しないでおくれ。ロザモンド公女をそんな格好で置いておいたとなっては、公爵家の間に亀裂が入りかねないからね」
父は文官筆頭らしい柔らかく、有無をいわせぬ物言いで、ローゼリンドを絡めとる。
しかも、フロレンスにとって僕の父はカンディータ公爵という、目上の存在でもある。
結局断る言葉を口に出せず、フロレンスは諦めてゆっくりと頷いて見せた。
「…では、お言葉に甘えさせて頂きます」
父は満足気ににっこりと微笑んでから、廊下へと続く扉を振り返り、声を掛けた。
「そう言ってくれて嬉しいよ。ヴィオレッタ、ダリア、フロレンスと娘の支度を頼むよ」
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