第43話公子と妹公女

僕と妹の瞳から次々溢れる涙を、僕たちはお互いの指で拭い合う。

いつまでもそうやって、ローゼリンドを取り戻した喜びに浸っていたかった。

だけど、ここはまだ森の中だ。

何よりローゼリンドを殺そうとした者…貴重な証人を、捕らえなければならなかった。


「ローゼ、家に帰ろう」

「ええ、お兄様」


僕は愛しい妹の額に口付けてから、フロレンスの方を振り返る。


「待たせてごめん、フロレンス。もう大丈夫だ」

「気にしないで良い。私だって嬉しいんだから」


フロレンスは緩く頭を振ると、意識を失ったまま倒れている男の元へと踏み出した。

僕も妹の肩を抱き締めながら、男の傍らへと歩んでいく。

倒れた拍子に、フードが落ちたのだろう。苦悶の表情を滲ませる男の顔を見た瞬間、ローゼリンドの身体が僕の腕の中で、強ばった。


「この方…ヘリオス様の従者の、ソルだわ…───わたくしを殺そうとしたのは、ヘリオス様、なのね」


妹の声は、凍てつく夜に投げ出された時のように、震えていた。

心配になった僕がローゼリンドを見下ろすと、妹の瞳は辛そうに揺れ動きながらも、真っ直ぐに現実を受け入れようとしているようだった。

僕はローゼリンドの肩を抱く指に一度強く力を込めてから離すと、意識を失っているソルの傍らに膝をつく。


「とにかく、これでヘリオスの罪は問える。残るは、あの女だけだ」


黒く変色し、皮膚が爛れ崩れたソルの手足を確かめる。

侵食は進んでいなかったが、早く処置をしなければ命に関わるだろう。

僕は上衣を脱ぐと、縫い目から破いてソルの手と足を縛り上げた。


「だけど、証拠はどうする?ヘリオスやソルの証言だけでは、追い詰めきれないだろう」

「僕に考えがある。一度カンディータ邸まで戻ろう。妹をこのままにしておけないし、証人を殺す訳にもかない」


僕の代わりにローゼリンドの傍らに立つフロレンスの声に答えながら、ソルの身体を抱え上げて立ち上がった。

重さを覚悟していたが、軽々と浮き上がったソルの身体に自分の肉体の成長を、改めて自覚させられる。

成り行きを見守っていたローゼリンドが、僕を見上げておずおずと口を開いた。


「お兄様、あの女って?それに、その身体は?」

「ああ、何て言えばいいか…話せば長くなるんだ」


お前が殺されたから、大切な人も国も壊して、過去に戻ってきましたなんて。

大切な妹に、聞かせられることじゃない。

思わず顔を反らすと、ローゼリンドの言い募る言葉が後を追っていくる。


「お兄様、何を隠しているんです?」


問い詰めようとする妹の言葉に被せて、僕は逃げるようにフロレンスに声を掛けた。


「フロレンス、ソルは僕が運ぶ。君はローゼリンドと一緒に馬に乗ってくれるか?」

「いや、だったら私がその男を担いで行くから、君たちが馬に乗った方が効率が良い」


フロレンスの提案は正しかった。

早く降りるなら、一番戦いに長け、体力もあるフロレンスがソルを運び、強行軍に慣れていない僕とローゼリンドが馬に乗る。

だが、僕はフロレンスの提案に頷けなかった。

自分が愛した人に、犯罪者を手渡して歩かせるなんて外道なこと、できる人間がいれば教えて欲しい。


「いや、僕が運んでいくから。フロレンスは早く馬に乗って」

「何を言ってる。私なら大丈夫だから、急がないといけないだろう?」


互いに譲らない僕とフロレンスの間に割って入るように、ローゼリンドが両腕を広げて、飛び込んできた。


「二人とも、先を急ぐんでしょう!フロレンスは馬にソルを乗せて運んで。あなたが一番馬の扱いが上手いんだから。わたくしとお兄様は歩いてソルの様子を監視しながら行くわ」


有無を言わせぬ迫力で僕たちを見上げるローゼリンドに、僕たちは知らず知らずのうちに頷かされていた。


「…分かった。でも決して無理はしないでくれ」

「もし辛くなったら、お兄様に連れていってもらうわ。ソルよりは軽いでしょうし」


僕の心配をよそに笑って返すローゼリンドに、わずかに戸惑いを感じた。

ローゼリンドの勢いに押されるようにして、ソルを抱えて馬に向かう隙に、僕はフロレンスに目配せをした。


「フロレンス、ローゼが…いつもと違う気がする」

「どこがだ?」


「いや、何と言うか…性格が…逞しくなってないかな?」


ソルを馬の背中に乗せながら、フロレンスにひそひそと耳打ちすると、彼女は奇妙に眉を歪めた。


「元々気は強い子だろう?フロレンスが嫌なら代わりに自分が戦場に立つ、って本気で言う子だし」

「まさか、本当に?」


僕が驚きを隠せずに問いかけると、後ろから堂々とした声が返ってきた。


「本当ですわよ」


驚きながら振り返った僕の前には、変わらずたおやかに微笑むローゼリンドがいた。


「気が強いぐらいでないと、生き馬の目を抜くような社交界で君臨することなんてできませんもの!…、…こんな妹で、失望なさった?お兄様」


言葉を続けるローゼリンドの声が、最後に僅かに揺れる。

瑠璃色の瞳が滲ませる、不安の色が僕の気持ちを揺さぶった。

僕が今まで知らなかったローゼリンドが、目の前にいる。

きっと、家族だからこそ話せなかった思いがあったのだろう。

僕はそっと、妹に微笑み掛けた。


「失望なんて、するわけない。落ち着いたら…もっと話を聞かせておくれ。ローゼ」


これから僕たちには、長い時間が残されている。

そう信じて、僕は妹の手を引き、歩き出した。

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