贖罪

第41話死に戻り

「っぁぁああああ…!!」


僕は悲鳴で目覚めた。

その声が自分の喉から絞り出されたものだと気付いたのは、息苦しさを自覚してからだった。

呼吸を忘れて、悲鳴として息を吐き出し続けた僕は、噎せ込みながら上半身を起こす。


「ごほっ、ふっ…っ、っ」

「ご無事ですか、ジークヴァルト様」


寝ずの番を勤める護衛が、外から僕に話し掛けてくる。


「大丈夫だ。何でもないから」


答える僕の声は、いつもより随分と低く、掠れた声になっていた。

悲鳴を上げすぎたせいだろうか。喉を掌で擦りながら周囲を見渡すと、窓を覆うカーテンの隙間から、早朝の青白い陽射しが差し込んでいるのが見える。

細い光で照らされた薄暗い室内は、間違いなく僕の寝室だった。


「夢…だったのか?」


鮮明に脳裏に焼き付く記憶と、未だ鼻腔に張り付く焦げ臭い臭いに、僕は顔を歪めた。

身体は汗でぐっしょりと濡れ、寝衣が重く感じる。

服が妙に窮屈なのは、布が湿って纏わりついてくるせいだろうか。

僕はベッドから立ち上がると、よろけるように歩き出した。


───まだ早いけど…ローゼの顔を、見に行こう


目覚めても、僕の心の中にはどうしようもない不安が巣食っていた。

早くローゼリンドの顔を見て、安心したくて堪らなくなる。

最低限の身なりを整えて妹の元へ向かおうと、鏡の前で一度立った瞬間、僕は動きを止めた。


「誰だ…っ」


鏡の中に、見知らぬ男が一人映っていた。

年齢は20歳半ばといったところだろうか。端正な部類に入るだろう高い鼻梁に皺を寄せ、形の良い唇が警戒するように引き絞られていた。

僕と同じ瑠璃色の瞳は、こちらを真っ直ぐに睨み据えていた。


───僕と…同じ色の瞳…?


気付いた瞬間、違和感が僕の身体の中に渦巻く。

恐る恐る片手を持ち上げると、鏡に映る男も僕と同じように手を上げた。

そして、僕と鏡の中の男は、同時に頬に触れた。

僕の指先に伝わってくる感触は、余計な肉が削ぎ落とされ成長した男のものだった。


「…、…そんな、何で」


鏡の中の男は、間違いなく僕だった。

16歳だったはずの僕は、いなくなっていたのだ。

混乱の中で立ち尽くす僕の耳に、言い争い合う人の声が聞こえてくる。


「お待ちください、フロレンス様!いくら幼馴染みといえど、先触れも出さずこんな早朝に!」

「一刻を争う。すまないが、押し通る」


階段を駆け上がる音が響き、言い争う声が扉まで迫ると、勢い良く扉が開かれる。


「ジークヴァルト!!」


僕の名を呼びながら現れたフロレンスは、夢で見た時と同じように16歳のままだった。


「フロレンス…?」


僕がフロレンスの名前を呼んだ瞬間、一瞬彼女の瞳が大きく見開かれた。

自分でさえ驚くのだから、他人から見れば余計に信じられない光景だろう。


「君、は…ジークヴァルトなのか?…、…いや、そんな事より今はローゼだ!ローゼはどこだ!?」


一瞬呆気にとられたフロレンスが、思い直したように唐突に僕に問い掛ける。

焦燥感に駆られたフロレンスの声が、僕を焦らせ余計に思考を鈍らせていった。


「ローゼがどうした?」

「忘れたのか!?今日は君の妹が、行方不明になる日だ!!」

「───…、…っ」


言葉を聞き終える前に、僕はフロレンスの横を抜けて走り出した。

唖然とする護衛を置いてけぼりにし、妹の部屋を目指して廊下を走り抜ける。

手足が長くなったくせに、いつまで経っても妹の部屋にたどり着かない。

駆ける勢いで銀糸の髪が乱れて視界が塞がれる。それが、どうしようもなく邪魔で仕方なかった。


それでもどうにか、妹の部屋の扉の前に辿り着くと、寝ずの番を勤めていたダリアが驚きながら僕を見上げた。


「お、お待ちください。お嬢様はまだお休み中で…っというか、どなたですか!」


動揺を隠しきれずに吃りながら、僕と妹の部屋に通じる扉の前にダリアが立ち塞がる。

僕は答える時間を惜しみ、ダリアの身体を押し退けてローゼリンドの部屋に通じる扉を押し開いた。


「ローゼ!!ローゼリンド!!いるなら返事をしてくれ!!」


「お止めください!お嬢様、逃げて下さい!!」


僕の低く、鋭く響く声が妹の部屋の中に響き渡る。

無遠慮に部屋に踏み込む僕の着衣をダリアが掴み、引き留めようとした。

僕はダリアを引き摺りながら天涯付きのベッドまで近付くと、掛けられたスプレットを掴み、捲り上げる。


ベッドには、誰も居なかった。


「どうして…まだ眠っていらっしゃるはずなのに」


驚くダリアを尻目に、僕はシーツに触れてみる。そこにはすでに温もりは残っていない。

ローゼリンが起きてから、しばらく経っていることが直ぐに分かった。


「くそっ…急がないとっ」


焦りが一気に鼓動を早くさせる。

不吉な予感に突き動かされながら、僕は身を翻して駆け出した。

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