第32話邂逅

先に踊り疲れたのは、僕の方だった。


「少し休憩しようか、ローゼ」

「そ、そうしましょう」


楽しいけれど足が追い付かなくな僕と違って、軍人として前線に出るフロレンスの方には、まだまだ余裕が感じられた。

男としては、情けないばかりだ。


フロレンスと手を取り合い踊りの輪から抜け出て空を見上げると、陽射しはやや傾き始めていた。

ずいぶん長く踊っていたことが分かる。

まだまだ盛り上がる広場を後にしようと歩き出すと、人垣を作っていた人々が僕とフロレンスの肩を叩いて、笑顔を向けてきた。


「いい踊りだったぜ、二人とも!」

「素敵な二人に精霊様の祝福がありますように!」


口々に褒め讃えながら、人々は手に持った色とりどりの花を僕とフロレンスに渡していく。

すっかり恋人同士だと勘違いされたらしい僕たちが広場を後にする頃には、僕とフロレンスは花に埋もれるような有り様だった。

広場から離れ人通りがまばらな裏通りまでくると、ようやくひとごこち付くことができた。

僕はほっ、と吐息を吐き出してから壁に寄り掛かって花束を見下ろす。


「婚約者じゃないのに、こんなに祝って貰っていいのかしら」

「良いじゃないか、ローゼのための祭りなんだから」


フロレンスの気楽な言葉に、僕は小さく口元だけで微笑むと、花束に顔を埋める。

途端に甘くて良い香りが、胸を柔らかく満たした。


「ローゼ、少し休憩してて。今度は私が奢るから」


そう言うと、フロレンスは色とりどりの花の群れを僕に受け渡す代わりに、片手に持っていた杯を取り上げる。


「私も一緒に行くわ」

「駄目、足が痛くなったら大変だろう。良い子だから少し待っておいで」


フロレンスが颯爽と踵を返すと、人混みの中へと消えていく。

仕方なく一人で立ち止まっていれば、ふと、向かい側の建物の軒先に広げられた小さな雑貨が目に入った。

狭い路地の半分を埋めるような具合のテーブルに置かれた瀟洒な瓶の数々。

暇をもて余した僕が近付くと、店番のまだ若そうな青年が一人こちらへ笑顔を向けた。


「フローリスのお嬢さん!よけりゃ見てって下さいよ、素敵な香水がたくさんありますから」


口を大きくにっかりと開き、力一杯笑うわ愛嬌のあるブラウンの瞳。

そちらが釣られて笑いたくなるような青年の言葉に誘われて、僕は花束を片手で抱え直すと瓶へと手を伸ばす。

薔薇の蕾を思わせる丸いガラスの蓋を指で摘み上げると、蓋と一体になっているガラスの棒に金色の液体が伝う。


「良い香り…」


最初にふんわりと香る匂いは、茉莉花の甘い香りだった。

手首に少し付けると薔薇の華やかさが匂い立ち、体温によって揮発した後にはエキゾチックな琥珀の香りが残り香となって現れる。


「すごい……素敵なに香水ね」

「ありがとうございます!まだ店を出したばっかりなんで、すげぇ嬉しいッス!!」


大袈裟さに喜んで見せる青年に、今度は僕が驚かされる番だった。


「あなたが作ったの?凄いわ!あなた、きっと有名になるわね」

「オレも自信があるんスよ!いつか大通に店を出すんで、お買い得なのは今だけッスよ!」


彼の言葉に思わず笑ってしまったのは、爽やかな物言いと滲む自信に、好感が持てたからだ。

僕は透明から淡い緑へとグラデーションする雫型の瓶に、薔薇の蕾のようにカットされたガラス蓋を戻すと、瓶を取り上げた。


「これ、下さいな」

「まいどあり!今準備しまス!」


嬉しそうに笑う青年が香水瓶を受け取って包んでいる間、僕の心はそわそわと、落ち着かない気持ちに支配されていた。


────フロレンス…受け取ってくれるだろうか


頭を過るのは、フロレンスの微笑みだ。

彼女が香水を身につけないことは、僕が誰よりも知っている。

けれど、美しい瓶なら置いておくだけでも気持ちが華やぐかもしれない。


────瓶を見るときに今日のことを思い出してくれれば……嬉しい


何とも、自分勝手で浅はかな願いだ。

諦めなければいけない想いを密かに押し付けて、喜びを見出だそうとするなんて。

それでも止められないのだから、溜息が漏れる。

思わず、背中が丸くなった。

その背後を子供たちの笑い声が走り抜けていくと同時に、ドン、と衝撃が走った。


「わっ!!」

「あぶない、お嬢さん!!」


店主である青年の悲鳴じみた声が路地裏に響く。


「やべっ、逃げろ」


背中に当たった子供たちの慌てた声と足音は、大通りへと向けて一目散に逃げいく。

僕の身体は踏み止まれずに、陳列された香水瓶への向かってゆっくり傾いていく。


────駄目だ、ぶつかるっ!


そう思った瞬間、不意に腕が掴まれた。

後ろに引っ張られ勢い余ってよろけると、厚みのある何かにぶつかった。


「っ…」


それが人の身体だと気づいたのは、一拍遅れてからのことだ。

店を台無しにしなかったことに安堵したのも束の間、僕は

礼を言うために慌てて振り返った。


「あ……」


見上げた先にあった顔に、僕は思わず息を詰めた。

目深に被られたフードの奥に、美しい柘榴色の瞳があった。

涼しげな切れ長の目と端正な顔立ちは、忘れようにも忘れられない。


シュルツ家の庭師、アーベントのものだった。


「あの、助けてくださって、ありがとうございます」

「……いいや」


遠目であっても、一度は公女として会っている身だ。

僕は正体を隠すように、慌てて頭を下げる。

嫌な汗が伝う項の上に、低く、冷ややかな声が振ってきた。

短く呟くと、アーベントはすぐさま踵を返して歩き出した。

足音が遠ざかってから、僕は顔を恐る恐る顔を上げる。

向かう先を目で追うと、今まさに大通りへと踏み出そうとしていた。

このままでは、彼は人混みに紛れてしまう。

居ても立ってもいられず、僕は駆け出していた。


「え、お嬢さん!?どこに行くんスか!?」

「ごめんなさい、用事を思い出したの!あとで取りに戻るから、預かっておいて」


異国の、しかも敵国の特徴を持った彼が顔を隠すのは、決しておかしな事ではない。

そして、祭りの最中なら遊びに出ることもあるだろう。

でも、もし万一妹と関わる何かがあったとして、見逃してしまったら。


────僕は生涯自分を許せない…っ


藁にもすがる気持ちで、僕はアーベントの後を追って大通りに飛び出した。

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