第31話プロポーズ

自分の想いに気付くと同時に、僕たちが報われないことは決定づけられていた。

僕は長子として、フロレンスは一人娘として公爵家を継ぎ、精霊の加護の血筋を絶やさないために結婚する義務がある。

それが、民と公国を守ることに直結するのだ。


────きっと…これが最初で最後の、逢瀬になる


妹を見つけ出し、僕が元の立場を取り戻したら二度と二人で出掛けることも、想いを告げることもないだろう。

自分の気持ちを自覚すると、どうしようもなく心が掻き乱される。

同時に、僕の心の中に妹の姿がよぎった。

死よりも恐ろしい目にあっているかもしれない、僕のたった一人の妹。

ローゼリンドのことを考えると、恋に悩むことが罪悪感となって胸を重く塞ぐ。


それでも、少しだけ。

今だけ。


────お願いだ、この時だけ許して欲しい。僕に、どうか時間を下さい


乞い、願いながら僕は顔を上げる。

あと少しで人の波が途切れようとするタイミングでフロレンスが僕の側へと踏み出した。

顔を見上げれば、眉尻がわずかに下げられている。


「俯いていたけど…大丈夫かい?」

「なんでもないのよ、思ったより一杯注いでくれたから溢さないようにゆっくり歩いていたの」


愛しいと自覚してしまえば、感情が深まっていくのは一瞬だ。

まるで高い空に落ちていくように、どこまでも彼女が恋しくなっていく。

僕は想いを押し殺し晴れ晴れと笑ってみせると、フロレンスに杯を手渡した。


「ありがとう、ローゼ。少し歩きながら見て回ろう」

「そうね、ゆっくりしていきましょう」


フロレンスが杯を受け取ると、僕たちは二人で並んで歩き出した。

そぞろに歩いているだけで、方々で乾杯の声とエスメラルダ公国や精霊を讃える言葉が響く。


「本当に凄い騒ぎね。こんなことになってるなんて、思わなかったわ」

「何を言ってるんだ、優秀で可愛い私の幼馴染みの祝い事なんだから。まだまだ足りないぐらいだよ」


フロレンスは嬉しそうに目元を綻ばせる。

大公子のことを考えれば心境は複雑だろうに、顔に出さないでいてくれるフロレンスのお陰で、僕も素直に喜ぶことができた。


「ふふ、こんなに祝福してくれているなら、みんなの期待に応えないとね」


何気ない言葉を交わし、杯を傾けながら歩いていると、市場を抜けた先の広場から音楽が響いてきた。

広場には人集りができ、旋律はその合間から縫うようにして聴こえてきているようだ。

僕は思わずそちらに足を向けて人垣の合間から顔を覗かせると、躍動感に満ちた弦楽器の情熱的なフレージングが鼓膜を打つ。

同時に、踊る人々の輝くような笑顔が目に飛び込んだ。


「わぁっ……!!」


僕は思わず、歓声を上げていた。

楽団を取り囲むようにして、跳ね、回り、髪を踊らせる人々の喜びとエネルギーは、新鮮な喜びを与えてくれた。

僕は思わず、杯を握ったまま手を叩いていた。


「凄いわ、何の曲かしら?」


僕が興奮して呟くと、僕に背を向けて立っていた男が振り返る。

男は四角い赤ら顔をくしゃくしゃにして笑いながら、踊る人々を親指の先で指差してみせた。


「知らねぇのか、お嬢ちゃん!こりゃ南部に伝わる曲でなぁ、求婚する時に踊るんだよ。一緒に踊った男女は生涯幸せになれる、ってぇ伝承があってなぁ。終えたら、周りも花を渡して祝福するんだ」


僕は男から説明を聞きながら、フロレンスの方へちらりと視線を向けた。

音楽の旋律に乗って彼女の黒髪が、柔らかく靡いていた。

無邪気に楽しむフロレンスの姿に、気付けば僕は手を伸ばし、彼女の手を握っていた。


「なんだい、ローゼ?」

「踊りにいくのよ、フロレンス」


大きく目を見開くフロレンスの瞳に、力一杯笑い掛ける僕の笑顔が映り込む。

フロレンスを引っ張って、踊りの輪の中へと歩き出しながら肩越しに振り返ると、説明をしてくれた男へ向かって杯を持った手を振った。


「おじ様、ありがとう!踊ってきます」

「おお!いいじゃねぇか!頑張ってプロポーズしろよぉ」


拳を振り上げる男に見送られて、僕は人垣から抜け出す。

呆気に取られるとフロレンスと向き合って手を繋ぎ直すと、踊りに誘った。


「さあ、フロレンス!」

「いや、でもダンスは…」

「社交界みたいな規則はないみたいだもの、大丈夫よ。足を踏んでも怒らないわ」


戸惑うフロレンスの手を引いて、リードするためにターンを促す。

フロレンスはつんのめるようにしながら、僕の腕に引かれるままに身体を翻すと、長い足と艶やかな黒髪が舞った。

今度はフロレンスの腕を軸にくるり、と僕の身体を回転させる。

綺麗な刺繍が施されたスカートが風を含んで広がり、赤毛のお下げが弾んで揺れた。

一度離れた互いの身体を寄せるように、フロレンスの腕を引いて距離を詰める。


「上手よ、フロレンス」


笑い掛けると、軽快に跳ねる音に合わせて僕が杯を持ち上げ、フロレンスを杯と打ち合わせた。


「ダンスが楽しいって、初めて思ったよ」


フロレンスの顔からは、戸惑いに変わって楽しげな笑みが広がっていた。

杯に残った飲み物を二人で一気に煽ると、遠慮はいらなくなる。

音楽に合わせてリズムを刻み、手を取り、目を交わす。

周囲の手拍子と歓声に包まれながら、僕はこの一時だけは全てを忘れて、フロレンスとの限られた力一杯時間を楽しんだ。

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