第27話毒薬

公爵家の娘として、次期大公妃として、ローゼリンドには自分の身を守る責務がある。

そして仕える相手が危険を犯そうとすれば止めるのが、従者の役目の一つだ。

ヴィオレッタとダリアの行為は、処罰されるには十分なものだった。


「……何で教えてくれたんだ?僕が罰を与えるかもしれないのに」

「ジークヴァルド様がご自身の選択に悩まれておりましたから。お心が軽くなればよろしいかと」


ヴィオレッタは淡々と告げると、対照的にダリアは明るく笑いかける。


「処罰は覚悟しております。でも、それより大切なものがありますから!」


ローゼリンドと僕のことを思ってくれている二人を、責める言葉なんて、僕の口から出てこなかった。


「いや…、…妹に従っただけだろう。何より、僕も明日妹の共犯になるんだから、人のことは言えないしね。ただ、戻ってきたら叱ってやらないと」


僕が溜息混じりに笑って立ち上がると、浴槽の縁から溢れていた銀色の髪が星の川のように水面を揺らめき、僕の背中に垂れ掛かる。


「じゃあ、明日はよろしく頼むよ。二人とも」

「お任せください、立派な村娘にいたしますので!」


ダリアの威勢の良い声が、浴室の中で反響するのだった。



ようやくベッドに横たわったというのに、僕は眠れずにいた。

目を伏せると、母と叔母の顔と、ベアトリーチェの姿が目蓋に焼き付いたように離れない。

僕は何度か寝返りを打った後に、溜息を小さく溢すとベッドから抜け出した。

いつもなら寝ずの番をする者が扉の外にいるのだが、妹が行方不明になってからは、誰も置かないようにしている。

お陰で、ランプを片手に抜け出しても、見咎められることはなかった。

爪先でそっと歩き、妹の私室の扉から真っ直ぐに伸びた廊下の先にある、自分の部屋の前に立つ。

静かに扉を押し開くと、代わりに仕事をこなしてくれているマグリットが、窓辺にある机に突っ伏して眠っていた。

書類の数々が散らばって、ペンは苦しげにインク壺の海に溺れている。

病を患った僕の世話を一手に率い受けているという名目で、僕の執務室と私室に入り浸っているマグリットは、執務室から書類を持ち込んで仕事をしていたらしい。

随分、無理をさせてしまったのだろう。

男らしい顔立ちの目元に、隈が濃く刻まれていた。


「無理させているな……」


僕は起こさないように隣の寝室から膝掛けを持ってくると、そっとマグリットの肩に掛けた。

マグリットから目を離すと、僕は私室に置かれた本棚の前に立ち止まる。

壁一面を埋めるように聳え立つ、どっしりとした飴色の棚の一角を僕は見上げた。

そこには、染色された細い麻紐で纏められた、紙の束が詰まっている。

麻紐の色で分類された紙束のうちの一つを、僕は迷いなく取り上げた。

素材も粗悪で、大きさもまちまちな紙を紐で纏めただけの束は、僕が母を亡くした時から積み重ねた、植物の知識を纏めたものだ。

植物の特徴、毒性、症状発現までの時間と症状に、生育環境。そして、使用実例と関連した事件をできる限り、記載している。

可能ならば押し花を、難しければ植物画を資料として挟むようにしている中、極端に情報の少ないページがあった。


「マルム王国の、王家の花…」


ランプに照らし出される紙に、僕の文字が書かれていた。

王家の花と呼ばれるものは、マルム王国の王宮内で起きた事件記録に、時折姿を表すのだ。

そして、花が記録に載るときは、必ず人が死んでいた。

詳しい資料を求めた僕は、マルム王国の宮廷薬師がエスメラルダ公国の貴族とやり取りしていた古い私信を、公立図書館の資料庫で見つけたのだ。

互いの国の交流と文化背景を知るためにあるはずの手紙は、僕にとって貴重な情報源となってくれた。


私信の断片的な記録から読み取って分かったことは、三つあった。

花は蘭や麝香を混ぜたような、蠱惑的な甘い匂いを漂わせていること。

一重咲きの美しい深紅の花弁を持っていること。

そして、花がもたらす中毒症状と思われるものについてだ。

症状は、末端から痺れが始まり、血の巡りが悪くなって、心臓の拍動が乱れた末に、呼吸困難で死に至ると。

それは、後から聞いた母と叔母の死に様と、そっくりだった。

そして、最後の宮廷薬師の手紙には、こう書かれていた。


「王家から死の花を賜った…」


僕と、母と、大公妃殿下も、この死の花を与えられたということだろうか。

書き写した手紙の一文を口にした瞬間、僕は指先が震えた。

それが、恐れによるものか、はたまた怒りによりものなのか、自分でも分からなかった。

僕はその紙束を本棚に戻すと妹の部屋に引き返し、眠れぬ夜を過ごすしたのだった。

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