第26話「変化2」

 からからとドアベルが鳴るが、カウンターの奥に腰かける老婦人はシルディア達に見向きもしない。

 書物から目を離さずに「いらっしゃい」と言った老婦人が気にならないほど、シルディアは目の前の光景に目を奪われた。

 小さな店ではあるが、可愛らしくも品を感じる内装をしていた。

 壁側の棚を埋め尽くすのは手鏡や腕時計、便箋やガラスペンなど雑貨が置かれている。

 店の中央に置かれたテーブルには可愛らしいレースのテーブルクロスがひかれており、その上には装飾品スタンドが並んでいた。

 装飾品スタンドには色とりどりのブレスレットや品のよい指輪がかけられている。

 ショーウインドウから射す陽光で装飾品が輝き自己主張をしていた。

 まるで自分を見てくれと言わんばかりの光景に、シルディアは高揚感を隠せなかった。


「わぁ」


 シルディアは可愛らしい店内に思わず感嘆を漏らす。


「綺麗……」


 シルディアの呟きに店主だと思われる老婦人がカウンターの奥で顔を上げた。

 指で眼鏡を押し上げた老婦人は珍しい紫色の目をぱちくりさせ、まあまあと嬉しそうに破顔した。

 はずみで長い白髪交じりの灰桜色の髪が揺れた。


「誰かと思えば、久しい顔じゃないか。元気だったかい?」


 顔なじみに向けた柔らかな口調に、オデルがこの店に訪れたことがあるのだと知った。


(こんな可愛らしいお店にオデルが……?)


 シルディアの胸にもやもやとした感情が浮かび上がる。

 女性が好む内装の店は、男性一人では入り難いだろう。


(誰かと来たことがある? こんな所にくるのは女性とでしかありえない……)


 悶々と考え込んでいれば、オデルと老婦人がカウンター越しに話を始めた。


「おばば。この店でこの娘に合う宝石を見せてくれ」

「おや? あんたが誰かを連れてくるなんて初めてじゃないか」


 女性の影を感じていたシルディアだったが、老婦人の言葉にもやもやとした気持ちが晴れ渡る。


(なんだ。杞憂だったのね)

「あぁ。初めて連れてくるからな。シルディア」


 手招きされオデルへと近づけば、腰を抱かれ引き寄せられる。

 オデルの様子に老婦人は驚いたように眼鏡の奥で目を丸くさせた。


「俺の好い人だ」

「! オデル、いきなりなにを……」

「赤くなってかーわい」


 オデルがいたずらな笑みを向けられ、シルディアは全身が沸騰するように熱くなってしまう。

 そんなシルディアとオデルを交互に見た老婦人は、孫を見るような顔で目に涙を浮かべた。


「あんなにやさぐれてた坊やが立派になったもんだね」

「その話はいいだろ」

「ふっ。そうかい。彼女に似合う宝石だったね。お嬢さんはどんな宝石が好きだい?」


 唐突に話を振られたシルディアは首を傾げる。


「好きな宝石と言われても、すぐに思いつく物はないわ」

「おばば。シルディアは物欲ってのが無いんだ」

「そんなことないわよ」

「じゃあ今欲しいものは?」

「え? えっと、うーん……」

「ほら。ないだろ?」

「それは……」

「仲睦まじくて胸焼けしそうだよ。それじゃ、奥へおいで。気に入る宝石を見つけようじゃないか」


 よっこいしょと腰を上げた老婦人がカウンターの奥にある引き戸を開ける。

 扉の向こうには無駄な装飾は一切ないシンプルで品のいい部屋が広がっていた。

 貴族邸の応接間かと見紛うほど質の良い家具が置かれている。

 一番目を引くのは、中央に置かれたどっしりとしたソファーとローテーブルだ。

 王城で使われるような一級品だと一目で分かる。

 主役はその二つの家具なのだろう。周りの調度品は控えめなデザインの物ばかりだ。

 店内との雰囲気の落差にシルディアは驚きのまま見比べてしまう。

 オデルにくすくすと笑われ、シルディアはむっと彼を見上げた。


「なによ」

「いや? 可愛いなと思って」

「オデルはそればっかりね」

「事実だからな」

「そんな所で立っていないで早くこっちに入りな」

「あぁ」


 シルディアとオデルは奥の部屋へと進み、どっしりとしたソファーに腰かける。

 老婦人は宝石を持って来ると言って、ソファーの正面に見える扉から奥の部屋へと消えた。

 二人きりになった部屋で、シルディアは疑問をオデルへと投げかける。


「やさぐれてたって?」

「え、今それ聞く?」

「気になるもの」


 じっと見つめるシルディアに、オデルが折れた。

 聞いて楽しいものじゃないぞと前置きしてオデルは話を始める。


「十代の頃に初めて城下に来た時、浮浪者に絡まれてな。返り討ちにしてたら次々に仲間を呼ばれた」

「オデルに挑むなんて命知らずはどこにでもいるのね」

「今なら挑まれることはないだろうな。だが、その頃は魔力の制御が上手くなかったから返り討ちにしたと言っても、相打ちみたいなものだ」

「怪我は大丈夫だったの?」

「あぁ。その時おばばが助けてくれたからな。ああ見えておばばは聖なる力の持ち主でね。治癒魔法師と呼ばれる稀有な人材なんだ。若い頃は聖女なんて呼ばれていたな」

「治癒魔法ってそんなに珍しいのね」


 オデルの昔話はあっさり終わり、治癒魔法に話題が移ってしまった。

 幼少期の話を期待していたシルディアは少し眉を下げた。

 その様子を見たオデルはくすりと笑う。そして隣に座るシルディアの腰に手を回し、自身の元へ引き寄せた。


「おばばは皇国唯一の治癒魔法師だったんだ」

「だった……? どうして過去形なの?」

「そりゃ、今はお嬢さんも聖なる力を有しているからだよ」


 扉の軋む音がして、トレイを持った老婦人が戻ってきた。

 ローテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座った老婦人は、トレイをローテーブルに置く。

 トレイに置かれた色とりどりの宝石よりも、自分にあるとされるものにシルディアの興味は向いた。


「聖なる力って……?」

「おやおや。説明もせずに連れてきたのかい?」

「説明するより実際見た方が早いからな」

「皇族ってのは本当人使いの荒い」

「へ? 今皇族って……」


 困惑するシルディアに優しい目を向ける老婦人が改めてと頭を下げた。


「元聖女のアリスと申します。皇后陛下」


 驚きのあまり声のでないシルディアはせわしなくオデルと老婦人――アリスを見比べる。

 オデルは目を細めシルディアを安心させるように腰を撫でた。


「聖なる力は神力じんりきと呼ばれ、万物を見通し癒しを与えると言われている。俺もこの力で見破られたものだ。危険視する者もいるが、聖なる力は人を傷つけることはできないようでな」

「なるほど……? でも、まだわたしは皇后ではないわ」

「あと一か月もしたら皇后なんだ。誤差だろ」

「誤差って……」


 呆れるシルディアにアリスが小首を傾げる。


「お嬢さんは神話の時代に竜王を正気に戻した女神は知っているかい?」

「えっと、はい。正気を失った竜王によって滅びる寸前だった国に突如現れた女神、よね?」

「そうだよ。女神は自らを犠牲にして竜王が二度と暴走しないよう華を与え、国を蘇らせた後に姿を隠したと言われている。皇国の民なら幼少の頃から飽きるほど聞かされる童話だね」

「どこにでもそういう民話はあるものね」


 説明をしたアリスに、シルディアは故郷でも同じように語り継がれる童話があると同意する。

 情報を付け加えるようにオデルが口を開いた。


「この国にはごく稀に女神の力……神力を持つ女性が現れる。聖女と呼ばれ崇められるんだが、神の気まぐれか現れるのは数年に一人だったり百年に一人だったりと様々でな」

「本当に稀な存在なのね」

「あぁ。それに、どれだけ探しても聖女は一人しか見つからなかった。それ故に聖女を巡って争いが絶たなかったこともあったからな、今は見つけ次第城で保護が原則となっている」

「え、でもアリスさんは神力を持っているのよね? わたしが神力を持っていたら一人ではなくなるわ」

「あたしはもう神力がほんの僅かしかないんだよ。それこそお嬢さんに使い方を教えるぐらいの、ね」

「神力は無くなってしまうものなの?」

「いや? 初めての症例だな」


 数千年以上続くガルズアース皇国で初めての事態。

 それは悩みの種以外のなにものでもないだろう。


「いつ減っていると気が付いたの?」

「そうさね、減っていると気が付いたのは十八年前かね」

「……十八年前って」

「あぁ。シルディアが生まれた頃だな」

「今、わたしが神力を持っているってことはもしかして……。わたしに神力が移ったってこと?」

「僅かに残った力はお嬢さんの教育に使えって女神の思し召しなんだろうね」


 シルディアに申し訳なさが募るが、アリスはからからと笑うだけだ。


「正直なところ、視察と称して毎月見に来られるのも面倒なのさ。だからさっさと無くしてちまいたいんだよ」

「でも……」

「シルディアが気に病むことはない。おばばは昔からこうだから。歴代聖女の中でも手が付けられない暴れ馬だった」

「暴れ馬? 面白い事を言うじゃないか。あたしはただ縛られるのが嫌だっただけだよ」

「それを世間では暴れ馬やじゃじゃ馬と言うのでは?」

「ははっ。まぁ昔話は置いておこうじゃないか。今日の目的はお嬢さんに力の使い方を教えることかい? 一応宝石も持って来ているが……」


 アリスの言葉にシルディアはこの店に来た目的を思い出した。

 ローテーブルに置かれたトレイに目を落とす。

 色とりどりに輝く宝石はどれも大粒で、一目で一級品の物だと分かる。

 思わずため息が零れそうな逸品の中に一際目を引く物があった。

 シルディアはオデルの髪と同じ色をした漆黒の宝石に目を奪われてしまう。

 黒曜石だろうか。

 見る角度によって色の変わるそれに鷲掴まれたと顔に出ていたのか、オデルに気付かれてしまった。


「力の使い方を学ばせるつもりで……ん? なにか欲しい物あったか?」

「ううん! なんでもない」

「シルディアは嘘が下手だな。おばば」

「あぁ。オブシディアンだね。何に加工する? 指輪かい? それともネックレスやブレスレット、髪留めもいいね」

「え、ちょっと、オデル」

「髪留めにしてくれ。シルディアの白い髪に映えそうだ」

「そうだね。ちょっと待ってな」


 目の前の黒曜石がふわりと浮き上がる。

 アリスが魔法を使っているのだろう。

 黒曜石の周りにキラキラとした粒が集まり、形を作っていく。

 皇国の名産品の簪になっていく様子を食い入るように見入ってしまった。

 しばらくするとマジェステ型の簪が出来上がった。

 黒曜石が際立つようにシルバーの細工で作られた簪は、角度によって美しく気品の感じられる物に仕上がっていた。


「綺麗……」

「土の魔法だな」

「土……?」

「土の魔法は鉱物や鉱石を加工するのが得意なんだ。上級になれば加工で使う素材を魔法で作ることができる。今使ってるのが上級魔法だな」

「神力と魔法って両立できるものなのね」

「神力は癒しの力さ。逆に言えば、自分の身すら守れないひ弱な力だよ。魔法が使えなけりゃすぐにかどわかされる」


 表情を消したような声色に、シルディアはごくりと息を呑む。

 紫の瞳には生半可な生は送っていないと言わんばかりの凄みがあった。

 アリスの眼力にシルディアが固まっていると、ふっと彼女の目じりが下がる。


「そんなに驚かすつもりじゃなかったんだがね。さっ、神力の使い方を教えようか」

「お願いします。でも、わたし妖法も使えなかったし、魔法も神力だって使えるかどうか……」

「心配しなくてもシルディアは一度、神力を使ったことがあるぞ」

「へ?」


 オデルの言葉に、間の抜けた声がシルディアの小さな口から洩れた。

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