第25話「変化」

 シルディア誘拐事件から一か月が経ったある日。

 自室の窓から降り注ぐ温かな春の陽光を浴びながら読書をしていたシルディアは、オデルを見上げ聞き返した。


「今、なんて言ったの……?」

「デートしないか?」

「いや、絶対違うでしょ」

「……城下町へ市場調査に行くからシルディアもついてくるか? と聞いたんだが……嫌な――」

「行く!!」


 歯切れの悪い言葉ではあったが、はっきりとオデルの口から外出を許可された。

 一度目に聞いた時は聞き間違いかと思ってしまったが、どうやら本気だったらしい。

 犯人は捕まったものの誘拐があったことから、外に出られない状態が続いていた。

 書庫の使用が許されたことで退屈をしのぐには困らなかったが、外出は別腹だ。

 食い気味に頷いたシルディアにオデルは苦笑する。


「なら着替え終わり次第、裏門集合だ」

「裏門……? わかったわ。ヴィーニャ。よろしく頼むわね」

「もちろんです」


 一か月前、誘拐事件の犯人がヴィーニャの実父だったことで専属侍女を変えようとする動きがあった。

 皇后の侍女となればオデルとの距離が近づく。

 その上お手付きとなれば側妃となれる。

 皇后ではないにしろ、側妃になりオデルの寵愛を受けたいと夢見る女性は多いだろう。

 娘は寵愛を、両親は皇族との繋がりを、喉から手が出るほど欲しがっている。

 オデルが後宮を破壊し新設はしないと宣言したにも関わらず、欲しがる人間は絶えなかった。


 その動きは、ヴィーニャはずっと守ってくれていたとシルディアが報告しても風向きが変わることはなく、むしろ激しくなったと言っても過言ではないだろう。

 最終的にヴィーニャを交えた侍女候補全員で試験を行った。

 試験内容は侍女の仕事だけでなく、護衛や戦闘といった多岐に渡る内容だったらしい。

 見事、試験を合格したのはヴィーニャだけだった。


(あと少しで優秀な侍女を失うところだったわ。わたしが舐められているということでしょうけど。わたしも公務をしていたら違ったのかしら? やっぱりオデルに公務を手伝いたいって言うべき……?)


 シルディアが悶々と考えているとヴィーニャとオデルの会話がいつの間にか終わっていた。

 オデルに優しく頬を撫でられ、シルディアは我に返った。


「先に行って待ってるぞ。誰にも見つからないようにな」

「分かったわ」


 シルディアが頷けば、とろけるような笑みを浮かべたオデルが部屋を後にした。




 ◇◆◇




 シルディアは目立つ髪を結い上げ、ローブの中に隠した。白髪の女性など皇国では珍しくとても目立ってしまう。

 ローブの下は質のそこそこいい良いワンピースだ。ローブの隙間から見えたとしても、貴族のお忍びにしか見えないような物で揃えた。

 誰にも気が付かれることなくシルディアは裏門に辿り着いた。

 そこに立っていたのは、赤い髪の男だ。

 オデルがシルディアの約束を反故するはずがない。しかし、裏門には目の前の男以外に人はいなかった。

 シルディアは恐る恐る声をかける。


「オデル……? お待たせ。待ったでしょう?」

「大丈夫だ」


 裏門に佇む男に声をかければ、オデルの声が返ってきた。

 シルディアはオデルだったことにホッと胸を撫で下ろした。


「その髪、どうしたの?」

「これか? 魔法で髪色を変えている」

「それなら最初から言って欲しかったわ」

「シルディアなら髪色が変わっても俺だと分かるだろ?」

「過大評価だわ」


 今のオデルは皇族の象徴である漆黒の髪を隠している。そのため、一目見ただけではオデルだと分からないだろう。

 その上、非番の騎士のような服装をしているため余計に皇王だとは誰も思わないはずだ。


「誰にも邪魔されたくないからな」

「漆黒は目立つものね」

「だろ? だから城下に行く時はこういう小細工が必要なんだ」

「なるほど。でもちょっと残念」

「何がだ?」

「オデルの黒髪、すごく綺麗だから……きゃっ!?」


 いきなり抱きすくめられ、シルディアは身を固くした。

 しかしオデルはお構いなしにぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。


「なんでそんなに可愛いこと言うんだ。このまま連れ帰ってしまいたくなる」


 優しい眼差しをオデルから向けられ、シルディアの胸がどきりと高鳴った。

 それを紛らわすようにシルディアは早口で言葉を紡ぐ。


「市場調査に行かないと駄目なんでしょ? 早く行かないと……お店が閉まってしまうわ」

「俺はシルディアとこうしていてもいいんだけどな」

「城下は初めてだから、これでも楽しみにしてたのよ?」

「そうか。……なら、行こうか」


 離れた体温を名残惜しく思っていると、シルディアの目の前にオデルの手が差し出される。

 シルディアはおずおずとその手を取った。

 嬉しそうなオデルの大きな手に握り返され、治まりかけていた胸の高鳴りがまた騒ぎ出す。

 せめてオデルに心臓の音が聞こえないようにと願いながら、シルディアは彼と共に裏門を後にした。

 馬車での移動になるかと思っていたが、そんなことはなく、シルディアとオデルは徒歩で城下町を進む。

 活気のある市場へ足を向ければ、他国の名産品や装飾品が輝いていた。

 宝石を並べていても窃盗が起きないのは治安のいい証拠だろう。

 市場を通る人々にも笑顔が絶えず、生活には困っていないことが伺える。


(平民が市場で装飾品を買う姿を見られるなんて……。ガルズアースは貴族だけでなく平民も潤っているのね)


 値札をそれとなく確認してみるものの、自分の財布を持ったこともなければ、身に着ける物の値段を聞いたことのないシルディアには、記されている値段が適正なのかも分からない。


(せっかく市場調査に来たのになんの役にも立ちそうにないわ。あら……?)


 鼻をくすぐる懐かしい匂いに、シルディアは思わず足を止めた。

 匂いの先にはアルムヘイヤの名物料理が並んでいた。

 この店の目玉はケバブピザだろう。店の一番目立つ場所に置いてあった。

 肉の焼ける匂いが食欲を掻き立てる。

 その両隣にはワッフルとセムラが並べられていた。

 セムラはカルモダンの練り込まれたパンに、アーモンドペーストと甘さのないホイップクリームが挟まったアルムヘイヤの代表的なお菓子だ。


「どうした?」

「いえ、懐かしいなと思って。よくフロージェがセムラを内緒で持って来てくれたわ」

「そうか」


 目を細めながらシルディアが懐かしむように笑う。

 しかしオデルはつまらなさそうに頷くだけだ。


「ねぇ」

「ん?」

「さっきからあまり楽しそうじゃないけど、どうしたの? もしかして、フロージェに嫉妬して……?」

「いや……。そんなことない、とは言い切れないが、今黙っていたのはそれが理由じゃない」

「ならなにが……」

「さっきからシルディアに邪な目を向ける輩を牽制をしているだけだ」

「そんな目で見てくる人なんて……」


 シルディアが視線を通りへ向ければ、さっと顔を逸らした男が多数いた。

 明らかにオデルに対し怯えているようだ。


「委縮させたら市場調査にならないじゃない」

「別にいいんだよ」

「なにが?」


 シルディアが呆れたように眉を下げれば、繋がれた手が離れる。

 突然のことにシルディアが目をぱちくりさせていると、離れたと思っていたオデルの手が腰に回った。

 グイッと引き寄せられ、耳元で囁かれる。


「可愛いシルディアを誰にも見せたくない。俺のためにめかし込んだ姿なんてなおさらな」

「じゃあなんで連れてきたのよ」

「……デート」

「へ?」

「デートしたら、シルディアの気分も晴れるかと思ったんだよ。悪いか」

「いや、だって、市場調査だって……」

「今まで外に出さないと豪語してたのに、いきなり城下にデートしに行くぞって言ってシルディアはついて来たのか? 急な手のひら返しは信頼を失うことだろう。違うか?」

「それは……」

「ほらな」


 一瞬、ほんの一瞬だけ、傷付いたような顔をしたオデルを見てしまったシルディアは慌てて否定の言葉を口に出す。


「そうじゃないの! あんなに人の目に晒したくないって言ってたのに、どんな心境の変化があったのか気になって……」

「ただの気まぐれだ。俺はシルディアが傍にいればそれで構わないが、シルディアは外に出たいんだろ?」

「何か勘違いしているみたいだけど、わたしは暇を持て余すのが嫌なだけで、ずっと部屋にいるのが嫌だなんて言ってないわよ」

「え?」

「だから――」

「おい。お二人さん。痴話喧嘩はよそでやってくれや。客が寄ってこねぇだろ」


 怒ったような声に、自分達の世界に入り込んでいたシルディアとオデルが我に返った。

 シルディアが声の聞こえた方へと目を向けると、アルムヘイヤ国民によくある金色の髪をした商人が目を吊り上げていた。


「ごめんなさい。ほら、オデルも」

「……悪い。詫びにそこにある商品全て貰おう」

「は……? 全部って、持ち帰るにしても相当な量だぞ?」

「別に構わない」

「そうか。分かった」

「持ち帰り用に包んでくれ」

「あぁ。まいど」


 目の前に市場の天蓋の上まで積み上がった大量の箱に、シルディアはくらりとめまいがしそうだ。

 オデルは驚く様子もなくその大量の箱に手をかざす。

 すると一瞬で大量にあったはずの箱が消えた。


(魔法ってこんなことも出来るの?)


 目をぱちくりさせているシルディアをよそに、オデルは商人と話を続ける。


「で、いくらだ?」

「へ? あ、はい。ガルズ銀貨十枚です」

「安いな。……すまない。今これしか手持ちがない。釣りはいらん」


 オデルは懐からガルズ金貨一枚を取り出して商人に差し出した。

 目が飛び出そうなほど驚いた商人は震えた声で呟く。


「こんな大金を頂くわけには……」

「釣りが出せるのか?」

「それは……。いえ、ちょっと待って下さい」

「時間が惜しい。釣りはいらん」

「あ! ちょっと!」


 呼び止める商人を全く気にせず、オデルは何事もなかったかのようにシルディアの腰を抱いて進む。

 市場を通り過ぎたオデルは困惑するシルディアに気が付きふっと笑った。


「どうした?」

「色々聞きたいことはあるんだけど……。まずさっき買ったのどこにやったの?」

「城の厨房に送っておいた。使用人達で分けて食べるよう言伝もつけてな」

「無駄にならなかったのならよかった。妙に手慣れていたけど、よくやっていたの?」

「まぁな」


 得意げに笑うオデルが眩しい。

 シルディアがオデルを羨ましそうに見ていると、視線に気が付いた彼が首を傾げた。


「シルディア?」

「……えっと、金貨ってそんなに大金なのかなって……」


 しどろもどろに口にした言葉にオデルは納得したようで、軽く笑った。


「シルディアは生粋の貴族だからな」

「仕方ないでしょ。国政に携わることなんて出来なかったんだから」

「それもそうか。硬貨の価値が知りたいのか?」

「そうね」

「慎ましく暮らせば、金貨一枚で夫婦が一年は働かずに済む」


 オデルの言葉にシルディアは目を見開いた。

 先ほど商人に支払った金額の重さがやっと理解できたからだ。


「そ、それは……払い過ぎたんじゃ……」

「迷惑料込みで支払ったんだ。大丈夫だろ」

「そ、そうなの……?」

「あぁ。それに金を持っている人間がチップをやらねば、経済が回らないからな」

「そういうもの?」

「そういうものだ」

「そっか」


 世間に疎いシルディアはオデルの言葉を信じ、彼に尊敬の眼差しを向ける。

 城下はシルディアにとって未知の世界だ。

 親が子に教えるように常識を教えてくれるオデルは、シルディアにとって尊敬の対象となるのは当たり前のことだろう。

 シルディアのきらきらとした視線に、オデルが目を逸らす。

 オデルが目を向けた先にあったのは、宝石店だ。


「シルディア。俺に贈り物をさせてくれないか?」

「へ? 毎日のようにドレスが増えてるの、わたし知ってるんだからね! これ以上何を増やすのよ……」

「減るもんじゃないし、いいだろ」


 そう言ってオデルはシルディアの腰を抱え、宝石店へと足を向けた。

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