休戦――第一部完――

 皇国近衛騎士ジュラールたちは敵国ガルム帝国帝都ゴルトブルクから撤退した。


 その際に六割以上の兵を失う羽目となった。


 レドパインが兵の損失を顧みずに力押しで帝都を攻めた事が災いしていた。


 帝国領内に深く入り込み過ぎていたのだ。


 将官すら半分が落ち延びることが出来なかった。


 戦皇エレオナアルは最初戻ってきた者を徹底的に処断する構えだったが、周囲の説得もあってそれを何とか思いとどまった。


 エレオナアルが冒険者だった時に戦友でもあったレドパインを亡くした衝撃が戦皇を弱気にさせていた。


 皇室付き近衛騎士であるジュラールは自分はどのような処罰でも受けるが仲間や兵たちには寛大な処分を下すようにと求め、その勇を惜しんだ皇国の上層部がエレオナアルに働きかけて謹慎一カ月という軽い処分で落ち着いた。


 レドパインが混沌の第一神アリオーシュに通じていた事は皇国上層部のみが知る機密となり、ジュラールはレドパインが己の婚約者を殺した事も絶対に口外しない様に厳命された。


 エレオナアルは表面上威厳を取り繕っていたが皇国の事実上の敗北にいたく精神の安定を損なった。


 それでも皇国は戦争前の領土を何とか維持することが出来た。


 帝国も戦争で多大な損害を出し、復興が必要だった為だ。


 エレオナアルは復興が終われば再度世界征服に乗り出すことが出来ると同盟国の勇者ショウに慰められ、帝国が攻めてこないのはエレオナアルの知略を恐れているからだとおだてられてようやく人心地を取り戻した。


 エレオナアルは帝国と休戦条約を結ぶ事に――大分抵抗してぐずったのだが――何とか賛同した。


 一方、軍師ウォーマスターラウルたちは帝国で新体制を作る事に必死だった。


 上帝マルグレートとその一派を国家転覆をはかった罪で処断する――証拠は揃っていたが、十年以上帝位に就いていた女帝を極刑に処する事は難しかった。


 帝国の辺鄙な離島に流刑にする事が精一杯だった。


 帝国軍総大将だったアダルトマン将軍も同様の罪を問われ、こちらは斬首刑となった。


 新女帝クリスティーナは十二歳という若さではあったが政治についての教育は受けており叔母のマルグレートとその一派の処断にもおおむね賛同した。


 上層部には厳しく、末端には寛大な処分を下すよう求めたのはラウルであり、クリスティーナにも異存は無かった。


 この戦争で多大な被害を皇国帝国双方が被り、特に帝国ではアダルトマン将軍とマルグレートの無能さが、皇国ではエレオナアルの側近レドパインの強引さがそれに拍車をかけた。


 ラウルたちは休戦せずに皇都ネクラナルまで攻め込んだ場合も検討したが、皇都落城は不可能と判断した。


 皇国軍が帝都ゴルトブルクを落とせなかった様に、帝国軍も皇都を落とせないと何度も机上演習で判定が出た。


 損害を度外視して皇国を攻めれば他の国から狙われる。


 皇国もここで矛を引くのは他の国の脅威を考えたからだ。


 両国が痛み分けでこの戦争を終わらせる――そう思われた時、皇国の内部では次の戦争に向けた暗躍が進み、ラウルも終戦では無いと帝国民に告げざるを得なかったのだ――。


 *   *   *


「アリオーシュ?なんだそれは?新しい女の名前か?」皇都の皇城、休戦条約を吟味したあと私室でくつろいでいた戦皇エレオナアルは親友である勇者ショウの話をブドウをつまみながら訊いた。


 エレオナアルはアリオーシュの名前の一欠けらも覚えていなかった。


「ある意味ではそうだ」ショウもエレオナアルの皿からブドウをつまむと口に放り込んだ。


「レドパインが密かに通じていた混沌の女神だ。なに、皇国守護神ヴアルスから宗旨替えしろという訳じゃない、少し生贄を――耳長エルフ共を供物に捧げれば良いだけだ」


 皇国はエルフを迫害するだけでなく、全滅させるべく国を挙げて活動していた。


「劣等種族を口減らしできるだけじゃなく、売女の女神から力を奪えるいい機会だ。女如きが調子に乗ると痛い目を見ると思い知らせてやれる」


「そのメス犬が具体的に何をしてくれるというのだ?」エレオナアルはショウの話に興味を惹かれた。


「世界征服」ショウは断言した。


「アリオーシュはこの世界を支配しようと協力してくれる者を探している。手伝う振りをして肝心な所で裏切ってやればいい」


「そう上手くいくのか?」


「何を心配している、神とはいえたかが女だぞ。丸め込むのもいう事を聞かせる事も難しくない」


 ショウは金杯に酒を注ぐと、一気に飲み干した。


「それに俺たちの望み、今や死神の騎士と僭称されるアトゥームを殺す事も、お前の愛しの女を抱く夢も叶えてくれる。俺たちは相伴に預かるだけでびた一文払わなくて済む」


「アレクサンドラ姉上をか――」エレオナアルは身を乗り出した。


「乗り気になったか」


「まずは証拠を示してもらわねばな」


「侍女を呼んでくれ、この女に言う事を聞かせられれば俺の勝ちだ」


「分かった」エレオナアルは扉に向き直る。


「ルイーズ、入ってこい」エレオナアルは大声で呼ばわった――すぐに扉が開かれ、お仕着せを着た侍女が入ってくる。


「何か御用でしょうか?我が主人エレオナアル陛下よ」


 ショウは飢えた狼めいた笑みを浮かべた。


「女神アリオーシュの名において命ずる。自殺せよ、ルイーズよ」ショウは侍女に穏やかに語りかけた。


 侍女は冗談だろうと笑っていた――自分の手が意思に反して腰に下げたナイフを抜くまでは。


 自らの手に握られたナイフの切っ先がルイーズの喉元に突き付けられる。


「おやめ下さい――ショウ様、エレオナアル陛下。止めて――」侍女は懇願した。


「自殺せよ。ルイーズ」ショウは強い口調で言った。


「いや……ッ!!」次の瞬間、ナイフがルイーズの喉に突き刺さった。


 ルイーズの目から涙が零れ落ちる。


 エレオナアルは言葉もない。


 少しの間をおいてルイーズの口から大量の血が零れた――その間もルイーズは落涙していた。


 ルイーズは崩れ落ちた――その身体をどす紅い風が包む――風が止むとそこにルイーズがいた証拠は無かった。


 飛び散った血の跡さえも無い。


「どうだ?」ショウが玩具を自慢する子供の様に言った。


「いや、驚いた――これが混沌の力か」エレオナアルは冷や汗を流しながら応える。


「この力が有れば帝国も死神の騎士も相手ではない。望みが全て叶うんだ。或いは俺たち自身が新世界の神になる事ですら」ショウの言葉に力が籠る。


「まずはエルフ共を捧げれば良いのだな」エレオナアルがおっかなびっくりといった様子で尋ねる。


 ショウが笑みをさらに深めた。


 エレオナアルとショウは混沌神に我が身と魂を売った――後にそれが致命的な過ちだったと気付く事もなく。


 *   *   *


「義兄さん、ガルディン爺の塔とオラドゥール村は本当に帝国領にしても良いのかい?」


 ラウルは皇国との休戦条約を結ぶ、その細部を詰めた際の事だった。


「帝国と皇国のどちらにも属さない係争地か、空白地にした方が」


「いや、空白地にすれば領土争いの的になる。帝国領にすればエレオナアルもすぐには手を出せないだろう」


「でも義兄さんは半分はグランサール人なんだよ」


「半分はガルム人だ」アトゥームは薄く微笑んだ。


 いつからだろう、義兄がこんな笑みを浮かべる様になったのは。


 自分の見ている世界と義兄の見ている世界は違うのだと思い知らされる。


 ラウルは全てを諦めたかの様なその笑みが好きでは無かった。


「エルフたちが皇国から逃げる時の中継地として村と塔を使いたい。お前もそれには賛成なんだろう」


「それはそうだけどね」今度はラウルが苦い顔をした。


「反亜人種、特に反エルフ感情は皇国だけに特有のものじゃない――このガルム帝国にもエルフを嫌う者は少なくない。エレオナアルの主張に賛同するものだっている、その中で殊更に皇国を糾弾するのは――」義兄の立場を危うくする可能性が有る。


「それでも俺はそうしたい。いざとなれば俺を切り捨ててくれて構わない。人間もエルフも命の重さは変わらない、俺はその為に戦いたい」


「義兄さんばかりを戦わせたりしないよ――もっと僕を頼って」


「ラウル君ばっかり頼らないで、ボクも頼ってよ」不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドがアトゥームの腕にしがみつく。


 ホークウィンドは出身のエセルナート王国がエレオナアルを危険人物とみなした事に伴い、正式に帝国に味方して、皇国の動向を探る事になったのだ。


 アトゥームとホークウィンドは男女の関係だった。


「ホークウィンドさんは本国に帰るんじゃなかったの?」


 ホークウィンドの義理の娘シェイラは王国に留まって彼女の帰還を待っている。


 休戦条約が結ばれたら国に帰って充分娘を甘えさせるつもりだった。


 その時アトゥームに付いて来てもらいたいとホークウィンドはアトゥームとラウルに申し入れていた。


 ラウルは難色を示したが、ホークウィンドがアトゥームの統合失調症を良くするには必要不可欠な存在だと知っていた。


 結果として王国へアトゥームが赴く事を認めざるを得なかった。


 王国には有名な〝狂王の試練場〟と呼ばれる地下迷宮ダンジョンが有る、ラウルも武者修行の為に王国を訪れる予定になった。


 帝国ではアトゥームたちが権力を簒奪するつもりだと見る向きも有り、帝国から離れる事はそういう者たちへの意思表示でもあった。


「ラウル君もいっしょにくるんでしょ。何も心配する事は無いよ」ホークウィンドは笑う。


「条約が予定通り締結したらね」ラウルは苦笑した。


 彼女の言葉には不思議な説得力が有る、それは認めざるを得ない。


 死神の騎士アトゥーム、軍師ウォーマスターラウルはエセルナート王国へ帝国を代表して赴く。


 アトゥームは休戦条約が終戦に繋がる事を願っていたが、それが望みに過ぎない事も分かっていた。


 ――それでも――


 今はこの安らぎを味わっていたい。


 死の王ウールムがそれを赦す事をひたすらに願って。


 ――西方公歴3266年7月、死神の騎士は戦いに倦み、ひたすら休息を欲していた。


 ――ただ、ひたすらに。


                                第一部 完

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死神の騎士と呼ばれた傭兵の物語――アトゥーム・サーガ―― ダイ大佐 @Colonel_INOUE

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