古き女神アストレイア
ラウルは不老不死エルフの女忍者ホークウィンドとその義娘シェイラと魔力を結合させ、永遠の都タネローンへの転移陣を造った。
アトゥームが逗留先に決めた宿屋から一番近い広場――街の外から転移することを許された場所だ。
正午きっかりに着く様に三人はタネローンに飛ぶ。
大陸西南端にある国の首都は冬とはいっても雪は積もらず、気温も帝国や皇国とは比べ物にならない程暖かい。
街を行く人々の上着も薄く、太陽の光は強かった。
それでも吹き抜ける風には冬の冷たさがある。
「ボクたちもアトゥーム君と同じ宿屋に泊まるのかい」ホークウィンドが尋ねてくる。
一八〇センチは有る長身のエルフは連なる建物の陰になって見えない宿屋の方を見る。
「それが良いと思う」ラウルも同じ方を見た。
三人は宿屋に部屋を取る――アトゥームの部屋に近い部屋だ。
アトゥームが部屋から出るのを見届け、後をつける。
大通りを歩いていたアトゥームは途中で路地裏に入った。
三人も続く。
ところが通りには誰もいない。
「何処に行ったの――」シェイラが辺りを見渡す。
「危ない!!」ラウルが怒鳴った。
シェイラに向かって刃が振り下ろされた――間に合わない、ラウルは覚悟した。
黒い影がその間に割り込む。
両手剣はホークウィンドの白羽取りで止められていた。
「いくら美形でもボクの娘に手を出したら赦さないよ」
攻撃してきたのはアトゥームだった。
「お前たち――俺を」そこまで言いかけてアトゥームはラウルがいる事に気付く。
「ラウル、何故ここに居る?」声には冷たい響きが有った。
「義兄さんがタネローンに行くと言ってたじゃないか。薬も新しいものが出来たし。何より義兄さんを放っておく訳にいかないよ」
「その娘――魔族じゃないのか?」アトゥームはシェイラの頭に生えている角を見逃さなかった。
「失礼ね。私は龍族よ」シェイラが怒りを露わにする。
アトゥームはデスブリンガーを引こうとしたが、エルフの掌にはさまれた両手剣はピクリとも動かない。
アトゥームはラウルの予想外の動きに出た――デスブリンガーを手放すと肘をホークウィンドに打ち込んだのだ。
しかし、当たらなかった。
シェイラが肘を受け止めていた、間髪入れずに体を捻る。
アトゥームは転倒した――同時にシェイラの貫手が喉元に突き付けられる。
「――俺の負け、か」アトゥームはほんの少し迷った様だったが、結局降参した。
「大人しくすれば悪い様にはしないわ」
「俺の病気はここで癒えるはずだ」少しの沈黙のあと、アトゥームは言った。
「ここに貴方が来たのは意味のある事よ、アトゥーム=オレステス。病が癒えるかどうかは別としても」シェイラがゆっくりと腕を戻す。
「龍族にエルフの忍者。俺がいない間に何が有ったんだ?」
「ボクはホークウィンド、エセルナートの忍者。キミを倒したのは義理の娘のシェイラ。グランサール皇国でラウル君に助けてもらってキミの事を聞いたんだ」
ホークウィンドは手を差し出す、アトゥームはその手に摑まると立ち上がった。
「どこに行くつもりだったの?」
「さあ? 決めてなかった。ここに来れば治るとだけ思ってた。他にすがれるものは無い」
「タネローンに高名な治癒術師なんていたかしら」シェイラが首を傾げる。
「神殿に行けば神託がもらえる。お金はかかるけれど」ラウルが答える。
「取り敢えず神殿だね」ホークウィンドが仕切った。
街の中にあるタネローンの守護神を祀った神殿に向かう。
石畳の道を大通りへと戻る。
神殿は通りの先にあった。
門扉は解放され、巫女たちが参拝客を出迎えている。
神殿はそう大きくはなかったが、瀟洒で壮麗だった。
立ち並ぶ柱と天使像を抜けて本堂に入る。
二人の巫女がアトゥームたちに近づいてきた。
「アトゥーム様にラウル様ですね、我が神殿の主が貴方がたを待っております」
「僕たちの事を知っているのですか?」
巫女たちは頷いた。
四人は案内に従って神殿の奥深くへと進む。
窓の無い天井の高い部屋に入った。
入口の扉が閉まると同時に魔法の明かりが部屋を照らす。
部屋の奥にも扉が有った。
「こちらを進んだ先に主がいます。中に守護者もいます。その者を打ち倒せば、主への目通りが叶います。ホークウィンド様とシェイラ様も御同道なさってください」巫女たちが扉を開けた。
四人は前衛にアトゥーム、ホークウィンド、後衛にシェイラとラウルの戦闘隊形を取って中に入る。
短い通路の先にまたも扉が有る、ホークウィンドが罠が無い事を確かめると扉を開け放った。
ちょっとした広間位の大きさの部屋だ。
ぼうっとした白い光が近づいて来る。
「注意して!」シェイラが怒鳴る。
光は急速に四人に迫った。
重たい一撃がアトゥームとホークウィンドを襲う。
ラウルは炎の魔法を唱えた――中心部で輝く一番大きい光にラウルの魔術杖から炎が吹き付ける。
しかし効いた様子は無い。
「生き物じゃない――動く鎧だわ!」シェイラは魔法で物理的な結界を張る。
ホークウィンドは苦無で籠手の攻撃を受け流した。
同時に〝蹴り〟が飛んで来る、結界で勢いを削がれた〝脚〟がホークウィンドの回し蹴りで壁に叩き付けられた。
一方アトゥームは飛んできた〝拳〟を躱しざまに鎧の胸当てにデスブリンガーを振るう。
途轍もない金属音が辺りに響いた、余りの不快な音に四人は一瞬耳を塞ぎそうになる。
「魔法で命を吹き込まれたアイテム――
だがラウルの声は途中で消えた。
鎧の魔力によるものだった。
魔法は通じないと見てシェイラがエルフの姿から本来の
二対の腕と脚が四方からからホークウィンドを襲った。
「義母さま!」シェイラが悲鳴を上げる。
その声を聞いたアトゥームが間に割り込む。
アトゥームは脚をデスブリンガーで防いだが、腕までは対処できなかった。
腹部に深々と貫手が突き刺さる。
「アトゥーム君!」
ホークウィンドの声を聞きながらもシェイラは龍の姿を取った――大きさは成龍の半分ほどしかない――腕の一撃で鎧を吹き飛ばす。
対面の壁に叩き付けられた鎧から光が消えた。
更にシェイラは炎の息を吹き掛けた。
低く籠った悲鳴の様な、低い鐘の音の様な声にならない声が響き消えていく。
鎧と手足を繋ぐ光が霧散していった。
ラウルが背嚢から
「早く――」ホークウィンドに抱き抱えられたアトゥームの顔は真っ青を通り越して真っ白だった。
薬をアトゥームの唇から飲ませる。
傷口は塞がったが、血が大量に抜けていた。
「治癒魔法は?」ホークウィンドは切羽詰まった声だった。
ラウルは首を横に振った、沈黙の魔法がまだ掛かったままなのだ。
「主の所へ行こう。治癒魔法か治癒薬が在るかもしれない」ホークウィンドがアトゥームを抱き上げようとする。
辺りは静寂に包まれた――少なくともホークウィンドはそう思った。
パシンという音が聞こえたかと思うと、天上から光が降ってくる。
「よくぞ守護者を倒しましたね」美しい光の中に人がいた。
「天使――?」シェイラと魔法の解けたラウルが同時に言葉を発した。
「私がこの神殿の主、女神アストレイア。古き神々の一柱です」
女神が手を伸ばすと、アトゥームが光に包まれた。見る間に顔に赤みが差していく。
「アストレイア? 確か神々が人間を見捨てて天界に帰った時、最後まで人界に留まった女神」ラウルは子供の頃に祖父から聞かされた神話を思い出した。
「秩序と混沌の間にある調和を体現する神とも言われるわね」シェイラも女神を知っている様だった。
「ボクたちが来ると知っていたって話だけど、その割に手荒い歓迎だね」
「守護者の事ですね。あれは貴方がたが〝死神の騎士〟の武具の使い手に相応しいか確かめる為のものです」
「じゃあ――」ホークウィンドは守護者が何なのかに思い至った。
「そう、死神の騎士の鎧、それが貴方がたが戦った相手」
「で、合格なのかい?」
女神は微笑んだ様だった。
ホークウィンドは女神がアトゥームを見る目に違和感を感じた。
母が溺愛する息子に向ける様な、或いは姉が愛する弟に向ける様な視線だった。
いや、長年離れていた恋人に乙女が向ける様な――流石にそれは考えすぎだと思った。
しかし治療は終わったのに、二人を繋ぐ光はそのままだ。
胸の中に芽生えたドロッとした感情にホークウィンドは驚いた。
この男はボクのものだ――多くの相手を抱いたことがあるホークウィンドだったが独占したいと思ったことなど今まで一度も無かった。
女神の目――アトゥームは自分だけのものだと言い放つような目線に反発を覚えた。
「人間の男と女神は愛し合ってはいけない筈だよ」我知らず棘のある言葉が出た。
「私がそれを変えてみせます。
ホークウィンドは今の会話が自分にしか聞き取れないものだった事に気付く。
「死神の騎士がタネローンに来た目的は果たされました。私、古き女神アストレイアはアトゥーム=オレステスを死神の騎士の武具を手に入れるに相応しい男性と認めます」冒険者たちに女神は告げた。
シェイラもラウルも女神の劣情にまるで気付いていない。
「貴方にはまだ質問が有りますね。ラウル」
「僕は神がいる事は知っていても、直接神に助けられた事は有りません。僕の奉ずる智恵と戦いの女神ラエレナにも、その女神たちをも作った唯一神にも」ラウルは言葉を切った。
「僕は世界をこんな風に造った神も神々も信じる事は出来ません。戦争や病を創り出した神を」ラウルは真正面から女神の目を睨む。
「貴方が信仰を捨てたからといってそれで親たる神は変わったりはしません。貴方が良いと思う道を進みなさい。全ては神の御業です。神を捨てるという貴方の決断でさえも」アストレイアは穏やかに言う。
「グランサール皇国と僕の祖国ガルム帝国は百年近くも争っています。貴女も神なら何故それを止めてはくれないのですか? 神は人間を見捨てたのですか?」語気が荒れる、人間を苦しめている根源に何故世界を救わないのかを問う事は、ラウルにとっても想像を絶する勇気のいる事だった。
「今の貴方には分からないでしょう。これだけは知っておきなさい、神は人間のする事に手出しはしません。ただ自由であれと願うだけです」
「もう時間が有りません、貴方たちに辛い未来を告げなければならない。皇国は近い内に帝国への全面戦争を仕掛けます。貴方がたをこの地へ越させたのは開戦に巻き込まない為でもある。死神の騎士の病は癒えるまでに時間がかかります。戦皇エレオナアルは混沌の女神と手を結ぶでしょう。彼を止めなければ世界は滅ぶ」
「死神の騎士はその混沌神と戦うの?」シェイラが尋ねた。
「敵対はするでしょう。しかし混沌の女神と戦うのは異世界から召喚された勇者です」光が弱まる。
「さようなら、死神の騎士。貴方の人生の苦痛が少しでも癒されます様に」
微笑みを浮かべて女神は消えた。
あとには静寂と暗闇だけが残った――。
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