永遠の都タネローンへ

 吹き付ける吹雪の中アトゥームはひとしきり身体の中から突き上げる叫びを放つと西部目掛けて必死に駆けた。


 いくら叫んでも叫び足りない――辺りには誰も居ない、死神の騎士たる俺を避けているのだ――そんな思いが身体中を巡った。


「戦皇エレオナアル!! 勇者ショウ!! 俺はここに居るぞ!!」


 愛馬スノウウィンドを駆って両手剣デスブリンガーを抜く。


 街道沿いの葉を散らした黒い木々が枝を触れ合わせてざあざあと音を立てる。


 落ちてくる雪片を両手で握ったデスブリンガーで斬る。


「俺はここに居る――!」木々のざわめきにすら意味が有ると感じられた。


 街道に近い大木を横薙ぎに斬った。


 樹は丸太の様に切断された。


 派手な音を立てて倒れた――アトゥームは哄笑しながら更に別の樹を斬ろうとする。


 だが抜き放ったデスブリンガーに映った己の目を見て、アトゥームは我に返った。


 デスブリンガーの能力でスノウウィンドと意識を共有する。


 憐れみと心配が伝わってきた。


 自分はおかしくなっている――それを突き付けられる。


 狂った部分とまともな部分が共存しているのだ。


 デスブリンガーとスノウウィンドがいなければ自分は完全におかしくなっていた――その事がアトゥームの肝と頭を冷やした。


 デスブリンガーは過去にアトゥーム同様に狂った歴代の死神の騎士を知っていた。


 落ち着かせるには何を見せれば良いかもだ。


 自分を使いこなし、世界の運命を変える前に完全に狂ってもらっては困る。


〝主人〟を無暗矢鱈に破滅させる事が目的ではない。


 剣は剣なりに主人を愛しているのだ。


 まずは永遠の都タネローンに主人を連れて行かねばならない。


 魔界の戦馬との混血馬たるスノウウィンドとアトゥームを引き合わせるのは上手くいった。


 暫く経験を積ませ一流と呼べるほどの戦士になってから、統合失調症を癒す。


 精神も鍛えなければならない。


 如何なる弱さも見逃さない優しさと如何なる事にも動じない鋼の精神――その為に純粋な魂を持つ者を選ぶ、その過程で何が有ろうとも――それはやむを得ない事だった。


 そうしなければ世界は滅ぶ。


 全ての生物が死滅すれば、<死>もまた存在価値を失い死んでしまう。


 <死>――死の王ウールムは今や<虚無>の王として無生物にも影響を及ぼせるようになりつつあるが、やはり生あるものが存在する事を強く望んでいた。


 未だ<虚無>としては完全ではない今、世界が亡くなる事はやはり死にとって死活問題だ。


 死神の騎士が理解すべき世界の秘密は、無生物、生物問わず全ては生命であり、神であるという事実だ。


 それを理解するまでは死神の騎士は苦闘し続ける。


 だが助けなしに放っておくほど<死>は冷酷では無かった。


 孤独の苦しみを知り、生あるものの虚しさを知り、愛の儚さを知り、それでも希望を捨てない者だけが死神の騎士となれる。


 その使命を理解する者は少ない――ましてその運命を担える者はもっと稀だ。


 欲望に塗れた者には到達できない。


 自らの利益で無く世界の為に何かを為したいと願う者が<死>の眼鏡にかなうのだ。


 いや、利益はある、死神の騎士としての最大の報酬は世界と自分が一体である事を知る事――世界との一体化、唯一無二の全知全能神との一体化にある。


 いわばあらゆる望みが叶う――それが報酬だ。


 デスブリンガーは持ち主に災厄をもたらすとされるが、実際はそれを最低限にとどめる様に力を発揮してきた――力及ばぬ事も有ったとしても。


 また、持ち主を強くする為に敢えて酷な状況を振る事も有る。


 デスブリンガーが見定めた次の敵は強敵だった――いつやって来るかすらも分からない。


 異界の神々だという事だけが分かっていた。


 神と戦うなら全知全能神の造った日本刀〝神殺し〟こと桜花斬話頭光宗おうかざんわとうみつむねが最も良いが、デスブリンガーがその代役を果たすだろう事を死の王は予知していた。


〝神殺し〟だけでなくデスブリンガーにも神を斬る力を持たせたい、その為にも使い手に強くなって貰わないといけないのだった。


 無理をさせているという自覚はデスブリンガーにも死の王にもある。


 <死>の力で邪悪な神を滅したいというのもデスブリンガーを強くする為の動機だ。


 この千年アトゥームほどデスブリンガーに親和性のある人間はいなかった。


 <死>は出来る限りアトゥームを強くしたかった。


 それはアトゥームの望む事でもある。


 精神の安定を取り戻したアトゥームはその事を理解した。


 病気がぶり返す事も有るだろうが、破滅する事は無い――少なくとも望まれてはいない。


 それはアトゥームを落ち着かせた。


 何とか皇国を横断し――時に統合失調症は悪化したが――三週と少しでアトゥームは安息の地イェスファリアとの境に来た。


 時に精神の均衡を欠きながらも、何とか予言通りの道を辿って来たのだ。


 目の前の山脈を越えれば、自らの病も癒える、それだけを信じてきた。


 だが、そうはいかなかった。


 *   *   *


 アトゥームの義弟ラウルは祖父ガルディンが建てた塔にエセルナートの女忍者ホークウィンドとその義娘シェイラと共にいた。


 グランサール皇国で迫害されるエルフたちの逃げ道を作り、皇国と干戈を交えるであろうガルム帝国の内情を探り、いざ開戦となればこの地を両国の干渉から護る盾として機能させようとしてだ。


 仕事に忙殺されたある晩、ラウルは身体を触られる感触に目を覚ました。


 瞼を開けると一糸まとわぬ裸体がラウルにのしかかっている。


 女淫魔サキュバスでもきたか、ラウルはそう思ったが実態は違った。


「ラウル君――」ラウルの金髪を撫で首元にキスしてくる、声には聞き覚えがある。


「ホークウィンドさん、何をやって」


「親愛の情を示しているんだよ」ホークウィンドが妖艶に微笑む。


 ラウルは身体の力を抜いた。


 不老不死エルフの女忍者は男を蹂躙しようと利き腕を封じようとする。


「はい、残念」ラウルが笑った。


 ホークウィンドの身体が痺れる。


麻痺パラリシスの魔法、それに義娘さんの前で余りはしたない真似は出来ないでしょ」


「お・か・あ・さ・ま――」扉から覗いていたシェイラが怒りと羞恥に顔を真っ赤にして近づいて来る。


 違うんだよと言おうとしたが、舌も回らない。


 怒りのあまり言葉をなくしたシェイラは義母を抱えると自分たちの部屋に戻る。


 この後もホークウィンドは機会を逃さずラウルをものにしようと奮闘したのだが、結局それは叶わなかった。   


 翌日、昨晩の事など無かった様にホークウィンドは言った。


「タネローンには行った事があるよ。ラウル君とシェイラの魔力を合わせれば転移魔法陣を構築する事も出来る筈だよ」


 ラウルは水晶玉に映ったタネローンの城壁を見た。


 ――いかなる苦悩に満ちた者でもかの地では平安を見出すと言われる永遠の都――


 デスブリンガーも何かしらの意図をもってアトゥームをタネローンに向かわせたはずだ。


「義兄さん」水晶玉には青鹿毛の戦馬に乗った黒い鎧の黒髪の男の姿が映っていた。


 一カ月ぶりに見た義兄は目つきこそ一時より落ち着いていたが、漂わせる雰囲気にはただならぬものが有った。


 道中で幾体もの怪物モンスターオーガ小鬼オーク、更には人間をも斬ってきたのだ。


 ボロボロになった外套マントに黒光りする板金鎧が不似合いだった。


 タネローンの街に検問は無い――訪れる者全てを受け入れる、それがどれほどの英雄であろうといかなる犯罪者であろうとだ。


 アトゥームの目がラウルの目と合った。


 ラウルの脳内に声が聞こえた――アトゥームが聞いているものだと理解するまでほんの少し時間がかかった。


〝ラウルもお前を信用していない――助けにこなかった――厄介払いが出来て良かったと思っているのさ――〟声は男のものとも女のものともつかなかった。


〝死神の騎士――そんな役割を何の権利が有って<死>は貴方に背負わせたの――〟もう一人、こちらは女の声が脳内にわんわんと響いた。


 他にも数人の男女の声が響く、しかしその内容にアトゥームを肯定するものは一切無かった。


〝衛兵はエレオナアルの刺客だ――お前を狙っている――衛兵は買収されたんだ〟


〝生き返ったエルフィリスがお前を待っている――なぜ自分を殺したのか問い詰める為に〟


〝お前を助ける者などいない――お前は独りだ――ただただ独りだ〟


 アトゥームは一見平静を装っていたが、絶え間ない愚弄嘲笑に心を千々にかき乱されている。


 幻聴――統合失調症を患った者が負う咎だ。


 門の前に座る乞食の動きさえも自分を害そうとしているように思える。


「美形だね」アトゥームの幻聴に圧倒されていたラウルはようやく我を取り戻した。


「誰が――義兄さんかい」


「誰かさんはボクの誘いに乗ってくれないし、その義理の兄も申し分ない美形だし、向こうさえ良ければボクのものになってもらっても構わないよね。ね、ラウル君?」


「ホークウィンドさんは欲望に正直だね」ラウルが呆れる。


「解放的って言って欲しいな」ホークウィンドは屈託なく笑った。


「もう、お義母さまは――」


「それより転移陣を造らなくていいのかい――」ホークウィンドは義娘の追及から話を逸らそうとする。


「義兄さんが宿泊先を決めてからでいいよ。デスブリンガーが何故義兄さんをタネローンに向かわせたのか分かってからでないと」


 ラウルたちはタネローンに飛んでアトゥームを連れ帰る予定だった。


「運命の三女神が僕たちに何を望んでいるのか。それを知らないと」


「死神の騎士が蘇ったのは二百三十五年ぶりの事だしね」


 戦争に永遠の都に死神の騎士――それぞれ思う所の有る三人だった。

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