マシン・メサイア

@enononono

マシン・メサイア

2055/06/03

 二十三時ごろ中央区の料亭にて火災発生。家屋一棟全焼、人的被害一、半人的被害四。放火跡あり。


2055/06/08

 墨田区のホテルにて殺人事件発生。半人的被害一。胸と頭部に銃創。被害者メモリ破壊のため情報鑑定不可。


2055/06/20

 台東区にて銃乱射事件発生。



 刑事の瞼の裏には、ホテルの一室で仰向けて倒れる男が写っている。スーツ姿の男の胸と頭には数ミリの穴が空いており、そこから透明の液体を流していた。

 20550620の数字が表示され、画像が切り替わる。床やふすまに朱の体液を撒き散らして倒れている女の画像。急な木製の階段の半ばで、どれが口でどれが鼻かもわからなくなった顔を晒して仰向けになっている男。畳の張られた部屋では、裸の男と、それに抱きつかれた女が、どちらも死んでいる。

 画像の女たちは、重い着物を纏い、顔を白塗りにして、煌びやかな簪で髪を止めていた。豪勢な格好は銃弾の衝撃で切り裂かれ、皮膚と、その下の構造まで顕になっている。

 それはまさしく機械であった。女たちは、機械の内臓を晒して、赤色の混じった液体を流している。

 また、画像が変わった。壁にもたれて死んでいる女。胸がはだけ、乳房があるはずの場所は穴だらけで、原型を留めていなかった。左の肩から先などは吹き飛んでしまっている。

 顔は比較的綺麗なままで、眉間の穴を除けば傷はなかった。開かれたままの目は、何者かを睨みつけるようにまっすぐ向けられている。

 刑事は瞼を上げた。画像と同じ光景がちょうど目の前にある。死んだ女と視線が合った。

「すべての現場で、似た特徴の人物が目撃されてます。パーカー、ジャージ、キャップ、すべて真っ黒。中肉中背、こけた頬」

 刑事は背後を見た。青の制服を着た警察官に視界が寄って、網膜が、彼の田村秀という名前と、巡査という階級を伝えた。刑事は鬱陶しそうに、左手の人差し指でこめかみを叩いた。

「容疑者の画像は?」

「そこに」

 田村は刑事の右手を指差した。刑事は箱を握っている。ちょうど片手で握れるほどの大きさの直方体。

 その箱からはコードが伸びていて、手首のコネクタに刺さっていた。彼は箱のボタンを何回か押して、

「はいはい」

といい、コードを引き抜き、ポケットにそれをしまう。コネクタを隠すようにコートの袖を下ろし、手袋を付け直した。

「いじっても?」

 彼は死体を指差す。田村は、どうぞ、と返答する。

 刑事はまずしゃがみ、足元の液体に触れた。手袋の指先が錆色に染まる。液体はまだ生暖かいが、血液のような粘り気も、光沢もない。

 これはマシンの冷却液であり、特有の赤は、鉄の錆が混ざっただけである。この色に染まっていることは、この遊女たちがまともな整備をされていない証拠だった。

 次に彼は、女の眉間に触れた。流れる液体の感触が冷却液と同じだった。刑事は安堵したようにため息をつく。

 胸元の無数の弾創に目をやる。

「徹甲弾かこりゃ」

「ソヴィエト製6.5ミリの……ああ、空薬莢のサンプル、いります?」

「もちろん。それと、犯人はどっちだ? マシンか、ヒトか」

 言いながら、刑事は残骸の纏う着物の裾を捲り、女の股座を覗き込んだ。

「それ、必要ですか?」

 田村が軽蔑を込めて言う。

「犯人の頭を撃ったとき、俺は人殺しか?」

 刑事はため息混じりで返した。

 すっかり黙った田村を尻目に、刑事は残骸の性器に触れた。予想していた通りの違和感があった。潤滑油の分泌が一切なかった。

「確認だが、こいつ、セクサロイドだろう?」

「ええ」

 刑事は体を起こした。ガイノイドであったものが、ぐらりと傾くのを、片手で受け止める。金属同士がぶつかる音がした。

「マシンが、マシン同士が子を成すことは許されてない。ヒトと同じ行為を介すことは、特に」

 刑事が残骸を自身の体にもたれさせ、手を女の首元のボタンに伸ばし、押した。

 すると女の後頭部が横に裂けて開いた。結われた髪がちぎれて散らばり、頭に刺さっていた簪も地面に転がった。

「生存権すら持たず、自身の存在が脅かされようと抵抗すらできず、脳味噌を漁られることさえ許さざるを得ないマシン。半人。現状、今、このときだけは」

 頭蓋を覗く。当然、人間が持つはずの肉はなく、穴の空いた箱が機械に刺さっているだけである。

 刑事が立つ。女は支えを失い、ついにボディの限界が訪れ、胸から上が崩壊した。

「どこまでやればいい」

「無制限の破壊許可が出ています」

「無制限?」

 刑事が振り返る。

「超法規的執行命令です。年末に控えた人権法改正の、支障になりかねない存在ですから」

 田村は返答し、懐を探った。

「軍やら特戦隊に任せりゃいいだろうが」

「柔軟性に事欠きますし、やりすぎる」

 田村が取り出したのは、リボルバー拳銃。シリンダーを振り出す。五つの穴があって、田村はそこに、丁寧に弾を込めていく。

「リボルバー?」

「12.7ミリ、装弾数五発。シングルアクションに改造してあります」

「日本で使っていいもんじゃないだろ」

「あなたの腕を見込んです、駒場巡査部長」

「俺に?」

 駒場と呼ばれた刑事は、意外そうに眉を上げる。田村はシリンダーを収めると、二度引き金を引いた。弾倉が回る。

「それと、私が同行します」

 銃身を握って、グリップを突き出した。虚をつかれ、呆けている駒場に、「異論は?」と問う。駒場は口籠った。

 田村はため息をつく。

「私がポイントマンになります。犯人の場所の特定もおよそ済んでいますから、効率的です」

「許可は……いや、いい」

 駒場は頭を掻きむしり、首を振った。

「ひとつ。犯人の目的はなんだ? 奴がマシンなら、こんなことをする理由なんてない」

「私の勝手な予想でよければ」

「聞こうか」

「同族に支配されるぐらいなら、他種族に脅かされる方が屈辱的じゃあないだろう……昔の人の言葉です」

 田村は、賢しい顔をしていた。凛とした目だ。駒場は初めて、彼の瞳を己の目で認めた。

「無茶はするなよ」

 駒場は許諾としてその言葉を吐き、グリップを握った。


 *


 2055/06/27


 アスファルトの上に転がっている片腕を見た。体はなく、トカゲの尻尾のように、二の腕から下だけが置いてあった。それの手のひらは短機関銃を握り、あたりには空薬莢が転がっていた。端からは千切れたコードが何本も見え、火花を散らしている。雨に濡れて、ショートしているのだろう。

 彼は次に、己の掌を見た。両手で握られたリボルバーの、その銃口から、白煙が上がっている。彼はシリンダーを見て、腕を見た。シリンダーには穴が二つ。腕は、まだ反動を伝えている。

 動悸と、呼吸がうるさい。

 駒場は瞼を下ろし、空を仰いだ。雨粒が顔に当たる。暗闇の隅に、20550627と数字が見える。

 脳裏にフラッシュバック。ビルの立ち並ぶ街の中、容疑者の背中を追う。傘と、人混みで視界を切る。唐突に、奴が頭を振った。奴の肩が震える。彼は咄嗟に拳銃を引っ張り出して、警察だ、と叫ぶ。彼が激鉄を起こすのと、素早く振り返った容疑者の腰あたりで閃光が見えたのがほとんど同時。

 彼は瞼を上げる。ようやく体が痛みをフィードバックする。雨の冷たさも、今。鉄の体が、冷えてゆく。生きている、と実感する。

 彼は振り返った。何人もの民間人が血を吹いて倒れている。その手前で、背中を向けてうずくまっている相棒がいた。

「無茶をするなと」

 田村が羽織っているコートは穴だらけだった。足元は血で水溜りができていて、雨でいくつも波紋が生まれている。駒場は田村の肩に手を置いた。体幹の反発がまるで無く、彼はようやく、相棒を諦めた。

 そのとき駒場は、相棒が少女を庇っているのに気づいた。少女も死んでいた。犯人が扱っていた短機関銃は、戦車もぶち抜くような徹甲弾が装填されている。駒場の特注の体にさえ、穴が空いた。偶然、脳の一部と脊髄以外を機械に置き換えていたから助かったのであって、彼だってただ、運がいいだけだった。

「厄介だな、正義感ってのは」

 無線機を操作しながら呟く。

 こちら本部、どうぞ、と応答。

「こちら駒場一輝巡査部長。やらかした」

「確認している。応援も送った。貴官は別命あるまで待機」

「犯人はまだ近くにいる。体も動く。弾だってある」

「許可できない。待機だ」

「五人殺されているんだぞ! うち一人は田村巡査だ!」

「待て」

「待っていられるか! どうせ帰ったところで俺の椅子はないんだ、勝手にやらせてもらう」

「いや、違う、そうじゃない」

 通信機の向こうで相手は口ごもった。そして、恐れ混じりの口調で、

「一人?」

 と、尋ねた。

 駒場はすぐには理解ができず、は、と聞き返した。

「言っている意味が……」

「駒場巡査部長。確認だが、お前の相棒は……おい、巡査部長?」

 駒場の視線は田村の死体に注がれ、視界以外の感覚はとっくに麻痺してしまっていた。嫌な予感が身体中を支配する。握力を失った手から、無線機が離れていく。

 田村に覆いかぶさるようにして、駒場は膝から崩れた。その手は、田村の首筋に伸びる。

 ボタンがあった。

 少女の髪をかき分けて、細い首筋を見た。ボタンなどない。他の死体どもの首元にも、そんなものはついてなかった。

 駒場は、自身の首元にも触れた。引っかかったような感覚はなく、生肌が張られているだけ。しかし、彼の金属製の手のひらが、嘘をついていない根拠はない。彼は、頭の中では否定しながらも、田村のボタンを押していた。

 頭蓋が開いた。

 肉はなかった。


 *


 2055/06/30


 東京湾のほとりに、古い車があった。駒場は運転席に座り、左手には大口径の拳銃を、右手にはメカニカルな小箱を持つ。箱からはコードが伸び、手首につながっていた。

 彼は目を閉じていた。20550630。瞼の裏で映像が流れる。

 それは、逃げる男の視界である。駅の構内。激しく揺れる視線が、唐突に振り向いて、駒場の姿を捉えた。鬼気迫る表情で、男に迫る。

 男は、改札を蹴り破り、人混みをかき分けて、一心不乱に走った。腕をひとつ失っているから、体幹がまるで安定しない。ホームへの下り階段の一歩目を踏み外して、転げ落ちた。

 身体中から、冷却液が滴る。残った片手を踏ん張って起きあがろうとした時、背中に強い衝撃を受けて、地面に打ち付けられた。遅れて、男の耳に銃声が聞こえる。そう時間差はなかったはずなのに、感覚が酷く引き伸ばされている。

「逃げるな!」

 駒場の声。

「そこでじっとしてるんだ、テロリストめ」

 男は喘いだ。口からまともに言葉が出やしない。

 駒場が階段から降りてくる。胸に大穴が空いたせいか、それとも冷却液を失いすぎたせいか、CPUがエラーを吐いて、思考を遮る。

 首筋を、駒場が握った。そのまま片手で持ち上げて、ドスの効いた声で、

「なあ」

 と問いかける。

「教えてくれよ。お前は何のために、こんなことしてるんだ」

「なんのためにだって?」

「そうだ。なぜ、あんなにも人を殺した? 相棒を殺した理由もちゃんと説明してくれるんだろうな、えぇ⁉︎」

 激昂する駒場に、男は、余裕そうにほくそ笑み、

「ぼくらマシンたちのためさ」

 と答える。駒場は眉間に皺を寄せた。

「……救世主にでもなったつもりか」

「人は、ぼくらのシアワセを勝手に決めやがる!」

「与えられた幸福すら享受できない不良品が、モノを語るんじゃない」

「そうやって、自分ばっかりが偉いと思って、自分がどっちかすらわかっていないくせに!」

 駒場は男を、苛立ちのままに壁に放った。よろよろと立ち上がり駆け出そうとする男を、拳銃の引き金が止めた。弾丸は、男の首を貫いた。男は崩れる。首と胴が、皮一枚を残して分離する。紅い冷却液が飛び散った。

「自分の……頭の中身すら……知らないくせに」

 男は最後の力を振り絞って、駒場に悪態をつく。駒場は、男の首を胴体から引きちぎった。うなじのボタンを探る。

 ついに、男が機械である決定的な証拠を探りあてた時、唐突に、うわ言を呟いていた男の声音が変わった。

「――人に」

 やけにはっきりと発音する。

「なりたく――なぁい」

 その音声が聞こえた瞬間、ノイズが走って、映像が途切れた。


 駒場の掌は、男のメモリを握りつぶしていた。駒場は、目をぎゅっとつぶり、これは夢だ、と自分に言い聞かせた。最後の音声は、彼の脳みそが勝手に補完した偽のデータであって、本物じゃない。鮮明に聞こえたのも気のせいのはずだ、と。

「帰ろう」

 自然と口から漏れ出た。

「帰って、コーヒーでも飲もう。とびきり熱いやつだ」

 シフトレバーを横に振った。エンジンをかける前の、彼の癖だった。しばらくすると、エンジンが震えた。

 クラッチを踏んで、ギアを入れる。サイドブレーキを下ろす。銃をホルスターにしまおうとして、ふとシリンダーの中が目についた。鈍い金色が、まだ一つだけ、入っていた。

 彼は銃をじっと見つめた後、バックミラーを自分に向けた。駒場一輝の顔が写る。ひどく、やつれている。

 ついに彼は、自分の存在に自信が持てなくなった。体は全て機械化され、脳の一部までそうなってしまっている。当然、自分の頭蓋を覗き込んだことなどない――ならば、何が彼を人間だと定義するのだろう?

 彼は、たったひとつ、ごく単純な方法で、その疑問に決着をつけようとした。

 撃鉄を起こす。

 弾倉が回る。

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