愛憎アポトーシス

白ノ光

愛憎アポトーシス

 どうかここに、私の秘めた想いと、罪を告白させてください。

 その笑顔が、その黒髪が、その瞳が、そのスタイルが、その指先が、その性格が好きでした。私と同じテニス部の先輩、あなたのことです。

 これを読んでいるのがあなただと、そう思って書き進めることにします。先輩以外の人が初めにこれを読んだのなら、これより先を読む前に、私の先輩に見せてください。お願いします。

 懐かしい話をしましょう。あなたと初めに会ったとき、私は雷に打たれた気持ちでした。陳腐な表現です。ですが実際、あなたの顔を見て心臓が大きく跳ねたのですから、そうとしか言いようがありません。私が学校に入学したてで不安を覚えていたころ。私の手を優しく取って、学校を案内してくれたのがあなたです。雷はそのときに落ちて、以来、ずっと感電したままです。今から一年半ばかり前のことでしたね。

 私の心を大きく掻き乱す嵐は、あなたと一緒にいて、ますます大きくなるばかりでした。あなたがテニスコートで舞う様は、私の覚束ない手足と違って優雅で、空を切るボールを捉える動体視力とそれを打ち返す反射神経は、まるで猫のようだと初めてあなたの試合を見てから思っています。

 テニスに興味があるわけではありませんでした。高校に入学してあなたと出会うまで、テニスをやったことすらありません。テニスについては全くの無知であり、関心もなかった。それでもテニス部に入部したのは、そこにあなたがいたからという理由に他なりません。

 テニス部でも他の部員と一線を画すその技量は、あなたの才能です。才能というと持って生まれただけの力に聞こえもしますが、あなたがそれを磨き続けたことももちろん知っています。自分の才能にかまけず、高みを目指して才能を磨くという才能もあったからこそ、プロ入りするという夢も叶えられるのでしょう。

 去年はあなたにとって悲しいことも多かったと思います。私とあなたが出会って半年もしないうちのことでしたが、あなたが弟さんを亡くしたことについてです。不幸な事故に心を痛めるあなたを見て、私もまた辛くなり、胸が締め付けられたことを強く覚えています。あなたの笑顔が消えてから、世界が暗くなったようにさえ思いました。

 時期的にインターハイも近く、より一層の集中力が求められるようになるのに、そのような不幸があっては試合にも影響します。あなたがあのとき、インターハイは辞退すると言い出したのを必死に止めたのは、あなたの才能を全国に見せてあげたいという私の我儘でもありました。あなたなら全国でも上位を目指せると、そう確信していたので。肉親を失って悲しみに暮れるあなたの気持ちも痛いほどよく分かりましたが、あなたをインターハイへ送り出すことこそ、将来のあなたの為になることだと思った故の行動です。

 あなたは強い人です。失意から立ち直るとすぐに練習に戻り、その気高さで悲しみを塗りつぶしました。悲しみを心の裡に仕舞いこみながら戦うあなたに、これまでよりも強い美しさを感じています。あなたの気持ちを慮ると私は、涙すら零しそうな有様だったので、うまく顔を合わせることも難しかった。

 結果的にインターハイはシングル三位となりましたね。結果が確定し、望外の戦績に歓声を上げて出迎える部員たちをかき分け、あなたが私にかけてくれた言葉。覚えていますか。私のお陰でインターハイに出場できたと、笑顔でそう言ってくれたのです。嬉しいけど三位で悔しいとあなたは涙を流していました。

 そのときに私の心は一杯となり、抑えきれぬ気持ちが身体を震わせ、感情のままにあなたと抱き合って声を上げて。私は全てに報われたと思いました。どれだけテニスが下手くそで勉強もできない私でも、ただひとつ、あなたに感謝されるだけで、生きていて嫌なことを全て忘れられた。激しい喜びと気持ち良さすら覚えて、私は感電した自分の感情を再確認しました。

 あなたは知っていましたか? 私がずっとひた隠しにしてきたこの気持ちを。

 あなたがあの人を想うように、私もあなたのことを想っています。いいえ、私は誰よりも強く、ずっとずっと、想っています。それは荒野に咲く一輪の花のように、あなたは私の荒れた世界に咲くただひとつの花だったから。私の退屈で暗いばかりの世界を変えてくれたのは、他でもないあなたなのですよ。

 私はあなたの顔に笑みをあげられる存在であろうと決意しました。花が咲くには必要な、葉となろうと。それが私の、一番の想いだったのです。

 あなたと私は、それから随分と仲良くなったように思います。互いに年上であり年下である身分ですが、まるで同学年の友達のように部活に勤しみ、休日には一緒に出掛けて笑いました。誕生日にあなたが猫のぬいぐるみをくれたとき、叫ぶほど嬉しかった。他にも、あなたから貰ったものは全て、大切に保管されてます。かけがえのない時間に私は人生の充足を得ていました。いつか終わる日が来るなどと考えたこともありません。今にして思えばそれは、幸福の中にあったからこそ、終わりを意識することがなかったのでしょうね。

 皮肉なことに、その終わりの切欠を作ったのはその私自身でした。ある日の練習終わり、コートの外、木陰に立っている男子生徒に気付いて、私はずっと訝しんでいました。その男子生徒は何日もそうして、私たちの練習を外から観察しているのです。ひょっとしたら変質者ではないかと思い、私は意を決して話しかけに行きました。ですがそうではなく、その人は自分の所属と名前を明らかにします。

 もうお気付きでしょう。その人こそ将来のサッカー部部長、あなたの恋人となった人です。

 彼があなたと話したいと言うから、私は素直に取り次ぎました。ええ、これが大きな選択だった。何度この選択を過ちとして悔いたでしょう。今はそれを過ちとは思っていませんが、そう思っていた時期の方がずっと長かった。

 後は説明するまでもなくあなたの知る通りでしょう。むしろ、私よりあなたの方が、あの人について詳しいはずです。あの人は次第にあなたと仲良くなり、そのうちに告白をして、あなたはそれを了承した。去年の年末、冬休みが始まる直前ぐらいのことでしょうか。

 そのころ私は、クリスマスをあなたと過ごそうと思い、夜、自分の部屋でバイトも入れず予定を組み立てていました。あなたも既に、私と出掛ける約束をしていたはずです。しかし、あの人の告白を受けてあなたは、私との約束を翻し、その日は遊べなくなったと電話で伝えてきました。嬉しそうな声で、告白されたことについて話しながら。

 その日のことについては日付も時間もはっきりと思い出せるのですが、私が何を口にしたかについては、全く記憶が飛んでいます。あまりの衝撃に、電話の向こうから聞こえてくるあなたの声が遠のき、視界が真っ逆さまになったような錯覚を覚えました。心臓は杭が刺さったように痛み、胃が捩じられたかのような不快感を訴え、吐き気でそのままベッドに身体を倒すほどに脳がかき混ぜられて。これが悪い夢でないかどうか、悪い夢であってほしいと、無為な願いを重ねたものです。

 勢いを増すように感じられた血流が脳に巡る度、私の中には様々な感情が浮かんで、心を埋めていきました。あなたに捨てられたこと。私より男を取ったこと。先にした約束を反故にされたこと。あなたが勝手に恋人を作ったこと。それでもまだ、形容しがたい暖かな心が残っていること。

 私はあなたの恋人でも何でもないのですから、これは理不尽な糾弾だと思うかもしれません。その通りです。私は感情のままに、私からあなたを奪ったあの人を妬み、そのうちにあなた自身をも憎むようになります。道理もなければ権利もないのに、想いだけは軋み続ける。

 こうなってしまう前に、私があなたに告白してしまえばよかった。何度口にしようとしてもできずに飲み込んだ言葉で、私の想いをそのまま。

 そうであればあなたは、私を受け入れてくれていたでしょうか。ただの友達から、恋人に、私もなれたでしょうか。私があなたに告白しなかったのは、ただ現状に満足していたからです。あなたと幸せな日常を送っていたから、特別な言葉で私たちの関係を定義し直そうとは思わなかった。でもそれは言い訳かもしれません。本当は、少し怖かったのかも。だから言葉が、出てこない。

 学校のある日なら直接、休みの日なら電話やメッセージで、あなたから聞かされる恋人との話が心底嫌いでした。彼とどこへ行ったとか、そのとき彼がどうしたとか、だから面白かったとか、どうして笑顔で私にそんな話ができるのですか。私以外の人と作った思い出を共有される度に、私は嫉妬で心を焼くばかり。もちろんあなたの前でそのような態度を露にすることは憚られますので、見た目は普通に接していたと思います。早く違う話題にしたいと思いながら、適当な相槌で誤魔化していたことでしょう。

 私よりあなたの視線を受けるあの人が許せない。私よりあなたの声を多く掛けられるあの人が許せない。私よりあなたに気安く触れるあの人が許せない。私よりあなたの隣に長くいるあの人が許せない。私よりあなたの時間を使わせるあの人が許せない。私よりあなたを想おうとするあの人が許せない。私からあなたを奪ったあの人が許せない。

 正直にいえば、私を見てほしかった。私たちの間で急に現れたあの人より、私だけを見て話してほしかった。先述の通り私はあの人に嫉妬を向けるのみならず、あろうことか、あなたに憎しみを向け始めました。私に対してあの人の話をするあなたが、私を恣意的に挑発しているようにすら思えたのです。行き場のない感情に狂っていた。

 メッセージから、あの人の話をしないでくれとあなたにお願いしようとして、書き終わった文章を何度消したことか。あの人の話をするあなたが素敵な顔をしていたから、邪魔をしたくなかった。話を聞く私が辛い思いをしていたとしても、あなたの幸福と引き換えることはできなかった。

 私がどれほどあなたを想おうと、あなたはそれに応えることがない。当然です、私とあなたはただの友達なのです。想いは伝えたことさえないのです。友達という関係に満足しておきながら、いざあなたに恋人ができると嫉妬してしまう、そういうどうしようもない人間が私でした。

 やがて二度目の春が訪れ、あなたはテニス部の部長になりました。桜とあなたはよく似合っています。桜の木の下、私と二人で撮った写真は今も端末のホーム画面です。

 あの人もサッカー部の部長になりました。あなたとあの人は、互いに互いの部活を頑張ろうと切磋琢磨しているようで、それは良い刺激だったのかもしれません。サッカー部とテニス部の練習が増える度、あの人とあなたが逢瀬を重ねる機会も減るので、それは私にとって喜ばしいことでした。

 どれほど辛い練習であろうと、私はあなたと一緒にいるというだけで耐えてきました。あなたと一緒にテニスボールを打ち合って、同じ汗を流す。あの人はテニスができないでしょう。私が唯一優越を感じられる時間です。下手くそであなたの練習相手もまともに務まりませんが(あなたより上手な人はこの学校にいませんけど)、それでも、あなたが上達のアドバイスをくれるので嬉しかった。ですがそのうち、あなたは一人での練習に励み始めて、私はまた蚊帳の外に置かれます。

 その春からずっと、私はあなたとあの人が別れないかどうか、ずっと呪っていました。やっぱり反りが合わないと、そう言って二人の仲が自然消滅してくれれば、それが一番だったので。それも無駄なことでした。あなたの好みは、あの人みたいな人なのでしょうか。凛々しく、活発で、顔立ちもいい。背も高く、必要に応じた言葉と行動ができて、理知的な面も見せる。私でも、あの人が持て囃される理由が分かります。あの人には優等生という言葉が似あうでしょう。昨年度の期末テストでは、学年三位だったそうですね。あなたが四位で数点差で負けたこと、私は自分のことのように悔しがったのを覚えています。

 あの人の方が出来がいい、だから選んだのですか。私はあの人ほど頭がいいわけでも、運動神経がいいわけでもない。顔立ちも決していいとは言えませんし、あなたを惹き付けるものに欠けているのでしょうか。それでも話は合うし、あなたは私との友好で笑顔を見せてくれた。なのに、なのに。どうして。

 春の陽気と裏腹に陰っていく私の心は、季節が夏へと移り変わっても、その暗雲が晴れることありません。私を導いてくれる花が見えないのです。すぐそこにあるはずなのに、世界が暗くて、闇雲に手を伸ばしても触れられませんでした。

 重さを増すあなたへの想いと相反して減っていくあなたとの時間。私はこの矮小な身の裡に、大きな病を抱えることになりました。私の心にこびりつき、侵し蝕むもの。どうあっても融かしきることのできぬ、黒く濁った感情。あなたを想う度にその感情は角を出し、私でない私が、この女はお前を捨てた女だぞと嘯くのです。

 最後の引き金となったのは、今年のインターハイのこと。私が、学校全体があなたを応援する中、ついに念願のシングル優勝。私は涙しながら、全力の賛辞をあなたに送りました。あなたが私に、応援ありがとうと言って抱きしめてくれたこと、とても嬉しかった。去年と同じように私は歓喜に身を打ち振るわせ、あなたの美しさに興奮するあまり気絶しそうになるほどでした。

 会場からの帰り際のバスで、あなたは携帯端末についた小さなマスコットを揺らしました。それは何かと私が聞けば、あなたはお守りだと言いました。お守りをくれた彼にも感謝しなくちゃと、笑顔を浮かべて。

 ああ! なんということ!

 あの人が私の席を奪うことそれのみならず私の存在意義私があなたの葉であることすらあの人は否定して私から何もかもを奪っていくあの人のことが許せなくなってただ応援するのなら別に私も何も言うことはないのですがお守りを渡すという行為で自分を意識させるそのやり方が私の心に火を点けましてなにかにつけてあの人の話題を出すあなたに対してもそうなのですがどうも私の世界の端々に顔を出してくるあの人の存在がもう本当に我慢できないところまできていてできることならその場であなたから端末を奪ってお守りだけ千切って高速道路を走るバスの窓から投げ捨てたいと思いましたけれどもそんなことができるはずもなく私は自分が咲かせたわけでもない花を見ながら虚無に身を誘われてああ最後の最後にケチが付いたなと移動時間の残りを過ごしたわけです。

 すみません。つい感情が入ってしまい、文章が滅茶苦茶になってしまいました。

 感情が荒れたとき、私はあなたがくれた猫のぬいぐるみを、あなただと思って愛でることにしています。あなたはこのぬいぐるみを、私に似ているからと言ってくれました。でも私には、これがあなたに見えます。最近はぬいぐるみに構い過ぎたのか、頭や胸の黒い毛が散ってしまったのが悲しい。

 二度目の夏が終わり、秋へ。今のことです。その頃にはもう、心の情動を外に出さないように取り繕うことも、段々とできなくなってきます。

 つい先日の、私の錯乱した行いについて書きましょう。

 私が学校に行かなくなって今日で三日目です。三日前の最後の部活動で、私はあなたに取り返しのつかないことをしようと企んでしまいました。

 改めて初めから事情を説明すると、私は初めから、あなたを襲おうと思って刃物を鞄に仕舞っていました。場所は更衣室。私が部活動の後片付けをする担当の日は、あなたが手伝ってくれて一緒に残ってくれるので、二人きり誰の邪魔も入らず更衣室を使えます。そこで、あなたを。汚したかった。

 濁って淀んだ風が私の心に吹き付けて。こんな苦しみをこの先も味わい続けるのなら、ここではっきりさせてしまおう。それが私の出した答えです。あなたがあの人のことを考えないように、私のことだけを想うように、想わせたくて決意した。あなたに嫌われようと構わない。あの人のことなんて絶対に考えられない時間をあげたい。事が終わってからも、私の残した傷が私を想わせるようになるでしょう。それはとっても素敵です。

 実際に、ほとんどはその通りに運びました。放課後に密室、二人きり。私はロッカーの中のナイフを見つめながら、これから自分がすることについて、覚悟を決めるつもりでした。そこであなたが、着替えるより先に私に話しかけてきたのです。私の様子がおかしいことに、聡明なあなたは既に気が付いていた。考えてみれば当然です。私だって、あなたの様子が変わればすぐに気が付きます。あの人と付き合い始めてから笑顔が増えたことも。

 辛いことがあったなら話してごらん。あなたの言葉に私は、つい涙してしまいました。理由も分からずに、とにかく泣きたくなってしまったから。私の行いで、この言葉も失われてしまうのかと思い、躊躇いが覚悟に勝ったのかもしれません。止めようと思いました。こんなことは間違ってる。こんな優しい声で私のことを気に掛けてくれる人が、他にいるでしょうか。両親からだってこんな声を聞いたことはありません。

 決して失ってはいけないものを、自分から壊してしまうところだった。私はあなたの声で狂気から救われ、最後の一歩を踏みとどまりました。ちょうどそのとき、あなたが携帯端末にかかってきた電話を確認しようと、その画面を立ち上げるまで。

 そこに、あなたとあの人が二人で映る画像が映し出された。

 限界です。もう私は、あなたの世界から外れてしまったのですね。二度とあなたの隣に、私はいることができないんだ。そう理解した瞬間、私はナイフをあなたの端末に向けて振り下ろしていました。画面上のあなたたちは、深々と突き刺されたナイフによって消えて、とてもスッキリしました。

 私の罪とはまさしく、あなたを呪ったことです。私を暗闇の世界から救い、導いてくれたあなたに、最悪な形で欲望を向けたことです。

 私は本来の目的を達そうと、そのままあなたの両肩に手をかけて押し倒し、まずあなたを感じるため、力いっぱいに抱きしめたのです。もう壊してしまってもいいや。だって、私のものではないから。このままあなたを滅茶苦茶にして、美しい花弁を全て散らしてしまおう。嫋やかな黒髪を切り裂き、薄紅色の唇を奪って、清らかな貞節に手をかけるだけ。額の落ちた花の、誰が愛することでしょう。あの人だってきっとあなたを見限るに違いない。それでも、私だけはいつまでも愛で続けるつもりでした。

 これは、極度に昂った感情による、衝動的な行為です。事前に計画してたことでもありますが、その根底にはあの人への嫉妬と、あなたへの憎しみが横たわっています。感情によって生まれた行動は、また感情によって抑止される。あなたを抱きしめる、いや爪を立てて捕らえた私のことを、あなたは両の腕で抱き返してくれた。そのとき、私の心の中にまた違う感情が生まれた。

 ごめんね。と、あなたが言いました。私は何も言っていないのに、どうして謝ったのですか。あなたは、私の気持ちも知っていたというのですか。あるいは、このときに気付いたのでしょうか。あなたがどう思ったにせよ、あなたは私を拒否するどころか、抱きしめて受け入れてくれた。私にはもう何も分かりません。あなたのことも、自分のことも。これからどうすれば幸せになれるのかも。

 あなたが私の名を呼ぶ。あなたの唇が私の形に歪む。同じ唇から、謝罪の言葉が発せられる。止めてほしかった。あなたは何も罪など犯していない。あなたが悪いわけではないのだから、嫉妬に狂った緑眼の怪物に、言葉など差し伸べてほしくはなかった。ただ悲鳴を上げて、その顔に恐怖だけを浮かべていればよかった。そうであれば、私は最後までやり通せたことでしょう。なのにあなたが、私の名を呼ぶものだから。優しく背中を撫でてくれるものだから。私があなたの何を愛しているか、思い出してしまったではないですか。

 ここにきてようやく、私は悟りました。私が感情の濁流に押し流してしまったもの。初めに得た想い。私はただ、あなたの笑顔を咲かす葉であればよかった。その願いがあの人によって奪われ、私という葉は役目を失っていた。そう、私よりあの人といる方が、あなたは強い花を咲かせるのだから。

 それは冬が来て葉を落とす樹のように。病の末に自壊を選んだ葉のように。この選択は自然なものです。

 私はとうに癌となっていた。いるだけで、あなたを傷付けかねない。最後の一線を越える前にそれを理解して、私は正しい道を選ぶことにします。ありがとう、先輩。あなたの想いが、私を私のまま留めてくれました。

 その後はあなたも知る通り、言葉にならない喚き声を上げながらその場から逃げた私は自室に引きこもり、今日で三日目となります。

 両親が来ました。友達が来ました。先生が来ました。あなたも来てくれました。素敵なメッセージをいくつも貰いました。私は扉を開けることなく、ただ一方的に話を聞くのみでしたが、あなたがこの事件のことを誰にも話していないことは分かりました。

 今はとても澄み切った気分です。諦めが付いたのでしょう、かつて私を蝕んだ憎しみも嫉妬もありません。また私の中の怪物が暴れ出さぬうちに、今日、全て終わらせようと思います。

 即ちここに書かれた文章は、私の遺書であり、最後の恋文です。

 私を惜しんで優しいあなたは泣くのでしょうね。ですがどうか、心に傷を残さないで。私はあなたを傷付けないためにこの道を選ぶのですから。

 決して、あなたが私の病に気付かなかったから友人を失ったとか、自責の念を抱かぬように。これは必然なのです。仮に私がどれだけあなたに想われようと、あの人と出会わなかろうと、私はいずれ、違う形であなたを手にかけようとしたはずです。生まれついた時からか、あなたと出会った時からか、私は怪物でした。それでも幸せでした。

 またあなたが私を訪ねてきたようです。もう一度声を聞いてしまえば、せっかくの心持ちが鈍ってしまいますから。長い雑文でしたが、短い生涯の結句として、とうとう伝えられなかった想いをここに吐き出したい。

 ずっとあなたを、愛していました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛憎アポトーシス 白ノ光 @ShironoHikari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ