第4章 悪人の加害者は私たちとは違う人間である

     1


 4人目。

 さすがの古衛フルエも焦り出した。これだけの物的証拠がありながら、なぜ当の本人を見つけることが出来ないのか。

 名前、住所、年齢、職業、顔写真、指紋、毛髪、DNA等、奴につながるすべての情報がここにあるというのに。

 なぜかどこにもいない。

 ご遺体ばかりが増えていく。

「一刻も早く潜伏先を見つけんとな」古衛が苦々しい顔を浮かべる。「そんじゃあ、なんか気づいたら」

「部外者に言われてもよ」

 相棒の戸入トイリも来週には復帰できる見込みらしい。

 同期の薄くなった頭皮を階下に見ながら、屋上へ。行こうとしたところを古衛に呼び止められたんだった。

 珍しく、岡田から鬱陶しい電話が来ない。

 待っているわけではないが、毎度電話が鳴ってから移動も肩身が狭いので、鳴る時刻を予測して先に移動しておこうと思ったが、どうにもアテが外れたらしい。

 代わりに別の人物から連絡が入った。

「お久しぶりです、片山さん」嬢ちゃんからだった。

 名前は確か、

「みふぎさんか。なんだ? 事件のことなら俺じゃねえほうがいいぞ」

 9時。

 24年前の事件をきっかけにして関わったボンボンが、社長を引退して会長をしている。その会長サンから釘を刺された。

 お嬢さんを厄介なことに巻き込むなと。

 もしやその余波だろうか。

 俺のせいと思われているのか。だったら心外だが。

茉火佳まひかさんに会えるとしたら、会いたいですか」みふぎの嬢ちゃんは敢えて単刀直入に結論から言った。

 忙しい(ことになっている)俺を長々引き止めておくのを遠慮したのだろう。

「悪ィな。もっかい言ってくれるか。よく聞こえなかった」

「茉火佳さんにもう一度会う方法があるかもしれません」

「無理だな。あいつはもう」

「人間としてなら無理です。でももしその気があるのでしたら」

「朝っぱらから連絡してくれたとこ悪ィが、ちと考えされてくんねぇかな。なにせ24年も前のことだ。記憶の端っこを引っ張り出さにゃならねぇ」

「すみません、藪から棒すぎました」みふぎの嬢ちゃんは言葉を選んでくれている。

 最大限に気を遣って配慮してくれていることはわかるのだが、如何せん内容が内容だ。

「気持ちが固まりましたら、いつでも」みふぎの嬢ちゃんが言う。

「ああ、悪かったな。を持ってきてくれてよ」

 電話を切って息を吸う。

 呼吸を忘れていたらしい。肺に生ぬるい空気が入ってむせそうになった。

 屋上から見える市内は全体の一部にすぎない。

 この限れた一部で何も起きていないからといって、他の全部にも当てはまるわけではない。

 息が詰まった。

 まさか、

 あいつの名前を、あいつがいなくなったのち、まったく予想だにしていなかった相手から聞くことになるとは。

 当時、みふぎの嬢ちゃんは生まれていない。

 あの日。

 24年前の大晦日。

 同じ名前で漢字の違う、あいつの妹が抜け殻のような状態で発見されたのち、命をつなぐために入院となったものの、結局最期は衰弱して亡くなったと聞く。

 あいつの妹と一緒にいた赤ん坊は、結舞ゆいまもしくは結舞むすぶという名で納家を継ぎ、祓い巫女となったが、彼女も呪いに呑まれて消えてしまった。

 その彼女の子が、みふぎの嬢ちゃんだ。

 年代が合わないのは、納結舞が人ならざる者であったため、成長が異様に早かったと聞いた。

 調べていないのでわからないが、納結舞は、俺とあいつの。

 いや、その推論は俺の妄想に留めておきたい。

 気づいたら屋上の壁を殴っていた。

 手に、

 赤いものが。

 痛みはまだ追いつかない。

 ふと、思った。

 連続殺人鬼の正体は、まさか。













     2


 片山さんに連絡した。要旨は伝わったはず。

 翌朝10時。

 クソジジイ並びに経慶けいけい寺がまだてんやわんやしているため意見を聞くことができない。

 マミは昨日わたしを事務所に送り届けたのち、どこぞへ行ってしまい、まだ顔を見せていない。

「タイミングが悪かったみたいだね」祖父がどうでもよさそうに言う。

「帰らなくて大丈夫ですか」

 昨日あのまま連れ回した挙句、事務所まで付いてきてもらって、果ては夜を明かしてしまった。わたしがいつもの不眠でごろごろしているだけなのを、祖父は何も言わずに黙って見守ってくれていた。

 気を遣われるほうがかえって疲れるというもの。その点、祖父の放任は有難かった。単に興味がなかった可能性が高いが。

「私がどうしようと私の勝手だから、帰りたくなったら帰るし、用があるなら残るし。それだけだよ」

「わかりました」

 これ以上、無駄な会話をするなということだ。

「ところで、私は厳密には君の祖父でもなんでもないんだから、脳内で祖父とかおじいさんとか呼ばれるのは苦痛なんだ。下の名前で呼んでくれるかい?」

「しまじさん?」

「そう。よく憶えてました」祖父、じゃなかった、しまじさんの口元が僅かに上がった気がした。「君は君の名前の参照先と違って頭がいいね。まったく同じ顔なのに、会話にストレスがなくて助かるよ。あの女、口を開けばわけのわからない要望やら願望やらをごり押して来てたから」

「そうなんですか」深く聞きたくなかったので適当に流した。

 しまじさんもそれ以上何も言わなかった。思い出したくなかったのだろう。

 ノウ深風誼みふぎ

 わたしの二代前の祓い巫女。

 歴代最高の力、すなわち呪い封印の保有量を持っていたらしい。

 祓い巫女の優劣は、呪い封印の保有容量で決まる。でも誰がその保有量を測るのかは知らない。なのでどうして二代前が歴代最高と謳われていたのか、そもそも誰が決めて誰がそう謳ったのか、誰にもわからない。

 そのあたりがクソジジイと関係しているような気がする。

 なぜこのだいじなときに、裏の山に勝手に死体を埋められているのだ。いつだって使い物にならないあのジジイ。

 両親が亡くなったときだって。

「君、一人だとけっこう脳内が忙しいね」しまじさんが言う。

「さすがに覗かないでほしいですね」

「そんなことできないよ」しまじさんが言う。「ただ、何かいろいろ考えてるな、てことはわかる。せっかくモリに夏休みをもらったんだし、だらだらと何もしないってのもいいんじゃないかな。ここ数日いろんなことがあったんだろ?」

「確かにそうですけど」

 どうしてここまでしまじさんがわたしを気遣ってくれるのかがわからない。

 親でも兄妹きょうだいでもあるまいし。

「顔と名前は本当に心底気に入らないんだけど、君、どことなくモリに似ててね。放っておけないんだよね。これも私が勝手にやってるだけだから、迷惑だとか受け付けないけどね」

 マミと同じ路線のお節介か。

 早くクソジジイに会ってもらって解放してもらいたい。

 11時。

 マミがドーナツを大量に買ってやってきた。どことなく疲れが溜まっているように見えたが、わたしは知らないふりをした。

「どれでも好きなの食べちゃって~」

「でかした、マミ。わたしはオムライスの次にドーナツが好きだ」

「マジ? 俺、当たり引いちゃった? やったー! はい、ご褒美として、これはぜんぶみふぎちゃんにあげます」

「たまには役に立つな」

「いっつも役に立ってると思ってたけどなぁ。あれぇ?」マミが冗談を言いながら部屋を出て行く。トイレに行くふりをしてどこぞと連絡を取るのだろう。

「これも聞こうと思ってたんだけど、あれは何? 信用できる?」しまじさんが言う。

「わたしもそう思ってるんですが」

「彼、昨日、私の実家に行きたがらなかったよね。警察を避けてるようにも見えた。探ったほうが良ければやってみるけど?」

「いえ、結構です。マミはそんなに器用な人間には思えなくて」

「そう? 信じてた人に裏切られるのほど苦痛なことはないと思うけどね」

 しまじさんは真理を突くのが巧い。ピンポイントで柔らかいところを抉ってくる精度の高さがある。

 ドーナツを久しぶりに食べた。量はそんなに食べられなかったが、好物というのはとかく元気になれる。

 マミが戻ってきたので昨日の話の続きをしたいと伝えた。

「あ、ええっと? なんだったっけ?」マミは私が話しやすいようにとぼけたふりをした。

 ニンゲンの裏側が、

 よく見える。

 昨日から続く神経の鋭敏さみたいなものがちりちりと爆ぜる。

「連続殺人の犯人について。思いついたことがある」

「へえ? 県警じゃなくて俺に? いいのぉ? 協力してくれってゆわれたんじゃなかった?」

「マミが必要と思えば勝手に情報提供すればいい」

 確かに協力してくれとは言われたし協力は市民の義務だが、そこまでの義理立ての必要性を感じていないのが本音。

「ゆうて俺もおんなじ感じよ? ま、聞いてから考えよっかな~」マミがベッド脇の床に胡坐をかいて座った。

 しまじさんもその辺にふよふよ浮いている。見守ってくれるのだろうか。

「3件目のとき、団地のだ。あのときわたしは犯人を見ている。黒い、人間大の塊だった」

「えっと? えっとね、なんだって? 人間大の?」

「そう、黒だ。犯人は呪いに呑まれて黒になりかかっている人間だ。だから警察が捕まえられない。逃げているわけでも隠れているわけでもない。人間としての実体が消えかかってる。だから、これ以上警察が捜査しても無意味だ」

「んん~」マミが渋い顔をして腕を組む。「やっぱ俺に聞かせる内容じゃないね。これこのまんま、片山さんに伝言ゲームしちゃってもいい?」

「構わないと言った」

 マミが廊下に出て電話をかけに行った。

「へえ、そうゆう厄介なのがいるんだ」しまじさんは他人事のように言った。「でもさっきの言い方だと、君が逮捕のために一肌どころか全部脱ぐって言ってるように聞こえたけど?」

「しまじさんは誤魔化せないですね」ふう、と息を吐く。

 やるしかない。

 わたししか、

 あいつを止められない。

「お待たせ」マミが戻ってきた。かつてないほど真剣な眼差しで。「片山さん伝手で捜査本部に伝わるから、追ってみふぎちゃんとこに連絡入ると思うよ。て、それでよかった?」

「しつこい。いいと言っている」

 覚悟は決まった。

 30分もしないうちに、古衛さんから電話が来た。

 すぐに捜査本部で対策会議をするので、このまま待っていてほしい、と。用件のみだったが、光明が見えたと思ってくれたのか、声は明るかった。

「大丈夫?」マミが声をかけてくれた。

 わたしの顔が固まっていたのを気にしてだろう。

「みふぎちゃんの緊張を解くために昔話するね。俺、昔、ケーサツにいたの」

「だろうな」

 前科うんぬんでないほうの理由で警察から逃げているというのなら、元関係者だからという理由くらいしか浮かばない。

 それにところどころ、警察関係者と思しきもの言いをしていた。

 遺体だとか。

「え~、なんでバレてんだろう~」マミが首を捻って腕組みをする。「おっかしいな~、昔何してたかわかんないけど、ケーサツに知り合いがいて、でもケーサツには会いたくないミステリアスなお兄さんで通ってたはずなんだけどなあ~。え、マジで? マジのホントにバレてた?」

 面倒なので放っておいた。すぐに古衛さんから連絡がきた。

「まずは、ご協力感謝する」古衛さんの声が反響していたので、スピーカにしている可能性が高い。「先に断っておくが、あなたの声は捜査本部の全員が聞いている。改めて自己紹介をお願いしたい」

ノウ水封儀みふぎです。訳あって本名ではありませんが、納家の祓い巫女であることに変わりはないです。よろしくお願いします」

「ありがとう」古衛さんの声の裏で人間の息遣いが聞こえた。「納さん。奴が次に出る場所、そこで奴を一網打尽にしたい。そのために協力してもらいたいが、よろしいか?」

 時寧。

 聞いているのなら、次に場所を教えてくれ。

「いいよ」時寧の声がした。「でも後悔するよ。あんなこと言わなきゃよかったって」










     3


 結果から言うと、逃げられた。捕まえられなかった。

 場所も合っていたし、わたしもその場に溜まっていた黒を祓うことができたが、肝心の本体を捕らえられなかった。

 そして、5人目。

 はっきり見ていないからわからないが、古衛さんの反応から、いままでにも増して遺体の損壊具合がひどいことがうかがえた。

 捜査本部の人はこの失敗をわたしのせいにしただろうか。直接は聞いていないが、きっとそうだろう。

「みふぎちゃんのせいじゃないよ」車で待機していたマミが言う。やはりマミは現場には来なかった。

「次がうまくいく保証もないんだ」

「次もやる気なの?」

「わたしがやらないと」

 犠牲者が増えるだけ。

 頭が、

 ぐらりと。

「まずは帰ろう。ゆっくり休んで。それから考えよう。ね?」マミが車を発進させた。

 すごく、

 疲れた。

 眠い。

 けど眠ると、

 いつもの悪夢。

 両親はわたしを置いて死んでしまった。

 両親の遺体は見つかっていない。

 だけどわたしには、両親が死んだことがわかった。

 なぜなら、母の力が、巫女の力が私に発現したから。

 巫女はこの世に一人しかいない。

 先代の巫女があの世に行ったことと引き換えに、次代の巫女に力が引き継がれる。

 わたしはすぐにジジイのところに行った。

 母が死んだから葬式をしてほしい、と。

 ジジイは言った。

 ――ムスブさんはニンゲンではない。ニンゲンではないから葬式はしない。

 無下にそう言い放った。

 ニンゲンじゃなくても、正体が呪いだとしても、わたしにとっては母に違いないのに。

 その日から、ジジイがクソジジイになった。

 眼が覚めた。

 とゆうことは、やっぱり眠れていたか。

「起きた?」マミがベッド脇に座っていた。「うなされてたよ? 大丈夫? なんか飲む?」

「いい。シャワー行ってくる」

「俺で聞けることあったら聞くからね」

 3時。

 シャワーを浴びて出たら、またもわけのわからない服が置いてあった。

 そして、洗濯機がごうんごうんと唸りを上げている。

「もういい加減にしろ」バスタオルを巻いてマミに文句を言った。「どうしてこうゆうことをする?」

「え~、旦那さんに託されたし、て、ダメダメ」マミが両手で眼を塞ぐ。「みふぎちゃん、そんな格好で、俺みたいなテキトーな男の前をうろついちゃダメダメ。ほら、服着て。置いといたでしょ? ほらほら~」

 今度は丈が長くて脚のすーすーはマシそうだったが、袖がない。肩が丸出しだ。

 仕方がない。

 本当に、仕方がないが他に服がない。

「ほら、ちゃんとかわいい」マミは満足そうだった。「昨日のも少女感あってよかったけど、こっちはこっちでお姉さん感あるね」

「うるさい。肩が寒い」

「はいはい、これ着てね」マミが淡い色のカーディガンをくれた。「みふぎちゃん色が白いから、こうゆう淡色系似合うんだよね~。はい、俺の見立て、さいっこう」

 4時。

 ベッドに寝そべる。

「私はもう少し年相応の服でもいいと思うけど。あんまり子どもぽいと頭お花畑のあの女を思い出す」まさかのしまじさんからもコメントがあって。

 ビックリして跳ね起きた。

「どったの? あ、おじーさま?」わたしの視線がマミでないところを見ていたのですぐにわかったらしい。

「彼にも言ってくれ」しまじさんが不機嫌そうに言う。「私を祖父と認識するのはやめろと」

「マミ、悪いが、しまじさんは厳密にはわたしの祖父ではないんだ。だから、祖父と呼ぶのは」

「はいはーい。んじゃあ、グンケイさん?」

「名字も嫌だと言っている。しまじさん、でいいそうだ」

「俺が直接話すことはないにしても、え、そんな距離チカをお許しいただけるんでしたら、俺は全然!!」

 わたしが眼を瞑ったら、二人とも静かにしてくれた。

 5時。

 6時。

 電話が鳴った。古衛さんにしては常識外の時間だったので別の非常識人だろう。

「おはよう、お嬢さん」クソジジイからだった。「起きとると思ってね、連絡させてもらった」

 言いたいことはいろいろあったが、しまじさんがこちらを見ていたので、息を吸って抑えた。

「聞いとるのかな?」

「クソジジイの元の身体の持ち主がここにいる」できるだけ感情を排して言った。「黒について聞きたいことがある。寺がどうなろうとわたしには関係がないが、時間を取ってもらいたい」

「電話じゃ駄目なのかね?」

「直接がいい」

 クソジジイが考えるだけの時間を待った。

「そもそも私がなぜこんな時間にお嬢さんに連絡したのか。それを先に聞くべきでないのかね?」

「なんだ?」

「話があったようだったから、さっさと片付けておこうと思ってね。迷惑しとるんだ、こちらとて。わけのわからん事件に巻き込まれて」

「わたしの用件と重なるんだが」

「そうとも言うね」

 このクソジジイ。

 あくまで主導権はこちらにあると言いたいだけだったらしい。

「寺は立て込んどるから、おお、そうだ。ムスブさんの家。そこはどうだ」

 違う。

 クソジジイの用件は。

「あの家は、いつになったら手放すんだね。もうそこには住んどらんのだろう? 空き家も同然じゃないか」

「空き家でもなんでも、母の遺したわたしの家だ。誰にも渡さない」

「そもそもあの家も土地も、うちのものだった」クソジジイが言う。「それを、うちの長男坊がムスブさんと結婚した祝いにわしがやったんだ。だから、あの二人がいない今、わしに返すべきだろう? 違うかね?」

「取る戻したってどうせ更地にするだけだろ? それなら」

「弟のやっとる学校の校庭脇に、あんな如何わしい建物を残しとくわけにいかん。健全な若者が通う神聖な地なのだからね」

 クソジジイは、あの家にいた母が何をしていたのか知っている。

 知った上で、言ってきている。

 性質タチが悪い。性格が悪い。根性がねじ曲がっている。

「寺にはれんよ? 警察の手を煩わせるわけにいかんだろ?」クソジジイが嫌みたっぷりに言う。「それなら別の場所を用意しとくれんとね。込み入った話を、どこか適当な店でするのかね?」

 どうしよう。

 クソジジイをわたしの家に入れたくない。

 でも他に適当な場所が。

「ここに呼んだら?」しまじさんが言う。「もちろん、君がよければの話だけど」

 マミも同じことを考えたらしい。しまじさんの言葉が聞こえているはずないのだが、似たような表情をしていた。

「ジジイ、いまから住所を送る。そこまで」

「私に来いと、そう言うのかね?」

「そう言ってる。ジジイ、耳がいかれてるな」

「せめて迎えを寄越さないかね? 最低限の礼儀として」

「地図が読めないならそう言え。運転手を向かわせる」マミに目線で合図を送った。「7時に表門でいいか?」

「手土産は期待せんように」ジジイが電話を切った。

 息が、

 詰まった。

「大丈夫? 行ってくるね~」マミが明るく振舞って手を振る。「お寺の入り口でいいんだっけ?」

「悪いな。流れ上そうするしかなかった」

「いいよ~。てか、俺、みふぎちゃんの足みたいなもんじゃん! 気にせずお気になさらず~」

 マミがいなくなるとこの部屋は静かだ。

 落ち着かないので服を着替えようとしたが、やはりわたしの普段着は全滅している。すでに明るい窓の外で天日干しされていた。

 経慶寺の往復だけならそんなに時間はかからない。心の準備をしている間に、クソジジイがやってきた。

 寺の住職らしい頭髪と、外出用の袈裟。

「なんだね?ここは」クソジジイがじろじろとリビングを品定めする。

「時寧の事務所だ。訳あって借りてる」

「やはりあの家は要らんじゃないか」クソジジイが見せつけるように溜息を吐く。

 マミがコーヒーとカフェオレを淹れて持ってきてくれた。

 7時過ぎ。

 クソジジイが斜め前のソファに座った。

「さて、私にあの家を返すという話だったか」

「とっくにボケが始まってるな。いい加減にしろ。あの家は」

「すぐカッカするでない」クソジジイが言う。「ムスブさんはもう少し落ち着きがあったぞ?」

 クソジジイを前にするとどうにも駄目だ。

 怨みつらみが湯水のように湧き上がってくる。

 マミが少し離れて見守ってくれている。しまじさんは、わたしのすぐ隣に控えてくれていた。

「おるのか? そこに」クソジジイが眼を細めて瞬きをする。

 位置取りは間違っていないが、やはり。

「見えてないんだな?」

「実はな、期待させとるところ悪いが、私にもう呪いをどうこうする力はないんだ」

「は?」と言ったのは、わたしか、しまじさんか。両者か。

「この身体になってからしばらくはね、呪いとしていろいろさせてもらったが、どういうわけかね、あるときからぱったりと見えなくなってね。というか、身体から出られない。私は名実ともに、群慧グンケイ島縞しまじになったというわけだ」

 クソジジイは、どういうわけか、を強調した。

「心当たりがあるんだな?」

「これがね、外れんのだ」クソジジイが着物の袖を下ろして、腕に嵌まっている数珠を見せる。

 黒と白の石が交互に並んでいた。

 小気味のいい音が静寂に響いた。

「かつてノウ深風誼みふぎが、群慧島縞にクリスマスプレゼントとして贈った品らしい。それを興味本位で付けてからどうにも様子がおかしくなった。何もできない。まるで、ただのニンゲンだ。何も見えないし、ああ、もともとこの身体の持ち主に霊感みたいなものは残っているが、それだけだ。呪いの一切は、私とは無関係になった」

「嘘だ」しまじさんが、クソジジイに掴みかからん勢いで身を乗り出すが。

 クソジジイには一切見えていないようで。

 そのまま暢気に話を続ける始末。

「だからね、呪いのことで、黒と言ったかな、私に助力を求めるのはお門違いだ。そうゆう話をしに来た」

「嘘だろう。いや、でも」しまじさんが後ろ向きによろけてそのままソファにもたれかかる。

「本当なんだな?」

「これがぜんぶ嘘だったとして、私に何の得があるんだね。わざわざ自分の無防備を晒したんだ」クソジジイがコーヒーを一口啜る。「ああ、悪くないね。君が淹れたのかね?」

「ええ、ああ、はい。俺っす」マミが遅れて返事をする。

「最高だよ。ドブのようだ」クソジジイが皮肉を言う。「それで? お嬢さんはあの事件とやらに首を突っ込んどるのかな?」

「突っ込んでるわけじゃない。正式に協力を要請されてる」

「危ないことはするなと、モリくんに言われとらんか? それでもやめんのがお嬢さんの悪いところだ。自分の身勝手でどれだけ他人に迷惑をかけているのか、たまには振り返って見つめてみなさい。お嬢さん一人がどうこうしたところでどうにもならんのだろ?」

「犯人が黒だとしてもか?」

「そうなのか? それなら出番じゃないか。で? 祓う算段はついたのかね? 触媒が要るんだろ?」

 クソジジイは知っている。

 本来、

 黒はどうやって祓うのかを。

「無茶をして、お嬢さんが黒を溜めこんどるのくらい見えんでもわかる。それで心配になった私のホントウの中身が付いてきた。モリくんから離れるなんて余程のことだ。これが私の言った他人への迷惑だよ。自覚したかね?」

 思わず振り返った。

 しまじさんが何も言わないのが肯定の合図。

 そうか。

 とっくにバレていた。

 溢れ出す。

 あのときの悪夢は、

 このときの正夢。

 白か黒かの違いだけで。

 ごぼごぼと、

 ゆらゆらと、

 黒が。

 わたしを覆った。












     4


 母か先々代のホンモノの深風誼ミフギに会えればいいと思った。

 現れたのは、

 お馴染みの時寧。

 わたしの視界で逆さになっている。

「だから言ったじゃん。触媒は?て」

 時寧の髪が逆立っていないので、わたしのほうが逆さなのだろう。

 わたしのほうがおかしい。

「触媒がないとね、巫女は黒に汚染される。ムスブさんはそうやって死んだんだから」

 誰も犠牲にしたくなくて、違う、時寧がいないから。

「ちょっと、私のせいなわけ? 自分で調達しなよ、触媒くらい。ああ、小張オワリのとこのガキなんか使ったらそっちも汚染させるしね? 二回目なんて致死量の毒だよ?」

 見ないふりをしてきた。

 触媒を犠牲にすることを。

 でももう、逃げない。

 見ないことにしただけでは?

「祓わないと誰かが犠牲になる。でも、触媒は一回だけなら誰も困らない。触媒も無事だし、みふぎも大丈夫。それならやっぱ、テキトーな触媒に黒をなすりつけるのが筋じゃないの?」

 それでも。

 誰も犠牲にならなくても。万事うまくいくのだとしても。

「気が引ける? そんなくだらない心情で、巫女の仕事をほしくないの。擦り切れるまで事切れるまで、父さんの役に立ってからこっち来てよ」

 みふぎちゃん。

 らあは。

 マミとしまじさんが呼んでくれてる。

 お嬢さん。

 なんで、クソジジイまで。

「ま、あの暴れ回ってる奴、ちょっと手に負えなくなってきたからアレをなんとかするまでこれは貸しね」

 黒が、

 晴れた。

「みふぎちゃん!!」マミが至近距離で肩を揺する。「あ、気づいた? 大丈夫? なんか意識があっち行っちゃってて」

「だから心配をかけさせるなと言ったばかりだろう」クソジジイがソファに腰を落とす。「まったく、これだから」

「見えてる?」しまじさんがわたしの視界で手をひらひらさせる。「あ、眼が合った。黒の濃度が濃くなったから息できてないかと思ったけど、もう大丈夫かな?」

 たしか、わたしは黒に。

 よかった。のか?

 あのまま黒に呑まれてたほうが。

「どうなっとるんだね」クソジジイの機嫌が悪い。電話口の相手に怒鳴っている。「この惨状が予見できていたはずだが。ん? 知らんよ私は。そう、もう見えんのだ。悪かったな。使えんで」

「ジジイ、ちょっと」まさか電話の相手は。

「うるさい。お嬢さんに保護者がいない以上、雇い主がその責任を負うのが筋だろうに。なに? そうゆうところが君のいい加減なところなんだ」

 会長に直電のクレームを入れられるのは、この世広しといえどもクソジジイしかいないだろう。

 やめてくれ。

 電話を切ってくれ。

「いいね? 次にこうゆうことをしたら」

「私はこうゆうことはしないな」しまじさんが冷静に分析する。「乗っ取ってる中身の人格によるものだね。だから勘違いしないように」

「あ、はい」

 9時。

 けっこう時間が経っていた。

「もう見えんのは見えんのだが」クソジジイが神妙な顔付きで言う。「昔取った杵柄として助言ができんわけじゃない。お嬢さん、まずは触媒を用意するんだ。失敗するどころか逆に呑まれるぞ。そして、被害者のことだ。間違ってもお嬢さんのせいじゃない。それだけは肝に銘じて置くように。救えなかった命よりもこれから守れる命をだね」

「ああ、うるさい。説教はいい。わかってる。触媒が必要なことくらい」

 さっき時寧にも嫌味たらしく言われた。

 触媒か。

 どうしようもないし、どうするつもりもない。

 わかっている。触媒なしで自分で吸収するには限界がある。それが保有量なのだ。

 わたしは自分でわかっている。

 わたしの保有量はそんなにない。

「ん? みふぎちゃん、触媒って?」マミが尋ねる。

「言いたくない」

「ええ~、なに? なになに?」

「うるさい。知らない」

 マミになんて伝えればいいのかわたしにはわからない。

「用向きは済んだかね」クソジジイがソファから腰を浮かせる。

「役に立ってない」

「なんだね、呼び立てておきながら。聞きたいことがあるならはっきり言っとくれ」

「黒は、最後どうなるんだ? 祓って、それで」

「どうにもならんよ」クソジジイが言う。「どうにもならん。黒はな、なくならん。ずっと、ずっとずっと、巫女が抱えて行くんだ。巫女の力と同様に、呪いも、黒も共に生きていく。私はそうやってずっと、巫女を見てきた。脅かすわけじゃないが、満足に生を全うできたものはおらんよ。そうゆう家なんだ。そうゆう、家なんだよ」

 クソジジイがそれこそ呪いの言葉を残して帰った。

 本当に最後まで嫌味の塊な。ああ、そうか。

 もともと呪いなのか。

「ねえねえ、みふぎちゃん、触媒ってなに?」マミはまだ諦めていなかった。「おじーさまの言い方だと、祓うときに使うってこと?」

「いいか? 二度は言わん。よく聞け。触媒というのは、巫女が黒を祓うときに使う童貞のことだ。祓った黒をなすりつけるために利用して、あとは使い捨てだ。わかったか? わかったらこの話はもう終わりだ」

 さすがのマミも眉を寄せて黙った。

 しまじさんはどうでもよさそうだった。他のことに気を取られているようにも見えた。

 それはそうか。

 まさか、自分の身体が呪いに乗っ取られた挙句、二度と取り戻せないと聞かされたあとでは。

「疲れた。少し寝る」ベッドに寝転がる。

 マミは気を遣ってどこぞへ出掛けたし、しまじさんの気配も消えた。会長のところに戻ったのかもしれない。

 寝ると宣言したところで眠れない。

 いつか悪夢を見ずにぐっすり眠れる日が来るのだろうか。

 電話が鳴った。

 マミ?

 現実の電話なのか、夢の電話なのかわからない。

 出たほうがいいと、脳の端がちりちりと反応した。

「あ、つながった?」

 知らない男の声だった。

「誰だ?」と聞いたがいいが。

 知らない男で、現状わたしに話しかけてきそうな人物に。

 心当たりが一人しかいない。

「名前、言っとくよ」

 ルズラ。

 男はそう言ってなまぬるい湿った吐息を漏らした。

「うわぁ、ホントに、巫女なんだね。私を前にしても心音がぶれない」

「何の用だ」

 私に接近してくる意味がわからない。

 逃げるならまだしも。

「祓ってほしい。違うな。祓うところが見たい。だからやってるていう側面もある」

「迷惑だ。女をバラバラにして黒を流し込むのをやめろ。祓ってほしいのなら叶えてやらないでもない」

「あきてきちゃってさ。女が私の愛に抵抗しなくなってて。どうすれば歯向かったり悲鳴上げてくれたりするだろう」

 話が通じない。

「自首するなら祓ってやらんでもない」

「なに? 自首? 黒っての、呪いのことだろ?」ルズラが鼻であしらう。「呪いがやった快楽殺人をどうやって立証する?」

「わたしがいる。わたしが証人だ」

「難しい証明だと思うよ。私に罪を償えというのは、さ」

 電話を耳に当てている感覚がないから、これはやはり夢なのだろうか。

 喉に冷たいような切っ先を突きつけられる感覚。

「巫女のご令嬢、お名前は?」

「教えてやってもいいが呼んでいい許可は下ろしてない」

「うん、いいよ。納水封儀さん。かわいい名前だよね」

「知ってるじゃないか」

 こちらの手の内はすべて晒されているか。

「ショートカットの三十路くらいの女がお前の近くをちょろちょろしていないか」

「いるね。愛してもいい声聞けそうにないから放ってあるよ」

 やはり。

 時寧が絡んでいる。

 というか、他にいない。

「この電話もその女がやったんだな?」

「巫女さんとお話ししたいってのは頼んだかもしれないね。まさか叶えてくれるとは思ってなかった」

「続けるのか?」

「続けたらいけない、みたいな言い方だね。私としては愛しているだけだよ」

 言葉の一つ一つにぬめぬめとした唾液が滴っているような、気色の悪い話し方だった。

「愛だとしても行きすぎてる。お前がやってることは世間ではレイプ殺人と言うんだ」

「私の愛に耐えられなかった器の末路に興味はないよ。先に壊れるほうが悪いんだから」

「我慢比べでもしてるつもりか。クソ野郎のクソな言い訳だな」

「口が悪いよ、ご令嬢」ルズラがくすくすと笑った。「そんなことより呪いを祓う一族、納家のことについて教えてくれないかな。私はその血に興味があるんだ。蒼白い肌から直接啜りたくて堪らない。どれだけ甘いのか」

「ヘンタイと話す趣味はない。早く自首してくれ」

「自首したところでさ、捕まえるには証拠が要る。その証拠がないって言ってるんだよ。ああ、直接会いに行こうかな。いいだろ? 巫女さんは、私の愛を受け入れてくれるだろうか」

「意味がわからなすぎる」

 電話が切れない。電源ボタンが見当たらない。

「逃げないで、私に会いに」

 眼が。

 開いた。

 不快すぎてシャワーを浴びた。

 12時。

「みふぎちゃーん、オムライス買ってきたよ~ん」マミの軽すぎる笑顔がやけに清々しく見えた。

 駄目だ。

 あてられておかしくなってる。

 なんだあの、

 泥みたいなねちゃねちゃの粘液の塊は。

「どったの? 食べない?」マミがわたしの顔をのぞき込む。

「マミって存外爽やかイケメンだなと思ってな」

「ええ~、やっぱ変なもの食べちゃったんでない? そんでお腹いっぱいなの?」

 服は乾いたが、マミがうるさいので別のワンピースを着てやった。さっき着てたのは寝汗で没った。

 なんで女の服はこんなにひらひらと動きにくいのだ?

「今度のはね~、蝶てゆうか、妖精ってゆうか」

「はいはい」

 話したくなかったが、本当に仕方なく、マミに夢の内容を説明した。

「うげえええええええええ、キモい! マジでキモ!! そんなのがホンボシなの? 世のため人のためさっさと逮捕するように片山さんにぐさぐさ釘刺してくんね~」

 マミは本当に神奈川県警に連絡した。

 入れ違いで、古衛さんから連絡があった。

「一つ提案がある」古衛さんは言いにくそうに切り出した。「あなたを」

「わたしを囮にすればのこのこ出てくると思います」

 古衛さんがゆっくり息を吐いた。

「わかってます。そのつもりで情報提供しましたから」

 やりたくない。

 本当にやりたくないが、やるしかない。

 あれは、

 害悪だ。
















 

     B正義


 シリアルキラーがみふぎちゃんに接近した。

 名を、

 ルズラというらしい。

「だから、なんで俺に?」伝説の名探偵があくびをしながら言う。

 日本は14時。

 フランスは朝の6時。

「巫女のお嬢ちゃんなんすけどね、行くところ行くところご遺体に遭遇するんで。かれこれもう4件目で。これってどっかの名探偵とおんなじ体質ってことないすかね?」

「ない。寝る」

「寝るって、ちょっとちょっとちょっと~。護衛対象だって起きてくるんでしょ~。ご主人さまより早く起きてなきゃあ」

「うるせえなあ。お前が電話鳴らすから」

 さすがに別室で寝ているのだと思うが、壁が薄いのだろうか。

 名探偵のご主人も結構浅眠族?

「実はこのあと直接対決なんすよね~。んで、ご報告がてら勝ちどき宣言をばって」

「そうゆうこと言ってる奴は失敗する。精々足を引っ張るな」

 手厳しい。

 そんなことわかっている。

 わかっていて敢えて言ったということは。

 俺もそれなりに緊張してる?

「射撃の腕だけはいいんだから。クソ野郎のドたまぶち抜いてやりゃあいい」

「え?え? まさか、俺のこと気遣ってくださってらっしゃる~? このこの~」

 ブチっと切られた。

 みふぎちゃんが相手にしている呪いは、俺が探しているとはまったく関係がない。

 でも関係なかったとしても、みふぎちゃんを放っておけない。

 ここまで関わったからという理由もあるけど、あの子は脆い。

 私生活は旦那が守るとして、せめて俺がいる間は、外界の悪意から守りたい。

 守れないのはもうたくさんだ。

 正義のヒーローになりたかった。

 もう俺の眼の前で誰も喪わせはしない。

 なんて。

 ちょっとカッコよすぎたかな。

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